犬頭の王様は黄昏を越えた未来で何時でも明日を夢見ていられるか⑦
「で、シズマ。お前は何時までそんな所で、そうしてるつもりだ」
山城のその問いに、どう答えればいいのか分からない。というより、もう何かを考えたくはなかった。
あの恐ろしい会長が急逝し、バルドルが大きく揺れている今。多くの者たちが事態の収取と、後に控える世界の終焉たる黄昏に対抗すべく奔走している今。本来であれば、こういった異常事態に対応すべき特務の、それも室長補佐である自分は、何かをすべきなのだろう。
だが、もう指一本も動かせる気がしない。
現状、自分のしでかした事を振り返ると、前会長から命じられたベオの足止めを無様に失敗して。彼の救援として現れたオルター・フィン・フォルグとの戦闘は結局決着がつかないままで、その彼の姿は此処に無く。己だけが何もできないまま、力なくこうして床に座り込んでいる。
「事実として、お前は己が正しいと、やるべきと信じた事を行っただけだろうが。結果はともかく、それ自体は誰に後ろ指刺されるものでもあるまいよ」
「・・・はは、なんや。慰めとるつもりかい、それ」
「は、んなわけないだろうが馬鹿。大体、それは俺の役目じゃ、ああ、もういい。ちょっと其処で大人しくしとけ」
最早お前の様な奴にかける言葉は無いと。呆れて物も言えない様子、とはこの事だろう。
とうとう愛想も尽きたのか、山城はため息をつきながら、端末を操作しつつ少し離れた場所で何処かへと連絡を始める。
ああ、改めて振り返ってみると、自分のしてきたことは一体何だったのか。
九界が、世界が滅ぶと知って、望まれても居ないのに、自分勝手にそれが最善であると思い込んで、その残りカスにあの人の席を確保しようとして、無様に足掻いた結果がこれだ。ベオの足止めすらままならず、侵入者であるオルターを排除する事すら出来ず。
更に状況だけ見れば、あろうことかその命を出した、自分が選択したとは言え、裏切り者に堕ちる原因を作った悪魔の様な会長は既に鬼籍に入り、その後継には、あれだけ卑怯な罠で捕らえて痛めつけ、その道を阻もうとしたベオが就いたという。
しかも彼は今、ベル・バルドルという大きすぎた存在を失って、その混乱の極みに在ったバルドルを既にまとめつつあり、その上で自分があっさりと諦め、その現実に屈した結末である、世界の終焉に抗うべく奔走しているというではないか。
もう、どうしようもない。信頼を裏切った自分が、新たなバルドルの座に就いた彼から信任される理由は何処にも無い。むしろ、これからの事を思えば、これから協力すべき鹿島との関係を考えて、その裏切り者であるこの身は、邪魔以外の何物でもない。
ああ、そうなると自分にも出来る事が一つだけあった。その交渉の席でこの首を差し出し、心証を少しでも良くする交渉材料とする事だ。
「は、はは」
酷く滑稽で、笑えて来る。こんな自分には似合い過ぎる末路で、相応しいとすら感じている。
ああ、だけど。一つでも、裏切った友人に残せることが有って良かった。一つでも、裏切った恩人に償う術があって良かった。だとすれば、事は早い方が良い。
「ああ。俺はもう、死ななあかん、な」
それが尋問でも拷問でも処刑でも、こんな我が身の終わりとして受け入れるつもりではあるが、それはこちらの勝手な解釈である。あの人たちは、自分の様な者でも害するとなれば、その心を痛める事だろう。ああ、ならば今すぐにでも自害して、この首を差し出す事にしよう。ああ、そうしよう。もうそれしかない。
座り込む床を見れば、都合のいい事にオルターが侵入の際に破壊した防壁ガラスの破片が転がっている。防護の術式を外してこれを首に押し込めば、あっさりと目的を果たせるはずだ。
ふと、最後に外の景色を眺めたいと思った。その思考につられて、己が最期に見る光景を暫し瞳に映す。
この高層から眺めるヴァルハラの景色はとても綺麗で、そう言えば何時か、あの人にも見せてあげたいと、そう考えた事があったのだ。
あの部屋でしか生きられない彼女にはそんな事は無理だと分かっていて、それでもそうなればいいなと、それが出来れば、あの人はこの光景を見てどんな事を言うのだろうと、そう考えていた。
「・・・ああ、今更やけど」
この期に及んで、本当に救いようがない。この惨めな末路を受け入れてなお、そんな望みを抱いてしまうとは。なんて、愚かな事か。
「最後に、もいっかい。シオンの顔、見たかったな」
そう言い残して、最期に遺言としては随分としみったれた裏切り者の未練を漏らす言葉の後、間も無く行われようとしていた更にみっともない自害は。
眼前に広がっていた街並みの景色を覆い隠す程に巨大で、急速に迫る白い翼が本社の壁面に激突した事で中断させられたのだった。
直前に制動を掛けた為か、相当の質量を誇る巨鳥の突撃は、一部が外壁を突き破ったものの、そのまま突き抜ける事は無く、半ば社屋に突き刺さる様な形で姿勢は安定している。
たった今、無様にその自害すら失敗したシズマは、間抜けな事にそれまでに追い詰められ、極度にすり減らしていた精神に、止めとして目の前の白い翼が、突然に現れた事で精神の空白状態となり。カオスな状況を理解する為に精一杯となってしまって、その自害の手を止めていた。
「・・・これは、フレスベルク級の二番艦、『ヴィゾーヴニル』か」
目の前の情報を反芻すると、少しづつ巡り始める思考に、己の記憶が結びつく。
そう言えば数日前に、次元潜航艦であるフレスベルク級の二番艦が近々にロールアウトされるという報告は受けていたが。しかしどういう訳で自社の、それも混乱の極みに在る本社へと突っ込むような事になったのか。
むしろその混乱の為か、とも考える間も無く。見れば突き立った部位は、どうやら突入用の前方ハッチであったらしく、ゆっくりと白い巨鳥はその嘴を開いていく。
「は?」
其処から現れた姿はどう見ても、半日ほど前に自分を見捨てて第一階層、アースガルズへと戻った男である。
「ああクソ、無茶をし過ぎだ。こんな事をして、どう社長に申し開きをすればいいのか。エインヘリヤルの特権も無制限では無いのだぞ」
「お前、フェイか?」
そう声をかけると、フェイはげんなりとした顔を少し改めて、しかし呆れた様に言う。
「其処に居たか、この馬鹿め。お前がその体たらくだから、こんな面倒な事になるのだ」
「これはどういう事や。お前はメイと一緒に、外界へと出たんとちゃうんか?」
「ああ?山城から何も聞いていないのか。いや待て、そういう事か。あの破戒僧、荒療治にも程がある」
「おお、間に合ったか。悪いなフェイ、要らん汚名を着せてしまった」
後ろから瓦礫を跳ね除けながら現れたドウケンは、どうやらこれらの事全てを分かっているようである。だが自分にはますます訳が分からんと、シズマの混乱は極みであり。それを見かねたフェイは、ようやく己に問われた問いの回答を述べる事にした。
「過去はともかく。今の俺は、友を見捨てん。メイも、妹もそれを望まない事であるしな」
「・・・なんや、それは」
突然にそんな事を言われて、やはり意味が分からない。けれど、何故か泣きそうになる。
自分は、そんな風に誰かに友と呼ばれる資格は無いはずなのに。そんな扱いを受ける様な、そんな人間ではないはずなのに。
「ちょ、ちょっと待っテ、待ってくださイ!」
唐突に、ハッチの傍に立つフェイの後ろから、その妹、メイの悲鳴にも似た声が響いた。
彼女は何かを制止している様子で、それから間もなく、ソレが通過する事を察して。フェイがもうどうにでもなれという様子で道を譲り、何かが勢いよく飛び出して、まるで誘導弾の様に射出された。
「あ」
突入したハッチは、フロアの上部から突入し、突き出しているので床までは高さがある。
その為か、暫くは速度から慣性で直進していた物体は、ゆっくりと放物線を描いて落下していき、その途中で二つに分離した。
分離した一部、重さの勝るそれは、先に速度を失い墜落する。衝撃からバラバラになって、破片となって転がる車輪はころころと、自立して転がったまま壁の端へと辿り着く。
「・・・ああ、あああ!」
そして、もう一方。軽さの為か飛行を続け、それでも墜落しつつあるその姿を、どんな場所で、自分がどんなに打ちのめされた状況であっても、シズマが見間違う筈は無い。
混乱のまま何も考えられず、何も考えられないままでも四つん這いで走り出し、わき目も降らずにその墜落地点へとギリギリではあるが到達して、シズマは、彼女を受け止めた。
「ないすきゃっち、です」
「アホ、どアホ!アンタは何をしとるんですか!」
まるで羽の様に軽い、腕に伝わる重さはそのままで。けれど他に、感じられるモノが在る。
抱きとめる様な形になっているので、眼前には彼女の艶やかな黒髪と、白い人形の様な肌が広がる。何時も車椅子を押すときに僅かに後方へと漂う甘い匂いは、鼻先で広がりより強く届いた。痩せすぎだと心配していた四肢は、思ったよりも柔らかく、抱えていると指が沈む様で。壊れ物の様な彼女を急いで下ろそうとしても、辺りは瓦礫ばかりなのでそうもいかない。
だから誰かに手を貸してもらおうと周囲を見るが、ドウケンもフェイもそっぽを向いて此方を無視している。逆に後からやってきたメイなどは、今は眼を輝かせて端末で此方の様子を記録を撮影している始末だ。
そしてずっと、その視線を感じていた。シズマは気付かないフリをしていても、いい加減それが熱を持つように感じられてきたので、諦めてその視線へと目を合わせる事にした。
「やっと、わたしのめを、みてくれましたね」
「・・・これは、どういう事です、室長?」
殆どモノは見えていないはずだが、自分の視線が交わった事に安心したように目を細めて。バルドル特務。会長隷下特別事案対策室、その室長。エインヘリヤルを束ねる長、御影シオンは少女の様に微笑んだ。
「わたし、しってますよ。しずまくん、おばかなこと、しようとおもったでしょう?」
「なん、で」
「うふふ、じつはわたし。しずまくんのひとりごと、ないしょできいていました」
「はぁ!?」
室長特権です、などとシオンは胸を張っているが、とんでもない事だ。何時から、どうやってそんなことを、と考えたが。よく考えるとノルンに直結しているシオンにはやろうと思えば造作も無い、簡単な事だろう。
「やけど、なんで。てか、どうやって、此処に?体は、大丈夫なんですか?」
「かがみさんがつくってくれました。こがたかした、のるんのせいぎょそうち。びっくりさせようとしてだまってたんですけど」
「ああ、ホントに?それは、ええこと、やけど」
解決できないと考えていた問題が、自分の知らないところで解決されていたとは。今でも混乱の最中ではあるが、結局単純なモノで。そんな大切な事をシオンが自分に黙っていた事よりも、彼女自身の世界が広がる可能性が出来たという喜びの方がシズマにとっては勝る。
「・・・やけど、やっぱりいかんですわ、室長。俺は今、もうどうにもならんくらい、どん底です。言うてなかったけど俺、会長の使い走りで色々とアカンこと、してしもうた。そもそもが鹿島の間者やったのに、それも裏切って、挙句に、新会長になったベオさんにも、許してもらえんくらいの事して」
けれど、それで良い。こんな自分の事などは、もうどうでも良いのだ。
慮外の事ではあるが、彼女が、シオンの世界が広がるのなら。もう何も、己が望む事など。
「しずまくん」
「・・・はい」
「かおをあげて、しずまくん」
「はい」
望む事など無いと、そう想っていたのに。
「・・・んむ」
そんな想いは、知らぬ間にゼロになっていた彼女との距離と、その唇から伝わる柔らかさで、真っ白になっていた。
自分は、元をたどれば関西の、とある魔術結社で飼われていた使い捨ての殺し屋出身である。
まあそういった出自であるから、色々と後ろ暗い事は一通り経験している。鹿島に所属した後は代表の厚意から、初めてちゃんとした人間扱いされていたが、頭の片隅には何時も、替えの利く消耗品としての自覚がこびりついていた。
それがバルドルに、エインヘリヤルの一員となって、シオンや他の仲間との関わりの中で、間者という後ろめたさは有っても、日々の任務と生活の中で何処か、新たな、鹿島で過ごしていた時とも違う、人間らしい純粋な喜びを感じていて。
それが会長の走狗となってからは元へと戻り、そして今は、もう自分には未来も何もなくて、死ぬことくらいしか出来ないと思っていたのに。
だというのに石動シズマは、まるで思春期の少年の様に。想う乙女からの口づけの一つで、あっさりとその暗い泥の様な思考を吹き飛ばしてしまっていたのだ。
「・・・ん」
恐らく数十秒は続いていたであろう接触は、どうにか理性を振り絞った自分から距離を取る。
名残惜しそうに、唾液の潤いでまだ艶のある唇を、小さな舌で舐めるシオンの姿に良くない考えが沸き起こる事を必死で抑え、未だに記録を取り続けているメイには殺気を込めた視線を送るが、何か勘違いしたのかメイは、笑顔のままサムズアップを返答の代わりとし、記録を続けている端末を下げようとはしない。
「あの、えと、室長?」
「いいんですよ、しずまくん。しずまくんがじぶんのこと、だめでおばかで、どうしても、すきになれなくても」
そうだ、結局自分が、一番こんなどうしょうもない自分の事を好きになれない。
だからこそ、親しい友に、仲間たちに。なにより彼女に、今のこんな姿を見せたくない。今直ぐに死んでしまいたいと思う理由は、結局そんなモノだった。
「ええ、そんなことは、しずまくんのかってです。でも、それなら。わたしがしずまくんのこと、だいすきだっておもうことも。わたしのかってでしょう?」
「そんな、ことが」
本当にそんな事が許されるのか。そんな事を、望んでも良いと言うのか。こんな、こんな薄汚れた裏切り者の自分に。
「いいんです。しずまくんがどんなにじぶんのことをわるくいっても、どんなにすきになれなくても。わたしにとってしずまくんは。いつもやさしくて、たよりになって、いっしょにいると、もっと、ずっといっしょにいたいって」
触れられた頬が暖かい。絶望で生きる熱を失っていた、死を待っていただけの体が。その言葉だけでまた鼓動を取り戻す様に、生きるための熱量を帯びていく。
「だから、こんなわたしでもいきていたいって。いきて、ずっとそばにいたいって、そうおもう。しずまくんはそんな、わたしにとっていちばん、たいせつなひとなんですから」
もう、どんなにみっともなくても。溢れてくる涙を、どうにも抑えることは出来ない。
それはあの日、鹿島に拾い上げられた時に感じたソレに似ていて。だけど、大恩ある代表には本当に申し訳ないけれど、今までの人生で最も強く。この胸の全部を占める程に大きくて、暖かな感情であった。
「だから、わたしをひとりにしないで。ずっと、そばにいて」
誰かに求められるという事。それを、自分も同じくらいに求めたいと、心から想えるという事。
それがどれ程にこの心を満たして。こんな自分でも生きていたいのだと、そう願う想いで、どれ程に、この胸を暖めるのか。
「・・・ああ」
上手く言葉に出来なくて、返事の代わりにシオンを抱きしめた。
強く、それでも決して傷つけてしまわないように慎重に。自分が手放してしまう所だった彼女の存在をこの魂に刻み付けて、もう二度と、ただ一つの願いだけを誤らない様に。そしてようやく口に出来た言葉を、その想いをシズマは告げる。
「俺は、君がそう求めてくれる限り、絶対に君を離さん。傍でずっと、君を護るから」
そうしてようやく、自分も安心して、満足できる返答が聞けたのだと、そう微笑んで。
シオンはシズマの胸の中で、本当に嬉しそうに身を寄せて、その耳元で。彼にだけ聞こえるように、そっと何かを呟いた。
読唇術にも通ずるメイは、反射的にその行為に咄嗟に目を逸らして、同時にそれまでの一部始終を記録していた端末のカメラを慌てて明後日の方向へと逸らす。
それは、きっとそのシオンの言葉がシズマの他に、誰かに知られるべきではないと、二人だけのモノであるべきだと、メイはそう考えたからで。
ちょっとした好奇心に小さな後悔は残りつつも、上司でもあるが、間違いなく友でもあるシオンが。
その長きに渡って秘めていた想いを成就させた事に。彼女は今、純粋に心からの祝福を送っていた。




