犬頭の王様は黄昏を越えた未来で何時でも明日を夢見ていられるか⑬
目覚めの瞬間。瞼を開いて、其処に在った目の前の光景があまりにも見知った場所であったから。
もしかすると、今までずっと悪いユメを見ていて、単純に今、ソレが覚めてくれたのでは無いかという、そんな淡い希望を抱いてしまう。
「・・・そんな都合のいい事なんて、ある筈は無いのに」
あの場で昏倒した後、自分が馬鹿みたいにずっと意識を失っていたという事は、近くに居たマナから聞かされた。
三上の魔術の効果、というよりはおそらくここ数日の不眠不休がたたったようで。こうして半日以上、皆が必死に駆け回っている中でも呑気に眠り続けていたというのだから、最早自分のその間抜けさには笑うしかない。
暫く呆けていると、ベオは事務所の屋上に居ると、一番に懸念していた、故に尋ねる事が出来なかった答えをマナが教えてくれた。だけど本当に、本当に久しぶりに、自分がこれからどうしたら良いか分からない。
ああ、こんな時に限って上手く回らない頭は、年相応の少女のソレとしか言えないスペックしか発揮出来なくて。
ならば、役目を終えた自分は。もうこのまま何処かへ消えてしまった方が良いのではないかという、選択肢とは名ばかりの容易な逃避先が思い浮かび。それだけは駄目だと、そう想った。
せめて、どうあっても。たとえ許されなくても、自らの選択に対する結果として、その罰は受けなければならない。
己の父親の死の原因を作った恩知らずの小娘を罰する。それで彼が、ベオの心が僅かでも癒されるなら、自分はもう、どうなっても良いのだ。
そんな自分勝手で、おじさまに背中を押されてようやく振り絞った悲壮とも言える決意は、あっという間に打ち砕かれてしまったのだけれど。
「どう、して」
どうして、こんな風に。何時か、そんな事もあればと、夢に見ていた事が今、現実となっているのか。
本当に、それが本当に理解できていない。
眼が合った瞬間に、影から様子を伺っていた誰かが、自分だと知れたその場で。
殴られるかもしれない、なじられるかもしれない。良くて、存在を無視されるだろうという彼の反応、その予測。
思えば、その全ては自分が恐れて、勝手に作り上げていた虚影であって、そういう意味ではやはり、自分は子供だった。
だって彼は。出てきたは良いが、それ以上進むことを恐れて立ち尽くし、顔を上げる事も出来ない自分に駆け寄って。そのまま、優しく抱きしめてくれたのだから。
「・・・良かった。ずっと眠ってたからさ、心配してたんだぜ、アリス」
その心配の第一声が、あまりにも何時も通りで。一瞬の空白の後、言葉の意味をやっと理解しても、私は何も言えないまま、代わりにやはりみっともないが、喜びで涙が溢れていた。
罰を求めていた筈で、だというのにその真逆と言って良い様な。そもそも何も暗い感情の欠片も無い、純粋に私を心配してくれていたと、疑うことなく信じられる響き。そんな言葉を優しい貴方はくれたから。
やはりまだ子供である自分には、子供らしい反応しか出来ないのだ。
ああ、大きなベオに包まれているだけの、小さな自分の身体と四肢がどうにももどかしく、だというのに、やはり嬉しい。
「わたしのこと、怒っていないのか。憎くは、無いのか」
自分には、ベオのように相手の気持ちを匂いで知るだなんて力は無いから、そう言って明確に言葉で尋ねる。彼がそんな事を考えてはいないと、その態度で分かってはいるけれど。小さな自分は目の前に在る暖かさの理由を教えてほしくて、その確かな答えを求めた。
「なんでさ。俺がアリスをそんな風に嫌う事なんて、有り得ないだろ」
「でも、でも、わたしは」
「ああ、そうだね。何となく、君が心配している事は分かるよ」
そうして、この身を抱きかかえるようにしたベオは、何時かの様に夜の街が見渡せる、屋上の縁で私を下ろした。
並んで其方を見れば、その光景は以前と違っている。避難の為に街の灯りは殆どが消えていて、これからの主戦場となるターミナル周囲、そしてセカンドの外縁部だけが、煌々と明るく、きっとその元には自分たちが知る人たちが、今も必死に、終焉へ抗う為の備えをしているのだ。
「君と出逢って、まだ半年ってとこだけど。本当にいろんな事が、在ったよな」
「・・・ああ、そうだな」
ベオがそうであったように、自分にも、この街を訪れてからの時間で、本当に色々な事があった。
生まれて初めて学校に通って、其処で友人が出来て。年相応の生活というのが、こんなにも楽しいのだと知った。
だけど、やはりその想いでの殆どは、この月夜見探偵事務所での出来事で占められていて。
街の小さな依頼や、バルドルも関わるような事件など。少し危ない事もあったけど、その隣には何時でも、最も信頼するベオや、頼りになる仲間たちの姿が在ったから。
そのどれもが今でも、鮮明に思い出されて。今もこの小さな体を優しく暖める、星の様な輝きとなっている。
「俺は、馬鹿だからさ。ただ目の前に在るモノを護りたくて、ベルの野郎をどうにかすれば、何かいい方法が有るんじゃないかって、単純に考えてたんだ。だから、君やベルがどんな想いでいたかなんて考える余裕も無くて、そもそも、知ろうともしていなかった」
計画の共犯者となった自分は知っていた。あの黄金の王、ベル・バルドルは。己の息子であり、理不尽な運命の生贄となったしまったベオを救う為だけに、一万年という永い時間を掛けて、一つの計画を用意したのだと。
偉大な王の執念の結実、ラグナロク計画。その結末は二つ。一つは、ベオが第五の巨人を降す前に、フェンリルの封印であるグレイプニルを使い切り、その開放と共に強制的に終焉が引き起されるという場合。これによってこの九界は確実に滅ぶが、それは黄昏が変じたフェンリルから、ベオが解放されるという事も意味していた。
つまりベルは、終焉が起こるまでの間、ベオの身の安全を担保する為にフェンリルを隠れ蓑として利用し、その開放の後は自分が滅びを誘導しつつ、その破壊の外にある外界へと彼を逃がすつもりだったのだ。
そして、結局は此方が選択されたもう一つ。それはベオ自身がそれを望んだ時、そしてベルがその可能性を信じても良いと、そう判断した際にのみに選択される事になる結末。
それはもし、ベオがグレイプニルを保ったまま第五の巨人までを退け、その力を示し。その上で仲間と共に終焉に、黄昏に抗うというのなら。自分の、バルドルの死という終焉の引き金を引き、その自らの犠牲を以て黄昏を打倒し得る状況を整えて、ベオに後の全てを託す、そんなモノである。
「ベル・バルドルは間違っても善人じゃない。ラグナロク計画は初めから沢山の人の死と苦痛を前提にして、その後にはもっと多くの人が犠牲となる事を筋書きに入れている」
これは事実だ。九界の成立に約十万、混乱期から、成立期。そして今日に至るまでを含めれば、更にその礎となった命は多く、煌びやかな繁栄の裏には、間違いなく理由も分からず奪われた誰かの、その恨みの怨嗟の声が隠されていた。
「その、世界すら生贄とする事を許容している、計画の発案者であるベル自身すら、犠牲の内に含まれていたこの計画で。唯一その犠牲から、其処から外されていたのが」
堪える様な声に、隣を見上げる。
良く見知った犬頭ではなくなっているけど、その表情や、何よりその優しい瞳は無いも変わらない。そんな彼は、初めて自分に見せる表情で。
「それが、俺だったんだ」
穏やかに、その澄み渡る夜明けの空の様に青い瞳から。静かに、自分には初めて見せた彼の。とある感情の発露であるそんな涙の一筋を、音もなく頬に伝わせていた。
「俺は、ずっとベルに護られていた。俺が何も知らなくて、ずっと勝手をしていた間も。ずっとあいつは、俺の事を護ってくれていたんだ」
だけどそれが分からなくて、そして失ってしまったから悲しくて、辛いのではないと、そう彼は言う。
「だってベルは。俺を認めて、未来を託してくれたんだ。ずっと、ただ護られていただけの俺の事を、自分が見ていなくても。もう大丈夫だって、安心したって。最期にそう言って、信じてくれたんだ」
だから、悲しいのではなく、辛いのではなく。嬉しいんだと、そう言ってベオは涙を流しているのだ。
別れが悲しく、そして辛い事は当たり前で、自分でもそうだった。
もっと、一緒に居たかった。もっと、話したいことが有った。その想いは、同じ別れを経験した彼と自分に共通する痛みで、だからこそその原因を作った自分は、もう彼に許してもらえないのだと、そう考えていたのだ。
「ベルは自分の死を受け入れて、その選択を選んだ。だけどそれは終わりじゃなくて、託してくれた俺たちの明日が、その選択の先に続いていると、そう信じたからだ。だったら、俺たちがこれからやらなきゃならない事は、もう決まっているだろ?」
ああ、そうなのだ。思えば、そんな事は最初から分かっていた事だ。
「その信頼に、託してくれた想いに応える為に」
何時だって前向きに真っすぐで、どんなに悲しくて、辛くても決して諦めない。
そして何処までも、明日へと向かう事を疑わずに、その先へと進んでいく事を望み続ける。ベオとは、そういう人なのだ。
「必ず、皆で黄昏を越える。そしてその先に在る未来を、絶対に掴み取ってみせる。だから、またこんな風にみっともなく泣くのは、全部終わってからだ」
無理に作った訳でなく、心からそう決めたから。涙をぬぐった後は、何時もと違っているのに、やはり何時もと同じように、見ているだけで心が温かくなる様な、そんな太陽の様な笑顔をベオは見せてくれた。
ああ、だから私は。彼のことを、こんなにも愛している。
「そうだった。ベオ、貴方はそういう人だったな」
生涯を、これからもずっと、その傍らに在り続けるという誓いは変わらず。
例え、彼が今から向かう場所が、救いの無い地獄であっても。その願いは揺らぐことなく、何処までも真っ直ぐなまま。
「何処までも、一緒に行こう。ベオがそうしてくれたように、今度は私が隣で、貴方を護る」
姿は少し変わっても、ちょっと危なっかしい所は、まるで変ってはいないから。だから私が、隣で支えてあげないと。
ああ、そう言えば。今時のお嫁さんとはそういうモノだと、そんな風に教えてくれたのは、お母さんが最期に教えてくれた言葉だったよね。
「ずっと、貴方の傍に。それこそが私が求める唯一の祈りで、最も嬉しいと想える願いなのだから」
私はそう言って、今度は彼に負けないくらいの笑顔で。そんな己の願いを口にしたのだった。
「いい雰囲気のとこ悪いけどさぁ、アリスはちょおっとぉ、抜け駆けが過ぎないかなぁ~?」
「おほほ。淑女協定も此処までという事でしたら、私にも考えがありましてよ」
「ごめんね、二人とも。もうちょっと様子を見ていてあげたかったんだけど」
「いいえ、ベオさん。『うん、そろそろ突撃すべきじゃないかい?』だなんて、初めに発破をかけたのはこの人ですからね」
きっと、見守っていてくれたのであろう皆の声が、今はとにかく嬉しい。
「ふふん。皆には悪いが、最早私に、迷いは微塵も存在しない。どうあっても正妻の座を譲る気は無いので、争う気が有るのなら覚悟して挑むのだぞ。因みに悲しい事だが、現時点で私とお前たちとの差は、ああ。ふふ、これはいけない。私としたことが、ベオと私だけの甘く蕩ける様な記憶を口走ってしまう所だったな」
「は、ちびっこが良い度胸じゃん。良いぜ、仲良しこよしよりは、競争の方がボク達には合ってるもんね!つまり最速最強の黒龍が良いトコ全部持ってってやるってコトだから、小娘どもは覚悟するんだぞ!」
「そんなつもりは有りませんでしたが。もしも序列を定めるのなら、これからの戦いの場においての槍働きにて決める事にしませんか?そうなってしまえば勿論、私がトップオブトップの誉を受ける事になるので、他の皆さまには少々申し訳ありませんが、おほほほほほ!」
「ちなみに、選定の基準は総合的な評価で考えて良いんだよね。それなら既に、ベオくんの装備一式と、バァルの鎧の適合調整、整備という貢献で現時点でも私がぶっちぎりの最優秀賞になるんだけど、いいのかなぁ?」
「ふふふ、その程度の貢献で安心していられるというのは、滑稽を通り越して哀れですね。安心してください、ベオさん。今回の戦いでの階層への被害は度外視ですから、私のグングニルも打ち放題。つまり、私が間違いなく最強で最高、つまり貴方のナンバーワン、なのですよ!」
もう間も無く、世界の存亡を懸けた戦いが始まるというのに。此処には悲壮な空気は微塵も無く、誰もがその後に、変わらない日々が続いているのだという事を、疑ってもいない。
「・・・そうだよな。そうで、なくっちゃあ」
そうさ、これでいい。色々と心配してくれたベルには悪いが、これくらいが、俺たちには丁度いいんだ。
「必ず、この夜を乗り越えよう」
黄昏を越えた後に、一緒に見たい景色が在るから。
「必ず、誰一人欠ける事無く。皆で生きて、此処に帰ろう」
もう、自分の人生の一部と言って良い、そんな人たちを失う事なんて、考える事は出来ないから。
「必ず、俺たちは勝つんだ。きっと、その後にはきっと今よりもずっと、楽しい日々が待っていてくれるから」
ああ、そうさ。今なら誰に尋ねる事も無く。自分自身の心からの願いで、そう想える。
押し付けられる終焉を乗り越えて、先の分からない未来へ。其処にはきっと思いもよらない、想像もできないくらいに素晴らしい、そんな明日が、その先に必ず続いている。
皆の顔を、本当の自分の瞳に焼き付ける。夜明けを迎えた世界で、この街で、この場所で。再びこうして、笑いあっていられる事を、俺は疑いようも無く信じているから。
「行こうぜ、皆。俺たちは絶対に、この黄昏に沈む世界で、明日を掴んで見せる!」
さあ、決意も覚悟も定まった。準備は万端、幾つもの世界を滅ぼしてきた終焉との戦いに挑む誰も彼も、こんな所で終わりを迎えるつもりの奴なんて、一人もいない。
だから俺は、この後、決戦の場で最後のグレイプニルを、彼の狼の封印を解く。だけどそれは、今回ばかりはそれが、俺自身の終わりとイコールではない。
魔狼としてのフェンリルでなく、もう一つ。初めから存在していたのに今の今まで気が付かなかった、その名を知って、初めて理解した狼の容。あの炎の巨人と、黄昏の軍勢を迎え撃つために。最後にただ一つの可能性を引き寄せる為に必要な欠片。
ああ、そうだ。この何もかも絶望的なこの戦いで、誰一人死なせないという、そんな夢みたいな結果を引き寄せる為に必要な。それがベルの計画にすら欠けていた、最後の欠片であるのだから。




