犬頭の王様は黄昏を越えた未来で何時でも明日を夢見ていられるか⑨
結局、その後はずっと俺の話を黙って聞いてくれていた鹿島の代表は、最後に一つだけ聞かせて欲しいと訪ねてくる。
『・・・本作戦において、最終防衛ラインとして設定したニヴルヘイムが陥落した場合。その時点で九界を完全に封鎖、通常空間から隔離するというのは本気で言っているの?』
「ああ、勿論そんな事をするつもりは無いけど、外の世界の人が納得できる現実的な妥協点は必要だろ」
『その場合、その最前線にいる貴方は確実に犠牲になってしまう訳だけど。ああ、いいえ。こういう言い方は正しくないわね。全く、ベル・バルドルの息子で月読の関係者だという事で、随分と偏って貴方を見ていた自分が恥ずかしいわ』
一度迷う様に揺れたが、鹿島の代表は今度こそ俺にしっかりと目線を合わせて、俺は特に気にしていなかったが、これまでの礼を欠く行動を詫びる。
『改めて、ベオ・バルドル。どうか、今までの無礼をご容赦ください。バルドルはともかく、その長である貴方は間違いなく、鹿島が与するに値する丈夫だわ』
その返答で、鹿島は完全にバルドルに協力してくれる事を約束してくれた。
これで、後ろに憂いなく戦う事が出来る。それだけで、まだ何も解決していない状況で、少し光明が見えた気がした。
「謝罪はともかく。君みたいな知的で仕事が出来そうな女性にそう褒めてもらえるのはお世辞でも純粋に嬉しいよ、お嬢さん」
『あら。此方にも嬉しい事を言ってくれるけど、私はもうお嬢さんなんて呼ばれる年じゃないし、子供も居るのよ』
鹿島はその組織としての性質から、殆どが純日本人で構成されていると聞いていたが。陶器のように白い肌と淡いブルーの瞳に、何より深く艶のある金髪という特徴を持つ、そんな目の前の彼女はどう見てもその例に当てはまらないように思える。
そういえば、彼女は鹿島の代表として紹介されたが、どういった人物なのかは良く知らない。
『ふふ。貴方の事、改めて気に入ったわ。私は高宮有栖、この場では、鹿島の意を示す代表としての立場にあるけれど、本来の意味での鹿島機関の代表は、私の夫。鹿島大悟なのよ』
因みに鹿島機関において鹿島という姓は資格が有るものが名乗る称号の様な者らしく、それに当てはまらないという事で高宮さんは旧姓を名乗っているのだとか。
「アリスか、良い名前だな。俺の良く知っている人にも、アリスって子がいるよ。その子は将来有望で、きっと貴女みたいな素敵なレディになるんだろうね」
『へぇ、ますます親近感が湧くわね。そうだ、このゴタゴタが片付いたら、貴方ともう一人のアリスの二人を鹿島に招待させてもらいましょう。あの人もそれを望むでしょうし』
「そいつは良いね、また一つこれからの楽しみが増えるよ」
それは、まだ知らぬ外界に新たに出来た知己との新たな約束で。それが果たせらればいいなという、そんな不確かで淡い期待であった。
だけど彼女は、強い意志を込めた真剣な眼差しで、確実にそれを履行してもらうという。
『必ず、今度は此方で再会しましょう。だから、絶対に死なないで。貴方みたいな優しいおバカさんが一人減る事は、この世界にとっての大きな損失だわ』
そう言ってもらえるのは少しくすぐったいが、素直に誉め言葉として受けておこう。
『ああ、そういえばもう一つ。そちらに居る身内に一つ、伝えておいて欲しい事があるの。バルドルの会長相手に伝言を頼むなんて申し訳ないけど、此方からの通信をあの子は見ていないみたいだし、頼めるかしら?』
ああ、それはそうだ。後にしても先にしても、その話題については避けられないと分かっていた。
『石動シズマ。確認された当機関に対する背任行為により、現時点を以て鹿島機関においての全ての職責を解きます。これは鹿島大悟、花音の両代表による決定であり、即時、履行されるものです。これより一切、鹿島機関は今後の貴方の立場の保障、行動についての責任を負う事はありません』
組織としては当たり前の対応である。ベルに脅迫されていたとはいえ、結局シズマは自分の意志で鹿島を裏切って。バルドルを、其処に居る仲間と、大切な人を選んだのだから。
『ただ、これまでの鹿島機関に対する功績と、今回の背任による内容と被害を相殺して、それ以上に責を問う事も、罰を科す事も一切有りません』
だけど、シズマはちょっと一人で悩み過ぎていたみたいだ。
『・・・だから、偶には元気な顔を見せに帰って来なさい。大悟は、あの人は貴方の事を、本当の弟みたいに、大事に思っているんだから』
もしかすると、高宮さんが初め、少し攻撃的に見えた態度の理由の一部は、シズマの事があったからかもしれない。そう考えればなおの事、この事実について一刻も早くシズマに伝えてやりたいと、俺はそう思ってしまった。
「それで、天下のバルドル会長さんはこんな所で何してるワケさ?」
「んー、そうだな。今はちょっとサボり、かな?」
ラグナロク計画統合作戦本部、ホテル・シンドリの物資集積所。その高く積まれたコンテナの陰で、一人座り込んでいた俺を見つけたのはアキトだった。
「そんな事より、俺が此処に居るってよく気が付いたな」
「ふふん。アニキ程じゃあないけど、龍としての感覚を磨きつつあるボクの探索能力を侮ってもらっちゃあ困るね。多分今なら、アニキが同じ階層に居れば何処でも居場所を感じ取る事が出来るよ」
言いながら、空いている狭いスペースへと潜り込み、アキトは無理やりに座ろうとするが、その小柄な体躯とはいえ、ちゃんとした空間は足りていない。
だから妥協というか、そもそもそうするつもりだったのかは別にして、その小さな隙間である俺の膝の間に収まる様にすると、アキトは満足したように背中を預けてきた。
「おい、二日くらい風呂入ってないし、今の俺けっこう臭いぞ」
「ううん、何時ものアニキの匂いだ」
「もしかして、何時もこんな感じだったって事?」
「・・・まあ、それは言わぬが花ってヤツだよね」
「そういう事はちゃんと言ってくれよ!」
なんだか、こんなやり取りは随分と久しぶりな気がする。そんな事は無いはずだが、この数日で、特にこの数時間の間に本当に色々あった。その変化を、俺はともかくアキトはどう思っているのだろうか。
「しっかし、まさかアニキがあの会長の息子だったなんてさ。それで今は、バルドルの新会長だろ。どう?実際、何か心境の変化でも有った?」
「別に、其処まで変わっちゃいないよ。俺自身は自分の事を、今でもニヴルヘイムのチンピラだって、そう思ってる。それにさ、今はベルの事や、黄昏の事で皆混乱してるけど、落ち着いたらこんな急ごしらえじゃなくて、ちゃんとした仕事が出来る人を会長に選ぶだろ?そうなればまた、俺は元の探偵に元通りって事だろうし。その辺は勘違いしちゃいないよ」
それは、本心からの俺の言葉だった。まあ、其処には。そうなってくれればいいな、だなんていう、勝手な願望が含まれていたけれど。
「はは、じゃあ、そうなったらさ。今度は外の世界で探偵をやろうぜ。うん、それが良い。ボクは外の、裏の業界にも顔が効くから、アニキとボクとで世界中を派手に暴れまわってやろう!二人で最高の探偵としての名を挙げて、色んな国を飛び回るんだ!」
アキトはそう言って、楽しそうに身振り手振りで示す。その様子に俺も、知らない筈の外の世界に広がる、様々な光景を夢想した。
「アニキ、言ってたもんね。何時か外の世界を見て回りたいって。ああ勿論、師匠はアシスタント枠で採用してやってもいいよ」
「あはは、マナには悪いけど、そいつは良いアイデアだな」
「そうだろ。会長が押し付けた責任なんて三上あたりに任せといたら良いよ」
「それはちょっと、無責任すぎないか?」
「良いんだよ。アニキはまだ、生まれたばかりで、何も知らないんだから。もっと世界を知って、何より楽しい事を知っていかなきゃならない。その権利が有るんだ」
ああ、そうか。その未来を思い浮かべれば、訳も無く心が弾む。
「だから、だからさ」
そして、それはきっと。決して叶わない未来だという事も、ちゃんと解っていたから。
「・・・だから。今、その犬頭と話してた事、止めろよ」
俺の腕を掴むアキトの指が震えている。それは数か月前、アキト自身が俺を拒絶しようとしていた折に見せたソレに、少し似ていた。
「じゃないとオレ。今すぐにでもアニキを攫って、九界や世界どころか、この星を飛び出しちゃうよ?」
違いがあるとすれば、あの場では俺を誘拐したのがアキトの師匠であるマナであって、助けに来てくれたアキトはその立場が逆になっているという事くらいで。
アキトは、俺の返答を待っている。その答え次第では、今すぐにでも自らの言葉を実行すると言わんばかりに、今度は俺の腕を離さないまま。
ああ、これもあの場では逆だったなと、そう考えれば少し困ってしまう。何しろ、俺自身がやはり、あの場において同じように。自分の問いに応えてくれなければ離さないと、そう言ってしまったのだから。
だからそれが今、俺がちゃんと向き合って、解決しなければいけない一番の問題なのである。
勿論、今自分が口にしたことは本気も本気だ。ベオの回答次第では、本人が何と言おうと、他の何もかもを見捨てて。その上で、彼を攫って何処ぞなりへと逃亡するつもりである。
そもそも、この身が至りつつある龍という形態は、命が宙へと昇り、その暗き海原を往く為に進化した一つのカタチであるらしい。
ならば言葉通りに、正しく渡りに船というモノである。彼をこの背に乗せて、何処までも飛んでいく。その果てに辿り着く場所がどんなモノであっても、滅びに瀕するこの世界に比べればはるかにマシであると言えるだろう。
その選択は、己の師匠が選び、実行しかけたソレと同じであったという事。そしてそれを阻止した張本人が自分であったという事は大目に見て、今は何よりも、先程行われていた、ベオと犬頭との会話の真意について尋ねればならない。
「アニキ、今そいつと話してたよね。その時が来れば、もう一度そいつを使うって。それ、ホント?」
もう一度その犬頭を、つまり魔狼フェンリルを使う。それは、彼自身の死を意味しているのではなかったか。それを避ける為に皆、散々死力を尽くして、どうにかあのベル・バルドルを退けたというのに。
吐き気がして、嫌なもしもばかりが頭の中を巡る。たとえば、これが最後の巨人との戦いになるのだとして。そして、どうにかそれに勝利する事が出来たのなら。
奇跡が起きて、この世界が残るのなら。その後にも、日々は続いていく。
だというのに。
「其処に、アニキが居ないなら!何の意味も無いじゃないか・・・!」
彼の腕を掴む指に思わず力がこもる。指は触れる皮膚を、皮下を裂き、肉にまで達しようとしている。
流れ出る血の色は、互いの皮膚を伝い赤く染めていく。その痛みは相当のモノである筈だが、それでもベオは声一つ上げず、されるがままでいた。
「どうしたんだよ、何とか言えよ。じゃないとオレは、ボクは本当に!」
己の瞳が、銀で染まりつつある事を自覚して。下手をすれば掴む腕を折り、千切りとって、その胃の腑に落としてしまいたいという欲求に心が染まる。
そうすれば少なくとも、二人が永遠に、別たれる事は無い。自身が求めた様に、その片翼を己のモノとして、遥か彼方を目指す事が出来るというモノ。それこそがこの身の求める所であり、願いである筈だ。
「ああ、そうすれば」
そうしてしまえば、少なくともこの男を失う事は無い。
「・・・そう、分かっているのに」
なのにどうして小さな龍は、その欲求を果たす事が出来ないでいるのか。
「ごめん。ごめんよ、アニキ」
分かっていた。この人は、自分の選択に決して言い訳をしない。そして、自身が信じる未来の為に。ソレが必要だと選択してしまえば、どんなに苦痛を伴うとしても引いたりはしない。
「・・・俺こそ、ごめんな」
「どうして、アニキが謝るんだよ。悪いのは、我侭を言ったボクの方なのに」
その上でその苦痛を、全て自分で請け負ってしまう悪癖が有るのだ。ああ、分かっていた筈なのに。それに自分が、どんなに救われて来たのかという事も。
「なぁ、アキト。さっきの話は少しだけ、他の皆には黙っておいてくれないか?」
「やっぱり使うのかよ、そのフェンリルを」
「うん。だけどそれは、そのまま俺の死を意味している訳じゃないんだ。俺が解放しようとしている存在は、『フェンリルだけど、フェンリルじゃない』。少なくとも俺は、死ぬ為にコイツを解き放つ訳じゃない。思いついたばかりで上手く言えないし、今、ソレを言葉にするわけにはいかないけど。それだけは、分かっていてくれ」
「なんだよ、それ」
そんな風に。彼は何時もの様に、随分と自分勝手なことを言っている。
そのあんまりにも何時も通りの様子に、今まで頭の殆どを占めていた欲求は消え失せて、意味も無く力が抜けてしまった。だから彼の腕を傷つけた指はそのまま、今は止血の為に緩く抑えている。
「痛い?」
「ん、それ程でもないさ」
思ったよりも傷は浅かったのか、僅かな間で出血は止まっている。赤く、既に固まりつつある傷口を抑えていた指先からは、どうしてか甘い匂いが感じられて、自然とそれを口に運んでいた。
「こら、流石に汚いぞ」
「ううん、ちっとも汚く無いよ」
そのまま腕の傷口にも唇をつける。舌でなぞる様に、獣が己のつがいの傷を癒す為にする様に。
舌先に感じる味は、やはり少し甘く感じられ、それ以上に腹の中が優しく温まる様に感じられた。
「こら、くすぐったいってば」
「うるさいよ。これくらい、我慢しなって」
少し離れると行きかう人の姿が在り、その喧騒も届く距離で在ったが、どうしてかその小さな隙間は酷く静かで。自分の舌が、ベオの肌を這う音すら聞こえている気がする。
そうして綺麗に血液が拭い去られると、其処に在った筈の自分が付けた傷跡は、綺麗さっぱりに無くなっていたのだ。
その中でも目立たないように。意図して残した、小さな傷を除いて。
「自分でやっておいてなんだけど、我ながら、どんどん人間離れしてきてるよね」
「それでも、アキトはアキトだよ」
何時もの様に此方へと笑いかける姿を見て、今度こそ思い知らされた。
どうあってもアニキは、ベオは変わらない。どんなに姿かたちが変わっても、どんな苦境に在って、その死の淵に立っていたとしても。
「ねえ、アニキ」
もういい加減、それが良く分かったから。其処は諦めて、今度は自分が言いたいことを言ってやろうと思う。
「何時か言ったよね。ボクはもう、アニキ無しじゃ生きていけない。だから、アニキが死んだら、ボクも死ぬから」
「おい、こら」
「だってさ、アニキだってボクの言う事聞いてくれないんだから、だったらボクだって勝手をしても良いだろう?うん、もう決めた。決めちゃったもんね」
だからせめて、その選択の時に少しでも悩んでくれるように。
自分自身の事を少しは大切に考えてくれるように。無理やりな人質みたいでちょっとみっともないけれど、ベオにはそのくらい強引にしてしまった方が良いのだから。
「だから、約束して?どんなことが有っても、最後まで生きる事を諦めないで」
そう、自分が求める事は。もうそれくらいしか無いんだ。
「生きてさえいてくれれば、ボクが何処にだって迎えに行くから。だからもう何も心配せずに、アニキは自分の望む未来の為に。選んだ道を、真っ直ぐ進んでね」
そして、生きてさえいてくれれば。生きてさえいてくれれば、どんなことになっても、どんなに離れても、龍の翼で飛んで行って、自分はその傍に在る事が出来るのだから。




