第4話 小さな仕返し①
翌朝、湯ノ原郷から馬で半日ほどの街道沿いにある宿場町。そこには、男爵配下の密輸品を扱う商人たちが出入りする、裏の取引所があった。
アルトはそこに、いつもの外套ではなく、地味な旅商人の格好で現れた。
「お邪魔しますよ。……ちょっと、『訳あり』の相談があるんですが」
取引所の主人は、値踏みするようにアルトを睨めつけた。
「見ない顔だな。誰の紹介もなしに、ここへ来たのか」
「紹介はありません。……ただ、手ぶらでもないですよ」
アルトは声を潜め、懐から一枚の紙を取り出した。そこには、エリーゼが調べ上げた源泉の抽出量、劣化成分の配布記録、直近の密輸ルートの一部が、正確に記されていた。
「湯ノ原の源泉から出る『あれ』が、先月どれだけ、どこに流れたか。こっちはもう、大体把握済みです。あなたが誰に、いくらで卸してるかも、含めて」
主人の顔から、さっと血の気が引いた。
「な……お前、何者だ……」
「別に、告発しに来たわけじゃありません。むしろ逆」
アルトは金貨の詰まった袋を、ドサリとカウンターに置いた。
「この話、他所に漏らさない代わりに——今後の取引記録、全部見せてもらえませんか? 口止め料と情報料、両方込みでこれだけ。悪い話じゃないと思いますけど」
主人は震える手で袋の中身を確かめ、ごくりと喉を鳴らした。すでに秘密を握られている以上、下手に隠し立てをして機嫌を損ねるより、金で手打ちにする方が賢明だと判断したのだろう。
「……いいだろう。だが、これっきりだぞ」
差し出された帳簿の写しを受け取りながら、アルトは内心でほくそ笑んだ。
(脅しと、金と、事前の情報収集。……これが一番、早くて確実なんだよね)
アルトの瞳が一瞬だけ、鋭く光る。完全記憶の力で、帳簿の内容がそのまま脳裏に焼き付けられた。
その日の午後。アルトは『黄金の手』商会の名で、大陸各地の商業ギルドに一斉に通達を出した。
「湯ノ原郷経由の薬品類について、『黄金の手』商会は一切の取引を停止する。理由は、品質管理に重大な懸念が確認されたため」
たったそれだけの通達だった。だが、大陸一の商会が『取引停止』を宣言した意味は重い。翌日には、湯ノ原の密輸ルートに関わっていた商人たちが、蜘蛛の子を散らすように取引を打ち切り始めた。
「な、なんだこれは!?」
男爵の館では、経理担当官が青ざめた顔で報告に駆け込んでいた。
「男爵様! 我々の商品を扱っていた業者が、次々と手を引いております! 理由は……『黄金の手』商会が、うちの品を『品質に懸念あり』と名指しで通達したとかで……」
「な……『黄金の手』だと……?」
バルカスの手から、報告書がはらりと落ちた。脳裏に蘇るのは、数日前に鼻で笑って追い返した、あの生意気な若旦那の顔。
「ま、まさか……あの小僧が、名乗っていたのは……」
「男爵様……。あの若旦那、確か『黄金の手商会の若旦那アルト』と名乗っておりました」
傍らに控えていたゼイドの声も、わずかに震えていた。同じ『黄金の手』。偶然とは、到底思えない。
「あの怯えた顔は……全部、演技だったというのか……!」
バルカスの拳が、怒りに震えながら机を叩いた。
その夜、湯けむり亭の一室。アルトは湯気の立つお茶をすすりながら、満足げに微笑んでいた。
「ふふ。まだまだ、これは前菜だよ」
「アルト様、あの通達だけで、男爵の収入の三割近くが止まったかと」
エリーゼが淡々と報告する。
「うん。でもね、ここで止めが刺せると思ったら大間違いだよ、あの人」
アルトは指を三本立てた。
「一つ、資金源を細らせる。二つ、証拠を集める。三つ、逃げ道を全部塞いでから——」
その指を、ぎゅっと握りしめる。
「最後に、まとめて叩き潰す。慌てて逃げられちゃ、面白くないでしょ?」
(つづく)




