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日本にダンジョンが現われた! 作者:赤野用介

第一巻 日本にダンジョンが現われた

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20話 病院

 転移能力は一瞬で、瞬く間に想い描く場所へと跳べる。
 まるで玄関から外に出た瞬間のように、あるいはテレビの場面が切り替わったかのように、周囲の光景が瞬間的に入れ替わった。

「…………よし誰も居ないな」

 自室で着替えと変装を済ませて転移した先は、駅に程近い川辺にある男性用トイレの個室だった。
 山中市は、山神川という大きな川沿いに発展してきた地方都市だ。
 何種類もの言い伝えを持つ山神川は、古来より地域の発展に大きく寄与し、江戸から明治時代に掛けては、海上輸送で都市部を栄えさせた歴史を持っている。
 自動車が普及した昭和中期からは陸上輸送が主体となり、運河は廃れていった。しかし運河は川辺の遊歩道へと姿を変え、今も人々の暮らしと共に在り続けている。

 但し言葉を飾らずに評せば、山神川の川沿いは景観が良いだけで、職場や商店などには繋がらない利便性が最悪の道だ。
 唯一の取り柄である景観に関しても、普段見慣れている地元民はわざわざ見に行こうとは思わず、県外から観光客が来るほどでも無い。
 実際に駅から川辺を少し歩くと、日曜日の昼下がりですら、すれ違う人は一時間に二~三人いれば良い方という残念な場所である。
 運河を遊歩道に造り替えた県にどのような思惑があったのか定かでは無いが、方々に整備されたトイレのうち、男性用の個室に人が入っている可能性は極めて低い。
 そして次郎が転移で跳んだ川辺のトイレの個室には、案の定、誰も居なかった。
 誰かが居た場合には背後から襲うつもりだった次郎は、安堵の溜息を吐きながら川辺に飛び出した。

 時刻は、既に午後五時を過ぎている。
 これは時間的な辻褄が合うように、車が少ない旧国道を急ぎのタクシーで走ってきたと言える程度の時間を待機させられたためだ。
 それでも七月の空は、未だに明るかった。そして普段は綺麗な青色のコントラストに、黒い影が点々と汚れを付けているのが見て取れた。
 川辺から僅かに見える高層ビルやホテルの上層階でも、幾つかの窓ガラスが大きく割れている。距離的に内部は到底見えないが、屋内の惨状は目に浮かぶようだった。
 そんなコウモリ達であるが、どうやら軍隊のように整然とは行動しないらしい。
 てんでバラバラに山中市の空を飛び交い、標的を定めると本能的に襲っている様子だった。
 そして周囲に人が居ない事が原因となったのであろうか、三匹のコウモリが川辺に一人だけ佇む人間を標的と定め、急降下しながら迫ってきた。

「ちっ」

 迫り来るコウモリにどう対処するか迷った次郎は、咄嗟に攻撃を避けながら二匹の翼を手袋越しで同時に掴み、山神川に向かって投げ飛ばした。
 盛大な水音と共に二つの水柱が上がり、二匹のコウモリが水中に放り込まれる。
 だが急降下の攻撃を避けられた最後の一匹は、そのままの速度で次郎から遠ざかる。

「おい、逃げるなよ」

 次郎は土魔法で右手に握り拳くらいの大きさの石を生み出すと、それを最後の一匹に向かって投げ付けた。
 剛速球を三倍速で早送り再生したように高速で飛んでいった石は、進路上を飛行していたコウモリに直撃して撃ち落とした。
 次郎は落ちてくるコウモリの真下に走り、その身体を左手で掴んで右手に石製のナイフを生み出し、ナイフを突き刺して魔石を吸収した。
 これは魔物を倒した人間しか魔石を吸収できないため、シンデレラのガラスの靴ならぬ、魔物を倒した謎の人物の証拠を残さないようにする意図があった。
 次郎は、魔石を壊したコウモリの死骸を山神川に投げ捨てると、川で泳ぐ二匹は無視して川辺から駆け上がった。
 病院に向かって走り始めた次郎の目には、非常事態の街並みが映り始めた。

 道端には事故車が停まり、二匹のコウモリが襲い掛かっていた。
 車は側溝に嵌まって動かなくなっており、車内では人が身を竦ませながら、携帯端末で助けを求めている。
 コウモリ達は、高そうな黒塗りの車のボンネットをボコボコにへこませ、フロントガラスに爪を立てて大きな傷を作っているが、未だ突き破るには至っていない。

「助けてくれ!」

 目が合った男性が助けを求めてくるが、次郎は早足で駆け抜けた。
 目的は恭也の保護であり、それ以外では無い。

 それから暫く走ると、その先では折りたたみ傘を振り回すサラリーマンに、三匹ほどのコウモリが群がっていた。サラリーマンは飛び付かれる度にコウモリを叩き落とし、あるいは掴んで電柱に叩き付けながら応戦している。
 そんな激戦を繰り広げるサラリーマンの元へ中年男性が加勢し、手前の薬局から調達したと思わしき殺虫剤を勢い良く吹き付けた。
 殺虫剤を浴びたコウモリの一匹は、翼をバタつかせながら嫌がって地面を転げ回り、ついには飛んで逃げ出していく。
 結果を見た周囲の人々が、自衛の手段を手に入れようと薬局に駆け込んでいく。そして空からは、新たなコウモリが次々と飛来してきた。
 ビルの入り口には、会社員と思わしきスーツ姿の若い男性達が集まって防衛網を構築していた。上司の命令でも出ているのだろうか、彼らに撤退の二文字は無いらしく、必死に戦っている。
 しかしビルの上層階の窓は既に破られており、そこから侵入したコウモリと、モップを振り回す女性社員の姿が同時に見えた。
 路上には、ひっくり返った自転車や片足だけのヒール、小学生の学生帽など、普段は落ちているはずの無い様々な物が散乱していた。

 次郎は視界に映った全てを振り払い、サイレンが四方八方から響き渡る街中を、病院に向かって駆けていく。
 速度は人間としての常識と非常識の間であるが、死ぬ気で走っている人は周囲に散見される。現状で足が速いだけの少年に関心を向け続ける余裕は、誰にも無かった。
 おそらく日本中で、数十万のコウモリと人間が、組んず解れつの大乱闘を繰り広げているはずだ。
 暫く走る間に、コウモリに襲われている人や、コウモリを叩き殺している人とすれ違う頻度が増していった。
 やがて見えてきた病院前の路上には、赤色灯を光らせた緊急車両が、ズラリと並んでいた。病院前の道路は大混雑になっており、駐車場は満車の上に停められない車がウロウロと走って大渋滞を起こしていた。
 その先にある正面玄関前では、緑色のシートやトリアージと書かれた板、救護所のテントがひっくり返っている。
 正面玄関の奥には、逃げ込んだと思わしき人々が山手線の車内のようにひしめき合っており、そこへ激戦区を抜けた人々が駆け込み乗車のように飛び込んでいった。

「怪我をしたら、皆ここに来るもんな」

 次郎は、病院が大混雑している理由が腑に落ちた。
 そもそも自然治癒が難しそうな怪我人は、誰しも病院に来る。
 さらに感染の恐れがあるから名乗り出るようにと政府が散々脅した結果、本当に誰しもが病院に押し寄せて来ており、病院側の受入能力を大幅に超過してしまっていた。
 病院に居る負傷者と家族だけで、数千人にも達している。
 コウモリの出現現場から最も近い県内最大の総合病院というだけあって、大半の人が県立中央病院に押し寄せてきたのだ。
 そして人が集まれば、コウモリもおびき寄せられるようにやってくる。
 飛来するコウモリ達と、安全圏を確保しようとする警察や救急隊員、男性職員や患者家族との間で、血みどろの争いが勃発していた。
 罵声の合間に、断続的な発砲音が響き渡る。
 間奏は子供の泣き声と、女性の金切り声で、大変耳によろしくない曲だった。

「早くこっちに逃げてこい!」
「おい、そっちにコウモリが来たぞ。手を貸せ」

 見上げた病院の窓ガラスはいくつも割られており、コウモリが侵入した形跡が見られる。高層ビルの窓ガラスも同様だったが、消防隊が火災の際にハンマーで叩き割って救助に突入できるほどの硬さでは、コウモリを防げないという事なのだろう。
 次郎は混雑する正面玄関を避けて、時間外の出入り口から入った。
 そして人混みを掻き分けながら奥へ進み、階段の所でお手軽変装セットを全部解くと、辛うじて常識的な速度に抑えながら階段を駆け上がっていく。

『コードブルー、中央八階。ドクターハリー、西棟九階』

 非常放送が引っ切りなしに流れる中、最上階に辿り着いた次郎は、特別個室前の廊下まで走り抜けていった。通り過ぎた廊下には沢山の椅子が並べられており、そこには病衣姿の患者が、不安そうな表情で身体を預けていた。
 そして辿り着いた特別個室前の廊下では、部屋から運び出されたベッド上の恭也が、何かの処置を受けていた。
 上半身にはガーゼと包帯が巻かれ、傍には血塗れの病衣が脱ぎ捨てられている。

(やっぱり飛んできていたのか)

 次郎は、病棟の患者が揃いも揃って廊下に出されている理由を察した。
 おそらくコウモリが飛来して病室の窓ガラスを割り、入院患者を襲ったのだろう。
 そのため危険な病室は放棄して、ドアを閉めて鍵を掛け、患者を廊下側に避難させたのではないだろうか。
 時折、病室内から何かがドアにぶつかる音が聞こえてくるが、病棟看護師たちは聞こえない振りをしながら必死に走り回っている。
 どの病棟も危険な状態で、外はさらに危なく、どうにもならないのだろう。
 だが日本中がこの有様であり、警察や自衛隊の大規模な増援が到着するのは何時になるのか想像も付かない。

「やあ次郎くん。学校と部活はどうしたんだい?」

 ベッド上の恭也は意識が明瞭だったらしく、次郎を見つけてゆっくりと手招きをしながら呼び掛けてきた。
 傍に居る看護師も定期的な見舞客の顔を見知っており、現状では付き添いは大歓迎らしく、次郎を恭也の傍まで招いていた。
 両者に呼ばれるがまま歩み寄った次郎は、ベッド上に横たわる恭也の様子を観察した。
 傷に関しては既に処置済みのようで、今は血の滲んだガーゼを交換されているようだった。負傷は両腕や上半身に集中しており、頭部に外傷は見られない。輸液もされており、状態も落ち着いている。
 どうやら無事らしいと判断した次郎の頭に、急速に冷静さが戻り始める。
 美也のおかげで、時間的な辻褄は一応合っている。
 高校生にとっては贅沢だが、幸いにして次郎はお金持ちの家の子だと認識されており、お小遣いを使ってタクシーで来たと言えば通る。
 あとは警察か自衛隊の集団が到着するまで居座って、病室内からノックを繰り返すコウモリたちから恭也を守り切れば、今回の目的は達成となる。

「途中で切り上げになって、部活も無しになりました。ちょっと気になってタクシーで来たんですけど、恭也さんは大丈夫ですか」
「テレビで知って、窓から外を眺めていたら、コウモリと目が合ってね。来るな、来るなと思っていたけど、真っ直ぐ突っ込んで来られたよ。幸い怪我の方は、窓ガラスで切ったのと、コウモリに肩を噛まれたのと、爪で引っかかれたくらいかな」

 恭也が説明するとおり、彼の肩口や両手には包帯が巻かれ、身体の所々にガーゼがメンディングテープで付けられていた。
 脱ぎ捨てられている病衣の袖口も、爪で裂かれたような跡が見られる。

「一匹ですか?」
「二匹だったら、本当に危なかったね。何しろ一人で戦ったから」
「一人で戦ったんですか。よく勝てましたね」

 確かに恭也の傷を見れば、誰が戦ったのかは一目瞭然だった。
 恭也はチュートリアルダンジョンよりも強いコウモリを相手に、弱った病気の身体でありながら、ナタのような武器も持たずに凌ぎきったのだ。
 これは弱いチュートリアルのコウモリを相手にナタを振り回した次郎から見て、驚嘆に値する出来事だった。

「はははっ。点滴スタンドをコウモリの口の中に突っ込んで床に押さえ込みながら、電動ベッドのキャスターで何度も挽いて、開いた傷口を両手でこじ開けたら倒せたよ」
「かなり過激な戦いでしたね」
「確かに輸液パックが飛んで、チューブから血液が逆流したけどね」
「うわぁ」

 次郎が呆れとも溜息とも取れる声を上げると、恭也も僅かに苦笑した。
 やがて口を閉じ、言葉が止むと目を虚空に向けて、おかしな事を口走った。

「ところで次郎くん。僕の前に何か見えないかい?」
「はい?」

 何の前振りも無く尋ねられた次郎は、何を聞かれているのか分からず素っ頓狂な声を出した。
 それでも恭也は質問を続ける。

「パソコンの画面のような真っ白な背景と、黒い文字。あるいは発光する何かが見えないかな」
「…………いいえ」

 より具体性を増した問い掛けに、次郎はやや間を置いて返答した。声が上擦っていたかどうか、次郎自身には分からなかった。

「そうか。変な事を聞いて悪かったね」
「はい」
「ところで次郎くん。中国の陰陽五行って知っているかな」
「えっ?」
「陰陽、木・火・土・金・水。だけど木と金が無い代わりに、風があるね。これは物質の相転移を表わすのかな。はて……さて……」

 自問の後、眠るように思考の海へと潜り始めた恭也の前で、次郎は言葉を失い立ち尽くした。
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