第5話 本当の親子のように
「結芽!」
「お義母さん!」
施設の外に出るとすっかり夜が更けていた。
空は黒に沈み、少し肌に寒さが突き刺さる。
そこではお義母さんが、涙を蓄えた目で私を待っていた。
さっきまでベッドで横たわっていた私よりも、さらに青白い義母の顔が、私のいる方を向く。
心配をかけすぎてしまった。
でも、その程度で済んでよかったのかもしれない。
私が命を落としていたらきっと、悔やんでも悔やみきれないだろうから。
「あなたが無事でよかった。痛いところはない? 怖かったでしょう?」
「お義母さん、心配させてごめんね。怪我はちょっとしちゃったけど、特に変なところとかはないよ」
穏やかな声は不安に震えながら、私の様子を確かめる。
いつもお義母さんは私を気遣うように、包み込むように接してくれる。
「どうしたの結芽? いきなり泣き出しちゃって。やっぱりどこか痛いのかしら?」
あぁ、生きて帰ってこれてよかった。
もしあの時、完全に生きることを諦めていたら、二度とこの優しさを受けられなかっただろう。
そう思ったら、もう涙は止まらない。
「大丈夫、ただ噛みしめていただけだから。痛いわけじゃないよ」
「そう、それならいいけど。とりあえず、家に帰りましょう?お風呂は沸いているし、ご飯ももうできているから」
「分かったよ、お義母さん」
差し出された手を取って、一緒に帰路へ着こうとした。
その時だった。
「いい雰囲気のところ申し訳ございませんが、少々時間をいただけますか?千枝さん」
どこかくたびれた無精髭の生えた男がお義母さんを呼び止める。
少し丈の合わないスーツを着ているその男はどこか胡散臭さを漂わせる。
義母に会えた歓喜ですっかり忘れていたけど、今の私は一人で外に出たわけじゃなかった。
丁寧な口調で義母に声をかけたこの男は会長の直属の部下、らしい。
「別にいいですが、できれば手短にしてもらえませんか。夜も更けますし、この子の体調のこともあります」
「分かりました。では、本題のみお伝えしますね。娘さんには『陰陽師』になってもらいたいのです」
な、何の前ぶれもなく本題をぶつけてきたわ、この人……!
一切の迷いも、躊躇いもなく一人の人生を左右することを伝えるなんて。
あまりにも突然そんなことを言うものだから、お義母さんが目をぱちくりさせて硬直しちゃっているじゃない。
「え、え? この人が言っていること本当なの、結芽?」
「……うん、そうなの。私もさっき伝えられた時は本当に驚いたわ」
場を紛らわせようとしても、空気が重く沈むのをひしひしと感じる。
……どうしよう。耐えられない、この空気感。
ピリついたそれが、私をじりじりと追い詰めようとする。
まるで、罰を下される前の罪人ね。
「娘にいきなりそんな命を賭けさせるような真似はできません。少し時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろん。家族内でよく相談してください。……ただ、大事なものほど、目の届かない場所で崩れ去ります。それだけは、良く頭に入れておいてください」
――今日みたいにな。
そう締めくくった部下さんは私たちの間に焦燥を残し、去っていった。
「色々話したいことはあるけど、とりあえず帰りましょう」
――あ、これ、確実に怒られるやつだ。
義母のすっと細められた目に、ただただ黙って頷いた。
*
2人きりの車内。
いつもなら、何かしらの会話をするのに今日はそれすらもない。いや出せないの。
車に揺られ始めて15分。今もなお私たちは互いに沈黙を貫く。
お互いにとって衝撃だったものだから仕方がない。
陰陽師なんて画面の向こうの存在に関わるなるなんて、全く考えられなかった。
「怪我、本当は別にちょっとなんかじゃないでしょ?」
沈黙を裂くように義母が声を落とし、じろりと私の足へ視線を送った。
骨折したわけでもないのに包帯が厚く巻かれている足。
そこは奇しくも私が虫のクルイモノに噛まれた場所だった。
あの時からかなりの時間が経ったが、未だに痺れは取り切れていない。
むしろ、時間を経るごとにより範囲が広がっているような心地さえした。
「大丈夫よ。この通りピンピンしているでしょ。でも、どうしてそう思ったの?」
「誤魔化そうとしていたみたいだけど、足引きずっていたわよ。時々顔を顰めていたからもしかしてってね」
ば、バレていた。
しかも、結構些細なところまで見ている。
前に『母は侮れない』と、美緒が遠い目をさせながら言っていたけどこういうことなのね。
「ごめんなさい」
「どうして謝る必要があるの? そんな必要どこにもないでしょ。あなたは悪くないわ」
彼女は何てことないように笑う。さっきまでの緊張がまるで嘘みたいに穏やかな言葉を紡ぐ。
――あなたは悪くないわ。
彼女の口から出たその些細な言葉が頭の中でぐるぐると反響する。
「出会った頃よりずっと明るくなったと思っていたけれど……人は、そんなに簡単には変われないものね。」
どこか悲しそうに呟く彼女の横顔は、出会った日のことを思いださせる。
*
「……いたい、……さむい」
意識が覚醒して最初見えた空は、赤々と燃えていた。
空にクジラが悠々と泳ぎ、街を壊す。
人々の悲鳴が飛び交い、獣たちは唸る。
まさに、地獄絵図に相応しい光景だ。
歩く道には建物だったものがたくさん散らばっていて、それで足を切ることもあった。
でも、そのどれもに心を動かされることはなかった。
だって、私には何もなかったから。
【私】の記憶も、名前も何も知らない。
本当の意味で空っぽだった私はただ行くあてもなく、裸足で街の中を歩いていた。
「ねぇ、お嬢さん。どうして、ここを一人で歩いているの?」
ふと、優しい声が耳に入った。
暖かで柔らかい、こちらを気遣う淡い声が私を呼んでいた。
振り返ると、そこには目じりにほんのり皺の入った女性が心配そうな面持ちで立っていた。
「わからない。みんながそうしているから?」
「あら、そうなのね。……足、怪我しているわよ」
だらだらと流れ出る鮮血を見て彼女は、悔しそうに顔を顰めた。
その時はどうして、そんな顔をするのかが理解できなかった。
だから、何の考えなしに口から謝罪の言葉が零れ落ちた。
「ごめんなさい、迷惑? でしょう」
「……そんなことないわ。放っておけなかっただけ、私のエゴよ」
私の足にてきぱきと包帯を巻いた彼女はその足で私を背負う。
「なぜ? わたしをたすけるの?」
「そうねぇ。怪我しているからって言うのもあるけど、あなたが余りにも寂しそうな眼をしていたからよ」
その時初めて、バチりと彼女と目が合った。
穏やかな色の中に、決して引くつもりは無いという意思がひしひしと伝わってくる。
最初は少し怖いと思ったけど、彼女のその目を私は信じることにした。
*
「私はあなたに笑って生きて欲しい。幸せに生きて欲しい。……出会った日からずっとそう願ってきたわ」
赤信号によって止まった車内で、お義母さんは願いを乞うように私に目を向ける。
たったの3年間だけど、お義母さんがいっぱい愛情をもって私を育ててくれている。
並の家族よりも愛を持って包み込んでくれていることを知っている。
「だからこそ、陰陽師にはさせたくない。まだあなたの人生は始まったばかりよ? それを棒に振らせるような真似はしたくない」
――どうして、この子なのよ。
そう叫ぶ義母はどこまでも悲痛そのもの。
声も悲嘆に沈み、震えるのに心が痛む。
そんな顔、お義母さんにだけはさせたくなかったのにな。
「お義母さん、ごめんね」
ただ、謝ることしかできなかった。
これ以上、彼女を傷つけられるほど私は非情にはなり切れない。
*
自宅に戻ってからも、私たち義親子の間には一線を引かれたように何とも言えない空気感が漂った。
ご飯を食べても味がしないなんてこと、初めてだった。
「はぁ、今日は随分と濃い一日だったわ」
お風呂も上がって、ベッドの上でだらだらと寝そべりながら今日の出来事を振り返る。
……あぁ、もう。考えがまとまらないわ。
「日記帳、まだ白いままなのね」
そう言えば、あのカードどこに言ったのかしら?
色々と日記帳には謎があるけど、あのカードが一番の謎なのよね。
「ひっくり返せば出てきちゃったりして、なんてね」
そう簡単に出てくるわけないか。
でも、その代わりと言ってはなんだけど、日記帳の初めの7ページが7色に変化していたのは個人的な大発見。
その次のページが真っ白だったのは不自然なのよね。
「とりあえず、日記に記していこうかしら」
毎日書いている習慣だもの。
――ペンが持てなくなる限り書き続けるわ。
*
「あぁ、やっとできた~。今何時かな。……22時ね。まだちょっと早いけど、今日はいろいろあったし、もう寝よう」
今日は書くべき出来事がいっぱいあったから、かなりの時間書いていたみたいね。
これ以上はもう、頭が働かない。
*
「……あれ、私部屋で寝ていたよね?」
ふっと、体が起こされる浮遊感に目を覚ますと暗闇の中にいた。
既視感のある暗闇だったが、いつものそれとは様子が違うような、そんな気がする。
「あの子がいない。いつもはそこにいるのに」
そうだ。思いだした。
この夢を私は何度も見ている。
正直うざったらしいと思うぐらいには何度も。
でも、この夢の象徴たる人物がここにいない。
「私はここにいるよ、結芽」
声のする方に振り向くと、そこには1人の少女が立っていた。
絹のようなサラサラの白髪に、透き通る白い肌の少女。
――間違いない。いつもの夢に出てくる少女だ。
「どうして、私はここにいるの? あなたは誰なの。教えて」
今日はいつものようにいきなり謝ったりするわけでもないから話が通じそうね。
これでようやく彼女のことを知る事が出来るわ。
ふふっと、鈴の鳴るような声で彼女は囁く。
「私のことは、ナナって呼んで。名前がないから【名無しのナナ】ってことで」
「ナナさん……」
「さん付けはいらないわ。堅苦しいのは苦手なの」
ウィンクをしながらお茶目に笑う彼女は、あの泣いていた少女と同一とは到底信じがたい。
まぁ、浮世離れしているのには変わりない。
現実世界に真っ白な髪に金眼な人間なんていないもの。
そんな彼女は穏やかに微笑みながら、私の両手を包み込む。
「結芽にやってほしいことがあるの」




