二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか⑤
永い、永い旅路の果てに。白い鳥はそのほしを見つけた。
対象を観測の瞬間。星が生まれ、その一生を終える程の長い時を経てもなお、最初にして最期、唯一の命令を遂行する為に、少しの齟齬も無く即座に起動する全機能。
そうして、侵略は開始され、ほんの一日で失敗に終わったのだ。
正確には二十四時間も経過してはいない。最初の数時間で勝負は決し、後は時間稼ぎの失敗、宙域離脱の失敗、そして破滅的な失敗。
成層圏にて会敵、始まった戦いは、後退に後退を重ねて、その星を回る衛星の地表で決着となる。
自らを阻み、行動不能にした惑星防衛因子。並び立つ三つ姿を、今も記録している。当機体に恐怖という機能は存在していない。故に、これは単純に、事実の観測の結果である。
一つ、黄金に輝く竜。その爪は容易に本体の外殻を引き裂き、咆哮は宇宙空間を振るわせて、その響きが届く場所全てに例外なく破壊をまき散らした。質量にしても出力にしても圧倒している筈の本体が完全に圧倒される威容は、単独で惑星間航行を可能とするレベルまで進化した生命体と評価。
推定するにこれは他天体より飛来した後、何らかの形で惑星の生態系として定着した異物である。そんなモノが偶然にも存在していた事は、当機にとって天文学的な不運であった。
一つ、蒼に輝く剣。之を振るうは現地の生物である。先んじた評価では、単独で大気圏を突破すら出来ない、宇宙空間では活動の維持すら不可能な筈の貧弱な生命体。しかしそれが砕け散ることも無く、その剣を振るう度に、迎撃の為に展開した子機の群れを両断していく。
観測の結果、之は星塵、つまり当機の解釈としてはエーテルと同存在を圧縮、兵器として精製した武装である。故にほしに対するほしとして、特攻となる事は目に見えていた。
そうして、一つ。最大にして、最悪の脅威目標。
それは単純に、現地の生物を拡大した様な姿である。しかし、違う。
他星の極限種である竜と同じ輝き。いやもっと、より強く、恒星と見まごう程に。眩いほどの光放つ、黄金の巨人。否、巨大な黄金の鎧である。
之に比べれば、先の二つは付録に過ぎない。実際にはこの黄金の鎧が戦場の殆どを支配し、一方的な殺戮となった事態の大本であった。例え竜と剣が存在していなくとも、この黄金の鎧。之単体のみで、当機の性能全てを、遥かに凌駕しているという観測事実。
その巨人がゆっくりと、衛星の地表に墜落し、半ば埋まった本体へと近づいてくる。
任務は失敗。それが結末で、抗う術が無い今では、破壊、殲滅という結果、それを受け入れる事しか当機体には不可能である。
「ふむ」
筈だった。
「単純に、滅んだ世界から流れ着いた意志持たぬ侵略體だと推測していたが。どういう訳か其処に、魂が存在している」
言葉の意味は、全く分からない。
当然だ。この言葉は、後になって翻訳したモノで、その響きを記録しただけのモノ。
この判断に、当機の意図は介在していない。目の前の鎧が独自に検討し、独自に判断しようとしている事だ。そして、その結論は出されようとしている。
「本体はこのまま破壊、大船は接続空間に封印する。中枢は摘出、意味のない徒労に終わるやもしれんが。いや、これもある意味では、ほしから、異なるほしへと辿り着いた稀有なる存在だ。計画の実行の際に、何かしら参考となる点が在るか、無いか」
言葉の後、巨大な拳により惑星間航行中に想定されるあらゆる外的要因を阻む筈であった外殻は完全に破壊。内に収められていた中枢ユニットは乱暴に掴み取られ、引きずり出されて、その姿を晒された。
「成程。詳細は分からぬし、興味も無いが。滅びの際、切羽詰まった事とはいえ趣味の悪い。まあ、人の事は言えんか」
黄金の王はそう評して、全ては終わり、始まった。
もう、なにもわからない。ただ、てんじょうをみつめている。
いつからこうしていたのか、いつまでこうしていればいいのか。そんなかんがえも、なんどくりかえしたかすらわからない。
「もう少しだね、ベオくん」
となりでこえがする。このこえだけが、ただひとつわかるもの。
いつもおれをみちびいてくれる。このこえにさえ、したがっていればなにももんだいはないとあんしんできるひとのこえ。
「思っていたより時間が掛かったけど、もう大丈夫」
なにがだいじょうぶなのだろう?けれど、マナがだいじょうぶだというのだ。きっとだいじょうぶなのだろう。
そうおもえばあんしんできて、なんだかねむくなってきた。
「それでいい。さあ、眼を閉じて。それで眠りに落ちれば、全てが完了する。後の事は全部任せてくれれば良いから、ね?」
そう。まかせればいいのだ。いままでだってそうだった。これからだって、きっとだいじょうぶ。
「ふふふ、そうだよ。これからも、ずうっと一緒だ」
それは、とてもうれしい。これまでもそうだった。これからも、そうなのだろう。
「かわいい、私のベオくん。さあ、眼を閉じて」
めを、とじる。
ああ、だけど、そのまえに。なにか、わすれているようなきがするんだ。
「ん、どうしたんだい?」
なにか、わすれているものがあるんだ。
あたまのすみに、こころのそこに、なにかこびりついてはなれないものがある。
それだけは、わすれたくないとおもっていたのに、ずいぶんぼんやりとしてしまった。
けれど、きになってしかたがない。それをわすれたまま、ねむりたくはないんだ。
「何も、忘れている事なんて無いさ。ああ、もしも何か有るとしたら、それを思い出せないのは必要ないからで、そんなモノは要らないだろう?」
いらない?
「ああ、そうだ。そんなモノはね、要らないんだよ。綺麗に捨ててしまって、その隙間にはこれからの楽しい事だけ満たして行けばいい」
なぜだろう。ずっと、ただしいとかんじていたかのじょのことば。
その言葉に、何だかすごく、カチンときた。
「さあ、お休み、ベオくん」
「いらないって、なんだよ」
「え」
咀嚼して、反芻し。彼女の言葉の意味を精査する。けれど、あれ程に信じていたその口から発せられた文字の羅列を、全く理解できない。
要らないって、なんだ。いくら何でもそれは無い。
「そんな事は、君が決める事じゃない」
なんだか、すごくむかむかしてきた。マナに対して怒りを覚える事なんて、多分初めてではないのだろうか。
「ちょっと、待ってベオくん」
初めて、ずっと落ち着いていた声に、焦りが生じていた。
けれど、いや、待てない。これだけは、例えマナにだって決められたくはない。
「俺が大切に想う事、俺が大切に想うモノ。それは、俺自身でもあるって、そう言ったんだ」
自分で宣言しておいてこれだ。ちょっと夢見が悪かっただけで、その大切な事を忘れかけていただなんて、寝ぼけているにも程がある。
「そんなモノを、捨てられる訳ないじゃないか」
だけど、もう大丈夫。自覚したのなら、手放さなければいいだけの話。ほら、今だって、眼を閉じずとも、はっきりと思い返す事が出来るのだから。
それは例えば、震えていた小さな少女を守る為に駆け抜けた夜。
それは例えば、自分なんかよりもずっと強い彼女を、弱い俺が守ると誓った朝。
それは例えば、誇る様にこれから先、歩む生き方を語る彼女と、共に眺めた夕日。
他にも、こんなにも沢山。思い浮かべるだけで、この胸を温めて、立ち上がる力を与えてくれるモノ。
ああ、そうだ。こんなに簡単な事を、たった今まで忘れてしまっていたなんて。
「・・・間抜けな話だよな。けど、二度と手放したりはしない。捨てるなんて、まっぴら御免だ」
百年のユメから醒めるように、意識は急激に覚醒していく。体を満たしていた鉛を押し出す様に、鼓動する心臓が血液を循環させ、胸を強く打ち始める。
「俺は、もう空っぽの俺じゃない。皆と過ごした日々が、積み重ねた記憶が今の俺なんだ。だから何一つ、重くても、辛くても。要らないモノなんて存在しない!」
緩く、重い帳を跳ね除けて、勢いよく立ち上がる。数年も眠っていたかのように、四肢は固く痺れて思う様に動いてくれない。
だけど、それでも。魂は目覚めたのだ。
「これは、どういう訳なんだ。答えてくれるな、所長?」
兎にも角にも状況判断。真っ先に確認せねばならないのは、最も信頼している彼女の意図だ。
俺の問いかけに、所長は初め、答えずに俯いたままだった。
「きみの、ためなんだ」
「え?」
そうして縋る様に。震える声で、所長に腕を掴まれる。
弱弱しいが、必死な様子で、今までの余裕はすっかりと消えてしまって、許しすら乞うような必死さで。全ては俺の為なんだと、彼女は言う。
「きみのためなんだ。君の為なんだよ、ベオくん。君はあそこに居ちゃいけない。あのまま、あの場所に居れば、ベルの思惑のまま、君は君でなくなる。そうなってしまえば、全てが終わってしまうんだ」
「意味が、意味が分からないよ!」
「君の為なんだ、君の為なんだ、君の為なんだよ!お願いだ、お願いだベオくん。お願いだから、私を信じて、私の言う事に従ってくれ!あそこは駄目なんだ、あの世界はもうおしまいなんだ!アレに目を付けられた時点でもう手遅れなんだ!先が無い、未来が無い!ベルのやろうとしている事は、ただの問題の先送りだ!何時か必ず無理が来る!あんなモノ、世界が世界を喰らうような現象を、人間どころかどんなに進化した知生体でも、いや知生体であるが故にどうにかできる筈が無いというのに!!けれど、その時にあの男は居ない!自分の居なくなった後の事なんてアイツはどうでも良いんだ!その結果、ベオくんがどんなに傷付くか分かっているくせに!ああそうだ、アイツは君の事なんて、なんにも考えていないんだよ!そうさ、ベルの計画なんてどうでも良い。一万年に及ぶ大計画なんてクソくらえだ!だって、他の誰でもない私が、一番君の事を理解している。私が、君の事を一番に想っているんだから・・・!」
立て続けに溢れる言葉。通じてはいても、理解できない情報の羅列。激情に駆られて、普段の柔和さも、頼りになる冷静な声も何処にもない。所長は只必死に、俺を説得しようとしているのだと理解した。
「だから、ね?私と一緒に行こう、ベオくん。今ならまだ間に合う、今なら、『黄昏』が九界に縛られている今なら、私の翼で宙の果てへと逃げ切る事ができる。その後なら、何でも君の言う事を聞いてあげる。何でも君の望みを叶えてあげるよ。奴隷になって傅けというのならそうする、敵にとなって抗えというのならそうする。何時もの様に在ればいいというならそうする。ああ、もし、何処かに落ち着いた後に望んでくれるなら、今のこの体なら、君の子供だって産んであげられる!そうさ、私たちは君が何処かに在るのではと求めていた、本当の家族にだって成れるんだよ!」
いや違う、これは弁明だ。
きっと所長は、自分の行いが俺に知られた時に待っている拒絶を予測していた。
だからこそ、最悪が現実になって、もう誤魔化す事も出来ないのに。だからこそ、情に訴えるだなんて、普段の彼女なら絶対に選ばない、陳腐ともいえる残された選択肢に活路を見出している。
だけどそれが、純粋に、痛い程に俺を想って発せられた言葉である事は。その匂いを確認しなくても解るんだ。
「一緒に行こう。遠く、彼方まで。宙を進む暗い道は、一人ではもう耐えられないくらいさみしいけれど、二人一緒なら、幸せに、ユメを見るように幸せな旅が、きっと出来るよ・・・!」
多分俺は、所長にナニか、酷い事をされていたと思う。けれど、今でさえ、少しも恨む気持ちはない。
だから、その彼女が初めて見せる必死な懇願に、思わず了承の頷きをしたいという欲求に揺さぶられてしまった。
「だけど、駄目だ。駄目だよ、所長」
ああ、駄目だ。これだけは、どうしたって頷く事は出来ない。
「だって俺は思い出してしまったから。だから、駄目なんだ。今の君に、俺は従う事は出来ない」
俺の返答に真っ白に、絶望した表情を見せた後、糸が切れた様に、所長はがっくりとうなだれてしまった。
沈黙の時間は、きっと数分も無かっただろう。だけど俺には、そして彼女にとっても永く、苦痛しか存在しない静寂。
「・・・ふふ、ふふふ」
そして、その口から零れたのはそんな笑いの息。何だかひどく、背中に氷を突っ込まれるような、嫌な予感がした。
「甘かった。受動的に、ベオくんに選んでもらおうだなんて、なんて非効率。駄目だね、肉の感覚に引っ張られて、随分と甘い考えでいたモノだ」
ぞくりとした悪寒の正体。俯いた、枝垂れの様に垂れる灰色の髪の隙間から、彼女の瞳が覗いている。
その瞳は、出会ってから一度も俺に見せたことの無い、彼女の本来持つ一面であるかのようだった。
「ねえ、ベオくん。勝手に私から離れてしまう為の足は、要らないよね」
「・・・え?」
今度は俺が聞き返す番だ。別の意味で、彼女の言っている意味が分からない。
「他の人と触れ合うための腕も、要らないね。可哀そうだけど、抵抗されると君が危ないから仕方ない。万が一にでも、頭や重要臓器を壊してしまったらいけないからね」
その響く声は、何時もの様に優しいままなのに。ひたすらに冷たい。
暗く無機質で、ガラス玉の様な瞳が此方を映している。
「冗談を、言っているのか?」
「まさか。私、冗談って好きじゃないんだ」
それはそうだ。少なくとも彼女と出会って今まで、その口から冗談というやつを聞いたことが無い。
「大丈夫。施術は一瞬で、麻酔もちゃんと使うから少しも痛くは無いよ。君に抱きしめてもらえなくなるのは残念だけど、その余分が無くなって小さくなってしまった君を、私が抱きしめてあげるからね」
「待て、待ってくれ、所長」
じりじりと、圧が強まる。優しい声のまま、彼女は何か、別のモノに置き換わっていく様だ。
「どうせ、大船に乗る為に一時的とはいえ肉体は不要になるんだから。それがちょっと早くなるだけさ。ほら、ベオくん。大人しく、していてね?」
立ち上がる。優しかった面影を残したまま、穏やかで囁くような声のまま、朗らかで明るい笑顔を浮かべて、瞳だけが光を無くして濁る様に暗い。
姿だけが同じで、声色も同じの知らない誰か。いや、知らないナニカが俺に近づいてくる。
「大丈夫だよ、ベオくん。これからはずっと、私が護ってあげる。こんなどうしようもない、終わってしまった世界から、君を連れ出していってあげる。だから、大丈夫」
「しょ、ちょう」
「痛くしないから、ね?」
彼女は冗談を言わない。ならきっと、このままでは俺は、出来の悪い人形の様に四肢をもがれて、彼女の抱き枕にでもされるというのだろうか。いいや、この様子では、そんな生易しい事では済まないだろう。
覚醒した意識とは異なり、非力な所長にすら抑えられてしまうほどに、俺の体は相変わらず重い。
けれど、思考だけが空回りで、走るどころか這うように進む事すら困難な今だって、俺の答えはやはり変わらず、一つだけだ。
「分からないまま受け入れろだなんて優しさは、俺が諦める理由にはならない・・・!」
「ああ、其処だ。待ってたぜ、この瞬間をさぁ!」
瞬間、足元が白く輝く。その光は、何時か取り落として、そのままにされていた手帳から放たれていた。
その白が黒く転じ、噴水の様に噴き出した影が、俺の背後を満たす。その内側から、伸びた手にがっしりと腕を掴まれて、思いきり引き寄せられた。
「飼い犬に手を噛まれた、って様子じゃないよなぁ月夜見ィ!アンタは致命的に失敗したのさ。間違っても、ベオが自分から捨てる前に、捨てる事を強要すべきじゃ無かった」
硬質な質感。ひんやりとした金属に似た、それでいて細い指にむき出しの腕を掴まれる感触。
片手は両手に。今度は腰に腕を回して抱える様な形で、離すまいと、全身で俺を捕まえるように後ろから密着してくる。それは良く知る、けれど細部に意匠が異なる違うそれは、黒の戦乙女。蒼の戦乙女と比べれば幾分か劣るが、今の弱った俺なら軽く抱えられるくらいに力強く、そして頼もしい。
「終わりが見えた時こそ油断すべきじゃない、なんて何時だか偉そうに言ってたのはお前だろ。そんな簡単な事を忘れて、過程を省略して結果を求めるなんて随分と魔女らしくないミスを犯しやがった。お前の下手な偽装が剥がれて、一度きり、一瞬とはいえ、ベオはお前を拒絶した!其処にボクの付け入るスキが発生してしまった!フリだけが上手くなったからって、考え方まで人間に引っ張られてるんじゃないぜ、この間抜けが!」
「うわ、うわわ!」
沈む影に驚きながらもその温い暖かさに恐怖心は感じない。更に密着し、ぐいぐいと引き寄せる腕は強引だが優しくて、何よりその声には聞き覚えがあったからだ。
「お前は、アキトか!?」
殆ど直感であったが、確信を持ってその名を呼ぶ。
呼ばれたアキトは一瞬驚く様子を見せたが、すぐさま何時の様に眩しい笑顔をその鋼の内側で浮かべていると思わせてくれる声で応えた。
「はは、やっぱり気付かれちゃうか。待たせたね、アニキ!」
「・・・洞木、君か!」
所長の怒りに満ちた絶叫が響く。最早優し気な声すら保てない。それは絶対的な自身の立場が既に崩壊している事を自覚したからなのか。
「残念、お宝は貰ってくぜ。宇宙旅行はてめえだけで楽しみな、このクソインベーダーが!」
そんな声にはお構いなしと中指を立てながら、随分と突飛な内容をアキトは言い捨てて俺を抱きかかえるように完全に影の中に引きずり込む。
そうして、緩く温い海に沈んでいくように、目覚めたばかりの俺の意識は情けなくもまた途切れたのだった。




