表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか  作者: せんこう
二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか
PR
56/94

二つの月は自らを照らす太陽に共に在りたいと求める事ができるか②

「ふんふんふ~ん」


暑さに怯む事無く、機嫌よく。鼻歌を口ずさみながら、通い慣れた道を歩く。

八月も残り数日という事で、その終わりと共に去っていく夏休みはもう僅か。けれど、あんまりにもレベルの低い休暇中の課題など早々に終えた自分にとっては、その数日は新学期が始まるまで、悠々と余暇を過ごす事が出来る時間という事だ。

出かける際、後生だから山のように残る課題を手伝ってくれと泣きついてきたルームメイトを足蹴にした事は少しばかり後ろめたかったが、よく考えればこの長期休暇の間にごろごろと、何をするでもなく怠惰を貪っていた彼女が悪い。まあ、戻ってもうだうだとしていたならば、少しくらいなら手伝ってもいいが。

ファーストと比べ治安が悪いとはいえこの頃ではかなりましになり、加えて数か月も通えば慣れたもので、其処に顔見知りも増えた今では何の問題も無い。と、私は言うが、未だに幾人かのクラスメイトや教師は余り良い顔をしない。

まあ、自分には周りの評価はどうでもいい。親しい友と、何よりも愛しい男に悪く思われなければそれで良いのだ。

さて、朝からの上機嫌の理由は先日に遡る。

最愛の人。ベオは仕事柄か人柄か、何かとトラブルに巻き込まれやすい。それがちょっとしたものであれば良いのだが、時折は命に関わるような時もある。

自分との出会いでも、そうやって関わりのない危険に此方の都合で巻き込んでしまった訳だからあまり人の事は言えないが、それでもちょっと周りの者達も考えてほしいと思うのだ。

何故なら、ベオはそうやって厄介事を安請け合いする癖に、誰かを巻き込むことを極端に嫌う。最初はそれを単純に彼の優しさなのだと勘違いしていたが、実際は少し異なる。


ベオは、臆病なのだ。そう確信してから、とにかく自分を頼る様にと催促し、母の教えを守っていざという時の為に自身の技量の研鑽も欠かさぬようにと努力してきた。

そうして、ようやくその時が訪れたのだ。先日の一件で、ベオは、私に助けてほしいと、そう頼ってくれたのだ。


「ふふふふふ」


それがどんなに幸福な事であったか、言葉ではとても言い表せない。

そして私は、殆ど完璧にベオの望みを叶え、今こうして彼の元へと向かっている。

なんと今日は、彼がその頼みを聞いてくれた礼にと、一日デートをしないかというのだ。しかも此方が誘うでもなく、ベオから自発的にという大進歩である。

昨日の今日であまり時間は無かったが、断るという選択肢は初めから私には無い。元々考えていたモノに修正を加え、一晩寝ずに考えたプランは完璧。素晴らしい夏の思い出を作るべく、予定は分単位で立ててきている。


「ふふ、ふふふふふ!」


場合によってはという事で、寮には外泊届を提出済みと延長戦の準備も万全。何も恐れる事は無い。


「さあ、ベオ。今日こそは言わせてやるぞ。『アリス、俺には君が一番だ。今すぐ籍を入れよう!』とな!」


デート、という事で今回は制服では無い。これという時に何時かは袖を通すと用意していた、気合を入れた装いに乱れが無いか一度確認し、深呼吸して角を曲がる。そうすれば、彼の待つ月夜見探偵事務所が視界に入る筈だ。


「は?」


しかし、その光景は予想外のモノであった。いや、モノというよりは、モノが無い。

空き地がある。ぽっかりと、見慣れた街並みの真ん中に、あるべき目的地の建物が、何処にも無い。


「いい加減にしなさいこの不審者!というより、その怪しげな装置を下げなさい!公務執行妨害で連行しますよ!」

「そんな事を言っている場合ではありませんわ!ほんの少しだけ、ほんの少しだけで良いのです!」


そして、その空き地の前で。

自分の友であり、何時か降すべきライバルでもある二人の女が争っていた。

一方は警備局の制服である。どうせ何時もの様に巡回の途中でとか理由を付けて、ベオを朝食にでも誘いに来たのだろう。

そしてもう一方、これは声を聞いてようやく誰だか分かった。理由は自分が言うのも何だがとにかく派手でその特徴的な外見が、今は白いハザードスーツに全身をすっぽりと覆われていて、その上良く分からない装置に繋がったアンテナの様な棒を振り回しているのだ。

困惑しつつも察するに二人とも、それぞれにその空き地となった光景を発見してどうにか対処を試みているのだろうが。


「っく、この!なんて馬鹿力なんですか貴女は!」

「先端だけ!先端だけで良いんですのよ!」


激しくも地味な争いを続ける二人を横目にしながら、良妻を自認する自分にしては珍しく何も分からないままで、唯一確認できた事実を叫ぶ。


「月夜見探偵事務所は、ベオとマナは何処に行ったんだ!?」


その瞬間、アリスの最高なひと夏の思い出となる筈の一日は、月夜見探偵事務所消失という怪奇事件の開幕に塗り潰されたのだった。





その三者三様を、遠方から見つめる影が一つ。


「あらら、完全に痕跡を追えない。これはちょっと困ったな」


自分の手落ち、である事は認めよう。けれど、こればかりはどうにもならない。

逃げを決め込んだ月夜見を止められる者はこの九界には存在しない。例え、星見や会長であっても不可能だろう。

だというのにシズルはお前が悪いだの、なんとかしろだのという一方的な社用メールを何十件と送りつけてくるのだ。その上、数十分おきに進捗を確認してくる始末である。


「会長は放っておけなんて言ってるけど、それじゃあシズルは納得できないよね」


皮肉とはこの事だ。星見が言うに彼女にとってもこれが、一番幸せな終わりであるのかもしれないというが。


「まあ、そういう女じゃないか。惚れた男の本懐を遂げさせるために、その破滅に付き合うだなんて。趣味が悪いにも程があるよ、ホントにさ」


しかし人の事は言えたモノでは無い。腸が煮えくり返っているのは、自分も同じなのだから。

何に対しても、其処まで何かや誰かに執着するという事の無かった自分だが。失って初めて思い知るだなんて月並みな言い方をすると、相手の悪辣さが分かっている分、春先からのどの事件よりも、今回の事は一番頭に来ている。

このままではいけない。冷静になる為に。この、一年を思い出す。

本当に、それまでの自分の人生が何だったのかと笑えるくらいに、楽しかった日々を。

初めての出会いは偶発的なモノで。監視対象に顔を覚えられるだなんてとんでも無いやらかしをしてしまい、今思っても何を考えていたのか。開き直ってちょっとした知り合い、顔見知りという関係性で仕事を続けるつもりが、気が付けば随分と親しくなってしまって。それからは本当に目まぐるしい変化が続いていく。


見た目や図体のわりにたどたどしい話し方で、自信なさげに此方の顔色を伺う姿は、正直言って可愛かった。趣味がどうこうという話では無く、単純に彼自身が自分にとって初めての好ましい人間なのだと、そんな風に自覚するのに、そう時間は掛からなかった。

月夜見の仕事を彼が手伝う様になって少しずつ自信がついてきたのか、何を勘違いしてか探偵ドラマのハードボイルドを真似て格好をつけ始め、なんとなく言葉の端々に男らしさが感じられる様になってきた時なんて、ちょっと笑ってしまったが。

それから休みの日には二人して、近所をぶらぶらしてみたり、偶には仕事を手伝ったり。それだけで、本当に楽しかったのだ。

何時かは、こんな日々が終わると分かっている。だけど出来るだけ、少なくとも今は失いたくないと、心から思っている。それが、どちらの側の自分の内面から生じた感情なのか、まだ分からない。

だから分からないままで、勝ち逃げなんてさせるものかよ。


「調子に乗るなよ月夜見。このまま、手前の思い通りになんてさせやしないからな」


日に焼けた肌の、クロスバイクに跨った姿。その顔には、何時もの顔なじみに向ける人懐っこい笑顔など何処にも無い、彼に語った事の無い過去の顔が滲み出ている。

その影はそのまま他の建物の影へと紛れ、黒く滲んだ後には少年も、クロスバイクも、何も残ってはいなかった。





この状況をどう判断するべきか。そう考えた時、初めに遭難の二文字が脳裏に浮かんだ。

それは何故かといえば、以前見たドキュメントで遭難を構成する要素を解説していたのを覚えていたからである。

まずその内の一つ、自分の居る現在位置が分からない。神殿という異界を経験した今ならば、もしかすると此処は何か別の空間に迷い込んだだけで九界の内側で有るかも知れないが、地球が空に浮かぶという目の前の光景をそのまま受け止めるなら、本当に地球上かどうかすら危うい。

此処が安全な場所なのか、そうでないかと言うのは非常に重要な情報だ。極端な話だが次の瞬間に火山が噴火するとか、定期的に氾濫する河川に飲み込まれるだとか。知らないという事は、息をする事すら安心できないという事だ。

続いて二つ、当地には他者が介在していない。今回の場合は俺と所長、という事で独りきりでは無いが、それ以外の多数、つまり今の状況は人間社会から孤立してしまっているという事。

これは単純に生活に必要なインフラ、ひいては当たり前に享受できていた貨幣経済から逸脱してしまっているという事である。この状況では、娯楽はおろか、生きる為に必要な物品すら簡単に手に入らない。

そして、三つ。ある意味ではこれが一番問題なのであるが。


「駄目だ所長。電話もネットも、短波通信も全く反応が無い」


ぽつんと佇む、それ単独だとより侘しく感じてしまう月夜見探偵事務所からめいいっぱいの荷物を抱え、試みる。その、どれもが失敗、失敗、また失敗。


『了解。困ったね、外界と通信が出来ないのならこれはもう確定だ。ベオくん、私達は完全に遭難してしまっている。それも恐らく、九界どころか地球上であるかすら分からない場所でね』


連絡の手段を喪失。つまり、救援を要請できない。これが最大の問題。

事務所ごとの遭難、ということなので消失しているであろうニヴルヘイムの跡地を見つけた誰かが俺達を捜索してくれている可能性が有る。が、今の所在を伝達出来ないという事なら、助けは無いも同じ。最悪何らかの事象に巻き込まれて探索打ち切り、などとなってしまえばお終いだ。

だからこそ早急に対応すべき事が、外部との通信の確立である。まあ、たった今見事に失敗してしまっているのだが。


「ああ、クソ寒すぎる。一度戻るよ所長」

『了解。サンプルの回収は忘れずにね』

「雪と、土壌のサンプルだったな。オーケー」


短波通信機に答えつつ、回収容器にそれぞれの素材を詰める。

事務所周囲と、この一帯の比較の為にという事だが、素人目に見ても変わった様子は無い。

樹木も、小石すらなく。白く、冷たい雪に、黒く、粘り気のある泥の様な土。目的のそれを回収した後、早足で事務所へと戻る。オフロードの二輪が使えれば便利だが燃料の温存の為に徒歩で、更に防寒の為に冬用というよりは登山用と言えるような格好なので、当然速度は出ない。

あれこれと思考錯誤しているうちに、随分と遠くまで来てしまった。体感だが距離にして二、三キロは離れているだろうか、このペースなら戻るまでに時間はあるのだから、足を動かしつつも自分なりにこの状況について、何か思い当たる答えを考えてみる。


「一番この状況に近いのは、伝承体が構築する神殿ってやつだよな」


正につい先日足を踏み入れた、パズズという伝承体が造り出した現実を侵蝕する空間。神殿というモノを思い出す。

ビルのエレベーターから一歩足を踏み出せば、見渡す限りの熱砂吹き荒れる荒涼とした砂原、そしてその中心に鎮座する石造りの建造物、ジグラッド。後からは黒い茨の森に代わってしまっていたが、マグノリアの説明を要するに、それは通常の空間に隣接する異空間という認識で良いだろう。

であるなら此処も、何らかの伝承体が造り出した神殿かと最初は考えたが。

しかしそれとは決定的な違いがある。パズズの神殿では濃密に感じられ、この雪原では微塵も感じられないそれは、魔素の存在である。

此処には、魔素が全く感じられない。伝承体であれば自身の存在に必要な燃料とも言える魔素、それが全く存在しないという事は、此処が神殿では無いという事を意味し、更には通常の空間に比べて魔素の濃度が濃い九界ですらないという事になってしまう。

そして、この黒い空。其処に浮かぶ、青い球体。

見れば見る程、どうしたってそれは宇宙から見る事の出来る丸く青い地球に見えるのだ。

なんて事だ。自分には記憶が無いので定かでは無いが、初めての外界は、外から見る事になるだなんて思いもしなかった。


「地球は青かった、か」


それは人類が其処に輝く星に至る為に、暗い宙へと手を伸ばした第一歩。初の有人宇宙飛行に成功したという宇宙飛行士が、その目前に広がる光景を表したという有名な台詞だ。

まだ地球の表面に大部分の人類が張り付いている現代では、実際の用途でこの台詞を使用した者は数少ないだろう。ただし、あれが本物であるという事ならだが。

遠い宙に、浮かぶのは月でなく地球。というのは、これはこれで感慨深いだなんて、今はまだ呑気な事を考えられているのだから気楽なモノだ。

と言うのもやはり、その呑気さを担保してくれている理由が有るからだろうけど。


『検査の結果有害な成分は含まれてないみたいだから、水の節約も兼ねてこの雪でお湯を沸かしておくよ。何時もなら多分もう日が落ちる頃だし、状況確認をしながら二人で非常食のカップ麺でも食べようか』


所長と一緒だから、という事実が。こんな馬鹿みたいな状況であっても、俺の正気を支えてくれている。

それだけが唯一確かなモノで、かつては唯一のよすがであって、今でも俺の大切な人達の一人で。

俺は彼女、月夜見マナという人物が、どれだけ大きく俺という人間を占めているかを、今更ながら思い知らされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ