二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか⑪
さて、そも彼らの教義とは、元となった原始的なアニミズムから仏教や老子の道家等、成立の過程で複数の思想や宗教観が統合され、変遷していった歴史がある。
つまるところ世界であり、混沌たる全ての源、天地が分かたれる前の太極という根源。之に至る事を至上の目的とした集団が彼らだった。
さて、その太極に至る為の研鑽の中で生まれた出来損ないについては芥の如く積み重なり、今ここで話す時間は無い。
故にその芥の最後の一粒、今は洞木アキトと呼ばれる存在の話をしよう。
彼、或いは彼女がそうなってしまった理由は一つ、二卵性双生児として発生した彼らを一つの人間として纏めてしまおうとした行為に在る。
これは、何も根拠なく行われた事ではない。目的たる太極、それを構成する陰と陽。
対となる一から分かたれた二、全てには相対する存在があり、その調和により世界は保たれている。
自分たちで考えた場合、人間の陰と陽、これは考えるまでもなく女と男という存在であり、それらを合一させる事で完全とみる考えは、両性を備える神性や男女が合一する怪物など、世界を見ても少なくない。
この極地、生じたばかりの受精卵を魔術的に重ね、一つの胎児に纏める、という発想は良かった。
誤算があったとすれば、一つの肉体に在った魂が二つ、生命の発生と同時に生じ、自意識が芽生える前に融合した一つは、常に揺らぐ、重なる影のような存在と成ってしまった事だ。
重なり融合した体に対して、意識は一つに重なっていても確かに二つ存在する魂。形としては彼らが至上とする太極図と似た胎児の存在に、長きに渡る悲願が叶ったと喜びの声が上がった。
きっとこの子は、我々の望む真なる人となり、我々をその高みへと引き上げてくれるであろう。
その喜びは、その希望となる筈の子供が産声を上げたその日にあっけなく打ち砕かれる事となる。
初めから、超常と成る事を望んで作られた子供が、普通の生じ方をする筈がない。
母体の腹を裂かれ、取り上げられた瞬間に成長したその子供は、誰に学ぶ事もなく言葉を話し、影を操る術を用い、その場の人間を皆殺しにして、念入りに集落に火を放った。
後に残ったモノはその子供一人のみ。そして初めから完成していたその子供は、望まれていた神にでも真人でもなく、血に汚れた殺し屋として、暫くはかの国の陰で暗躍する刺客として名を馳せる事となった。
「その気楽な暮らしも、会長暗殺の依頼を請け負ったのが運の付きでね。あっさりシズルに返り討ちにされちゃって、始末される所を当の殺害対象に面白いからとか言われてさ。月夜見の使い走りになる事でお目こぼしを受けた、ってのがこれまでのお話だよ」
取り敢えず、アキトの話は終わったらしい。満足したら腕を離してくれと、薄く笑いを浮かべた顔が告げている。
だからこそ、俺はこの手を離さないと決めた。
「何だよ。話は終わったって言ってるだろ、いくらアニキでもこれ以上はムカつくぜ」
「お前の話したいことは終わったんだろうな。なら次は、俺の聞きたいことを教えてくれ」
びくりと、問いの答えとして伝わる動揺に、確信を得た。
こういう所は可愛げがあるというか、まあそれで、余計に見逃してやる訳にはいかなくなったのだけれど。
「言っておくが、これはズルじゃないぞ。匂いを確認しなくたって、俺には分かる」
「・・・何が、分かるっていうんだよ」
何かを恐れるように目を逸らして、それでもアキトは俺の手を振り払おうとはしない。こいつはあくまで、俺が離すことを待っている。だから俺は、自分からは決して離さないと決めている。
「何が分かるっていうんだよ。さっき話した通りだ。オレはくだらない神様を生み出すために、沢山の人間を殺して殺して殺し尽くした人でなしが作った、生まれた瞬間にそいつらすら皆殺しにしたクズで、生まれ持った力も誰かの為じゃなく、自分の為にしか使わない、とても奴らが望んだような真人なんかじゃない、どうしようもない歪な、出来損ないだよ」
分かってる。この言葉も事実だ。だけど、全てではない。だから俺は、お前を離さない。
「なんだよ、全部って。これがオレだ」
「違うだろ。それが一部でも、それだけじゃない。そんな事は、短い付き合いだけどな。俺が一番良く分かってるんだよ」
「分かってるって、なんだよ」
真っ直ぐに目を逸らさない俺から更に顔を逸らして、アキトは呻くように呟いた。
「ふざけてんじゃねぇぞ、何が分かるっていうんだ。オレの他にボクは居ない。世界中どこ探しても、こんなに歪で醜くて、どうしようもない人間は居ない。いや、人間なのかオレは?生まれた瞬間に中途半端に完成していて、こんな、目を離した瞬間に男が女に入れ替わるような、そんな生き物が何処にいる」
無理に笑顔を作ろうとして、食いしばる唇には血がにじんでいる。
自嘲する事は慣れているくせに、それを自覚する事よりも、それよりももっと、誰かに自分を分かってほしくないと、どれだけ突き放してきたのか。だからやはり、俺はこいつを離さない。
「そんな事は大したことじゃない。俺だってこんな頭だし、ニヴルヘイムを見渡せば、もっと面白い奴は大勢いるさ」
「そういうとこが!」
アキトの否定の叫びに、初めて相手からこの手を振りほどこうという動作が見えた。けれどそれは随分と弱弱しくて、此方が手を離さなければ意味のない事だ。そして俺は、まだ、手を離すつもりはない。
「・・・そういう所が嫌いなんだよ。何時もそうだ。アンタは誰にも彼にも図々しく内側に踏み込んできてさ、その内に広がるクソだまりなんて気にもしない。ああそうさ、クソで足を汚すだけのアンタは自業自得だからいいさ。けど相手の事はどうなんだよ。何処までいってもクソしかない自分の中に、ズケズケと入り込まれる相手の事を。必死に見ないふりをしていたのに、アンタっていう迷惑な光に照らされて、そんなモノしか自分には無いって再確認させられる、間抜けで可哀そうなソイツの事をどうするつもりなんだよアンタは・・・!」
強い非難と、何よりも悲壮な拒絶の言葉は紛れもないアキトの本心だった。
誰だってそうだ。俺だって、そうだったのかもしれない。人間、誰かと関わって生きていく為に、隠していたい一面がある。それを公にする事で、何かが変わったり、終わってしまうならなおの事だ。
今分かっているだけでも、アキトはとても平坦な人生を送っていたとは言えないだろう。ならばきっと、その隠しておきたい胸の内の闇は、小さな街での一年と少しの人生では計り知れない。
「責任取れるのかよ。化け物って石を投げられた事も無いくせに、礼だと言って渡された飯に毒を盛られた事もないくせにさ!そんな事ばかりで、そんな事があったくせに、また馬鹿みたいに、こいつにだけは嫌われたくないって、怖がられたくないって思ってる相手に、そんな醜くて汚いモノ晒す覚悟を、アンタは保証してくれるのかよ!」
ああ、そうか。ずっと感じていた、匂いを確認するまでもない感情の正体。
「・・・だからやめてくれよ、離してくれよ。オレが誰かなんて分かってくれなくてもいい、ボクがどんなやつかだなんて理解する必要はない。オレは、ボクはただ、何時もみたいに、毎朝挨拶を交わして、何でもない、くだらない話をするような、そんな、日々だけがあれば」
それは幾度も経験したであろう誰かから拒絶される事を恐れる怯えで、きっとこれが、洞木アキトという人間の本音なのだ。
「本当にそれだけで、よかったのに」
それ以上は望まないと。何時までも変わらない距離、近づくことが無くても、離れなければいいだなんて事は。例えば窓越しに広がる、楽し気な人たちが行き交う、決して辿り着けない街の光景を孤独な部屋から一人で眺めている行為に似ている。
「俺は、そんなのは、嫌だ」
だからこそ其方の側に、躊躇うことなくもう一歩。其処に広がるモノがクソだまりでも、血の海であっても、俺は踏み込むことを躊躇いはしない。
「だってアキトは泣いているじゃないか。それなのに、そのままでいいだなんて、そんな悲しい事言うなよ」
こればかりは俺から生まれた欲求であるのだから、相手の都合は関係ない。怯えて縮こまるアキトの頬を伝う雫に触れて、その理由を俺は、どうしても分かってやりたかった。
感情の発露の一つである泣くという反応は、他の動物には存在しない。
人は群れで生きることを前提としているから、他者に何かを伝えるという事が一番大切な機能であり、その一つ。泣いて、涙を流すという事は、手を伸ばす行為に似ていると。
「何時か、誰かが言っていたっけな。嬉しい事も、悲しい事でも。人は隣にいる誰かに伝えたくて、分かってほしいから、手を伸ばすように涙を流すんだって」
だから俺は離さない。勘違いでも、思い上がりでもいい。怖がりのアキトが手を伸ばしてくれた相手が俺だっていうのなら、絶対に俺からその手を離すことはない。それどころかもっと、その声を聞き逃すことが無いように、その身体を抱き寄せた。
その突然の行為に驚いて、アキトは俺の腕の中で戸惑うようにもがく。
「待ってくれよアニキ、おれの体。今はおとこ、なんだけど」
「そんな事関係あるのかよ。アキトは、アキトだろ」
今更変なことを言うやつだ。初めに男と女が両方とも自分だと言ったのはアキトのくせに、そんなことはとっくに了承して、俺はこうしている。
「俺はお前から逃げない。俺は、君の何にも怯えない。だから、だからさ」
もがく肩をより強く引いて、全身を押し付けるようにして示す、俺とアキトの距離の近さ。
確かに此処に俺は存在しているのだと、鼓動さえ伝わる様に。お前が言ったように、お前の内側へと飛び込む事に、微塵の迷いも無いのだと分かってもらえるように。
「悲しいと手を伸ばすだけじゃなく、怖くても俺の手を握ってくれ。そうするだけで、お前はもう、少なくとも独りきりじゃなくなるんだから」
弱弱しくもぞもぞとしていたアキトの息が止まる。気が付きもしなかった、その可能性が目の前にあるのだと、そう理解した事が分かる。
「・・・ああ、本当にばかだよ、あにき」
息を吐きながら、観念したのかアキトの体から力が抜けた。此方に身を預けるようにして、誤魔化すように俺の胸に顔を埋めている。
「母さん、貴女の言った通りだったよ。ボクにも、照らしてくれる太陽が、本当に在ったんだ」
呟きは確かに聞こえたが、その言葉は多分俺に向けられたモノでは無い気がして。それだけは聞こえないふりをして、俺はまた、呟きの後に続くアキトの言葉を聞いている。
その少女に名前は無かった。
親は居たが、父と母は居ない。親は何時も、オイとかオマエと彼女を呼んでいたので、それが自分の名前だと勘違いしていたくらいだったそうだ。
物心付いた頃から家畜と同じ小屋で過ごし、簡単な肉体労働を命じられ、残飯のような飯を与えられる。
珍しい事ではない。村には似たような子供たちが居て、どちらかといえばまだ、自分は大切に扱われているとさえ少女は思っていた。
時間は遅れる事が有っても飯は一日に一度ちゃんともらえたし、戯れに殴り殺される事もない。命じられた簡単な仕事をこなして、日々を過ごす。初めからそれしか無かったのだから、それが当たり前なのだと、そう過ごしていた。
ただ、偶に考えることはある。それは例えば、隣の家の、自分よりも年上の娘が、隣の村に嫁に行くのだという事で、小さな祝宴があった時など。
その時は自分にもと、小さな餅をもらえた。その甘い、白い餅を齧りながら、自分と彼女は何が違っているのだろうと考えることが、少しだけあった。
後から噂話を耳にしたが、彼女は嫁いだ先で後に子を産み、幸せな家庭を作ったのだという。
そういう事もあるのかと、自分には関係ない事は分かっていたから、その時はそれ以上、特に考えることは無かったが。
それから暫くして、少女が大人になりかけたという頃に、彼女は親から不要な家畜を処分されるように売られる事になった。
元々戸籍にも登録していない家畜と同じ扱いの彼女は、豚が二頭買えるほどの値段で売られ、そうして彼らの所有物となる。
「お前には、真人を宿してもらう」
言葉と行為の意味は分からなかったが、自分の体の変化は流石に気が付く。
かつての隣の娘と同じく、自分の胎に命が宿ったことが分かった時、彼女に在ったのは小さな驚きと、純粋な喜びだった。
「いいこ、いいこ」
月光のみ浴びる事を許され、鉄格子の窓から白い光を見上げて、すくすくと育つ子に呼びかける。
「いいこ、いいこ」
そういって腹を撫でる妊婦を見たことがあったので、それはいい事のように思えたので、自分も真似た。
歌詞を知らなかったから、耳で覚えた旋律のみの子守唄を口ずさみ、日々大きくなる命を感じて、初めて、ああ、これが嬉しいのだと、そう感じている。
「ねえ、あなた。知っているかしら?あのしろいおつきさまは、たいようの光でかがやいているのですって」
何故、月は白く光るのか。その問いに、戯れにではあったのだろうが、親が答えてくれたことがある。
太陽と月は夫婦であり、妻である月が暗い夜に迷わないよう、太陽は姿を隠していても照らしてくれていて、月は夜に怯えることなく、太陽の想いに応えるように白く輝くのだと。
「だからあなたは見つけてね。そばにいて、照らしてくれるたいようを」
自分はそうでないけれど、生まれてくるこの子は特別な子供らしい。求めていた子供が生まれるのだと、周囲の驚きと喜びは大層なものだった。
自分のこれまでが不幸だと思ったことはない。けれどきっと、求められて生まれてくるこの子は、自分と比べてずっと、幸せな人生が待っているだろう。
それがただ嬉しくて、早く生まれてくる子供の顔が見てみたいと、心から、彼女は幸せを感じていた。
そして、その日がやってきた。




