二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか⑰
「さて、洞木君に託したモノは役に立っているのかな」
一人、ベル・バルドルは眼下に広がる光景を眺めながらふと思い出したように考える。
月夜見の支配領域に侵入する前、会長室に怒鳴りこんできた洞木がそれを求めてきた時、自分としては珍しくその要求に応えるべきか悩んでいた。
直接的ではなくても、明らかに自身の持つ力の一端を貸与する事は後に大きな影響と成る可能性が高い。そうでなくても、恐らく月夜見は汚染されている。故に、その干渉を認知される事態に陥る事が、最も憂慮すべき点であった。
例え汚染されていたとしても、距離さえ離れれば本体からの供給を絶たれた因子は消滅する。だからこそ月夜見を見逃し、その計画が達せられるならそれも良しと思っていたが。どうやら、自分にも僅かながらそういった欲が残っていたらしい。
「まあ、加えて少し甘さが出てしまったかな。あの、抜身の刃みたいだった子供が、随分と必死になっていたモノだから」
際どい所で、その欲と甘さを優先させた事が、どう転ぶか。それも、今回の局面を彼らが乗り切った後の事ではある。
「これでグレイプニルの撚糸は五つが解かれた。残り一つ、だというのに、フェンリルの腹は満たされぬまま餓えようとしている」
一人佇む其処は九界の最終下層に位置する、第九階層ヘルヘイム。その内でも更に地の底、ユグドラシルの根に築かれた、観測基地シンモラである。
極度の魔素濃度により開発は不可と完全に閉鎖され、如何なる者の侵入も禁止されている、と表向きには公表されている。
その広大な空間は、紅い海で満たされていた。
時折波打ち、彼方の水平線まで続く紅の海は只、その時を待っている。
「そう、すべての軛が解かれる時、おまえはどちらを選ぶのだろうね。全てを飲み込むのか、全てを焼き尽くすのか、それとも」
その問いに応えるものは居ない。
少しだけ残念そうに、何時かの階層を超える通信を可能とする端末を起動しながら、ベルは僅かに波打つだけの海を背にした。
「うん、加賀美君の知見を得て問題は解決した。早急に『ヴァルハラ』の用意を頼むよ。もしかすると、もしかするかもしれないからね」
触れられぬ筈の巨人に、あまりにも簡単にその刃は届き。切っ先が装甲の表面に数センチ程の引っかき傷を作ると、その変化は起こった。
「全く、反則だよね。法則の上書き、『王の権能』っていうのは」
王の権能、万物への絶対命令権。そうあれと命じるだけで、全てがそれに従う。
勿論その力を担保する支配領域の圏内でのみ行使できる権能であるが、その効果範囲に何故なのか此処は含まれるらしい。王から下賜された小刀は、たった一つの命である絶対無敵の装甲の無効化を果たすと光が弾けるように消滅した。
「これから先は、自分で何とかしろって事か」
「そういう事。よし、これで絶対防御も、拒絶障壁の再起動も完全に不可能だ。アキト、君は下がれ。流石にそれ以上は体が持たないよ」
「ふ、ざけてんじゃねえ、ぞコラ。ボクはまだ、戦える・・・!」
虚勢を張っているがアキトは限界寸前だ。特にマナとの戦いで生身のまま能力を行使した影響が未だに響いている。
「それにさ、そろそろ俺にもカッコつけさせてくれよ。今までずっと、君やマナに頼りっぱなしだったんだ。最後くらいはきっちり決めておかないとな。ああ、後は」
最早余裕のない金切り声で、それでも体制を立て直しつつあるフルングニルを見上げて告げる。
「おいコラ、手前に足消し飛ばされた事忘れてねぇぞ!ぎったんぎったんにしてやるからな、覚悟しやがれクソ野郎が!」
そう、借りはきっちりと返さないと気が済まない。
「・・・あはは、そういうチンピラみたいな所、ホントに変わらないよね、ベオは」
俺の言葉に気が抜けたのか、アキトは引き下がってくれるようだ。
これでいい。何だか今回の騒動で、俺はあまり活躍できていないものだから、最後の最後くらい体を張らないとしまらないというモノだ。
「勿論、私にはそんな事言わないよね」
傍に控えていたマナは、二体の従者を展開している。
この巨人との戦いにおいて、彼女の助けが必須なのは分かっていたから、確実に三人で揃って生きて帰るためには頼るしかないだろう。
「あはは。カッコ付かないけど頼むよ、マナ」
実際、新しい武器があったとしても一人で何とかするのは難しい。大丈夫と言い切れないのはダサいが、まあマナも、アキトも、そんな俺でも良いのだと、大目に見てくれると言ってくれるから。
「何時だって、頼りにしてるぜ」
「うん。何時だって、君を護るよ」
背部に抱えたコンテナに手を回す。それに呼応し、排熱の白い蒸気と共に、露出するのは剣の柄。
掴む指を焼くような熱に、怯む事無くグリップを回した。
「行くぜ、フルングニル。こっから後は消化試合だ。テメェなんてさっさとブチのめして、俺たちはあの街に帰る」
抜刀の瞬間、鞘であり、封印の拘束でもあったコンテナは四散する。
封じられていた熱と、圧力の開放によって響き渡る爆発音と同時に俺たちと、白い巨人との最後の戦いが始まったのだ。
望んでいた安全とは程遠い、一秒後の生存すら不確かな、危険極まりない今。
だというのに、心はずっと軽く。何処までも飛んでいけそうだ。
何故か追従する二体も動きが随分と良い。連続した稼働時間と、一部独立した判断機構に記憶領域を取り付けたせいか、自我に似た思考回路を獲得したこの二体は、今回の計画を実行するに当たって、命令を拒絶こそせずにいたが、何処か稼働率が低下している感覚が有ったのだが。
「スクナはベオくんの正面防御に専念。オオミツヌはフルングニルの足止めだよ!」
前を行くベオくんを狙う生身ではほぼ回避不可の正面副砲、四砲からなる高出力レーザーはスクナの鏡面装甲で対処可能だ。
問題は主砲、開口部より放たれる圧縮エーテル砲。これは流石に、回避以外の方法が存在しない。
けれど、元は同一であった機体の性能だ。
「元自分の体だからね。発射の予備動作も、有効範囲も熟知しているさ!」
ベオくんはスクナからの合図で、自分自身は、この窮屈で鈍く、重たい肉の体で。
転びそうになりながら、触れれば一瞬で蒸発する破壊の渦を躱して走る。
「再充填には三十秒、行動予測の補正がかかる二射目は躱せないからね!」
「あと十秒も必要ないさ!」
更に速度を上げて、前を走る彼の背を眩しく思った。
今だってあの選択が間違いだったなんて思ってはいない。目の前のフルングニルを倒して、ニヴルヘイムに戻ったところでこれから先、彼を待ち受けている運命を考えると、もしかすると此処で倒れてしまった方が幸せであるのかも知れない。
「うん、それでも君はきっと。少しも恐れずに、前に向かって行くんだね」
君が望むモノ、そして私が願うモノ。
護っていた筈の小さな彼は、もうずっと前から一人でも立ち上がって、歩いて行けるようになっていた。
「けれど、君を離してなんてあげないから」
これは貴方の為だなんて。そんな綺麗ごとじゃなくて、私がそうしたいからという願い。
彼を誘拐した時と、彼を思い通りに洗脳しようとした時とも少しも違わない、自分勝手な想いから生まれた、今の私の最優先事項。
「宇宙人の恋心を奪ったのは君だ。責任は取ってもらうからね、ベオくん!」
きっとこれからも、覚める事のないユメを見続けるように。
私は私らしく、かつて宙を往き、星々の間を旅していた頃よりもずっと窮屈で。なのにずっと自由な、この体と心で、彼の隣に在り続けるのだ。
アキトが時間を稼ぎ、マナが道を拓いてくれた。後は、俺が走る番だ。
「おおおおお!」
背から抜き打ちそのまま籠手を狙って、相手の態勢を崩そうとするがその思惑は外れた。
フルングニルの前腕が宙を舞う。手ごたえは軽く、特殊な装甲を失ってなお、地球上の何よりも堅牢な筈のそれは、この剣によって余りにも簡単に切断されてしまっていたのだ。
炸薬の爆発と刃の質量で圧し切るグラムとは全く異なる。一度はその性質から折れ、今は生まれ変わった新しい力の名を呼ぶ。
「伝承核、フツヌシ起動。デビュー戦だ。飛ばしてくぜ、『バルムンク』!」
新たな銘は星骸剣バルムンク。それは嘗て、彼女の故郷が砕け散る前の形見分けとなったほしの欠片に、マナが過去、オオミツヌとスクナヒコナを介して出会い、友諠を結んだ神剣使いから譲り受けたその破片を核とし、砕かれたトリフネの最も強固な外殻構成素材、ヒヒイロカネを刀身とする長大な剣である。
「立派な盾が無くなったらこんなもんかよ!」
口では何とでも言えるが、正直この黄金の小刀が無ければ有効打が存在していなかった事を思うと冷汗が出る。
アキトが言うに、あれはベルから預けられた物であるという事だ。相変わらず、その意図が読めない。
匂いが分からないのはともかく、此方の考えや行動が完全に先読みされている節があるのだが、その上で自分にどんな価値を見出し、利用しようとしているのか。
あの悪辣な商人が企む事だ。碌なモノで有る筈がないとは思うけれど。
「まあ、今は目の前のコイツだよな!」
自分の足を消し飛ばした、反応不可のレーザーはスクナヒコナが対処してくれているとはいえ、主砲の直撃は死を意味する。
相手も馬鹿ではない。自分とマナを狙った先の発射から再充填の完了はもう間もなく、動きの鈍ったアキトの事を考え、其方へと主砲の矛先を向けられてしまう危険性を考えればこの残り十秒、此処で。
「此処で、決着を着ける」
俺の意気を感じ取って足止めに掛かっていたオオミツヌが、そのまま此方に背を向ける動作でこっちも彼の意図を読み取った。
「背中、借りるぜ!」
足をかけた跳躍の瞬間、押し上げるような余勢を受けて。飛び上がりつつ、一瞬フルングニルと目線が合う。
紅い光が双眸に灯り、飛び込んできた獲物を迎撃せんと熱線が放たれる直前の、その起こりを見届けながらも、僅かに。
「今度は俺の方が、早かったなぁ!」
右袈裟から滑り込むような剣閃が。やはり殆ど手ごたえも無く、ふつ、という音だけを残し、巨人の腰元まで両断して。あっさりとこの戦いの勝敗を決する一撃となった。
「で、止めは刺さないわけ?」
「ああ、ちょっと確認する事が有る」
既にヨルムンガンドと黒い戦乙女から降りているアキトに応えながら、目的のモノを探す。
やはり予想通り両断されたフルングニルの、人体であれば丁度心臓の位置にそれは在った。
紅い、脈打つような鼓動を続ける岩塊。俺は、これを今までに三度見た覚えがある。
「気を付けてベオ君、定着した体を失ったとはいえ、それはまだ生きている」
マナの忠告を聞きつつ、ゆっくりと近づく。思えばこれまでの巨人との戦いは此処まで余裕のある決着となったことが無く、この心臓を調べる機会が無かった。
正直、恐れはある。だがそれ以上に、これから得られる情報の重要さと、意味は大きい。
今まで何度かあったこの心臓と接触する殊に起因する強烈な情報の本流で己を失わぬように、一度大きく深呼吸をして。
「・・・いくぞ」
それに、触れる。
「っが!?」
頭を殴りつけられる様な感覚。無理やりに目を開かれて、百倍速の映画を何本も見せられながら、同時に数百の声が鼓膜を揺らす。
「ぎ、ぎぎぐ、ぐ」
内臓を丸ごと吐き出しそうな衝動を抑える為に、噛みしめた奥歯を嚙み砕いてしまいそうだ。
そうして、それほどの苦痛を代償に、ようやくその輪郭を捉え始めた。
知らない場所が見える。知らない音が聞こえる。
遠い過去、知らない世界。そう、世界。知らない世界の、ずっと、ずっと昔のお話。
人がまだ幼く、その声が届く距離も近く、見える景色もずっと狭い。このほしの上に数多の世界が存在していた時代の、その内の一つで、それは起こった。
失ったことも知らぬうちに、物語は現実のモノとなる。それは、終わりの物語。終焉という、逃れ得ぬ収穫の時。
大水に、空は落ちて。獣も人も等しく、皆死んだ。
其処に差異は無い。その終わりを見つめながら、強い者も、弱い者も。奴隷も、市民も、兵士も、貴族も、王も。皆、口々にこう呟く。
何故、こうなったのだと。
其処に理由は無い。ただ、そう在るモノなのだ。
世界の幻想に姿を借りて、世界に終焉を告げるモノ。それが、それこそがこの終わりの全ての発端、『黄昏』の正体である。
そうして、その世界も刈り取られようとしていた。
その終わりに残った者はたった一人。世界が終わった、という物語を見届けた者であり、最期の一つとなった命。
それが順守する絶対のルール。始めと終わり。Alphaに対応する、Omega。その死を以て、その世界は全てを収穫され尽くし、存在した事すら失われる。
かつて幾度も起こったその終わりが、今回も迎えられる、筈であった。
そうならなかった理由。たった一つ、黄昏の、収穫のルールが違えられたそもそもの原因。数千、もしかすると数万、いや数億の繰り返しの中での、唯一の例外。
それの他に、残ったモノが在ったのだ。生きてもいない、死んでもいない。その命が。
「おっと、今は其処までだよ」
朦朧とした意識の中で。自分でも止める事が出来ずに、濁流のような情報の中で浮かぶ木の葉のような自意識が途切れる瞬間、あの憎たらしい声が聞こえたような気がした。




