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【連載完結】最強の豪族を味方につけたら、なぜか婚約者に指名されました。  作者: 逆立ちハムスター


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3

 クィンティリアヌス様に連れられて案内されたのは、寝室に隣接する広大な「衣裳部屋」だった。

 扉が開いた瞬間、私はその光景に息を呑んだ。


「これは……」


 そこには王都の最高級店でもお目にかかれないような、目が眩むほど鮮やかな絹やベルベットのドレスが、壁一面に並んでいた。

 金糸の刺繍、零れ落ちそうなほどあしらわれた真珠、そしてこの北方地方特有の、美しくなめらかな毛皮の外套。


「すべて、お前のために用意させた。昨日今日で揃えたものではない。数年前から、いつかお前をこの腕に抱く日のために、領地で最も腕の良い職人たちに命じて作らせていたものだ」


 数年前から。

 その言葉の重みに、心臓がトクンと跳ねる。

 私が王都で王太子との不遇な婚約生活に耐え、泥を啜るような思いで家門を守ろうとしていた間、この方はこの北の大地で、私が着るはずの服を、使うはずの装飾品を、一つひとつ積み上げて待っていたのだ。


「……信じられません。あなたは、私のことを……本当に、そんな昔から……」

「言っただろう。俺の時間は、あの路地裏でお前に救われた時から止まっている。あるいは、お前を手に入れるためにのみ動いてきたのだ」


 クィンティリアヌス様は、棚の奥から一つの小さな木箱を取り出した。

 古びているが、手入れが行き届いたその箱を、彼は愛おしそうに撫でてから私の前に差し出す。


「開けてみろ」


 震える指先で、私はその蓋を持ち上げた。

 中にあったのは、宝石でもなければ、黄金でもなかった。

 それは、酷く色あせ、端がボロボロになった――一本の「桃色のリボン」だった。


「あっ……!」


 私の喉から、小さな悲鳴が漏れた。

 それは間違いなく、十年前、私が幼い日の慈悲で少年に与えたもの。

 当時の私にとっては、ただの髪飾りだった。けれど、今の私にとっては、目の前の「最強の豪族」が抱き続けてきた、狂気にも似た情愛の証左そのものだった。


「ずっと、持っていてくださったのですか? こんな、ただの布切れを……」

「布切れではない。俺にとっては、暗闇に差した唯一の光だった。これを胸に抱いて、俺は戦場を駆け抜け、死の淵から何度も這い上がった。お前に、これ以上みすぼらしい姿を見せぬよう、奪い取れるだけの力を蓄えてな」


 クィンティリアヌス様の手が、私の肩を抱き寄せる。

 リボンを見つめる彼の横顔は、恐ろしいほどに純粋だった。

 世間が彼を「冷酷非情な銀狼」と呼ぼうとも、この瞬間、私の前にいるのは、一途に想いを募らせ続けた一人の男に過ぎなかった。


「……ごめんなさい。私、何も知らなくて……」

「謝るな。お前が謝る必要などどこにもない。……さあ、顔を上げろ。過去の話はここまでだ。今は、今の話をしよう」


 彼はリボンの箱を大切に閉じると、並んでいたドレスの中から、一着の真紅のドレスを選び取った。

 情熱的で、それでいて気高いその色は、今の私の顔色の悪さを補って余りある輝きを放っている。


「これを着ろ。そして、俺の臣下たちの前へ出る。お前が、この城の新しい主であることを知らしめるのだ」

「えっ、もう……ですか!? まだ、心の準備が……」

「案ずるな。俺が隣にいる。お前に石を投げる者がいれば、その腕を斬り落とし、お前を侮辱する者がいれば、その舌を抜く。……お前はただ、俺の愛に甘んじていればいい」


 過激な、けれど彼にとっては「当然の報復」であるかのような宣言。

 私は、彼の圧倒的な庇護欲に呑み込まれそうになりながらも、コクンと頷いた。


────


 着替えを手伝うために呼ばれたのは、グラティアナという名の、物静かながらも芯の強そうな年配の侍女長だった。

 彼女は、クィンティリアヌス様が部屋を出た後、驚くほど手際よく私を「令嬢」へと戻していく。


「……ウェネラ様。あなたは、本当に幸福なお方だ」

「え……?」

「旦那様が、これほどまでにお心を砕かれるのは、後にも先にもあなた様お一人でしょう。旦那様は、この日のために、城の一部をあなた好みに改装し、あなたのお好きな花を庭に植え……まさに、この城をあなたのための『揺りかご』にされたのですから」


 グラティアナの言葉に、私は鏡の中の自分を見つめた。

 着せられた真紅のドレスは、驚くほど私の体に馴染んでいた。

 サイズが、完璧なのだ。

 直接測ったわけでもないのに、なぜ。


「……なぜ、私のサイズが分かるのかしら」

「旦那様は、あなた様の立ち姿、歩き方、すべてをその目に焼き付けておられました。仕立て屋に命じる際も、ミリ単位の誤差さえ許さなかったと聞いております」


 ……少し、背筋が震えた。

 それは愛ゆえの執着。逃げ場のない、完璧な包囲。

 けれど、鏡に映る私は、没落してボロボロだった時よりも、ずっと「生きた」瞳をしていた。


 準備が整い、部屋の扉が開く。

 そこには、待ちわびていたクィンティリアヌス様が立っていた。

 彼は私を見た瞬間、言葉を失った。

 黄金の瞳が大きく見開かれ、喉仏が小さく上下する。


「……ああ……。やはり、思った通りだ」


 彼はゆっくりと歩み寄り、私の手を取った。

 その指先が、わずかに震えているのに気づいて、私は胸が締め付けられる。

 戦場で一騎当千の力を振るう男が、私のドレス姿にこれほどまでに動揺している。


「ウェネラ……。お前は、俺の想像を遥かに超えて美しい。……誰にも見せたくない。今すぐこの扉を閉じて、この部屋に閉じ込めてしまいたい」

「……困ります。皆様に、紹介してくださるのでしょう?」


 私が少しだけ勇気を出して、彼の袖を引くと、彼は観念したように短く息を吐いた。


「わかっている。……だが、覚悟しておけ。一度お前を俺の隣に立たせれば、全土がお前の存在を知ることになる。二度と、王家には戻らせんぞ」

「はい。……最初から、戻る場所なんてありませんもの」


 私は彼の手をギュッと握り返した。

 それは、私なりの「覚悟」だった。

 この最強の男の隣。そこが私の、新しい戦場であり、安息の地なのだ。


 大広間へと続く廊下には、多くの氏族の戦士たちが並んでいた。

 その最前列に、クィンティリアヌス様の側近と思われる、鋭い眼光の男が立っている。


「旦那様。……その御方が?」


 男の名はティベリウス。

 氏族の規律を司る、厳格な武官だ。

 彼は、没落令嬢である私を、値踏みするように見つめる。

 王都の人間なら、ここで鼻で笑い、私を「汚物」のように扱うだろう。

 私は身構えた。


 しかし。

 クィンティリアヌス様が、私の腰を抱き寄せ、低く、威厳に満ちた声で告げた。


「我が氏族の同胞たちよ、聞け。ここにいるウェネラこそが、俺が長年待ち望んだ唯一の伴侶である。彼女への不敬は、俺への反逆と見なす。彼女の涙一滴に対し、俺は敵の血一升で応えるだろう。……挨拶をしろ」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに。

 ティベリウスをはじめとする戦士たちが、一斉に、その場に膝をついた。

 板張りの床が、ドスンと鈍い音を立てる。


「「「「氏族の母、ウェネラ様に、永遠の忠誠を!」」」」


 地響きのような叫び。

 それは、没落した私が、生まれて初めて受けた、心からの「敬意」だった。

 驚きで目を見開く私に、クィンティリアヌス様が耳元で囁く。


「見たか。ここには、お前を蔑む者など一人もいない。……ここは、お前のための王国だ。ウェネラ」


 彼の熱い吐息が耳に触れ、私は顔を赤く染めながら、彼の逞しい腕に寄り添った。

 

 甘い。けれど、あまりに強烈な始まり。私の「生存戦略」は、この日、最強の豪族による「絶対的な守護」という名の、終わりのない溺愛へと形を変えていった。

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