犬頭の王様は黄昏を越えた未来で何時でも明日を夢見ていられるか⑫
「あー、全部ベオが悪い。何もかも、あの犬野郎が悪い!」
清水興業、若頭補佐であるマキの愚痴は絶えない。
みっともない事この上ないが、指摘すると更にみっともなく八つ当たりをしてくる事が目に見えているので、他の若衆は皆、見ないふりをして自分の作業に集中している。
午前中からの突貫作業ではあるが、セカンドとサードの境目に位置する荒野は今、中々に立派な防衛線に生まれ変わりつつある。バルドルが手配した重機に建材、それから人員によって塹壕が掘られ、防塁が築かれ。野戦指揮所も出来上がり、即席のトーチカの様な物まで拵えた。
それでもまだまだ足りていないと、特に細かな人の手が必要な作業を、バルドルの人員に混じって現地の協力員である彼らは行っている。
大きければ大きいほうが良いだなんて、防衛線の範囲は調子に乗って広がり、そうなれば追加する塹壕と防塁掘りと、結果はスコップ片手に泥まみれ。そんな作業は日が暮れてもなお継続中という事なのだから、文句の一つも出るのは当然。
言い出しっぺは自分でも、そもそもこの場に、こんな事になった原因の張本人が居ない事が、マキにとっては恨めしくて仕方ない。
「戦いが始まれば己と、仲間の身を守ってくれる大事な盾だと考えれば、今は泥にまみれるのが当たり前だろう。文句を言わず、手を動かしなさい」
「げ、佐々木のジジイかよ」
ペースとしては己の数倍、スコップ一かきで大きく大地を穿つ半分熊の変異者、マーケットの顔役が他に混じって泥にまみれている所を見せられては、流石のマキも大きな口での文句を続けられなかった。それでも少し、こぼれる様な小言は出てしまうが。
「よし、陣地作成は此処までだ。非戦闘員は撤収、戦闘要員も一度、補給にセカンドの物資集積所まで下がるぞ。喜べ、炊き出しは太歳軒のおやじ特製のカレーだ!」
「へーい」
若頭、桐生の声に応じて、ぞろぞろ引き上げていく顔ぶれは様々だ。清水の組員に、セカンドマーケット変異者の面々、それからアラハバキを含む、彼らに避難を訴えられ、恭順を示した幾つかのサードクランの構成員たち。どいつもこいつも、普段であればバルドルに不満を持つろくでなしどもである。それが己の身を護る事に繋がるとはいえ、揃いも揃ってバルドルに協力している理由と言えば、一つしかない。
「やっぱり、あの犬野郎のせいだ」
「文句言うか食うか、どっちかにしなね。アンタも一応女の子だろう?」
口の端から米粒を飛ばしながら、まだ文句を続けているマキに、とうとうタチアナが苦言を呈した。殆ど呆れが占めているが、逆にそんなマキの態度もあって、戦いを控えた今でもその場の空気は明るい。
「しかしあのベオが、実はバルドルの御曹司で。今はその新しい会長様だろ?なんだか随分と遠くに行っちまったように感じるねぇ」
「そういえばたしか、そのベオの手配なんだろう?『この場に居る全ての現地協力員は漏れなく全員バルドルの臨時社員扱いにして』、目が飛び出る様な給金と、損害があった場合の補填を無制限に確約するって」
「臨時とはいえ、ごろつきの俺たちがバルドルの社員だなんてさ。もしかすると、活躍次第ではそのままバルドルで雇ってもらったりしないかな?」
「変異者どころか犯罪者も混じってるんだぞ、そんな事ある訳ねぇだろ」
「とは言え、あの無茶苦茶な探偵のやる事だからなぁ。分かんねーぞ」
「しかし、あのベオがねぇ」
誰も指摘はしないが、どういう訳か皆、その目の前に居ないベオの事ばかりを口にしている。それは誰もが、その彼の事をやり方を良く分かっているからで。
「・・・無理をしなければ、良いんだがな」
あいつは何時も、誰よりも前に立って無茶ばかりをするのだから。きっと今回もそうなのだろうという確信と、其処から生じる予想に、皆は心配をしてしまっているからなのだ。
「そういえばさ。この世界が、終わるかもしれないんだってな」
「ああ、そうだな」
そんな戦いを前にして、此処にベオの姿は無い。それが、彼が臆病風に吹かれて後方に下がっているとは思わずに、戦いが始まった時。
より前に在る為に、今は少しでも休息を取っているのだと、誰もが疑いなく分かっていた。マキの愚痴の相手がベオばかりなのも、心配の裏返しなのだという事も、皆分かっている。
「だってのに、どいつもこいつも雁首揃えてせっせと自分の墓穴掘りとはさ。いい度胸してるよ、ホント」
「ははぁ、清水は普段武闘派を気取っているくせに、始まる前から及び腰なのかい」
「んだとコラ!」
「まあまあ、落ち着きなさいな」
もしかすると。今、隣でこうして軽口を言い合っている相手は、数時間後には生きていないのかも知れない。だというのに何故か、皆表情は明るい。
それは、少なくともきっと、この場の誰もが同じ理由で此処にいるからで。
「どうせ死ぬなら、精々足掻いて死にたいよな」
「・・・ああ、そうだね」
この場の誰も彼も、卑屈に運命を呪い、諦める事を良しとしなかった。例え死を免れないのだとしても、穴倉に籠って頼りにならない誰かに助けや救いを求めるのではなく。その最後の一瞬まで、自分で必死に戦って抗う事を選んだのだ。
「そういう意味では、ベオに感謝しないといけないね。不揃いなワシたちを仲間と認めてくれて、少なくともこうして。小さくとも希望を胸に、轡を並べて共に戦う友と、その戦場を用意してくれたのだから」
「・・・ああ、クソ。どいつもこいつも馬鹿ぞろいだよな、全く!」
マキが立ち上がって、大きく杯を掲げる。バルドルから出来れば酒は止めておけとの忠告は無視して、アウトローらしく、自分勝手に何処までも。
「いいかお前ら!この大戦の一番槍はバルドルのエリート様じゃねぇ!セカンドにひしめくろくでなし共、姿がちょっと人間らしからぬって理由で普段は爪弾きにされてる社会のごみたち。そして、好き好んでサードの荒野で暴れまわってる社会不適合者の群れ。そいつらを合わせて作った、『スラム連合』だ!」
他のエリート様はともかく、自分たちと同じろくでなしのあの犬野郎の事は皆、良く分かっている。だからこんな自分たちでも一緒に戦おうと、そう求めてくれたのだと心から信じる事が出来るから。
「全部終わって、九界がまだ残っていて。生き残った奴が一人でもいたら、精々バルドルから他の奴の分まで慰労金をせびって、奴らを干上がらせてやろう!そうすりゃあのベオの野郎は、大金持ちからまたその日暮らしの便利屋に逆戻りだ!ざまあみろ!」
「ははは!そりゃあいいな!」
「世界一の金持ちの身代全部、飲み代にしてやろうぜ!」
夜明けを待たずに、此処にいる殆どの奴らは死ぬだろう。それは皆、分かっている事なのだ。
けれど、それは当たり前の事。ファーストはともかく、セカンドのスラムやサードの荒野で生きているろくでなし共にとっては、死は何時も隣り合わせで、日常の一部である。
それが最近では、あのお節介のせいで少し遠のいていたのだけれど。まあ、心構えというやつは、そう簡単に変わるものではない。
だから、単純に嬉しい。その死を明確に感じていてもなお、それをものともせずに、共に騒げる友が、今こんなにも傍にいるのだから。
「此処にいたか、ベオ」
「ああ、オルター」
協会への最後の報告を終えて、一人、最前線へと赴く前。アリスの様子を確認した後、月夜見に示されて辿り着いた事務所の屋上。其処に、友の姿が在った。
「立場と姿が大きく変わってしまったが。案外他は変わりないな、貴公は」
「そういうオルターは遂に結婚したんだって?相手は秋ぐらいに一度九界に来た人だってな。あんな美人の奥さん貰って、羨ましい限りだぜ」
「はは、形式だけのモノで、実は伴っていないよ。主家の一人娘を妻に取るなど、どう考えても現実的ではないしな。その本人からも、散々勘違いするなと釘を刺されている。彼女とは今も変わらず、年の離れた良い友という関係のままだ」
「・・・ああ、そう。あんだけアリスから発破かけられて、籍まで入れたのにまだ素直になりきれてないんだな、あのお嬢さんは」
何か憐れむように目を泳がせる友の隣に並ぶ。自分もつられてその視線の先を見れば、其処には以前に見たソレとは少し違った、夜の街の姿が広がっていた。
「懐かしいな。半年ほど前、私はこの街に殺し屋として訪れた。あの場ではこの街を、ただ歪な、薄汚い場所としか思う事は無かったが」
「今は、違うか?」
「ああ、そうだな」
暫し眼を閉じると、鮮明に思い起こされる記憶。命を賭した戦いの後、あの懐かしい日々に戻った彼女と、最期に言葉を交わす事が出来た。アリスを護る事で誓いを遂げて、その終わりには新たに友を得る事も出来た。
殺し屋として暗い世界で生きてきた自分でも、このような幸いがあるのだと。そう望んでも良いのだと、単純に信じる事が出来るようになったのは、この街での経験が有ったからで。だからこそ、その得たかけがえの無い想いと、受けた大きすぎる恩を返す為に。
「あの日と同じく。戦場において、あの日よりも研鑽を重ね、冴えを増した槍の鋭さを示して見せよう。それに今回はもう一振り、秘蔵の宝具の準備もある」
英国を旅立つ前に、この身の立場を整えるためだと形だけではあるがその籍を汚す事を、何でもないと受け入れてくれた年下の友の姿が目に浮かぶ。
自身の主家であり、長い付き合いの友人でもある彼女は、何時ものように努めて無表情を装っていたが。それが冷徹な体面を保つ為の処世術である事は、十年以上前の出会いから、ずっと早い段階で理解していた。
その少し震える指で、彼女から手渡された主家の秘宝。
その槍の重さと、その言葉を忘れることは出来まい。だからこそ、死地に赴くとしても、この身には少しの死の受容は無く。純粋に、生きて此処に戻ると、そう彼女に誓う事が出来た。
その己の返答に安心したのか、少し頬を緩ませた彼女の顔に、悪いとは思いつつも、過去の想い人を重ねてしまう。
その無礼を胸の内で詫びながら、だというのにまた、そういった彼女の僅かに見せてくれる感情の発露をまた見てみたいと望む欲求は、己の何処から生じているのか。
自分でも、良くは分かってはいない。もう四十も近いというのに、こういった感情の変化とはどうにも不可思議で、難儀な事である。
だが、うん。悪くは無い。
「そう考える事が出来るようになったのは、この街での経験からだ。この身でも、希望を求めても良いのだと、明日を信じても良いのだと。そう教えてくれたのは貴公なのだぞ、友よ」
「ああ、良いね。そいつはとっても良い事だぜ、オルター」
ベオは、友の姿と立場は随分と変わってしまったが、その気持ちが良い笑みは、あの犬頭で見せたソレを連想させた。つまり彼の本質は、何も変わってはいないという事で。
ならば自分も、変わらぬ友情と親愛を示す為に。思う存分にこの槍を振るうだけである。
「共に、この戦いを生き延びよう。昨日も言ったが私は、養父としてアリスの花嫁衣裳を目にするまで死ぬ気は無いぞ。その相手である貴公が私より先に死ぬことなどは、決して許さぬからな」
「ああもう、いいよ。それでアンタのやる気が出るんならさ」
「はは。遂に言質をとったぞ、ベオ」
うん、こういうのも悪くは無い。年を経て、長年に抱えてきた価値観も、ちょっとした事で変わる事があるのだと、そう知った事も最近の出来事だ。
「では、私は先に、戦場で待っている。貴公はもう少しこの守るべき世界と、街の風景を眺めていると良い。その相手としては、私ではどうにも不足であるし、な」
「うん?」
「そういう事だ。君の想い人は、姿と立場が変化したくらいで、その胸の内は少しも変わっていない」
声をかければ。びくりと、その屋上への入口、ドアの陰で此方の様子を伺っていた小さな姿が動揺する姿
を認め、微笑ましくも思う。
「では。後を頼むぞ、ベオ」
「ああ、うん。後でな、オルター」
その様子から、彼にはその影が誰のモノであったのかは分かっている様だ。だから安心して、その場を後にすることが出来る。
すれ違いざまに、その小さな頭を撫でる。彼女が少しでも落ち着いて、現在抱えているであろうその想いを、ベオに伝える事が出来るように。
意図通り、ゆっくりとだが、屋上へと踏み出した小さな背を見送って、そのまま己は階下を目指す。
「きっと、上手くいくよ」
こんな風に、穏やかに言葉を紡ぐことが出来るようになった事も、己の喜ばしい変化の一つだ。
そんな自覚をしつつも、騎士として、その心中は臨戦状態へと移行しつつあった。
これから赴く戦場がどんな死地であろうと。この身で友と、娘を護り、自分も生きて帰る。その誓を胸に魔導の騎士は、夜の街を征く。




