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第三十四話 曖昧な記憶

河川敷からの帰り道。

 二人は自転車を押しながら歩いていた。

「椿!」

 突然、桜?が明るい声を上げる。

「ん?」

「宿題写させてー!」

 椿は思わず立ち止まる。

「自由研究系はやったんだけどさ。」

 桜?は両手を合わせて笑う。

「ドリルが終わってなくて。頼む!今日だけ!」

 椿はじっと桜?を見つめる。

「……珍しいな。」

「何が?」

「お前。」

「夏休みの宿題、毎年最初の一週間で終わらせてただろ。」

 桜?は「あっ」と小さく声を漏らした。

 ほんの一瞬だけ。

 しまった、という表情が浮かぶ。

 だが、すぐにいつもの笑顔へ戻った。

「あー……。」

 頭を掻きながら苦笑する。

「今年はさ。祭りとか。いろいろあったじゃん。」

 椿は何も言わない。

 確かに、祭りはあった。

 でも、それだけで桜が宿題を後回しにするとは思えない。

「……一日だけだぞ。」

 椿はため息をつく。

「やった!」

 桜?は嬉しそうに笑った。

「ありがとう!」

「ただし。」

 椿が付け加える。

「丸写しは禁止。ちゃんと考えて書け。」

「えぇー。」

 桜?が大げさに肩を落とす。

「そこを何とか。」

「駄目。」

「厳しいなぁ。」

「当たり前だ。」

 二人は思わず笑った。

 その笑い声は、昔と何も変わらなかった。

 けれど椿の胸には、小さな違和感だけが静かに残っていた。

 桜は、宿題を写させてなんて言うやつだっただろうか。

 思い返そうとしても。

 答えは、どうしても思い出せなかった。

桜?は突然吹き出した。

「ふふっ。」

 椿が不思議そうに見る。

「何だよ。」

 桜?は笑いを堪えながら肩を揺らした。

「今だから言っちゃうけどさ。」

「何。」

「桜は実際は最終日に徹夜で終わらせてたからねー。」

 椿の動きが止まる。

「……は?」

 桜?は得意げに笑う。

「一週間で終わらせてたっていうのは嘘!」

 人差し指を立てる。

「これはホントのことだからねー。」

 椿はしばらく黙っていた。

 そして、小さく首を傾げる。

「いや。」

「何?」

「それ、本当か?」

桜?は胸を張る。

「本当本当。」

「毎年、最終日に泣きそうになりながらやってた。椿にはバレてないと思ってたけど。」

椿はじっと桜?を見つめたあと、小さく笑った。

「……そういえば。」

記憶を辿る。

「夏休みの最後の日。毎年、電話しても出ない日があったな。」

桜?は「あっ」と笑う。

「それそれ!宿題してた!終わったあと、何事もなかった顔してたけど。」

椿は呆れたようにため息をつく。

「真面目だと思ってた。」

「違う違う。」

 桜?は照れ笑いを浮かべる。

「追い込まれないとやれないタイプ。」

そう言って笑う姿は、どこか本当に桜らしかった。

椿も思わず笑ってしまう。

「……馬鹿だな。」

「でしょ?」

桜?は嬉しそうに笑った。

その笑顔を見ながら椿は思う。

今の話は、本当なのかもしれない。

記憶を利用しているだけなのか。

それとも、本当に桜だけが知っている秘密だったのか。

もう椿には、その境界すら分からなくなり始めていた。

「でもさ。」

 桜?は笑いながら続ける。

「俺、よく隠し通したよね。」

 椿は苦笑した。

「隠せてない。」

「え?」

「毎年、夏休み明けだけ異常に眠そうだった。」

 桜?は目を丸くする。

「……マジ?」

「ああ。」

「一時間目なんて、ほぼ寝てた。」

「あー……。」

 頭を抱える。

「バレてたのかぁ。」

「先生には。」

「バレてたな。」

「うわぁ……。」

 桜?は恥ずかしそうに笑う。

「知らなかった。」

 二人は顔を見合わせる。

 そして、同時に吹き出した。

「はははっ。」

 ほんの一瞬。

 あの事件など存在しなかった頃のような笑い声が、夕暮れの道へ溶けていく。

 笑いが落ち着くと、桜?はふと呟いた。

「椿ってさ。」

「何。」

「本当に俺のこと見てたんだね。」

 椿は少しだけ照れくさそうに前を向く。

「……当たり前だ。親友なんだから。」

 その一言に、桜?は返事をしなかった。

 ただ、小さく微笑んでいる。

 その笑みはどこか寂しかった。

「ねぇ。」

 少し歩いてから、桜?がまた口を開く。

「もし。」

「何だ。」

「もしさ。」

 言葉を選ぶように少し間を置く。

「俺が全部正直に話してたら。」

 椿は眉をひそめる。

「宿題を最終日にやってたことも。学校で眠かったことも。見栄張ってたことも。」

 桜?は笑う。

「そういう格好悪いところ全部知ってても。椿は親友でいてくれた?」

 椿は即座に答えた。

「ああ。」

 迷いはなかった。

「そんなことで変わるわけない。」

 桜?は立ち止まる。

「……そっか。」

 その返事は、小さかった。

 椿は不思議そうに振り返る。

「どうした。」

「ううん。」

 桜?はいつもの笑顔を作る。

「何でもない。」

 また歩き出す。

 けれど、その胸の中では、椿の言葉が何度も繰り返されていた。

 ――そんなことで変わるわけない。

 「……じゃあ。」

 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。

 「何なら、変わるのかな。」

 その問いに答える者はいなかった。

 夕焼けは少しずつ藍色へ変わり始め、二人の影だけが静かに長く伸びていた。

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