第42話 恐怖はまるで絡みつく泥のよう
「ふわぁあ、もう朝……」
本当によく眠れた。
悪夢を見るのを恐れて眠れない昨夜が嘘のよう。
彼の言うおまじないがよく効いていたのかな。
体に蓄積していた疲れもまるで感じない。心がとても晴れやかだ。
「おはよぉ、結芽。昨日は眠れた?」
「美緒、おはよう。一応ね。何とか眠れてよかったよ~」
「それならよかった」と微笑む美緒は、私の寝間着に視線を落とす。
あっ。
そういえば昨日、上着を脱ぐのを忘れていたような……。
木へ登った時にできた汚れが目立っているはずの。
「結芽、これは何かな?」
上着に付いた汚れを指さしながら、彼女は目で訴える。
――昨日の夜、何していたの?
*
「結芽の馬鹿、おたんこなす。もし危ない人だったらどうしていたの?」
「おっしゃる通りです……」
昨日の夜起こったことを美緒に話すと、案の定ぷりぷりと頬を膨らます。
疲れと悪夢への恐怖で冷静じゃなかったけど、確かにおかしい。
『初対面の、どこの誰かもわからない人と、あんな距離で接していた』
うーん、明らかに判断力が落ちている。
「まぁ、お説教はここまで。今日やることを決めよう」
「そうだね。早速、調査をしていく感じ?」
昨日宿へ入る前に『眠り神』の調査をするって言っていたし。
「感じ! って言いたいんだけど、それは無理」
申し訳なさそうに首を振る美緒は、窓を見る。
窓の外には女将と村人たちより綺麗めな着物を纏った女性が、話し込んでいる。
「あの女の人、村長からの使いみたいなんだけどね。……きな臭いのよ」
「きな臭い? どういうこと」
村長自体、私たちを品定めしているような目でずっと見てきた。
ただ、外部から来た人間を警戒するのは不自然じゃないんだけど。
「佐藤さん。あの女の人に連れていかれてから、一切連絡が取れない」
「え?」
「それだけじゃないよ。事態はもっと深刻」
障子が開き、萌黄ちゃんが入ってくる。
手元のタブレットには、見覚えのあるアプリケーション。
「なにこれ、全部同じところに集まってない?」
「佐藤さんが真面目な人で良かった。そうじゃなければ、この情報は手に入らなかった」
IDをタップすると、佐藤さんの顔写真が出てくる。
と言うことはもしかして――
「ここに書かれているIDの人たちって、私たちの前に来ていた人たちのこと?」
「……道理で誰も帰ってこないのね」
継ぎに映し出されたのは鬱蒼とした森の中。
画面越しでもわかるわ。
あの場所の霊力、酷く淀んでいる。
瘴気も微かに混ざっているような気さえする。
考え込むようにしていた美緒が顔を上げる。
「ねぇ、萌黄。このIDって、どんな形式でもそばにあったら提示される?」
「そうなっているけど……」
何かに気が付いた萌黄ちゃんが息を吞む。
すぐにパソコンを開き、目にも留まらぬ速さで何かを打ち込んでいく。
「結芽、ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」
……なるほど、そういう事か。
*
「お待ちしておりました。私、村長の使いのユキと申します」
丁寧に頭を下げた彼女は、私たちを見て目を見開く。
「てっ、他の方々へーらっしゃらんのだか?」
「まだ起きたばっかで、身支度ができてないようです」
おどけるようにそう返すと、微かに肩を落とす。
さてと、男性陣たちが下りてくる前にさっさと行くとしよう。
そうしなければ、せっかく立てた作戦が台無しになってしまう。
「では、ご案内します。――『眠り神』様の元へ」
*
森は次第に深くなっていく。
雪さんがある場所に着くと、足を止める。
目の前に広がるのは、先ほどの画像で見た景色。
「お客様、大変申し訳ごいせん」
彼女が頭を下げた瞬間、黒装束の者たちに囲まれた。
「これはどういう……」
「どうもこうも、村長から指示されたのだ。あなたたちをあけぇ連れて行くように、って」
縄が私たちへ放たれる。
避けることは非常に容易だ。
でも――
「体が重い。眩暈がしてくる」
「眠らせようという魂胆……ですか」
朧げな目で彼女のひらりと揺れる手から出てくる霧を見る。
あの霧、何かに似ているような。
まさか――
「フラウス?」
「あ、やっぱりバレちゃた? さすがだね、レガリアスちゃん♡」
彼女の姿が歪み、あのギャルの姿に変わる。
そこで、意識が途切れた。
*
「……ここはどこ」
目を覚ますと暗がりの中にいた。
まるであの悪夢の一場面で出てきた檻の中みたい。
まだとろい瞼をこすりながら周りを見渡すが、何も見えない。
「最悪、分断された」
とにかく、誰かと合流しないと。
動き出そうとしたとき、腕を掴まれる。
骨が折れそうなほどの強い力だ。
誰が、何のために。
『■、どうして僕らを見捨てたんだい?』
「誰?」
男の声が聞こえて振り返ってみるが、そこには石の壁。
誰もいない。
再び誰かを探そうと立ち上がるが、今度は足を掴まれる。
すすり泣く声が頭の中で響く。
『■、自分だけ生き残って楽しい?』
今度は女の声。
軽蔑するような、憎むような声色で私を引き留める。
何も関係のない他人の声だ。
気にしない。
気にしない。
大丈夫よ、結芽。
あなたの大切な人はそんなことを言わない。
信じてはだめ。
『どうして、助けてくれなかったの、■ちゃん。私だって生きたかったのに』
ダメ押しと言わんばかりに、誰かが抱きつく。
幼い子供の声だ。
今度の声は聞き覚えがあった。
「□□□ちゃん」
気づけば彼女の名前を口ずさんでしまった。
『やっとみてくれたね』
私の腰に抱き着いていた彼女は嬉しそうに笑う。
ここにいるはずがないのに。
そんなこと分かっているはずなのに。
彼女がそばに居て安心する自分がいる。
「ねぇ、□□□ちゃ――」
『なぁに』
幻覚だって、ちゃんとわかっていた。
だから、なんとも思わないと思っていた。
でも、現実はそうじゃないんだね。
幻影がボロボロと黒く泥になって崩れていく。
『■ちゃん、これはねばつだよ』
そう一言を残して彼女は完全に沈黙する。
目の前には学校の友だち、陰陽師たち。
どれも大切な人を形どった幻影だ。
みんながみんな、私を罵りながら泥になっていく。
「やめて。みんなはそんなことしない」
手で振り払っても、見える幻影は終わらない。
あれは、七草支部の仲間たちに、お義母さん?
今度はもっと姿が近くなっている。
声が鮮明になってくる。
『あなたさえいなければいいのに』
『お前の、せいで』
やめて、もう聞きたくない。みんなはそんなこと言わない。
『本当に?』
何気なくかけられた言葉に顔を上げる。
『もし、そうだったらその人はどうしてそうなっているの?』
「その人って……?」
黒いナニカが私の背後を指さす。
手に何か温かいものが触れる。
人の体温だ。
光を照らして確かめてみると、それは佐藤さんだった。
悪夢が蘇る。
薄暗い檻の中に、生きているかどうかも分からない人の体温。
そして鼻につく血の匂い。
「あ、アァ。イヤぁアアアアア!」
わたしが、ぜんぶわるいの?
よわかったから、まもれなかったからこうなったの?
あのときみたいに




