騎士はその問いの果てに自らの進むべき道を見つける事ができるか⑫
結果として、シロウの情報は正しかった。奇襲で装備を無力化された保安部の守備を突破するのは容易く、ニヴルヘイム総督執務室の位置する最上階へと達するエレベーターのロックされた扉も、渡されていた彼のIDを使えば容易に動作した。
投入から数十分、拍子抜けするほど簡単に事が運んでいる理由は、やはり妨害が極端に少なかったことに起因するだろう。シロウが言うには、襲撃の後から総督は一般の職員に自宅待機を命じ、特に上層フロアへの立ち入りを禁じた。警備局は勿論、保安部にも例外なくである。その上で保安部の隊員はマグノリアの捜索の為にその殆どが街へと出払っているので、一見悪手としか思えないのだが。
その理由は、今まさに感じているこれを隠す為だろう。
「・・・臭いな、クソ」
「ええ、臭いますわね。明らかに、私が潜入した時よりも酷いです」
マグノリアにも感じられているという事は、実際に何らかの要因でこの悪臭が発生しているという事である。それも、移動中とはいえ階層を隔て、幾つもの構造物を介してなお鼻腔に届く悪臭。それを何と例えれば良いだろうか?
例えば何かが腐る様な匂い。例えば、傷が膿む匂い。明らかに、死に近い匂いである。生きている者なら誰も彼も、この匂いを感じればそこから逃れようとするだろう。その理由は、その原因に病や災いを、その果てに待つ死を連想させ、そこから遠ざかろうとする生存本能から来る行為だ。
「やはり異常ですわ。連盟に残るパズズとの過去の戦闘記録では、これ程異質な神殿を構築した例は無い。先に述べたように、原点に近い信仰の元である神像を用いたとしても、何か別の要因が無ければこんな事には成り様が無い」
何故か、この数か月で相手にしてきた巨人たちの事を思い出した。同列に語って良いのかは分からないが、だがどちらも、意図していたモノとは歪な変化を遂げていたという点では共通している。
九界の、特にニヴルヘイムという環境が関係しているのかもしれないが、だがそれでも何か、形容しがたい何か別の存在を感じていた。
考えはまとまらないまま、エレベーターは最上階に到着する。
答え合わせは後だ。とにかく、今は当面の敵に集中しなければならない。背負う背嚢と、託された長物を確認すると、間も無く軽い音を立てて扉が開いた。
「な」
唖然として、確認する。エレベーター内部の表示階層は最上階。つまり、此処はニヴルヘイム行政本部、近代的なビルディングの内部という事で、間違いは無い筈だ。
「まさか此処までとは。完全に伝承体の形成する神殿が、現実を侵蝕していますわ」
ならば今、目の前に広がる光景は何だ?
天に紅い太陽が輝く、先程までの腐れた匂いすら枯れた、荒涼とした大地。吹き抜ける風は何処までも乾いており、遠く、砂を巻き上げる小さな竜巻が通過していくのが見える。
今の今まで感じていた、日本特有のうんざりする様な蒸し暑さが懐かしい。これは、其処に在る命を容赦なく削り取る過酷な渇き。見渡す限り荒れた砂と岩ばかりが広がり、奪われた渇きを癒す事の出来るオアシスなどはとても望めはしない。
此処は既に、生を拒絶する絶界である。
「いくらバカでかいビルつったって限度があるぞ。なんなんだ、このイカれた光景は・・・!」
「来客の予定は無いのだがね。まあ、下賤な輩に礼節を求める事自体が間違っているか」
その死が支配する世界で、目的の男、ニヴルヘイム総督アレクサンドル・ヴォルコフが小綺麗な高級ブランドのスーツを纏い、揺らぐ陽炎の向こうから突然に現れ、自ら以外の全てを見下す様な視線を俺達に向けていた。
「こんな状況で、この神域を侵す愚行を行った侵入者の間抜け面を見てやろうと思えば、あの死に損ないのテロリストも一緒とは。ふむ、その一点のみは評価しよう。おい、そこのお前」
世の中ではこういう男のウケが良いというのか。近頃見たニュースではこいつの事を、上司にしたい男、恋人にしたい男、結婚したい男の三冠王だなどと褒め称えていたが、プロパガンダか何かだったのだろう。俺の犬頭と比べれば、確かに面はいいかもしれないが。
「野良犬らしく尻尾を巻いて帰る事を許そう。何、感謝する必要は無い。王に成る者として、これくらいの寛大さは見せてやらねばな」
吐く言葉が腐りきっている。その醜悪さは、筆舌にし難い。
文字通り、この男は自分と、自分以外の線引きしか持っていない。根っからの支配者として、その行為に何の疑いも無いのだ。
「一つ聞きたい。お前、変異者を大勢連れ込んだらしいな。何の為だ?そいつらは何処だ」
俺の口から出たのが感謝の言葉では無く無礼な質問だったのが気に入らなかったのか、露骨に眉をひそめながら、心底面倒くさそうにヴォルコフは吐き捨てる。
「私は質問を許したつもりは無い。その答えが知りたければ、犬らしく這いつくばって足元でも眺めてみろ」
その言葉に辺りを良く伺おうと一歩踏み出して、つま先に何かが当たった感覚が有った。
ヴォルコフが此方へと蹴ってよこした、何かが当たって、軽い陶器を蹴ったような感覚でそれが何かが分かってしまう。
だから、それ以上奪う事が無いように視線だけを下げて、皮膚も、肉も血も、この渇きで風化して、その顔も、表情も分からなくなってしまった欠片を見た。
敵の目前であるにもかかわらず無防備に腰を屈めて、彼、或いは彼女を手に取る。俺が間抜けなせいで間に合わなかったのだから、もう少しマシな最期に、お別れになるように。
どんな人だったのだろう。何が好きで、何を夢見て。どんな風に、この街で生きていたのだろうか。
暗い眼窩に問うてみても答えは無い。それだけが、ただ悲しかった。
「・・・遅くなって、悪かったな。せめて、せめてさ。その痛みと悲しみを千倍にして、あの野郎に返してやるから。今はとりあえず、それで良いよな」
この言葉が届くかは分からない。慰めになるかも分かりはしない。だがそうすると、俺は決めた。
「ベルの野郎も自分勝手の具合では大概だと思っていたんだがな。まさか別方向にクソ傲慢な、クソを煮詰めたクソが人の容をしていて、しかも人の言葉を話せるとは思ってもいなかったぜ」
俺がやる事は何も変わらない。今更何を言われても、その行為が変る訳でも無いのだから、いちいち訂正してやるつもりも無い。
「死ねよクソ。返事は要らない。ただ、これ以上何かやらかす前にさっさと死にやがれ」
「ああ、そうか。貴様があの月夜見の飼い犬、そして会長のお気に入りという変異者か」
「だったら何だ?上司にビビッて今更見逃してくれるってのは興ざめだぜ。少なくとも俺は、お前を許すつもりは無い」
「まさか、惨たらしく殺してやるさ。反逆の狼煙代わりに、貴様の屍を本社に送りつけてやる。月夜見と、ベル・バルドルの顔がどう歪むのか見ものだな」
所長はともかく、ベルはどうだろう。俺の死体くらいで動揺する姿は想像できない。
「まあ、そいつは無理な相談だ。ベルを殺そうってのに、バルドルの力を借りなきゃ何も出来ないお前に殺される気はしないな」
会話の中で少しだけ頭が冷える。どうしてニヴルヘイム総督という地位にまで至ったバルドルの大幹部が、バルドルに反旗を翻すに至ったのか、それを知ってからでも遅くは無い。勿論、変わらずこいつをぶち殺すという決定に変わりは無いが。
「月夜見の犬に何を言われようと響かんよ。物を知らぬというのは幸せな事だ。ベル・バルドル、あの男の恐ろしさを。アレを廃する為には、手段など選んでいられるか」
「ああ?要するに手前の実力不足ってだけだろ。一流気取るのは勝手だが、理由を誰かや何かのせいにしている時点で二流の言い訳だぜ。そんな事も自覚出来ない手前はまあ、三流ってとこだろうがな」
「哀れだな、月夜見に随分と都合よく飼いならされていると見える。ふむ、一つ貴様に問うてみよう。ベル・バルドルだが、あの男の歳は幾つに見える?」
話の流れから考えると少し妙な問いだ。挑発に堪えた様子でもなく、ヴォルコフは真面目に尋ねている様だが、これに何の意味がある?しかしこれも、情報を引き出すためと思えば適当にでも答えなければならない。
「新興グループとはいえ、世界的な大企業グループのバルドルを一から作り上げた男だ。若作りしてるが精々、三十後半から四十ってとこだろうが」
「ふむ、そうだろう。実際に公にしている年齢は、そんな所だ」
ヴォルコフは懐から端末を取り出し、こちら側に示す。其処にはデジタル化された古い写真が写っていて、見れば確かに、本人であれば今の姿と変わらぬベルが、小さな赤子を抱いていた。
「何だ?その赤子がお前だってのか?」
「その赤子は私の曽祖父だ。そうだな、およそ百年以上は前の写真になる」
百年だと?ヴォルコフは、何を言いたいのだ?
「勿論、偽造などでは無い。信じるかどうかは勝手だが、此れはベル・バルドルが写された映像としては最古の記録である」
意味が分からない。ベルの野郎はある意味人間離れしている存在だと思ってはいたが、こいつはベルを文字通りに、年を取らない化物とでも言いたいのだろうか。
「その曽祖父は、更にその父祖より延々と伝えられてきたそうだ。ベル・バルドル、彼に仕え、彼の為に身を粉にして働けと。そしてこれは、我が家の開祖が記した決して違えてはならぬ家訓でもあると。全く、あの男は一体何時から存在しているのだろうな?」
それが事実かどうかは分からない。敵の戯言で、単にベルを知る自分を混乱させて時間稼ぎをしているのか?
しかし思えば、俺はベルの多くを知らない。解っている事と言えば、あいつは精々、バルドルの会長で。妙に俺に関わって来て、そういえば、俺は何時から、ベルと知り合ったのだろうか?
分からない。そもそも、俺には、この一年と半分ほどの記憶しかない。だというのに、何か、確かに頭の片隅に、存在している。
■■が、存在している。
「う、あ?」
分からない。あの視線の意味が、分からない。あの声の響きの理由が、分からない。
「ほう?もしや、貴様」
ノイズが走る。知らない、狭い。暗い。そして血の匂いがする。
身動き一つ取れない、なのに、怖くない。そんな場所に、俺が居る。
「月夜見に、記憶を操作されているのではないか?」
しょちょうが、おれに?なに、を。
あたまがいたい。まるでフェンリルを、むりにひきはがしたときのように。
しらないとちがみえる。しらないひとたちがみえる。しらない、もえるようなあかいそらがみえる。なのに、なにもかもおぼえてはいない。
なのに、それだけは、おぼえている。だれかが、おれのそばにいた。
ちのにおいがする。ひとの、うちがわのにおいがする。なのに、あんしんする。
それから、おれに、ふれたのはダレだ?おれに、ナニをかたりかけた?
わからない。わからない。わからない。わからない。ワカラナイ。
「ベオ様!」
「・・・あ?」
おれが、俺が砕ける寸前に、マグノリアの声に呼び戻された。
目の前の光景は何も変わらない。違いと言えば、先程とは異なり、興味が出たとばかりに俺を見るヴォルコフの視線くらいか。
「しっかりしてくださいまし!此処は敵地、目の前の男は敵の首魁ですわ!」
「ああ、クソ。すまない、助かった」
まるで白昼夢を見ていた気分だ。俺の馬鹿野郎、まんまと敵の術中に嵌っていた。
しっかりしろ、頭を切り替えろ。俺が今すべき事、俺が共に戦う彼女の事を思い出せ!
「ふむ、貴様に興味が出て来たぞ。どうだ、先程は戯れのつもりだったが、真実貴様がその女を差し出せば、我が覇道の一兵とすることも吝かでは無い。同じく傀儡であったであろう同士、共にベル・バルドルを弑してみないか?」
この期に及んで言いやがる。俺が今の言葉に動揺したとみて、更に揺さぶりをかけているつもりだろうが、そんな事でこいつのした事は何も変わらない。
「嫌だね。さっきも言ったが、お前の面が気に入らない、お前のやり方が気に入らない。何よりも自分以外の全てを都合のいい道具くらいにしか考えていない思考回路が気に入らない!その戯言を聞いてやるくらいならな、ベルの狂言に乗って崖から飛び降りる方がマシってもんだぜ!」
「吠えたな犬め。その言葉は畜生の泣き声以外の何物でも無いが、私をベル・バルドルと比べたその一点で万死に値する。全く、時間の無駄であったな。貴様こそ、意味もなく死ね」
おや、今の言葉は地雷だったようだ。気分が良いことに、先程の気取った面が少しばかり歪んだ瞬間を見る事が出来た。訳の分からない戯言のお礼くらいは返せたようだが、それで終わりにするつもりは毛頭ない。
そして、ようやくやる気になったのだろう。ヴォルコフがまた陽炎の向こうに消えてゆき、地中から、地の底から這い出して来るように、その軍勢が現われる。
「現れましたわ。私が情けなくもその数に押され、撤退せざるをえなくなった原因。パズズの眷属、蝗害の軍勢・・・!」
蝗害とは過去、国家の存続に関わる程に人を殺した現象である。
群れを成し現れ、根こそぎ喰らい、後に残るのは飢えという絶望のみであるという、その果てには自らの破滅すら内包した矛盾する存在。過去では神に縋る他無く、近代でも軍隊を擁して対策に当たり、ようやくその生態を研究する事で最近では発生を抑制する事が可能になったという、いくつもの伝承に残る、人類最古の災害の一つ。
しかし面前のそれは、実際の小さな蝗の群れでは無い。虫は人ほどの大きさで、直立し、しかも発達した前腕に武器を携えている。
その武器である槍や剣には、赤黒い腐れた血肉がへばりついていた。それはパズズに捧げられた犠牲者の苦痛と悲嘆で形作られた呪いであり、体に触れればその部位は腐れ、いずれ死に至るのだという。
食性は元と同じく雑食らしい。食欲でギチギチと歯を鳴らし、ぎょろりとした複眼には俺とマグノリアを無機質に映し出している。匂いは無い。人でない、それも虫には心は無いのだという事が初めて分かった事は、別に嬉しくとも何ともない。
「じゃあ、やろうか」
気分は悪いが、臆する事は全くなく。首から吊り下げている白い石の、病に抗ったという逸話を持つ聖人の姿が刻まれたタリスマンを確認する。直接刺されるならともかく、接近する程度であればその呪いを中和するという、厄病除けの祝福がされたこれが無ければ話にならない。
それから背に負っていた、マグノリアに託されたそれの布鞘を解く。
現れたのはスコルに形こそ似ているが、先ず大きさと、特に長さが異なる。俺の身長と同等の柄には、分厚く、陽光の下でも、鈍い輝きを静かに放つ黒い刃。装飾は最低限で、その重量と長大さ故に振るう人間を選びはするが、その目的は儀礼や装飾でなく、完全に戦闘用の武器。槍としては幅広の穂先に、肉厚な斧部と、形としてはハルバートと呼ばれる長柄の武器に分類されるだろう。
「ええ、参りましょうか」
マグノリアには同じくタリスマンと、得手とする長剣では無い、クロスボウを背嚢から手渡した。
まだ前座で、本番ではこういった手合いに対して一日の長がある彼女には今はサポートに付いてもらう事にして、俺がオフェンスという役割だ。先程は情けない姿を見せた分、その汚名返上といこうか。
「こちとら依頼で、害虫駆除の経験は豊富でね。コツは良く知っているんだ」
虫らしく、それも蝗らしく見事な跳躍力で先走った一匹が間合いに入る。腐れた槍の穂先が、真っ直ぐに俺の腹を狙い突き入れられる。
だから俺は、単純にそれを半身で躱して、お返しとばかりに蝗の頭を斧で割るように叩き潰した。
例えが悪いが、腐った卵が割れて中身をぶちまけるように、嫌な匂いと黄色い内容物をどろどろと割られた頭から垂れ流し、しばしの痙攣の後に物言わぬ虫は、物言わぬ虫の死骸と成り果てる。
コツと言っても、俺の知っている事と言えばこれくらいで、ひたすらにこれを繰り返す。最後の一匹を潰すまで。そう、それだけ。ポイントを言葉にするのなら。
「潰せば死ぬ。まあ、単純な話だよな」




