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第四十二話 空いた場所

 椿と別れたあと。

 桜?は一人、夜道を歩いていた。

 街灯が等間隔に並ぶ道。

 その足取りは、昼間までと変わらない。

 ふと立ち止まり、河川敷のある方角を振り返る。

「……これで。」

 小さく呟く。

「これで、俺だけを見てくれるかな。」

 静かな夜だった。

 返事をする者はいない。

 桜?は目を閉じる。

 数時間前の光景が浮かぶ。

文化祭に準備中、トイレに籠り目を瞑る。

 草むらの奥。

 怯える白い蛇。

 逃げようとしても、自分の力に逆らえず、少しずつ猫のいる方へ身体を向けてしまう白い身体。

「ごめんね。」

 その時も、桜?は笑っていた。

「でも。君がいると。椿は君ばっかり見ちゃうから。」

 白い蛇は必死にもがいていた。

 それでも抗えなかった。

 そして。

 視界が途切れた。

 桜?はトイレから何食わぬ顔で出た。

 それで終わりだった。

「……。」

 目を開く。

 表情は穏やかだった。

「俺が悪いのかな。」

 少しだけ考える。

 すぐに首を横へ振った。

「違う。椿が笑えるなら。椿が俺を見てくれるなら。これが一番いい。」

 そう信じている。

 今日、椿は泣いた。

 あんな椿を見るのは苦しかった。

 けれど。

 それも今日だけだ。

 明日からは。

 自分が隣にいて。

 慰めて。

 支えて。

 少しずつ笑わせればいい。

 そうすれば。

 椿はもう河川敷へ通わない。

 白い蛇へ話しかけない。

 空いたその場所には、自分がいる。

「……大丈夫。」

 小さく笑う。

「俺がいるから。」

 その言葉は、椿へ向けたものだったのか。

 それとも、自分自身へ言い聞かせたものだったのか。

 桜?自身にも、もう分からなくなっていた。

 ただ一つだけ確かなのは。

 椿の世界から、また一つ「桜」が消えたこと。

 そして、その空白を埋められるのは、自分しかいないと信じて疑わなかったことだった。

◇

 文化祭当日の朝。

 校門には色とりどりの装飾が飾られ、生徒たちの笑い声が響いていた。

「おはよう!」

「準備間に合った?」

「今日楽しもうぜ!」

 学校全体がお祭りの空気に包まれている。

 その中で。

 椿だけが静かだった。

 「椿。」

 教室へ入ると、桜?がすぐに声を掛けた。

「……おはよう。」

 返ってきた声は小さい。

 目も少し赤かった。

 昨日、あまり眠れなかったのだろう。

 桜?は胸の奥で静かに思う。

 ――大丈夫。

 ――ここからだ。

 そっと椿の隣へ歩み寄る。

「昨日は……。」

 一度言葉を切る。

「辛かったよね。」

 椿は少しだけ俯いた。

「ああ。」

 短い返事。

 それだけだった。

 桜?はそれ以上踏み込まない。

 今は慰めるより、隣にいる方がいい。

 そう判断した。

     ◇

 文化祭が始まる。

 一般のお客さんが次々と校舎へ入ってくる。

 景品班の椿たちも持ち場へ向かった。

「いらっしゃいませ!一回百円です!」

 クラスメイトが元気よく呼び込みをする。

 椿も持ち場には立っている。

 仕事もきちんとこなす。

 笑顔も作る。

 けれど。

 その笑顔はどこかぎこちなかった。

 「椿。」

 桜?が小さく声を掛ける。

「無理して笑わなくてもいいよ。」

 椿は首を横に振る。

「……大丈夫。今日は文化祭だから。」

 そう言って、またお客さんへ向き直る。

 その横顔を見ながら、桜?は小さく息を吐いた。

 思っていたより。

 ずっと深い。

 白い蛇はただの蛇じゃなかった。

 椿にとっては、本当に桜だった。

 その存在を失った穴は、一晩では埋まらない。

 それでも。

 焦る必要はない。

 今日。

 明日。

 その次の日も。

 椿の隣にい続ければいい。

 河川敷へ行く理由は、もうなくなった。

 残るのは、自分だけ。

 桜?はそう信じて、そっと椿の隣へ立った。

 「これ。」

 休憩時間。

 自動販売機で買った温かいミルクティーを椿へ差し出す。

「……ありがとう。」

 椿は受け取る。

 缶の温もりを見つめながら、小さく呟いた。

「昨日も。寒かったな。」

 その一言で。

 桜?の表情がわずかに止まる。

 椿の心は、まだ昨日の河川敷に置き去りのままだった。

 そして桜?は気付く。

 白い蛇は消せても。

 椿の記憶までは、消せない。

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