第三十六話 一日だけ
翌日。
昼休みのチャイムが鳴る。
教室が一気に賑やかになった。
「腹減ったー!」
「購買行くやついる?」
そんな声が飛び交う中、椿は弁当を持って立ち上がる。
「椿。」
後ろから桜?が声を掛けた。
椿が振り返ると、桜?は少しだけぎこちない笑顔を浮かべていた。
「今日だったね。」
「ああ。」
「約束。」
椿は頷く。
「悪い。」
「ううん。」
桜?は首を横に振る。
「楽しんできて。」
その笑顔は自然だった。
椿も安心したように頷く。
「また放課後。」
「うん。」
二人はそれぞれ別の方向へ歩き出した。
◇
椿は別のクラスメイト三人と中庭のベンチで弁当を広げていた。
「椿、最近放課後何してんの?」
「毎日桜と帰ってるよな。」
「そうそう。」
椿は少し考えてから答える。
「ちょっと用事。」
「何それ。」
「秘密?」
「まあ。」
曖昧に笑ってごまかす。
河川敷のことは話せない。
白い蛇のことも。
話せばきっと信じてもらえない。
四人で他愛もない話をしていると、不意に一人が言った。
「あれ。」
「桜じゃね?」
椿が顔を上げる。
少し離れた木陰。
桜?も別のグループと輪になって弁当を食べていた。
何か面白いことを言ったのか、周りの友達が一斉に笑う。
その中心で、桜?もいつものように笑っていた。
「相変わらず人気者だな。」
「だよな。」
クラスメイトが笑う。
椿も小さく頷いた。
「ああ。」
あれが桜だ。
誰とでも仲良くなれる。
自然と輪の中心にいる。
その姿だけを見れば、何も変わっていない。
◇
一方、その頃。
桜?も友達と楽しそうに話していた。
「そういえばさ!」
「昨日ゲームでさー。」
話題を振れば、周囲は笑う。
記憶の中の桜と同じように振る舞うことは、もう難しくなかった。
誰も疑わない。
誰も気付かない。
それでも。
笑いながら、ふと視線が中庭へ向く。
椿が笑っている。
友達と話している。
その姿を見た瞬間。
胸の奥が少しだけざわついた。
「桜?」
隣の男子が不思議そうに声を掛ける。
「ん?」
「どうした?」
桜?はすぐに笑顔へ戻る。
「いや。」
「何でもない。」
そう答えて会話へ戻る。
ちゃんと笑える。
ちゃんと話せる。
ちゃんと桜?でいられる。
それなのに。
意識だけは、何度も椿の方へ向いてしまう。
――あと少し。
あと少しで昼休みが終わる。
そうすれば、また放課後に椿と会える。
そのことを考えるたび、胸のざわつきは少しだけ静かになっていった。
◇
五時間目。
数学。
教師が黒板へ数式を書いていく。
「この問題は――」
教室中にチョークの音だけが響いていた。
椿はノートへ式を書き写す。
ふと前を見る。
桜?はいつものように授業を受けていた。
分からない問題があると隣の席の男子と小声で話し、教師に軽く注意されて笑っている。
その光景は、ごく普通だった。
椿は視線をノートへ戻す。
「……。」
昼休み。
ちゃんと別の友達と過ごしていた。
それでよかった。
桜は元々そういうやつだった。
誰か一人だけとずっと一緒にいる人間じゃない。
そう思うと、胸の中の小さな違和感が少しだけ薄れた気がした。
◇
一方。
桜?も授業を受けながら、窓の外へ目を向ける。
夏の終わりの空。
少しだけ高くなった雲。
「桜。」
教師に名前を呼ばれる。
「はい。」
「次、この問題。」
「あ、はい。」
すらすらと答える。
「正解。」
「さすが。」
教室から小さな拍手が起こる。
桜?は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます。」
その笑顔も。
受け答えも。
何一つ違和感はない。
クラスの誰一人として、目の前の桜?が別人だとは思わない。
◇
放課後。
終礼が終わる。
「じゃあなー!」
「また明日!」
教室が一気に騒がしくなる。
椿は鞄を持って立ち上がった。
その時。
「椿!」
桜?がいつもの調子で駆け寄ってくる。
「行こ!」
その一言を聞いた瞬間。
椿は心のどこかで、少しだけ安心している自分に気付いた。
昼休みは別々だった。
でも放課後は、いつも通り。
それが今の日常になっている。
「今日はコンビニ寄る?」
桜?が尋ねる。
「ああ。」
「飲み物だけ。」
「俺、アイス食べよ。」
椿は小さく笑う。
「また腹壊すぞ。」
「今日は大丈夫!」
「その台詞、この前も聞いた。」
「今日は本当に!」
二人は他愛ない話をしながら昇降口へ向かう。
その姿を見送っていたクラスメイトが、笑いながら言った。
「やっぱあの二人、放課後はセットだよな。」
「昔からだもんな。」
「親友って感じ。」
誰も違和感を抱かない。
誰も疑わない。
椿だけが。
隣を歩く親友を見ながら、胸の奥に残る小さな違和感を、まだ捨てきれずにいた。
そして桜?もまた。
昼休みに一度離れたことで、改めて気付いていた。
自分は放課後を待ち遠しいと思っている。
椿と一緒に歩く、この時間を。
誰よりも楽しみにしてしまっていることを。




