38話 夢と現実
二〇四五年八月六日。
目を覚ました次郎が食卓へ降りていくと、普段は外で朝食を摂る次郎の父・徹男の姿があった。
「おはよー」
軽く挨拶しながら、次郎は今日が日曜日であった事を思い出す。
通勤に片道二時間を掛ける彼の父親は、平日は喫茶店で朝食を摂り、外食してから帰宅する生活を送る。そのため次郎が父親と顔を合わせるのは、基本的に休日だけだ。
もしも次郎が社会人であれば、一日四時間を通勤時間に費やすくらいなら職場の近くに住む選択をするだろう。
だが徹男には、先祖代々の家と広い土地から離れる選択肢は無かった。
七村市の初代町長家であり、それ以前には三山村村長家であったという家柄やプライドが、父にとっては毎日四時間の通勤時間を上回るらしい。
同じ食卓に座わった次郎は、既に置かれていた自分用の朝食に箸を伸ばした。
朝食はご飯とインスタントの味噌汁、納豆とスクランブルエッグと何枚かのハム、それにミニトマトとキャベツの千切りだった。
まずは醤油を垂らした納豆をグルグルとかき混ぜながら、適当にテレビを眺める。
『おはようございます。八月六日、朝七時のニュースをお知らせします』
時間は七時丁度だったらしく、皺一つ無いスーツ姿の男性アナウンサーが現われて、ニュースを伝え始めた。
画面には国内と国外からで三つずつのトピックスが表示された。
・内閣支持率、ついに一〇%前半へ下落
・共和党、犯人に被害者情報は渡せない
・新生党、現政府はテロリストに等しい
・ライアン米大統領、日本の現状を非常に憂慮
・国連人権理事会、日本の人権侵害を現地調査
・アラブ首長国連邦、ISSの共同開発を提案
最近はニュースの時間になると、ほぼ確実に内閣支持率と広瀬議員が話題に上る。
支持率に関しては、政府と労働党の支持率の下限を確かめる社会実験をしているのかと思えるくらい燦々たる有様だ。
これは警察と自衛隊を用いたダンジョン隠蔽と私的利用を行い、魔物により数万人の国民に犠牲を出し、これからその百倍の犠牲を出す危機を生じさせた事で有権者に見切りを付けられたからだ。
また内部に潜っていた子供たちを口封じのために執拗に撃ち殺そうと追い回した映像が出てきた事で、人間として倫理的に軽蔑されるという政治家として致命的な状況に至っている。
次郎たちにとっては、映像を撮り溜めておいた価値があったというものだ。
日本における内閣支持率の最低値は、二〇〇一年に総辞職した内閣の七%だ。
その時は、日本の高校生達が乗った実習船「えひめ丸」が、海中から浮上したアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈没し、アメリカ軍が救助活動をせず見殺しにして日本人九名の死者が出たにも拘わらず、報告を受けた総理がそのままゴルフを続けた事で国民の怒りを買った。
過去の例を見比べれば、それ以上の失態を犯している大場総理の内閣支持率は、今後七%を割り込む可能性が非常に高い。
「はてさて、どうなる事やら」
「何がだ?」
息子の呟きに、父親が反応を返した。
「いやぁ、支持率」
「ふん。大場内閣は駄目だ、早く終わらせた方が良い」
「なるほど」
労働党シンパである父親の発言の意図を、次郎は正確に理解している。
内閣支持率と、政党支持率は、別物だ。
仮に大場内閣の支持率が七%を下回ったとしても、大場宗一郎という男が悪いだけで、与党である労働党は支持し続けるという国民は、徹男のように少なからず残るのだ。
そのため労働党の造反者や非主流派が大場宗一郎を中枢から追い出せば、労働党自体は政党支持率をある程度保って存続できる。
そして労働党の支持率が今の内閣支持率に引き摺られない為には、早々に見切りを付けて切り捨てなければならない。
徹男が考えたのは、まさに大場総理を切り捨てて労働党を残す案だった。
骨の髄まで労働党を支持する徹男が大場総理を見限った事で、次郎は大場総理の終わりをほぼ確信した。
『次のニュースです。アラブ首長国連邦が日本に対し、国際宇宙ステーションの共同開発を提案しました。同連邦は二〇一七年に火星移住計画『Mars 二一一七』を発表しており、現在は高度約三万五,〇〇〇kmの静止軌道上に、国際宇宙ステーションを建設中です。この静止軌道は地球磁気圏と呼ばれる範囲にあり、人体に影響を及ぼす太陽からの放射線を逸らす比較的安全な…………』
納豆ご飯を食べている間に、テレビはトピックスの最後にあった『アラブ首長国連邦、新ISSの共同開発打診』の話題に移っていた。
アラブ首長国連邦は、七つの首長国が集まった連邦国家だ。
最も国土が広いのはアブダビ首長国だが、知名度では二番目に広いドバイ首長国が有名だろう。
人口は二〇四五年現在で二〇〇〇万人台だが、その八割以上が外国籍という問題を抱える。また国土は北海道と同程度だが、その大半が砂漠だ。
しかし国内には豊富な原油と天然ガスが埋蔵されており、それを日本などに輸出する事で高いGDPを保ち続けている。さらに天然資源に依存しないように、産業の多角化も推し進めてきた。
次郎はISSが国際宇宙ステーション(International Space Station)の略だと言うことを初めて知りつつ、アナウンサーの話に耳を傾ける。
『今回の表明は、共和党が公開した転移能力が、日本・イギリス間の長大な距離を一瞬で往復したことに着目したものです。膨大なコストと事故の危険を伴う宇宙空間へ、安全に人と物資を送り込めれば、ISSを速やかに建設できます』
ニュースでは、転移に収納能力や水魔法を併用する事が如何なる効果を及ぼすかについて説明を始めた。
だがニュースが語る可能性は、現実に比べてまだ過小評価である。
非公開の収納能力Sの四〇フィートコンテナで運べる物の中には、太陽光発電を行うコンテナ式野菜工場などがある。
無重力空間である事を考慮して内部を固定し、水の循環システムも新たに組まなければならないが、それらは現代の技術では簡単に達成可能だ。
野菜工場の地上における収穫量は一基につき一日三.五~五キログラムで、成人一〇人の目標摂取量を上回る。従って完成品を一基運ぶだけで、国際宇宙ステーションは一〇人分の野菜が自給可能になる。
野菜のみならず穀物も理論的には可能で、転移能力持ちと収納能力持ちが協力する限り、国際宇宙ステーションは人類を乗せたまま半永久的に稼働させられる。
また各種コンテナを火星に運べば、人類は火星で暮らせるようになる。
人類が使える惑星が、一つ増える可能性が見えてきたのだ。
『アラブ首長国連邦は日本政府に協力を求める声明を出し、引き替えにISSの共同利用を提案しました』
それは朝のニュースの締め括りとしては、実に夢のある話だった。
例え、原油を用いた攻略特典に対する外交圧力を掛けているだけで、実現の可能性が皆無だとしても。
「ご馳走様」
朝食を終えた次郎は、テレビの時間を見計らい、七時半に合せて近所に住む美也を迎えに行った。二人は同じ高校の図書文芸部員であり、近所の人達からは一緒に登校していると思われている。
合流した二人は、自転車で一〇分掛けてコンビニに赴くと、昼食を買ってから堂下家が所有する広い杉山まで移動する。別に家に寄らずとも、何処からでも入れる。
そこで次郎が自転車を収納してから、転移で北海道ダンジョンに跳ぶのだ。
現在の攻略階層は、地下一二階。
生息しているのは、懐かしの巨大クロオオアリだ。
およそ一年前の二〇四四年八月一日、山中ダンジョンの地下一二階を攻略中だった次郎たちは、巨大クロオオアリの群れと戯れていたところで機動隊員に遭遇し、そこで初めて発砲された。
以降の二人は、魔物と国家組織の両方から同時に逃げながら、地下への階段を探して奔走した苦々しい記憶がある。
その当時に比べれば、レベルが三〇くらい上積みされ、美也は一二レベル分の能力加算もあった。加えて国家組織にも追われておらず、非常に難易度の低い探索となっている。
まるで障子紙を破るように巨大クロオオアリの甲殻を槍で突き破り、豆腐を崩すように内臓に押し入って魔石を突いて経験値を稼ぎながら、下層への階段を探し回る。
クロオオアリの死骸が大量に落ちている道が、既に二人の通った道だ。スライムの消化具合で、そこがどれだけ前に通ったのかを判別できる。
ひたすら潰しながら高速で駆け巡り、大雑把に地図を埋めていき、階段を見つければその階層はゴールとなる。階段発見までに赴かなかったエリアは、いずれ綾香と共に埋める予定だ。
探索時間は、概ね朝八時前から夕方六時過ぎまでの一〇時間となる。
但し永遠とダンジョン内に居るわけではなく、昼食は転移を用いてダンジョン外で摂る事が多い。
山中県には、誰も居ないが景観の良い山中の公園や、同じく誰も居ないが綺麗な海辺に程近い林の中などが、いくらでもある。
そして次郎の収納空間には美也の要望によって、食卓になる家具や道具がしっかりと入れられているのだ。
「夏休みなのに海にも山にも行かないなんて、不健全だしね」
美也が思い描く理想的な夏休みのうち、最低ラインはその辺りにあるらしい。
中級編は水族館、動物園、植物園、遊園地、美術館の五つを達成することで、そうすれば上級編への扉が開かれるそうである。
なお植物園は行楽地、遊園地はレジャー施設、美術館は史跡に変えても良いらしい。
「八月二一日からは自由のはずだから、夏休みが終わるまでに二ヵ所ほど行くか」
「へぇ……どこに連れて行ってくれるの?」
美也の試すような口振りと流し目に、次郎は感覚的に答える。
「代替えが不可能な水族館と動物園。それって、中学生の分なんだろ。イルカショーがある水族館には心当たりがあるし、動物園はうちの県にペンギンも居るから、行っておくか」
答案用紙は、美也の表情に表われていた。
「それなら二一日と二二日はフリーにして、行くのは二三日以降でお願いね」
「ういうい」
その後、非常に機嫌の良くなった美也と共にダンジョン午後の部を終えると、二人は堂下家所有の杉林内に戻った。
午後六時過ぎに美也を送ってから帰宅すると、概ね夕食間際になっている。
堂下家は父親の仕事の都合上、家族で一緒に食卓を囲む習慣はない。食卓の自分の席に食事が出ていれば、それを勝手に食べる形だ。
ダイニングルームを覗き込むと食事は既に置いてあり、大学が夏休みで実家に戻っている兄の一郎が、テレビを見ながら食事を摂っていた。
「次郎か」
「ただいまー。兄貴、今日の夕食は何?」
「ハンバーグ」
「うあー、マジカー」
テンションが駄々下がりした次郎は、悲しい眼差しを食卓に向けた。
二人の母である堂下紗江は、料理があまり得意では無い。
その中でもハンバーグは際立っており、水っぽくしたり、逆にボロボロにしたり、焦がしすぎたりする。
他の料理でもシチューはちゃんと作れるのに、カレーはキーマカレーにして失敗したり、普通のカレーでも創作料理にして変なものを入れたりして、大抵失敗する。
そもそも日本食の基本である一汁の味が薄すぎて、自宅にインスタントの味噌汁が大量に常備されている時点で、料理の腕はお察しだろう。ご飯だけはちゃんと炊けるので、納豆と梅干しとインスタント味噌汁があれば、とりあえず死にはしない。
母の紗江は空手一筋でオリンピックメダリストにまでなった元社長令嬢で、結婚するまで料理は管理栄養士に管理されて自ら作る機会を持たなかった。結婚後も殆ど祖母が作っていたため、未だに料理は中高生レベルだ。
しかし料理のことで文句を言うと空手のメダリストに怒られるため、堂下家で料理の味は禁句である。
もしも、母親の料理に以心伝心で低評価を付ける次郎たち兄弟を批判する者が居たら、声を大にして言いたい。
次郎たちの父親も、休日以外は朝・昼・夜の三食が外食であると。
それでもゴタゴタ抜かすなら、良いから喰ってみろと。
「ううっ、ケチャップ取って、お兄ちゃん」
「ほらよ」
幼児化した次郎は、ボロボロと崩れるハンバーグにドバドバとケチャップを掛けて『ボロボロ肉のケチャップ和え』を作り出すと、それをご飯の『ふりかけ』にして朝食を頂くことにした。
勿論それだけでは辛いので、インスタントで豆腐の味噌汁も用意する。
「俺、早く結婚して、嫁に美味しいご飯を作って貰うんだ」
「変なフラグを立てるな。愚弟」
「うぐっ」
一郎に注意されて渋々と食事を始めた次郎は、ふと兄が実家に居る理由を訝しんだ。
四歳年上の兄は、県内にある国立の経済学部に通う大学三年生だ。偏差値は五〇代後半で、七村高校の普通科からは毎年何人も進学している。また山中県は魔物が出ないと知られており、県外からの学生も徐々に入ってきている。
実家から大学までは片道二時間以上かかり、通学がするのは大変なので大学の近くにアパートを借りて一人暮らしをしている。そして堂下家の家庭事情から見れば大変羨ましいことに、自炊も外食もし放題なのだ。
であるにもかかわらず、何故帰省しているのか。
「兄貴、大学は夏に部活とか無いの?」
「…………空手部は、レベル至上主義になってしまってな」
「レベル至上主義?」
そぼろ肉掛けご飯の隅をチマチマと崩しながら次郎が聞き出したところでは、一郎の空手部はレベルを上げた部員と上げていない部員とで、隔たりがあるらしい。
元々の空手部は、先輩後輩の厳しい上下社会だったそうだ。
しかし昨年七月に魔物が出た後に、部員間でレベルという格差が発生し、それが一年間で大きく広がった。
兄の一郎は、日本に魔物が現われた時に、効率的にレベルアップが行えたか否かの境目年齢にあたる。今の大学三年生は非効率世代で、二年生以下は効率世代だ。
今の二年生が効率の良かった時期に絵理のようにレベルを上げ、さらに今年の新入生がより高いレベルで入部した事で、空手部は下級生ほど強いという逆転状態に陥った。
そして決定的だったのは、新入生の一人がレベル四まで上げており、レベルに裏付けされた自信で、上下社会を無視するように友達感覚で上級生に接し続けた事だった。
穏便に言い含めても言う事を聞かない一年生に対して上級生達は、空手家らしく実力を示して威厳を保つ結論に達した。
しかし全国常連で部内最強だった一郎が負けた事で、逆に調子に乗らせてしまい、それまで辛うじて保っていた秩序の崩壊を招いた。
それからの空手部はレベル至上主義となり、上級生が下級生に妥協を強いられるようになった。
それを嫌がった四年生は続々と引退し、前期が終わって就職活動の準備名目を得た三年生達も一斉に引退したそうだ。後は勝手にしてくれと言う話である。
目的が『一年生部員の態度を改めさせる』で、結果が『レベル至上主義になり、三~四年生は引退』である以上、現政府のように目も当てられない大失態だ。
諦観して身を引いた兄に対し、次郎は掛ける言葉を持たなかった。
五歳から一六年ほど空手を続けてきた兄の努力は、たった四レベル差に劣るらしい。
四レベルあれば、文化部の学生が様々な競技で県大会に入賞できるほどの力を得られる。技術は伴わないが、ボーナスポイントを敏捷に振れば高速で技を繰り出せるし、力に振れば破壊力が倍加するので、技術差も簡単に覆せる。
オリンピックメダリストであった母のコネをフル活用した英才教育を受けても、レベルの前には形無しだ。これでは馬鹿馬鹿しくなって引退するのも、致し方が無いだろう。
身に付けた技術や経験は残るので、努力は無駄では無いが。
「でも兄貴、そもそも空手協会がレベルの有無に関係なく同じ試合に出している事自体が、おかしいんじゃないかな」
「どういう事だ」
「最近の世界大会だと、レベルが禁止になっているところもあるんだろ」
日本中に魔物が氾濫し始めて暫く、世界中が日本に赴いてレベルを上げた自国民に要請して、様々な研究機関でレベルを多角的視野で調べるようになった。
その結果、レベルを獲得した人間の身体が、質量は持つが光学的に観測できない何かで補われているらしいとする発表が行われた。
最初の発表から暫くすると、各国でも観測できないエネルギーを確認している。
身体から切り離すとエネルギーが失われるため、細胞を採取して調べていた各国は当初発見できなかったが、そんなはずは無いと生きた人間そのものを調べた研究者がようやく見つけ出した。
エネルギーが何なのか、人体にどう作用するのかは、未だよく分かっていない。
但しレベルを持っていても受精は正常に行われ、生まれた子供も普通の人間だったため、レベル獲得の機会があればそれを躊躇う人はあまり居ない。
だが国際社会においては、レベルを持っている選手の世界大会出場はアンフェアだとして禁止される流れが出来つつある。
強い日本人選手はレベルの有無を調べられ、レベルを持っていた場合は参加できなくなるケースも出始めている。
「日本はその辺の対応が遅いからな」
「成程」
一郎の力強い断言に、次郎は大いに納得した。
日本の子供は世界に比べればレベルを上げる機会に恵まれており、体育系で派手に活躍している日本の子供には、親などが協力してレベルを持たせたと考えられる者が少なからず居ると考えられる。
それに対してどうするのか、日本の殆どのスポーツ協会では結論が出せていない。
「そういえば兄貴って、今テレビで流行っているカマキリ以降の魔物とかには、武器とかあれば勝てるの。例えばクロオオアリとかさ」
次郎はこの機会に、ずっと聞いてみたかったことを思い切って口にしてみた。
チュートリアルダンジョンと初級ダンジョンでは魔物のサイズや形状、強さなどが異なるため、当時理解していた魔物の強さは現状で意味を成さない。
チュートリアルでレベルを〇から一に上げた頃には次郎も美也も激しい痛みを感じたのに、初級では殆ど指摘がない点でも、変えられた印象は強い。
では現状のカマキリ魔物以降の強さに対し、一郎がどれだけ対抗できるのか。
果たして一郎の評価は、非常に厳しかった。
「良いか次郎、昆虫が強さを維持したまま大型犬サイズになった場合、クロオオアリは六トントラックを車両ごと持ち上げられるそうだ。人間は六トントラックを持ち上げられるか?」
「それは無理だね」
「その通りだ。人類最強が持ち上げられる重量は、六〇〇kg程度だ。しかもクロオオアリは巣まで運ぶが、人類最強は一〇分の一を一時的に持ち上げるだけで大記録樹立だ。比べるのも馬鹿らしい」
「成程」
次郎のイメージでは、巨大クロオオアリは単体ではあまり強そうには思えなかった。
しかし、一トン程度の軽トラックは簡単に持ち上げられるだろうし、二トントラックを持ち上げるイメージもすぐに湧く。持ち上げる物の大きさやバランスが適切であれば、六トンも不可能では無いのかも知れない。
六トントラックで正面から突撃しても、耐えて反撃してきそうな印象もある。
確かに巨大クロオオアリの力は、レベルを持たない人間からは隔絶していた。
「それよりも、まずは空を飛ぶカマキリだ。カマキリの鎌は人間サイズなら三トンの力があるそうだ。獲物に対する攻撃速度は〇.〇五秒。瞬きの四倍速い。お前は避けられるか?」
「絶対に不可能」
「そうだろう。そして俺も人間だ」
カマキリはレベル一〇相当の魔物で、レベル一〇の人間がボーナスポイントを攻撃や速度に振れば、互角程度に戦える相手だと思われる。
しかし全国大会常連だった一郎の話を聞いて、レベルが無ければどうやっても対抗できない相手だったと思い直さざるを得なかった。
次郎はチュートリアル時代の感覚が抜けきっていなかったらしい。
チュートリアルダンジョン探索時、カマキリはそれほど強くなかった。
その時点で次郎たちのレベルが二〇台だった為に、常人としての判断は不可能だが、非常に大雑把で良ければ今の三分の一から五分の一程度の強さだったように感じられる。
道理でチュートリアルダンジョン時、レベル上げが上げ易かったわけだ。
「その次のオニヤンマも、クロオオアリを挟んだシオヤアブも、率先して人間を喰らうらしい。勝つどころか、逃げられる人間も居ないだろう。年末には、ドームがある都道府県から、多階層円柱に変わった都府県に集団疎開が始まるぞ」
「あー、そうかも」
「俺には、そんな魔物の巣窟で自衛隊が月一ペースで攻略できている事が信じられないくらいだ」
「てかさ、そんな魔物が出たら日本ヤバくね?」
「だからこそ、ダンジョン隠しをしていた労働党が叩かれているのだろう。良いか次郎、自衛隊には就職するなよ。死ぬからな」
世間との認識のズレを幾許か埋めた次郎は、逆に疑問を感じた。
現状に至ってすらダンジョン入り口を破壊してでもレベルを上げようと出来ない、全く以てお行儀の宜しい日本人は、一体何なのかと。
山中県ほど極端では無いにしろ、日本では欧米に比べて村社会の思想が根強いと次郎は考えている。前科が付けば制度的にはいくつかの免許取得の欠格事由になるし、周囲からも色眼鏡で見られるようになる。
警察と自衛隊を従えている政府・労働党に反抗して逮捕される事を怖れ、誰かが代わりに怒ってくれるのを待っていたのだとすれば、その代弁者になっている共和党が支持を集めるのも当然だった。