第四十三話 残ったもの
昼休憩。
景品班は交代で休憩を取ることになっていた。
「椿、今のうちに見て回ってきなよ。」
班の女子が笑って言う。
「午後からまた忙しくなるし。」
椿は少し考えてから頷いた。
「ああ。」
その様子を見た桜?が立ち上がる。
「俺も行く。」
二人は教室を出た。
廊下にはたくさんの来場者が歩いている。
あちこちから笑い声が聞こえ、焼きそばやクレープの匂いが漂ってきた。
「射的もあるじゃん。」
桜?が笑う。
「夏祭りみたい。」
椿はその言葉に反応しなかった。
ただ静かに歩き続ける。
沈黙が続く。
桜?は何か話題を探すように辺りを見回した。
「あ。」
手芸部の展示だった。
小さな動物のマスコットが並んでいる。
「かわいい。」
そう言いながら近付こうとした時。
椿の足が止まった。
一番端。
そこに、小さな白い蛇のマスコットが置かれていた。
フェルトで作られた、手のひらほどの大きさの白蛇。
黒い丸い目。
少しだけ首を持ち上げた姿。
椿はじっとそれを見つめていた。
桜?は胸の奥がざわつくのを感じた。
「……椿。」
呼び掛ける。
椿は返事をしない。
展示を見ていた部員が近付いてきた。
「よかったら触っても大丈夫ですよ。」
椿は小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます。」
そっと指先で白蛇の頭を撫でた。
ほんの一瞬だけ。
目を閉じる。
「桜に。」
掠れた声が漏れた。
「似てる。」
は何も言えなかった。
昨日。
あの白い蛇はいなくなった。
これでもう椿は自分だけを見る。
そう思っていた。
なのに。
椿はまだ。
白い蛇を探している。
白い蛇を思い出している。
その姿を見た瞬間。
桜?は初めて、自分の計画が思い描いた通りには進んでいないことを知った。
椿の心は、空白になったわけではない。
失った存在で、いっぱいのままだった。
「椿。」
もう一度、小さく呼ぶ。
椿はゆっくり振り向いた。
「……戻ろうか。」
そう言って、小さく笑おうとした。
その笑顔は。
今まで桜?が見たどの笑顔よりも、儚く見えた。
その笑顔を見た桜?は、胸の奥に初めて焦りを覚えた。
このままじゃ駄目だ。
椿はまだ、俺を見ていない。
◇
「ねぇ。」
校舎へ戻る途中。
桜?が足を止めた。
「ちょっと抜け出さない?」
椿が振り返る。
「抜け出す?」
「次のシフトまで、まだ少し時間あるじゃん。」
桜?は苦笑した。
「学校の中にいても、人多いし。」
「少しだけ外の空気吸おうよ。」
椿は少し迷った。
腕時計を見る。
次の持ち場までは、まだ三十分ほどある。
「……少しだけなら。」
桜?は嬉しそうに笑った。
「よし。」
◇
二人は学校を出て、自転車を押しながら河川敷へ向かった。
文化祭の賑わいが遠ざかるにつれ、辺りはいつもの静けさを取り戻していく。
橋を渡り。
土手を下りる。
見慣れた景色。
昨日と違うのは、その場所にもう白い蛇がいないことだけだった。
椿は自然と足を止める。
小さく盛り上がった土。
桜の木の下。
昨日、自分たちで埋めた場所だった。
しばらく誰も口を開かなかった。
風が葉を揺らす音だけが聞こえる。
すると、桜?がゆっくりとポケットへ手を入れた。
「これ。」
取り出したのは、小さな白い蛇のフェルトのマスコットだった。
文化祭の展示で椿が見つめていたもの。
休憩へ戻る前、手芸部の部員に事情を話し、譲ってもらったものだった。
「……。」
椿は目を見開く。
桜?は土の前へしゃがみ込み、そのフェルトの白い蛇をそっと置いた。
「何もないの、寂しいかなって。」
静かな声だった。
「花はすぐ枯れちゃうし。これなら。」
白い蛇を見つめて、小さく笑う。
「少しは賑やかになるかな。」
椿は何も言えなかった。
ゆっくりとしゃがみ込み、フェルトの白い蛇を手に取る。
指先でそっと撫でる。
「……似てる。」
ぽつりと漏らした。
「昨日、展示で見た時も思った。」
その声は震えていた。
桜?は優しく微笑む。
「だから。椿が見てたから、もらってきた。」
椿は驚いたように顔を上げる。
「もらってきた?」
「うん。」
桜?は照れくさそうに頭を掻く。
「事情を話したら、『大事にしてくれるなら』って譲ってくれた。」
椿はもう一度フェルトを見つめる。
しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……ありがとう。」
その一言を聞いた桜?は、胸の奥で静かに息をついた。
椿が初めて、自分へ向けてくれた感謝の言葉。
それは嬉しかった。
けれど。
椿が大切そうに抱えているのは、自分ではない。
フェルトの白い蛇だった。
桜?はその光景を見つめながら、笑顔の奥で小さく願う。
いつか。
その「ありがとう」が、この蛇じゃなく、俺自身へ向く日が来ますように。




