二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか⑨
「狭い安普請で申し訳ないね。茶器も揃っていないから本場の味に慣れている君にお出しするのは気が引けるが」
「いや、上等だ。ロンドンでも中々味わえない出来だぞ」
ベオに紅茶の淹れ方を指南したのは星見らしい。そう考えるとベオは余程才能がないのか、それとも相性が悪いのか。そう思える程に完璧な手並みだ。とても安い缶入りとは思えない。
「それは良かった。さあ茶請けにスコーンもある。これは黒猫マスターの力作らしいから期待できるよ」
「まて、私は貴方と歓談するために訪問したわけではないのだ。ベオの現状と、対策それについて話を聞きたい」
「ふむ。今からできることなんてそんなにないんだけどまあ説明は必要かな。では簡単に説明させてもらおうか」
そういって星見は何処からかホワイトボードを出してくる。そういえば自分は初見だが、稀にどうしても頼らねばならない時に訪問すると、何時もこれを用意しているとベオが話していた。
「まず彼らの現在地だけれど。此処月表層の異相空間に展開されている月夜見君の本体でもある天骸が発生させている不可侵領域通称拒絶障壁内部に在る」
マナの正体については、未だ飲み込めてはいないがアキトから説明を受けている。が、加えて月だとかいきなりな言葉が告げられて、事実として天才を自負する自分でも正直混乱していた。
「ではそこから。月夜見君の本体で異星の侵略兵器たる三千年前に撃墜され月表面に封印されていた残骸と思われていた存在だけどそれは違っていた。完全に壊れていたわけではなく地球に在るメインフレームつまり月夜見君との繋がりは健在でしかも先行調査で地球上に放たれていた偵察機のようなものが潜伏に成功した後に地道に活動を続けていたんだよ。これは後に説明するとして本体だった残骸は長い時間をかけて自己修復を進め自身が支配する領域を自らの破片から形成していく。これが拒絶障壁と呼ばれる異星の技術で造られた領域で干渉はおろか観測すら出来ない空間のそこに月夜見君とベオ君にそれを追って侵入した洞木君の三人が存在しているという訳だ」
白いボードに描かれる円。その表面に加えられた半球の中に、三人のデフォルメされた姿が描かれた。何というか、妙に味のある絵柄である。
「洞木君が入り込んでしまった後に月夜見君に完全閉鎖されてしまた現状ここにはもう干渉する方法が本当に存在しない。だから外部の君たちに出来ることといえば内部の彼らがどうにかするかどうにもしないかという結果が出るのを待つしかないというのが簡単な説明になるんだけれどそれで君たちは納得しないよね」
星見が言うにはつまり、今現在出来ることはアキトがベオと協力し、事態を解決するのを待つことだけなのだという事だ。
だが、ただ待てというのは無理だ。自分は三人が帰ってくる事を信じて、その上で、その後に必要となることが今在るのなら、それをやらずにはいられない。
「当たり前だ。座して待つつもりはないし、洞木は確かに、残った私たちにも役目があると言っていた。それを伝えたのは、貴方だとも」
それはどういったことなのか。どうであっても、ベオの助けになるというのなら、やはりやらない訳にはいかないのだ。
「うんまあそれも洞木君がベオ君を伴い帰還してという前提があってだが。そうでないのならみーんな黄昏の胃袋に収まっておしまいという終わり方に一直線だからねぇ。まあ万が一でも其れが成った時には必要なことになるけれど意味が有るのか無いのか。此処に至っては無駄な足掻きというかなんというか。まあそれにはもう一つばかり巨大な壁を超える必要はあって更に可能性は低いというかそれしかないというかベオ君がその選択を選んだ上でうんうんう~ん」
言葉通りに唸りながら、数分ほどまごまごした後。ようやく決心したように一度別室に入り、戻ってきた星見は小さな箱を目の前のテーブルにコトリと置いた。
その動作に、何故か今までの彼とは違った印象がアリスに残る。
それは星見の、何時もの決まりきった事を疑いなく行う機械的な動作ではなく、何か酷く重い、繊細な存在を扱うように見えて、彼は厳かにその黒い箱の表面を一度懐かしむように撫でて、ゆっくりとその蓋を開いた。
「うん、分かってはいたけれど。やっぱり直接ゴドウ君が記した原本は、影響を受けずに残っていたね」
その言葉も、ゆっくりと目の前の事実を噛みしめるように。まるで自分のことを機械か何かだと思っていたモノが、その本質を思い出したかのように見える。
「うん。キミなら、そうするだろうね。うん、キミは、そういうやつだもの」
ゆっくりと、室内であっても、そういえばどんな時でも外すことのないサングラスを星見が外した。その瞳の色に、アリスは息を吞む。
このほしにおいて、極致へと至ったモノは、特別な彩を放つという理が存在する。
その最上たる証明。目の前の星見が備えている変幻する極彩色の瞳という存在に、遠い伝聞であるが、確かに覚えがあった。
「・・・もしやその瞳は、古エルサレムの魔術王が持っていたとされる、『彼方まで見通す瞳』か?」
「ふふふ、これはそんなに立派な瞳じゃあないんだ。肝心な時に友達を救えなかった役に立たない、ほんの少しだけ人と別のものが見えるだけの、そういうガラス玉みたいなものだよ」
そういって星見は、その箱に収められていたモノを手渡してくる。何か、とてつもなく重い存在を受け取ってしまったのではないのかと躊躇するが、迷っている暇は、自分には無かった。
その中身。紐で綴じられた紙束は、何かの論文のように見えた。表紙に著者の名前と、何かの覚書と、その題名が記されている。手書きのようで、古いインクの匂いがした。
「抗い続ける友の為に。その永い旅路の果てに、求める安心を得られるように。『北欧に分布する民話と伝承における、ラグナロク計画の為の私見』。著、黒陵梧桐」
文字の持つ意味の全てに覚えがない。というより、この題材はなんだ?民俗学か、人類学か何かのレポートに思えるが。
「これが唯一この世界に残った、その『物語』を記す本だ。之を知ることで君は、間違いなくベオ君の大きな助けになるだろう。けれど、けれどね」
穏やかに、その事実を述べて、星見は告げる。
「一応、確認しておこう。それを読む事で君は、洞木君は勿論月夜見君すら知らないこの計画の深奥、ベル・バルドルに三上君、それから僕に加えて、この九界に訪れるだろう終焉、『黄昏』と、『バルドル』という名の真意について識る四人目となってしまう。そうなれば君は、否が応でもベオ君の最期の最期まで付き合うことになるだろう。もしかするとそれで、君はとても悲惨な末路を辿るかもしれない。君自身が最も恐れる、救いようのない最期を迎えてしまうかもしれない。それでも、君は本当に後悔しないかい?」
それは、呪いに近い言葉だった。
此れを知れば、お前は逃げることは出来ない。それが分かって、その覚悟がお前に在るのかという問い。
だが、私の答えは一つしかない。
「私に、迷いなどない」
あの日、ベオが母に誓った隣でその隣で、自分も強くなりたいと願った。
私の為に、誰かの為ばかりに傷付き、それでも何でもないように笑う。そんなベオの為に、強くなりたいと。
「私は、ベオから離れないし、ベオを離さない。その結末がどんなモノであったとしても、その願いが揺らぐことはない」
そう宣言し、一瞬の迷いなく一枚目のページを開く。
その姿を見て、星見は微笑むように目を細めた。彼はそうすればまるで、何も変わったところのない、ただの年老いた男のように見えて、それが何だか可笑しくなってしまった。
待っている。ただ、貴方を待っている。
予定とは違うが、全てが破綻した訳ではない。だからこうして、洞木の領域から彼が出てくる時を、ずっと待っている。
何時もそうだが、この待つという時間は嫌いだった。
彼は何時も、何かあってもなくても落ち着きなく外へと飛び出して、それは月日の経過と比例し、隣にいてくれる時間はどんどんと少なくなってしまった。
だから、逆に待つ時間は長くなる。それが、堪らなく苦痛だった。
けれど、彼は。ベオ君は、何時だって私の元へと帰ってきてくれる。だから今も、こうして彼を、二人の思い出が詰まった事務所の前で、白く染まる、何もない地平を眺めて待っている。
「ふふ、ふふふふふ」
子機の展開は完全で、抜け出す隙間はない。加えて、天骸にも火が入った今では、私の性能は殆ど完全となった。
更にはこの場で一番の障害と成り得る洞木の持つ、戦乙女としての性能はハッキリ言って低い。
それは洞木自身の性質が逆に足枷となり、十全に機動甲冑の性能を引き出す事ができず、基本的なスペックは九人の戦乙女の中でも最下位。他の助けが無くては自慢の鋼もちょっとした装甲という程度である。
その性質も、今の状況では役に立たないだろう。仙道という技術は特殊性が高すぎて不明な点も多いが、その特異性を、あの逃避の為に最も知られたくなかった相手に今頃は知られているのだ。精神の安定は滅茶苦茶で、錬気も十分に出来ないままでは術の使いようもない。
ベオ君に関しては、こう言っては何だが完全に足手まといだ。突然の逃走で武器も持ち出せず、フェンリルもこの魔素の存在しない、異なる星の塵、エーテル満ちた拒絶障壁内ではその本領を発揮できないだろう。
だから、こうして。最後の別離の時間を過ごしている。
後は現状打開の為に彼らが出現、とともに洞木を即座に補足、無力化する。それから、ベオ君を捕獲して、彼には悪いが今度こそ、逃走の意志も起きないように四肢をもいで、閉じ込めてしまおう。
数百年かかっても、数千年かかってもいい。此処では、時間の概念など些末なことで、そうして今度こそ、彼が私を受け入れてくれたのなら、もう二度と、二人が分かたれることはない。
そうして、最後の別離の時間をむしろ楽しく想って、思ったより間を置かず、その時はやってきた。
「へえ、君の事だから破れかぶれってことじゃあないんだろうけど、随分と大胆だね。それとももしかして、降参でもしてくれるつもりなのかな?」
初撃は虚数空間の何処かからの奇襲と予想していたが、反してあっさりと目の前に現れた二人に告げる。
そんな風に間が抜けていたので、あ、ちょっと言い方が悪役臭くて、ベオくんを怖がらせていないかな、なんて。そんな心配くらいしか浮かばない。
「は、冗談は口だけにしてもらいたいね。こっちは今からアンタをノしてやろうって事なんだけど、見て分かんないかなぁ?」
洞木は、想定通りに黒い機動甲冑を纏っている。ベオくんは、見慣れないバルドルの装甲服に加えて、洞木の所持していたモノなのか、背とその手に幾つかの銃器を手にしていた。
「まあ、君の事はどうでも良いんだ。ねえ、ベオ君」
声に此方を見る目は、少し悲しそうに見えたがそれも些細な問題だ。
「君が大人しく私の元へ帰ってきてくれるなら洞木の事は無事に九界に返そうと思うんだけど、どうだい?」
その問いに、彼はびくりと震えた後、苦い物でも含んだように顔を顰める。
「君が、俺たちと一緒にニヴルヘイムに帰るって選択肢は、やっぱり出来ない事なのかな」
「はは、それは無理な話だね。ベオ君のお願いでも、それは聞いてあげることは出来ないかな」
ベオ君の顔が苦し気に更に歪む。これも、些細な問題だ。
「・・・アリスはどうするんだ。アヤナは、皆は。所長を大切に思ってくれた人達の事は、もうどうでも良いのかよ」
本当に。ベオ君は、この期に及んでもまだ変なことを聞くんだね。
「そんなことは、どうでもいいじゃないか」
そう。もう決めたことだ。というより、初めから、私にはこの答えしか存在しない。
「私には、ベオ君以外はどうでも良い。君が私の傍にいてくれるなら、世界が滅んでも、この星が砕けても構わない」
そんなことは本当に当たり前すぎて、心の底からの笑顔でそう答えた。ああ、これで諦めてくれたら楽だったのだけど。
「そうか。分かったよ、所長」
あ、今の敵を見るみたいな目には、少し傷付いた。
考えてみると洞木の邪魔が入ってから、ベオ君は私の事をマナと呼んでくれていない。
「ふふふ、ちょっとだけ。怒っちゃったよ、私」
白い大地から、黒い空の天蓋から、空間が歪むようにして現れたのは今の間に集合させていた、展開中の子機達だ。総数と性能から考えると洞木の制圧、ベオくんの無力化の為の戦力としては過剰だが、その分早く済んでいい。
「洞木、君は邪魔だ。さっさと壊れろ」
どうでも良いように告げる。そして、ベオ君には。
「出来るだけ抵抗しないでね。いつも我慢しているけれど、やっぱり痛いのは嫌だろう?」
これは心から心配している事で、それを除くためにこんな事をしでかしたのだから、今回で最後になるのなら仕方ないかと、彼を傷つけてしまう事を必要な事だと納得する事にする。




