二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか③
寒い夜に食べるカップ麺と言うのは、湯を入れるだけという調理工程を鑑みたとしても至高の料理だと俺は思う。
外であれば雪原が反射する淡い光源が有るが、寒さを避ける為に室内に籠ると、どうしても薄暗い。勿論電気などは通じておらず、予備のバッテリーは温存しておきたいので、キャンプ用の灯油ランタンを灯し、それを二人囲んで、静かに湯気の立つ麺を啜る。
「ガスはボンベの残りがある内はいいとして、光源、というより電力は考えないといけないね。バッテリーは勿論、発電機も燃料が有限という現実がある」
「水は外の雪を利用するって事でいいが、何より優先しないといけないのは食料だよな。冷蔵庫の食料は外の雪の中に移したけど、そんなに量は無い。非常用の保存食は、慎重に消費して二人で一か月ってとこか」
現状、外部と通信できる手段がなく、此処から脱出できるかどうかも不明。ならば、周囲の環境調査と並行しつつ、救助が得られるかどうかは別にして、長期的な生存を第一目標に今度のプランを考えるというのが二人の共通認識だった。
「経過時間は半日って所だけど、外の環境に変化は無い。オーバーワークにならないように活動時間はしっかり決めて、休息は十分取るようにしようね」
「了解。休んだら、今度は反対側を探索してみるかな」
その後互いに思う所を述べるが特に進展はなく、遭難一日目はそんな風に終わった。
一階の自分の寝床に戻り、節約の為明かりはすぐに消して、引っ張り出した冬用の布団に包まり。何となく眠れないために手持無沙汰で、所長から渡された手帳を見つめてみる。
それは環境の変化が乏しい為に時間の感覚を失わない様、生活のサイクルを決めて、加えて意識づけの為に日記みたいなものをつけてみようと、そう提案され譲り受けた、余っていたという手帳であった。
勧められたままに雪明りでつらつらと書き込む内容は、別に大したことじゃない。
知らぬうちに遭難してしまった素直な驚き。此処が何処なのか何も分からなくて、帰る術も無いという事実。
そして今日行った調査の内容、これからどうするかという二人で話し合った行動方針。それから、やはり心配なのは、ニヴルヘイムに残してきた人達の事だ。
アリスは、最近ではすっかり学校という環境に慣れ、交友関係も広く親しい友人も出来たらしい。
初めて出会った時とは違い、年相応の少女らしい明るさも見せてくれるようになった今は、正直言って俺が居なくても大丈夫だろう。と、卑屈な事は言えない。
本来であれば今日、彼女と遊びに行く約束をしていたのだから、急に居なくなってしまった事で心配を掛けているだろうし、その行動力で無茶をしないか逆に心配だ。
アヤナは、俺が心配する様な人じゃないが、現在進行形で逆に心配を掛け、もしかするとアリスと一緒になってこの状況をどうにかしようと無理をしてるかもしれない。
けれど優秀だから、強いから無理をしてもいいという理由にはならない。ニザヴェリルで独りにしてしまった時に、嫌という程思い知らされた。弱くとも俺が、強い彼女の助けになりたいという気持ちは今も変わりはない。
マグノリアは、近所に住んでいるという事もあり、やはり真っ先にこの異変に気が付くだろう。
先日の戦いが終わったばっかりで、十分に回復していない体でも弱さを見せる事無く、二人と共に事態の解決に奔走しているであろう彼女は、やはり何時もの様にカッコいいのだろう。
決戦の前、はにかんで宣言した言葉に疑いは無く、であれば俺も、彼女が信じてくれたように、俺自身を信じて問題を解決しなければ笑われてしまう。
後、気になるのはアキトだ。きっと何時もの様に配達に来て、空っぽになった跡地を前に右往左往している光景が眼に浮かぶようだ。
初めて出会った頃は、明るいふるまいにも何処か影を感じるような事が有ったが、そんな事は最近ではすっかり無って、思えば、街での小さな出来事には何時もあいつが居たような気がする。他の馴染も含めて、心配を掛けている人間はきっと少なくは無い。
一字、一文と記す度に、必ず戻らないといけないと改めて思う。そう望まれて、だけじゃ無く。
俺自身がそう望んでニヴルヘイムに、あの場所に戻りたい。そう思える事は、幸せな事なのだと想った。
「それに、帰らなきゃならない理由はまだある」
今回は俺一人じゃなく、所長もこの異変に巻き込まれてしまっているのだ。彼女の為にも、望みを捨てずに頑張ろうと、その日の日記は結んだ。
そうして休息の為、無理にでも眠ろうとする。
横になると急に自覚する体の重さ。なんだか、随分と疲れていた。
急激な環境の変化や緊張のせいか、まるで数日間は歩き続け、数週間も起き続けていたみたいで、泥の様な疲労感のせいで逆に、中々寝付くことが出来ない。
それに何故だかこのまま眠ってしまえば、数か月は目覚める事が無いのではないかという、妙な感覚があった。
それでも休養の為にと眼を閉じる。暫くすると自分の鼓動と、呼吸音しか聞こえない。
其処に違う音が近づく。とんとんと、軽く階段を下りる音。こつこつと、迷いなく此方へと向かって来る足音。
それが、俺の真横まで来て、其処で止まった。
「ねえ、ベオくん」
その響きが何時もより、少し冷たい声に聞こえたのは俺の勘違いだと思う。
「暖房も効かないし、ちょっと寒いんだ。今日は隣で眠ってもいいかい?」
その求めを、断る理由は無い。少し、照れというか、ちょっとした恥ずかしさは有るが。
「勿論。だけどちょっと狭いし、汗くさいけど大丈夫かな」
「問題無いさ。人間、匂いに対する順応は高い。それにね、君の匂いは、私にとって好ましいものだよ」
フォローのつもりなのかちょっとピントの合っていない事を言いつつ、俺が同意すると、所長は簡素なベッドの、僅かなスペースにするりと潜り込んで来た。
狭いベッドに二人は流石に窮屈で、スペースを有効活用する為に俺が所長を抱えるような姿勢になり、自然と触れ合う面積も大きくなる。けれど、少しも不便ではない。むしろ安心を感じている。
柔らかい体から伝わる、俺よりは低い体温がなんだか心地よく、小柄な彼女を包むような形になっている今では、鼻先の髪から匂う甘い匂いで軽い眩暈がしたような気がした。
それは、彼女に救われた一年と少し前には何時もの事で、今では久しぶりになった感覚である。
「ふふ、あの頃とは逆だけど。こういうのは何だか久しぶりだね」
「ああ、そうだね」
そう、あの頃。独りで居るとたまらなく不安で、自然と彼女がそうしてくれた事にどれ程助けられただろうか。
「・・・ごめん、所長。おれ、ねむくて」
古い記憶による条件反射と言うべきか、単純に安心したせいなのか。急に襲ってきた眠気に、酷く瞼が重い。
「いいよ。疲れただろう、そうするといい」
だけど、一つお願いがあると彼女は言う。
「本音を言うとね、実は私もちょっと心細く思っていたんだ」
だから、少しでも安心できるようにと。
「今の間だけでいいから。所長じゃなく、少し前の様にマナと。そう呼んでくれるかい?」
そんな事ならお安い御用だ。むしろ今は、やはりかつての様に。俺は彼女をそう呼びたいと思っている。
「おやすみ、マナ」
「ああ。おやすみ、ベオくん」
マナの声を聞きながら、静かに眼を閉じる。思った通りに直ぐに意識は遠のいて、俺はこんな状況でも、少しの不安も感じる事無く眠りに落ちていった。
穏やかな寝息を間近で聞きながら、今後の予定を考える。
第一段階は完了。此方へやって来る時に使った道は封鎖したし、外部との接続は完全に遮断した。
一番の懸念であったバルドルからの追手は無い。ベル・バルドルは、本当にベオの存在を諦めても良いと判断したようだ。
この時点で計画はほぼ完了したと言っても良い。完全に独立した空間に干渉する手段は、今のこの星に存在しない。
竜の言葉を刀身に乗せ、事象を断つという灰の騎士の竜舌剣もその刃が届かなければ意味は無く。
協会の首魁、大公の概念侵略ですら、その知覚の外、観測すら出来ないこちら側へと介入する事は出来ない筈だ。
他に幾人かの候補も思い浮かぶがどれも同じく、考慮にすら当たらないという結論だ。後、必要なモノは時間だけで、その時間はこれから無限に確保できる。
片手だけベッドから這い出し、ベオに与えた手帳を引き寄せて記述を確認した。
「へえ、まだ随分とあちら側の事に執着が残っている様だ」
原始的な方法だが、自己を主観的に記録する、日記というモノはその人間性を評価するに役に立つ。
まだ一日目。しかし、体感時間ではそうであっても、身体感覚の経過時間は優に一年間。これ以上の知覚延長は流石に気付かれてしまう為に、この辺りが限界だ。
しかし、既に一年間。他に何もない空間で、二人きりで生活していても。ベオくんは未だにあの街に残してきたモノ、人に執着が残っている。この事実は、少し気にいらない。
「まあ、それでも。もう数日すれば解決する事か」
焦る必要はない。二日で二年、十日で十年。一年と少しの街での記憶など、簡単に塗り潰す事が出来るのだ。
「そうすれば、ずっと一緒だよ。ベオくん」
体の位置を少し変える。抱きしめられる様な形も心地よいが、やはり自分が抱える形がしっくりくる。
胸元に感じる寝息が少しくすぐったい。無意識に私の腰に回り、引き寄せるベオの指に抗わず、自分もその体を抱きしめた。
「君が、本当に真っ白になって。心から私を受け入れてくれれば、フェンリルは簡単に引きはがすことが出来る。そうすれば、こんな黄昏に沈む惑星は捨てて、一緒に、何処か遠くへ行こう」
かつては何も感じることの無い旅路だったが、今は独りでは無い。ベオくんと一緒なら、きっとどんな事でも楽しい。
「今更ながら理解したよ、あの時、流れた涙の意味が」
この手の内にあるモノを護る。その為に何を犠牲にしても構わず、それ以外に何も必要としない。
「これが、■なんだね」
その感情の自覚を嬉しく想って、かつて魔女と呼ばれた女は穏やかに、心からの笑みを浮かべていた。
ニヴルヘイム、連盟支部の事務所にて。三人の人間がテーブルを囲んでいた。
時刻は十四時を過ぎた所で、今から始まるのは本日早朝に発生した月夜見探偵事務所消失事件について、各々の調査結果を報告する予定だったのだが。
「先ず私からですが、残念ながら有力な情報は有りません。付近に事務所が映りこむような監視カメラは設置されておらず、早朝は車両も通過していない。もっとも新しい記録は、午前五時過ぎ、前の道路を通過した車の車載カメラの映像です」
アヤナがモニターに繋がる端末を操作すれば、不鮮明であるが事務所前の通りを通過する映像が映され、問題の地点を通り過ぎる。この時点で、既に事務所は存在しない。
「昨日ベオさんが帰宅したのは午前一時前、ですからその間、四時間程の間で消失現象が起きたという認識で間違いないでしょうね」
「ふむ。確認だが、二人を拉致した後物理的に建物を撤去したという可能性は無いか?」
映像を精査した後、アリスが尋ねる。その問いに答えたのはマグノリアだった。
「それは有り得ませんわ。いくら疲れていたとはいえ、ベオ様がそう簡単に拉致されるという事は考えられませんの。それに戦闘が発生すれば、私にも通知が来ている筈です」
「その通知とやらについて追及するのは後でするとして、警備局でも類する情報は報告されていません。以上の点から物理的に拉致、事務所を撤去するという手段は考えにくい。ではマグノリアさん、プロとしての見解をお聞きしたいですね」
対伝承体、対メイガスという点で、騎士修道会連盟の右に出る組織は存在しない。
この事態が何かしらの魔術や伝承体による神隠しという事ならば、確かにマグノリアの本領発揮という事なのだろう。が、予想に反し、彼女が口に出した言葉は頼りないものだった。
「申し訳ありませんが、何も分かりませんでしたわ」
意外と言うべきか、マグノリア自身頭を抱えて、そう告げる他術が無かった。
「手持ちの機材で出来る限り調査してみましたが、伝承体の活動による魔素の流れも、魔術の行使の痕跡も全く検知出来なかったのです。それは、つまり、その」
突然、何の前触れも無く、月夜見探偵事務所が消失した、という事実。それ以外は何も分からないという事である。
「あああああ!どうするんだ!?邪神と戦うなどという大事件の昨日の今日で、どうしてこんな事になってしまうんだ!私が何をしたっていうんだ!」
不意に呼び鈴が鳴る。しかしそんなモノに対応する余裕が有る者は何処にも居ない。
パニックになるアリスが、他の二人は正直羨ましかった。
本分が研究職である彼女と違い、それぞれの分野の最前線で実働部隊として活躍する彼女らには別に巡らせる思考過程がある。
精査した訳では無い。時間を掛ければ、他に情報が出てくるかもしれない。
が、二人の経験と知識に裏付けられた勘が告げている。初動で、これ程までに手掛かりが無い。これは完全に、手繰るべく糸が途切れた、迷宮入りの可能性が高い案件なのではないかと。
まだ、呼び鈴は鳴っている。これだけしつこいという事は、悪質な訪問販売か何かだろう。そんな事より、優先せねばならない事は山積しているのだ。
「落ち着いてくださいアリスちゃん!ともかく、捜査の幅と角度を広げましょう。走らせている捜査官に情報を回して、どんな些細な記録でも拾い集めます。貴女は其処のテロリストに協力して、魔術的な側面で調査を続けてください」
「タカノ?私はマグノリア。ネツァク隊長代行、名誉ある騎士ですわ。テロリストという呼び方はお止めになってくださる?」
目の前でまた火花を散らしつつある大人の姿を見ることで少し冷静になって考えるが、どう見ても二人は相性が悪い様だ。考えるが、しかし他に九界に頼る術は、アリスには無い。
「おじ様の伝手で、協会の記録にこういった現象の事例が無いか確認してみよう。ともかく、先に慌ててしまった私も悪いが、もうちょっと仲良く協力しろ貴様ら!」
「そうそう。年長者としてはさ、もう少し落ち着いた様子を見せてくれてもいいんじゃないかな?子供が困ってるのに、置いてけぼりは良くないよね」
気が付けば、呼び鈴は止まっていた。入り口は閉まったままで、誰かが出入りした気配はない。
だというのに、その場には四人目の人物が現われている。
虚無からの出現。それは真逆ではあるが、彼女らが目下頭を抱えている難問に酷く似ている。
「お前は?」
アリスには、その人物に見覚えが有った。
彼は既にアリスにとっても顔なじみで、毎朝配達の為に月夜見探偵事務所を訪れていて、度々ベオと出かける事が有る。アリス自身も、共に行動した事は少なくない。
「貴方は?」
マグノリアには、その後姿しか記憶に無い。
そもそもニヴルヘイムに赴任して、其処まで時間が経っていない。今のところは何度か、向かいの事務所を訪ねている所を見かけた少年、それだけである。
「貴女は」
そして、アヤナには明確にその人物が誰なのか、という認識が有る。
それが意味する所。彼女がその姿で、目の前に現れるという意味。つまりそれは、本当の意味で異常事態が進行しているという証左である。
「直接の接触は久ぶりだよね、アヤナ。アリスは三日ぶり。マグノリアは、そちらとしては初対面、かな?」
彼。いや、今は彼女が普段名乗る名と身分は複数ある。
例えば、アルバイトの苦学生。例えば、ベオの年下の友人。その場に居る者が知らないだけで、他にも複数存在しているが、実のところそのどれもが真実でない。
そして、此処で名乗るべき名は唯一つ。
「そして、ちゃんと名乗るのは初めまして、になるね。じゃあ、改めて」
九界における最強の戦力、九体の鋼を纏う、九人の戦乙女。その序列九位、黒の戦乙女にして、バルドルを実質的に統べるバルドル本社社長、三上の懐刀でもある、バルドル社長付き特別秘書。
「ボクは洞木、洞木アキト。よろしくね」
彼女はそう名乗り、手にした複数のビニール袋を卓上に広がる役に立たない資料に構わず、音を立ててどかりと乗せたのだった。




