犬頭の王様は黄昏を越えた未来で何時でも明日を夢見ていられるか⑪
「日が沈んでいくねぇ」
「そうですな」
その赤く燃える様な夕日を、セカンドの安アパートから望む姿が在る。
本格的な戦闘が始まる前、最終的な人員配置の確認をする為にニザヴェリルからニヴルヘイムを経由し、これからヴァルハラへと戻るフレスベルクに搭乗しようとしていた佐山は、その前にとある場所を訪れていた。
「バァル、いやベル君は、その本当の宿願を遂げて逝った。確実な九界の滅びと引き換えに出来た息子の命を、その息子自身を信じる事にしたが故に、全てを後を託して。ならば後は、その息子であるベオ君と、新たなバルドルたちの頑張り次第、という所かな」
「・・・星見先生。正直な所、貴方の見立てでのバルドルの勝算は、如何ほどでありますか?」
「その前提と、内容にもよるけど。此処までねじ曲がってしまえばもうよく分からない、という所が正解かな。僕の遠見は、あくまでほしの未来と、其処に在る人の姿を観るモノだから」
佐山の問いに、星見は曖昧に答える。それが答えというのなら、逆に言えば、終焉すら確定していないと希望を得る事も出来たが、そんな風に楽観視する事は今の佐山には出来なかった。
「後は、若者たちに託すしかない、という事ですな」
「そう悲観する事も無いさ。少なくとも、黒陵君が初めから言っていたように希望は確かに残っている。ベル君が独り、歩き続けた一万年という永い旅路と、その間に練り続けた、我が子に明日を与えるためだけに、狂気とも呼べる執念で綴られた必勝を期す計画。そしてなによりも、黄昏自身が残した、自身の確立の為に残さざるを得なかった、もう一つの終焉の容、世界を喰らうという魔狼フェンリルと、終焉を越える前に蘇った、新たなバルドル。これこそが最後に残った、黄昏を打倒し得る可能性」
だが、やはり。その可能性においても、失われるモノが在るという。
「新たなバルドルは、その終焉の淵で選択を迫られるだろう。その選択の果てに、一体この世界には、何が残るのか。それだけは、ベオ君に委ねられた、彼にしか出来ない選択だ」
それは、ベルがその遺言として言い残した言葉でもある。
「何が有っても、見届けますよ。それが鷹野君や、会長と、先に逝ってしまった人達との約束ですからな」
「そうだね、その通りだよ」
間も無く、日は沈み、暗き夜の帳が降りる。その最中に確実に待つ戦いの場で、最早自分に役割は無くとも、だからこそ、若者たちの未来を、この目で見届けるべきであるのだ。
「はあ、長生きなんてするもんじゃないな。色々と心配ばかり増えてしまう」
「はは、百年も生きていない若造が。まだまだそんな事を口にするのは早いんじゃないかな?」
「貴方にそう言われると違いありませんな、星見先生。いえ、この場においては『ほし詠みの賢者』殿と、そうお呼びした方がよろしいか?」
その名を知っている者は、神秘が衰退した表の世において、今はもう少ない。ベルが逝き、そして自分が逝った後はきっと、この世界において片手で足りる人数も残っては居ないだろう。
「全く、見送るばかりの役目も楽じゃないよ。何時かこの青い空を越えて、その先へと続く暗い宙を目指して。旅立つ人の子たちを、その背を見送る日まで、静かに見守る事くらいしかしなくても良いと、あの人にはそう言われたんだけどねぇ」
何時かその日を迎えるために。今、人の子らは、この終焉を越えなければならない。
「だからこそ、せめて、どうか幸運を。君たちの後ろから、その先へと続いていくべきである遥かな道が、こんな所で途絶えてしまわないように」
見守る事しか出来ないこの身でも、そのくらいは許される筈だ。
「頑張るんだよ、ベオ君。そしてきっと、皆で一緒に明日へ行こうね」
星見の祈り。それはやはりベルが望んだことでもあり、つまり子らの背を見守る全ての親にとって、同じく通じた、そんな心からの祈りであった。
自分にとって我が家と呼べる唯一の場所。離れていた時間は僅かの筈であったが、その佇まいは何処か懐かしく、何だか本当に、久しぶりに此処へと戻ってきたように感じている。
「さて、アリスちゃんも寝かせてあげたいし、早いとこ入って落ち着こうか」
「うん、そうだな」
二ヴrヘイムに配置された、警備局や保安部との打ち合わせで先に行ったアヤナとアキト、それから連盟へ現状の報告を行うために支部へと向かうマグノリアと別れて、未だに眠り続けるアリスを抱えた俺は、マナと共に此処、月夜見探偵事務所へと帰ってきた。
僅かな間でも休養してほしいとの三上さんからの心遣いで、決戦までの僅かな間ではあるが、こうしてまた事務所へと戻る事が出来るとは。皆が頑張ってくれているのに名目上の責任者である俺が先に休むなんて事は少し心苦しくも有ったが、実際、今の俺に出来る事は無い。だから、むしろ邪魔になるからというマナの言葉に従ってきたことを、今更ながら感謝してしまっている。
「アリスはこのまま、戦いが終わるまで此処で休んでてもらう方が良いかな」
「三上の言うには流石にそろそろ目覚めるという事だから、それはちょっと難しそうだし、後で恨み言を言われるよりは、ちゃんと話をした方が良いんじゃないかい?」
奥のソファにアリスを寝かせて、マナの居る奥の書斎へと足を運ぶ。早速何か作業を始めているマナを横目に、殆ど癖みたいなものでコーヒーを淹れた後、手持無沙汰な俺は、黙ってその横顔を見つめていた。
「そういえば、アリスちゃんと初めて出会った日にも、こんな事があったね」
「ああ。そういえば、そうだね」
今年の四月、アリスからの依頼を受けて、調査から戻った夜も、同じようにマナが作業をしていて。違いがあるとすれば、あの時は俺の頭が犬頭だったが、今はそうでないという事くらいか。
「・・・今回の事が落ち着いたらまた、一緒に探偵をやれるかな」
その当たり前だった光景が、瞳に滲んで。不意に、そんな事を呟いてしまった。
口にしておいてなんだが。それは、たった一日でも会長として働いた今、自分でも叶わない願いだと分かっている。
ベルの後継を名乗ってしまった以上、元の気楽で、名も無き探偵というその日暮らしに戻るなんて事は不可能だ。そんな事は分かっていても、ついその望みを口にしてしまった事は、自分でも止められなくて、どうしようもない。
そもそも、これから生きて帰れるかも分からない戦いに赴こうというのに、こんな事を言われては、マナも困ってしまうだろう。
無意識の甘えというか、やはり何時もマナに頼ってしまうという癖はどうにかした方が良いのだろうか。そんな風に考えていると、俺の思惑とは違って、マナから返された返事はやはり、彼女らしいそれであった。
「そうだね、ベオくんがそうしたいのなら。それも良いかもしれないね」
そう当たり前にいうモノだから、俺自身、勝手に決めつけていた自分の、場違いな未来について。この場だけでも否定してみる。
「そうだよなぁ。大体、バルドルの会長ったってさ、今でも名前だけだし、いくら俺がベルの息子だったからって、そのままバルドルを継ぐなんて、時代錯誤も良いとこだよな」
「うんうん、何も言わなくても、今回の事が終われば、三上か反逆大好きのファラディオン辺りにクーデターを起こされて、一文無しに逆戻りだよ、きっと。まあそれで、何かが変わる訳じゃない。元に戻るだけだから、何てことないよ」
「だよなぁ。そうなればさ、また、毎日お得意様んとこ廻ったり、ケチな依頼を受けてさ。偶に、ちょっとは割のいい依頼を受けたりしたら、パーっと出前でも頼んで、皆を読んで派手にやっても良いよな」
「私も、そろそろまとめて観たい映画がたまってるし。また一緒に、一日事務所に籠って、鑑賞会をしようか」
ああ、本当に。
「・・・そうなれば、良いよな」
叶わないと分かっている事を口にする時ほど、むなしい事は無い。
だというのに、分かっていてもそうしてしまう理由は。やはり此処が自分の家であって、何時も帰ってきたいと、そう思える場所であるからで。
「うん、そうだね」
やはり、その何時もの調子で。俺が求めている言葉をくれる、そんなマナの隣であるからなのだ。
やっぱり、姿は少し変わっても、君は何も、少しも変わっていない。何時ものように、私を頼ってくれる、そんな可愛いベオくんだ。
すぐ隣に在った、彼の頬に触れる。前と違って、あのすべすべで、柔らかな毛並みを感じる事は出来ないが、その分暖かで、それでいて男の子らしい、形の良い頬に触れる事が出来るのだから、特に文句は無いんだ。
「ねぇ、ベオくん。どんな事でも良い、直ぐに出来る事でも、ちょっと難しい事でも良いから。この戦いが終わったらやってみたい事とか、何処か行ってみたい所は無いかい?」
「え、うん。えっと、そうだな」
私の問いに、真剣に悩む姿は微笑ましい。少し眉間にしわを寄せる様などは、犬頭の時と少しも変ってはいない。
「えっと、先ずは外界に出てみたいよな。テレビでしか知らないような所へ、行ってみたい、かな」
「うん、良いね。それで、何処に行ってみたい?」
「あー、ほらあれだよ。マグノリアの言ってた、カリフォルニアの、グランドキャニオンとか、後は、そうだな。北極圏で見れるっていう、オーロラとか見てみたいかな」
たどたどしくも、少しずつ自分の希望を話す彼の横顔を目に焼き付ける。この一瞬を、どんな時でも忘れる事が無いように。例えそれが、自身の最期の時であったとしても。
元船との接続が断たれ、トリフネを失った自分には、もうやり直しは効かない。
バックアップも無く、身体のメンテナンスが不可能となった今、この体は老化はしなくとも、何時かは動かなくなるだろう。それが何時の事になるのか、ちゃんと調べる事はしない様にしている。それが当たり前の事なのだと、そう教えてくれたのはベオくんだ。
永遠の逃避という選択を捨てて。彼と共に、彼の隣で限りある生を生きる。実際の年月として、数千年は続けてきた営みを、簡単に捨てる事が出来て、少しの後悔も抱いていない理由は。やはり彼に、ベオくんに。私が恋をしているからで。
「あ、あのドキュメント。『楽しく分かるスペイン異端審問』で見た、なんとかっていう大聖堂とか観に行きたいな」
「ふふ、ああいったゴシックな建築様式は、九界には存在しないからね。いいね、それから?」
どんな事でも、君と一緒なら楽しくて。これから死地へ向かうという今でさえ、夢見心地でいられるのだから、恋する乙女というのはどうにも安上がりなモノだ。
少しでも長くこうしていたい。出来ればずっと、これからも。
そう在る為に、必ず君を護る。例えこの身が砕けるとしても、この願いと誓いは少しも揺らぐ事は無い。
だからちょっとだけ、他の子たちには悪いと思いつつ。ずっとしてみたかったことを、してみる事にした。
「あ」
夢中で話をしていた為か、触れたままの頬を引き寄せられても抵抗できないベオくんの、その唇に、自分のソレを重ねる。
直前、互いに珈琲を口にしていた為か、近づいて香る匂いはともかく、少し苦い味を予想していたのだが。
何故なのか。初めての口づけは。どうしてかとても、明確で鮮やかに、そして甘いように感じられていた。
「・・・ん」
そういえば、初めてはベオくんから、だなんて少女のように考えてもいたが。その後に、したい時にいくらでもしても良いと言ったのは確かにベオくんだ。だから、何も問題は無いよね。
現に、ベオくんは突然の事に驚いた様子は見せても、あの逃避を示した時とは違い、今度は拒絶を示す事は無く、されるがままになっている。
それがとても嬉しくて、本当に嬉しくて。知らないうちに、涙が頬を伝っていた。
感覚としては長く、現実にはおよそ十秒程度。その幸せの時間は、自分から後ろに引く事で終わりを告げる。
少し惚けたままの彼の顔が可笑しくて、やはり可愛く想えて。自分の涙を見せたくも無かったから、この胸に埋めるように、彼を引き寄せた。やはり抵抗は無く、その重さを感じながら、夢見心地な時間は続いていく。
「それで、他には、何処に行ってみたい?」
「・・・ああ、そうだね」
君が好きだ。君を、愛している。
そんな分かり切った言葉を口にする代わりに、君の願いを教えて欲しい。
君の為に出来る事が、私の幸せで、私の願い。私が一番に求めている、私がやりたい事なんだから。
「海に、行ってみたいな」
「うん、君がそうしたいのなら」
必ずその望みを、私が叶えてみせる。
「必ず行こう、外の世界へ。それが何処であっても、場所であっても。二人ならきっと、どんな事でも楽しいよ」
そう願ってくれる事を嬉しく想って。更に強く、彼の身体を引き寄せた。
この夢は、永遠に覚めない。うん、それでいい。だって私がこの人を、ベオくんを離す事は無いのだから。




