第3話 光を纏い、敵を穿つ
「ヨコセぇええ!!」
後ろから風を切る音が聞こえる。
恐らく、クルイモノが私を斬りに来ているのね。
感覚がいつもよりずっと研ぎ澄まされている。
さっきまで恐怖に押しつぶされそうだったのに、そんなの最初からなかったみたいだ。
――きっと胸に宿るこの力のおかげかしら?
その力が脈々と川の流れのように体中に伝わってくるわ。
「おっと、勢いよく飛ぶとこけそうになるみたい。気を付けないと」
攻撃を避けるために跳んでみたけど、電柱の高さまで飛べるなんて……。
今の私の身体能力、人間のものを遥かに凌駕しているみたい。
さっきまで全身を締め付けていた疲労が嘘のように消え、体は私の思考より先に動く。
戦うのも、何かを斬ることも初めて。
それなのに、今どうするべきなのかが全部見える。
刀に、力を流し込み身体と一体化させるように意識すると、白く淡く輝き始める。
狙いは真正面から突っ込んできた狼みたいなクルイモノだ。
それだけに意識を集中させ、機を見計らう。
「あ”ぁぁぁぁああ」
一瞬のうちに決着がついた。
ごとッと音を立てて地面へ落ちたクルイモノの首。その体は崩れ、灰のような粒子となって宙を舞う。
あっけないわね。
彼らに対して己の死を覚悟していたのに、逆に彼らへ死を与えてしまうなんて。
ほんの小さなきっかけで、未来はこうも容易く反転するのね。
「グルゥゥゥウウ!!」
「ガァアアアア!!」
今度は横から二匹。うさぎとか、猫みたいね。
先ほどの狼みたいなクルイモノに比べたら小さくて威力は弱めだけど、その分動きが速い。
でも、大丈夫。体を震わす必要はない。
――今の私ならできる。
不安も、恐れも全部飲み込んで、今やるべきことを見極めるのよ、結芽。
「この一撃は、さっきのより痛いかもね。……でも、あなたたちが人間にやって来たことと比べたら、そこまで痛いことでもないでしょう?」
あえて私に近づくように誘いながら斬ってみたけど、成功した。
さっきの狼みたいにボロボロと崩れ始めているのがよく見えるわ。
3体倒しても、周りにはクルイモノの大群しか見えない。
飛んだ時に見えたけど、道路を埋め尽くす勢いで存在しているのは異常だ。
「本当に埒が明かないわね。このままじゃ、また体力切れで倒れてしまうわ」
この場から逃げることは恐らく不可能。たぶん、逃げてもこの場所に戻されてしまうだろう。
ここは現実世界じゃない。
恐らく、クルイモノの住処かなんかだろう。
確かに近くには見慣れた建物とか標識が見えるけど、人っ子一人の気配がしない時点でおかしい。
もしかしたら、クルイモノにやられてしまったのかもしれないが、それでも私以外の人間の気配がしないのはさらさら変だ。
「オヤァ、サッキタオレタトオモッタガ、コレハオモシロイ」
背後に迫るこの気配、相手取っていたクルイモノ達とはまったく違う。
びりびりとひりつくような悪意が鳥肌を立たせる。
それに加えて、ずるずると何かを引きづるような音に、むせかえるような血の匂いを感じる。
視界に入ったのは、私よりも何倍も大きい正常な「生物」とは言い難い泥の塊。
なんとなく人の形をとろうとしているようだけど、程遠い姿をしている。
「あなたが、ここにいるクルイモノ達の長ね」
「アァ、ソウダ。オンナ、【レガリアス】ヲワタセバ、ニゲルコトヲユルシテヤロウ」
私を路地に引き込んだ時みたいに子を諭すよう母親のような穏やかな声で、それは告げる。
少し反響する声を耳にしていると意識が傾きそうになる。
「お断りするわ。【レガリアス】がいまいち何なのか分からないけど、誰かと約束したのは覚えている。その約束を反故するわけにはいかないもの」
渡したところできっといいことなんか起こりっこないこと、分かりきっているわ。
それに人の意識を支配しようとする存在なんて信頼できるわけないもの。
「コウカイスルコトニナルノハ、オマエジシンダゾ」
それは最後の忠告とでも言わんとばかりにけたけたと笑う。
そのまま、無数の触手を私に目掛けて放ってくる。
放射状に放たれるそれは私の心臓を一直線に狙ってくる。
は、速い。それに一撃が重い。
さっきの狼よりも大きな体を持っているのに、こんなに速いなんて常軌を逸している。
何とか受け止めても固いからか少し刃こぼれしてしまった。
「あなた、随分と見た目とは違う身体をしているのね」
「ソウダロウ? ニンゲンハヨワイカラナ、コウスレバスグニタベヤスクナル」
――オマエモ、アノオンナミタイニアキラメレバ、ラクナノニ。
何かの糸がぷつりと切れた。沸々と水が沸き立つように、怒りが私の中で渦巻く。
今、目の前にいるあれはなんと宣った?
人間は弱い? 諦めれば楽になる?
確かにそれはある一種の心理なのかもしれない。
でも、そうだとしても……。
「弱いだなんて簡単な言葉でまとめられるほど、人間って単純なものじゃないのよ」
目を閉じれば、あの女の人の最期の顔が焼き付いて色褪せない。
『おじょう、さん……はやく、にげ、て――クルイモノが近くにいるわ』
ジメジメとした路地の暗がりで彼女の顔はよく見えなかった。
いや、それを見る勇気すらなかった。
でも、最期私に声をかける時だけは一筋だけ、本当に小さな光だけど目に戻っていたの。
息絶える寸前だと言うのに、彼女は最後まで私を案じていた。
「諦めたら楽になる? ふざけるな、本当に反吐が出る。みんな、諦めたくて諦めるわけじゃない」
あぁ~、もうどうしようもないくらい、腹が立ってきた。
この怒りは制御できない。制御してはならない。
目の前のクルイモノも、あの時恐怖に凍りついて何も出来なかった私自身にも。
「……ナニ?! コノコウゲキハイッタイ? キラレタトコロガ、フサガラナイ!!」
クルイモノって痛覚あるんだ。そんな生物であれば当たり前のことを思いだす。
断末魔と言えるほどのその叫び声は木々を揺らす。
激昂したそれは近くにいたクルイモノを操る。
それも全部もう見切っているけどね。
だって、1つ1つの攻撃が決められたプログラムのように一定の動きしかしないもの。
「ギャァァアアア!!」
「次は、あなたよ。クルイモノの長さん?」
刀の先を眼前に突きつけると、獅子の前で怯える子兎のようにその巨躯を震わせる。
……おかしい。こんなに容易く追い詰められる相手のはずがない。
「なにこれ?」
耳に無数の虫の這いずり回る不快な音が入る。
何だろう、この音は。背中がぞわりとして気持ち悪い。
いった! 足を噛まれたみたい。なにこれ?
蚊に食われたような痒さが集中力を乱してくる。
いら立ちのあまり視線を落とすと、そこには毒々しい紫色の虫が湧いていた。
「そうよね。分かっていたはずよ。すべてが思うがままに行くわけないって」
「……ホントウニ、オマエハユダンモスキモナイニンゲンダナ」
「こっちのセリフよ。まだ隠し玉を持っているなんて――え?」
このタイミングで痺れて体が動かない? 一体何が原因なの?
頭がズキズキ痛むし、吐き気もしてきた。このままじゃ、戦うどころの話じゃない。
「ドクガマワッテイタラ、オイカケルコトナドデキナイダロウ」
焦りながらも余裕を持った声でそう吐きながら、逃げようとするのが目に入る。
絶対にダメだ。それだけは阻止しないと。
きっとこのまま逃がしたら、さっきみたいに無差別に人間を食らうつもりでしょう?
それをただ見ているだけなんて、今の私にはもうできない。
「ナ、ナンダ、コノヒカリハ?!」
このクルイモノによって人々が殺された歴史はもう変えられない。
でも、これから殺されないようにすることはできる。
鼓動が1つ高鳴り、力の点と点が結ばれる。
微細であれ強大であれ、紡がれた力の道筋は清冽な白光へと昇華した。
『大丈夫、あなたならできるわ』
優しい陽だまりのような少女の声に背中を押される。体がふっと軽くなる。
もう、私の中に迷いなどない。
あるのは目の前の敵を完全に屠ること。ただそれのみだ。
「悔いるなら、死んでからにしてちょうだい」
――一振り。
たった一振りだけではあるが、敵を屠るにはそれだけで十分だった。
あの巨躯も、這いずり回る虫たちも目が痛くなるほどの強い眩さにはかなわない。
「終わった? もう、戦わなくていいってこと?」
光が収まり見えた景色はただの通学路。
カラスが鳴き、どこか遠くから子供たちの笑い声がする。
目の前にいたあのクルイモノや、埋め尽くす勢いだった虫たちはもういない。
「まさか、朝話していたことが本当だったなんて、誰も思わないでしょ」
いつの間にか手の中に戻ってきた、汚れ1つない日記帳は相変わらず白いまま。
まるで、さっきまで起こっていたあの凄惨な出来事を夢ではないと告げているみたい。
あれ、なんだか眠気が……。まだ寝ちゃいけないのに。
体が重いし、足はズキズキする。
微睡んでいく思考の中、1つの疑問が浮かぶ。
「結局【レガリアス】って、一体何なの?」
眠気に抗えきれず、海の底に沈むように意識が途切れた。
*
「……め、ゆめ」
「うぅーん、誰? まだ眠たい。もうちょっと寝させて……。」
あと5分だけでいい。いや、本当に5分でいいから。
まだ、この異様にふかふかな布団を堪能したいの。
「そう返したのこれで3回目よ、結芽。はぁ、仕方ない」
あっ、ちょっと人の布団、勝手にとらないでよ。
それと眩しっ。目が潰れるかと思った。
これはさっきまで布団にくるまっていた弊害か……。
「おはよう、結芽。随分とお寝坊さんだったね」
「美緒。……ごめん、起こしてくれてありがとう」
恐る恐る体を起こすと、視線の先にはちょっとむすっとした表情の美緒が仁王立ちで立っていた。
さっきから私を起こしていたのって、美緒だったのね。
……だと思った。彼女ってば、私には遠慮がないもの。
「いいよ、結芽。それよりも起こして早々ごめんだけど、厄介なことになっちゃった」
「厄介なことって?」
そういえば、ここ、どこ?
何も考えずに普通に寝ていたけど、明らかに家のベッドじゃないし、見たこともない内装。
誰かの家って言うよりも、どこかの施設の一角だって言われた方が納得できる。
「美緒、ここって……」
「あー、やっと起きたんだね!!」
そのとき、一人の青年がドアを勢いよく開きながら部屋の中に入ってきた。
「あなた、誰ですか?」
「ごめんごめん。名前も言わないでいきなり手を取っちゃって」
天真爛漫という言葉をそのまま形にしたような青年で、橙色の瞳が子供みたいにきらきらしている。
初めて会うはずなのに、やけに距離がとても近い。
「俺は日佐戸幻。高校に通いながら陰陽師をやっているんだ!」
「陰陽師ですか……」
もしかして、この場所って陰陽師の施設?
どうして病院じゃなくてここに運ばれたのだろう。
美緒に聞いてみようかな。
少なくとも私より事情を知ってそうだし。
「美緒、どうして私ここに連れてこられたの?」
そんなに気まずそうに視線を逸らさないで。
よく見たら汗かいているし、結構よくない状況なの?
隣にいる日佐戸さんとやらも目が泳いでいる。
「聞いて、結芽」
震える声と共に、覚悟を決めたように私の肩を掴む。
いつもおっとりしていて落ち着いている彼女らしくない。
泣きそうな声で、私へ告げる。
「結芽……私たち、これから陰陽師として生きていかなくちゃいけないかもしれない」
「……え?」




