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第三十八話 放課後の空

 河川敷をあとにし、二人は静かな田んぼ道を歩いていた。

 空は少しずつ茜色から群青色へ変わっていく。

 しばらく無言で歩いていると、不意に桜?が口を開いた。

「ねぇ。」

 椿は前を向いたまま返事をする。

「何。」

 桜?は少し笑ってから言った。

「俺ってさ。」

 一拍置く。

「変わったかな。」

 椿は足を止めた。

 静かな風が吹き抜ける。

「……何でそう思う。」

 桜?は照れくさそうに頭を掻いた。

「いや。なんとなく。昔より。椿といる時間、多い気がして。」

 椿は数秒黙っていた。

 やがて静かに答える。

「変わったんじゃない。」

 桜?が椿を見る。

「最初からだ。」

「……え?」

 椿は真っ直ぐ桜?を見つめた。

「お前は。」

 静かな声だった。

「最初から桜じゃない。」

 その一言で。

 桜?の笑顔が消える。

 椿は続ける。

「だから。本物の桜と比べて変わったなんて思わない。比べる相手が違う。」

 桜?は目を伏せ、小さく笑った。

「……そっか。」

 その返事には力がなかった。

 分かっていたことだ。

 何度も言われてきたことだ。

 それでも。

 改めて言葉にされると、胸の奥が少しだけ痛んだ。

「でも。」

 椿がぽつりと続ける。

 桜?は顔を上げる。

「お前自身は。」

 一瞬だけ言葉を探す。

「少し変わった気がする。」

 「え?」

「前より。」

 椿は視線を前へ戻した。

「俺のことを見てる。それだけだ。」

 その言葉に、桜?は何も返せなかった。

 図星だった。

 昔の桜を演じようとしていたはずなのに。

 いつの間にか。

 "桜を演じること"よりも、椿を見ている時間の方が長くなっていた。

 その事実だけが、静かな夕暮れの中で胸に重く残った。

 その日の夜。

 虫の声だけが響く静かな部屋。

 桜?はベッドへ仰向けに寝転び、ぼんやりと天井を見つめていた。

「……俺自身。」

 椿の言葉が頭から離れない。

 ――お前自身は、少し変わった気がする。

 変わった。

 その通りだった。

 最初は違った。

 椿に近付くため。

 椿の隣にいるため。

 そのためだけに桜を演じていた。

 歩き方も。

 笑い方も。

 口癖も。

 左足から歩き始める癖も。

 困った時に目尻が下がる笑い方も。

 全部覚えた。

 全部真似した。

「……なのに。」

 小さく呟く。

 最近は。

 椿が笑うと嬉しい。

 椿が落ち込むと苦しい。

 椿が誰かと話していると、少しだけ胸がざわつく。

 それは。

 桜を演じるために必要な感情ではない。

 もっと別のものだった。

 桜?はゆっくりと身体を起こす。

 机の上には、文化祭のプリントが置いてある。

「文化祭か。」

 小さく笑う。

「椿と回れるかな。」

 そう呟いたあと、自分で首を振った。

「違う。」

 回れるかな、じゃない。

 回りたい。

 その言葉が浮かんだ瞬間、自分でも驚いた。

「……俺。」

 思わず笑ってしまう。

「本当に変わったんだ。」

 静かな部屋に、その笑い声だけが響いた。

     ◇

 一方、その頃。

 椿も自室の机に向かっていた。

 教科書を開いていても、なかなか内容が頭へ入らない。

 今日の会話を思い返していた。

 ――俺ってさ。

 ――変わったかな。

「……。」

 椿はシャーペンを置いた。

 目の前の桜?は。

 確かに、桜ではない。

 それは絶対に変わらない。

 でも。

 最初に会った頃の桜?とも、少し違う。

 あの頃は。

 桜を真似ることだけに必死だった。

 今は違う。

 時々。

 桜ではない誰かが、言葉の隙間から顔を覗かせる。

「……お前は。」

 誰に向けるでもなく呟く。

「何者なんだ。」

 答えは返ってこない。

 窓の外では、秋が近付いた夜風が木々を静かに揺らしていた。

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