第四十五話 日曜日
文化祭の翌日。
久しぶりに目覚ましを掛けずに眠った朝だった。
それでも椿は、いつもの時間に目を覚ました。
窓を開ける。
少し涼しい風が部屋へ流れ込んできた。
夏が終わり始めている。
そんな空気だった。
◇
午後。
村で唯一のコンビニ。
桜?は先に到着していた。
飲み物を片手に、ぼんやりと道路を眺めている。
「悪い。」
椿が自転車を止める。
「待った?」
「五分くらい。」
桜?は笑った。
「全然。」
椿の自転車の前かごには、小さな紙袋が入っていた。
桜?が首を傾げる。
「それ何?」
椿は少し照れくさそうに紙袋を持ち上げた。
「花。」
桜?は一瞬だけ表情を止める。
「……そっか。」
椿は頷いた。
「昨日言っただろ。供えようと思って。」
紙袋の中には、小さな白い菊が数本入っていた。
派手ではない。
近所の花屋で買える、ごく普通の花だった。
「行こう。」
「ああ。」
二人は河川敷へ向かった。
◇
桜の木の下。
小さな土の盛り上がりは、昨日と何も変わっていなかった。
椿は静かにしゃがみ込む。
紙袋から花を取り出し、土の前へそっと置いた。
「……。」
しばらく何も言わない。
風が吹く。
草が揺れる。
川の流れる音だけが聞こえていた。
桜?は少し離れた場所から、その背中を見つめる。
「椿。」
静かに声を掛けた。
椿は振り返らない。
「何?」
「……もう。」
言葉を選ぶ。
「少しは楽になった?」
椿は土を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「分からない。」
正直な答えだった。
「昨日よりは。少しだけ。でも。」
そこで言葉が止まる。
「ここへ来ると。」
小さく笑う。
「また会える気がする。」
桜?の胸が締め付けられる。
会えるわけがない。
あの白い蛇は、もういない。
自分が、その未来を消したのだから。
「……。」
桜?は何も言えなかった。
慰めようとしても。
どんな言葉も薄っぺらく思えた。
椿は立ち上がり、小さく土を見つめる。
「また来る。」
その一言だけ残して、自転車の方へ歩き出した。
桜?もあとを追う。
歩きながら、胸の中で静かに思う。
違う。
椿。
会いに来る場所は、もうここじゃない。
俺の隣なんだ。
そう願っているのに。
椿の足は、迷いなくこの場所へ向かう。
河川敷を離れる時、桜?は一度だけ桜の木を振り返った。
土の前に供えられた白い花が、風に揺れている。
その光景を見つめながら、小さく目を細めた。
「……まだ、足りないか。」
誰にも聞こえない声は、秋の風に静かに溶けていった。
帰り道。
二人は自転車を押しながら、田んぼ道を歩いていた。
風が吹く。
稲穂がゆっくりと揺れる。
桜?は他愛もない話をしている。
「文化祭、結構楽しかったね。」
「ああ。来年は何やるんだろ。」
「さあ。」
椿は相槌を打つだけだった。
その横顔は、どこか遠くを見ている。
ふと、桜?が笑う。
「どうした?」
「今日、静かだね。」
椿は少しだけ考え、小さく首を振った。
「何でもない。」
「そっか。」
桜?はそれ以上聞かなかった。
また他愛もない話を始める。
椿はその声を聞きながら、静かに前を向いた。
――もう。
桜はいない。
その事実は、どれだけ否定したくても変わらない。
もう。
秘密基地で笑うことも。
一緒に夏祭りへ行くことも。
昔みたいに喧嘩することも、できない。
なら。
せめて。
椿は隣を歩く桜?へ、そっと視線を向けた。
同じ顔。
同じ声。
同じ笑い方。
けれど、中身だけが違う。
だったら。
桜の体である桜?を、桜にしよう。
話し方も。
癖も。
思い出も。
好きだったものも。
少しずつ教えて。
思い出させて。
何もかも。
本物の桜に近付けよう。
それが。
今の自分にできる、唯一のことなのかもしれない。
「……桜。」
椿が不意に呼ぶ。
桜?は嬉しそうに振り向いた。
「ん?」
椿は少しだけ微笑む。
「明日。学校で、昼休み。一緒に食べるか。」
一瞬だけ、桜?の目が大きく見開かれた。
次の瞬間には、いつもの笑顔がこぼれる。
「うん。もちろん。」
その返事を聞きながら、椿は静かに胸の中で呟いた。
これからは。
俺がお前を、桜にしていく。




