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犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか  作者: せんこう
二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか
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二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか⑬

走る。白い荒野を、阻むように足に纏わりつく雪を蹴りつけ、飛来する機械の鳥を打ち落としながら、真っ直ぐに。


「はあ、はあ、はあ」


肺へと吸い込む度にナイフで内側を刺すような冷たい空気に熱を与え、代わりに奪われていく体温と体力の損耗は加速度的に増加していく。その均衡が明らかに負の方向へと傾きながら、それでも足を止めることは出来ない。


「はあ、あ、はあ、はあ!」


後方では激しく金属が衝突し、削りあう音が響く。視界の端には白く渦を巻く、此方に向かう子機の数百倍の群れが、竜巻のように黒い戦乙女を飲み込もうとする瞬間が見えた。

アキトは、自分が其処へたどり着くまでの時間くらいは稼いでみせると笑って言った。あいつがそういった以上、それは事実であり、例え傷を負おうとも、命を失うことになったとしてもやり遂げるという事は分かっているから。だから信じて、振り返る事もせず。


「俺が、一刻も早く、辿り着く!」


一分一秒でも早く、その時間が早まれば、アキトが負う傷が一つ減る。それだけが今、自分が走る理由で。悪化する凍傷で足の感覚が無くても、打ち落とした子機の破片が頬を裂き、腹をかばって肩に刺さる破片がそのままでも、足を止めることは出来ない。

こういう時こそフェンリルが使えればとも思ったが、その燃料たる魔素が存在しないこの場所では自身に蓄えられている分の開放しか出来ない。

開放の時間はこれまでの体感からおよそ五分ほどだろうか、使いどころを間違えると取り返しのつかないことになるだろう。判断を誤っては駄目だ。

撃ち尽くした散弾銃を鈍器に換えて、其処に辿り着いたときには凍った息しか漏れていない口の端にこぼす愚痴も無く、アキトに借りた白いダウンジャケットは自らの血で紅く染まっていた。

それでもどうにか、奥の手は温存したままだが、これから何が起こるのか。


「こ、の」


何故此処まで近付かなければ気が付かなかったのか、白い平原にこの周囲だけ、小山のように盛り上がった地面がある。

血が凍り、巡りの悪くなった頭で考える余裕はなく、アキトから手渡された切り札という趣味の悪い金ぴかな小刀を握りしめて、最後に残った体力でよじ登って、思ったより短い時間でちょっとした登山は終わった。

山頂を雪で払うと、雪の彩とは違う、より透明な白が現れる。アキトによれば此処にこの金ぴかを突き立てれば、僅かながらもこの領域を閉ざす拒絶障壁に隙間を作る事が出来るかもしれなくて、そうすればその間に脱出することが可能となるのだと言う。

躊躇いは無かった。その余裕が無かった、という方が正しいが、とにかく何も考えずに振り下ろす。その刹那に、凍り付いて疲弊した意識は更に薄れて。

だからだろうか、また何処か別の、遠い夢を見ていた。





「うん、いい匂い。やっぱり君は、私の事が大好きだよね」

「それ、やめろって言ったろ。お前ばっかりずるいぞ」


赤い岩と砂の続く地平線に、朝日が昇ろうとしていた。

その朝日を背に、はしゃぐように踊る少女と、呆れた様子でそれを眺めている少年が居る。


「そうは言うけど、これはもともと皆が持っていたのに、要らないと言って捨てたモノなんだよ?それなのにずるいって、なんだか勝手じゃない?」

「そんな事は平地の民の父祖の、もっと前の奴らが勝手にやった事だろ。僕が選んだことじゃないし、やっぱり、こっちばかりがそうやって、隠してる事まで知られるのは不公平だ」


不満顔で顔を逸らす少年に、その逸らした方へと覗き込むように、少年より背の高い少女は少し体を屈めて楽しそうに言った。


「私が君に隠してる事なんて何もないよ。私を買い取ってくれた事を感謝してる。私を信じてくれた事を嬉しく思っているし、私を自由民にするための保証人になってくれた事には驚いたけれど、やっぱり嬉しく思っているよ」

「ああ、そうだよ。お前は、もう自由なんだ」


自分がそうしたくせに、そうすることで、彼女が何処か遠くへと行ってしまうのではないかという事が、少年には不安だった。

だというのに。矛盾するように、彼女の自由を勝ち取ったその足で、此処を訪れたのは何故なのか。その答えは、当の少年にも分かっていない。


「ふふふ、だから此処に連れてきてくれたんだね。この世界の狭間、違う世界へと続いている、この赤の地平に」


今の彼女が望めば、それは簡単に実現する。隷属の鎖は解かれ、その身を縛るモノは何もない。

分かっていた。いくら心を砕いて愛でたとしても、籠を開けば鳥は空を目指して飛んでいく。

鳥は振り返る事もなく、二度と戻る事もない。そんな事は当たり前で、他人は何故、そんなことをしたのかと、馬鹿な行いを笑うだろう。

それでも少年は、彼女を自由にしたかったのだ。

鎖につながれ、獣のように扱われている姿を目にした時から。それでも楽し気に空を見上げる彼女を、その軛から解き放ってやりたいと、心からそう思った。

その足で自分の為に貯めていた金を集め、その身を買い取ってからは奴隷を自由人とする保証人となるべく信用を得て、時間はかかったが、ようやく此処まで来た。

その果てに、遠くへと去っていく彼女を見送ることになったとしても、今までに費やした金も時間も無駄になり、信用を失って仕事を失うことになったとしても。

それでいいと、そう想った。


「さあ、行けよ。行っちまえ。お前が自由に生きられる世界に」


ああ、もう不安はない。きっと、自分は出会いの時から、この瞬間を見たかった。それが答えだ。


「お前が、お前らしく笑える場所に。それが僕の願いで、それはもう叶ったのだから」


夜明けの空、月と太陽が共にあるこの時間に、何物にも縛られない、笑う彼女は。きっと、何物よりも美しいのだと、そう想ったから。

そしてそれが真実であったと知った今は、もうそれで満足であると。

けれど彼女は、何時までもその場を離れようとしない。

それをどうしてと尋ねると、やはり少女は笑いながら、当たり前のように言った。


「行きたいところも、私らしく笑えるところも。君の隣以外には、無いんだよ」


やっぱり不公平だと少年は思った。こんなにも嬉しくて、言葉に出来ない感情まで彼女には筒抜けなのに、自分はその半分も、彼女の思いを彼女自身の言葉でしか聞くことは出来ないのだから。


「だったら、何度でも言葉にしてあげる。君の隣でずっと、何時だって」


その姿をきっと、永遠に忘れない。百年経とうと、千年経とうと。その魂に焼き付いた光景は、何があっても失われる事は無いだろう。


「■しているよ、私の■■。どんな時だって、君の傍でこそ私は嬉しいと感じる事が出来るのだから」


覚えている、一万年経った後でさえ。遥か彼方に過ぎ去ったとしても、世界から忘れられたとしても。

自分だけはずっと。その光景と、彼女の笑顔を覚えている。





『最優先事項の変更を承認。メインフレームの支配権限を凍結、以降は機体管理ユニットへと権限を移行』

「まだ何もしてないぞ、クソったれが!」


情けなく声を上げて、白い雪を巻き上げながら起き上がる巨体から飛び降りて走る。

これに関しては本当だ。アキトから託された短剣を突き立てる直前に、急に足場にしていたそれが動き出し、目的を遂げるどころでは無かったのだから。


「アキト、想定外の事態発生だ!」


通信機に怒鳴りながら告げる。この時点で作戦としては既に失敗、一時撤退して態勢を立て直すしか方法は無い。

地響きを立てる背後のそれを確認する余裕は無く、片道で足りると考えていた体力の配分を無視したペースで、全力の逃走を成功させなければ此処で全て終わりだ。


『申請を受諾、個体名称を更新。本機体はこれより、フルングニルと呼称します』

「自己紹介なんてしてるんじゃねえぞクソ!」


悪態をついてみてもどうにもならない。熱を失い、下がり切った体温が引き起こす身体の機能不全。目は霞んで白い世界が黒く明滅している。足だって上手く動かない。

後どれだけ走ればアキトと合流出来るのか、その後逃れたとしても、動き出した所長の本体とやらに、どう抗えばいいというのか。


「それでも」


ああ、それでも。


「俺が、諦める理由にはならない!」


必ず帰る。その為に、止まることは出来ない。

まあ、そんな決意も次の瞬間には無意味に成り果てた。


「・・・あ?」


逃走の為のその一歩を、何故か踏み出せない。


「あ、ああ」


存在しないものを、どうして踏み出せるというのか。ちょうど膝から下、俺の足だったモノは左右合わせて二本、後方から放たれた光に触れてきれいさっぱり無くなっていた。


「が、あああああああ!」


やはり痛みという感覚は生存に直結している分、何よりも優先されるらしい。寒さも重さも一瞬で塗り替えて、激しく焼き付くような痛みに、喉がつぶれそうな程の叫びが漏れた。


『最優先排除目標、フェンリルを確認。これより排除を開始します』


両足を無くしたくらいで情けない。這うようにしか進めない俺を前にして、起き上がった巨人、フルングニルはゆっくりと、確実に迫る。


「く、そ」


消失した足を筆にして、白い雪原の上真っ直ぐに引かれる赤い線。

間もなく俺とフルングニルとの間隔は狭まり、背後から差す影に俺の姿が塗りつぶされて、その悪あがきも終わりを告げる。


『排除実行』


そう告げるとまるで虫でもつぶすように、巨人の足の裏が迫る。

視界を埋める足の裏。これが最期に見る光景だなんて、何の因果と諦めればいいのか。


「・・・諦められるわけが、無いだろうが!」


残りカスの余力で身体を思い切り捻り、転がるように影から飛び出して、まだ動く残った足の一部と、二本の腕で這うような歩みを再開する。


「帰る、帰るんだ」


待ってくれている人がいて、帰りたい場所がある。


「それなのに、俺が勝手に諦めて、終わっていい筈がない」


浮遊感を感じたのは、奇跡が起きて俺の背中に羽が生え、空へと飛び上がった訳じゃない。

逆さまの視界で、高くなる目線はその姿をはっきりと捉えていた。

白い、翼を持った巨人。それが俺の残った足を掴み、虫でも掴むようにぶら下げているのが浮遊感の原因で、今度こそ逃さないと捕まえた俺を眼前に引き上げ、多分、今から叩きつけるか握りつぶそうとでもいうのだろう。


「・・・ああ、くそ。偉そうなこと言っておいて、格好も何も、無いな、これじゃあ」


何時だったか、所長と話した事が有る。人生の終わりにはどんな風に過ごしたいかとか、そんな話だ。

あんな街でこんな仕事をしているモノだから、穏やかに終わりを迎えられるだなんて考えたことは無かった。それでも確かその時に、あれ、なんと答えたのだったか。

まあ、それでもこんな死に方とはかけ離れた終わり方だったと思う。まあ、それを俺に選ぶ権利は無くなってしまったようだから、思い出したところで意味は無い。

どうやら巨人は叩きつけて殺すことにしたらしい。振り上げる浮遊感、それから急速な加速と、乗った事は無いが、まるでジェットコースターの様に流れていく風景は一瞬で、その終わりの瞬間はあっという間にやってきた。


『複数子機からの管理状態離脱を確認。メインフレームからの干渉と断定』


寸前で白いキャンバスを染める赤い点と成り損なった俺は、一度大きく振り回されてから、何かを払いのけるような動作で、そのまま空へと投げ出される。


「ベオくん!」


それから、良く知る暖かな、柔らかい感触に抱きしめられて。こんな状況だっていうのに俺は、情けないくらいに安堵を感じていたんだ。


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