第三十三話 帰り道
花火が終わると、人の流れが一斉に動き始めた。
「終わっちゃったね。」
桜?が少し名残惜しそうに夜空を見上げる。
煙だけがゆっくりと空へ溶けていく。
椿はケースを抱え直した。
「帰ろう。」
「うん。」
二人は人混みに紛れながら神社をあとにした。
屋台の明かりも、一軒、また一軒と消え始めている。
◇
帰り道。
虫の声だけが聞こえる静かな田んぼ道を、自転車を押しながら歩いていた。
ケースの中では白い蛇が静かに丸くなっている。
「今日は楽しかった?」
不意に桜?が尋ねた。
椿は少し考えたあと、小さく頷く。
「ああ。桜も。」
ケースへ目を向ける。
「楽しそうだった。」
桜?はその横顔を見つめる。
「……そっか。」
それだけ答えて、少し笑った。
しばらく沈黙が続く。
やがて。
桜?は前を向いたまま、小さく口を開いた。
「ねぇ。」
「何。」
「今日さ。」
少し照れくさそうに笑う。
「俺も楽しかった。」
椿は何も言わない。
「三人で祭り行けて。射的やって。花火見て。」
「……。」
「すごく。」
嬉しそうに笑う。
「いい思い出になった。」
椿はゆっくりと歩みを止めた。
「俺も。」
静かに答える。
「いい思い出になった。」
その返事に、桜?の顔が明るくなる。
思わず椿の方を向く。
「ほんと?」
「ああ。」
椿はケースを見つめながら続けた。
「桜と。また一つ思い出が増えた。」
桜?の笑顔が固まる。
椿の視線は。
自分ではなく。
ケースの中の白い蛇へ向いていた。
「……。」
胸の奥が、じくりと痛む。
今夜の思い出も。
椿の中では。
白い蛇と作った思い出なのだ。
自分は。
その隣にいただけ。
その事実が、思っていた以上に苦しかった。
「……そっか。」
精一杯笑って答える。
「よかった。」
椿はその苦しさに気付かない。
ただ、ケースへ向かって静かに微笑んでいた。
◇
河川敷へ着く。
椿はケースの蓋を開け、白い蛇が自分で出てくるのを待った。
白い蛇はゆっくりと外へ這い出る。
隠れ家の前まで行くと、一度だけ振り返った。
「また明日。」
椿が優しく声を掛ける。
「おやすみ。」
白い蛇は静かに隠れ家の中へ消えていった。
その姿が見えなくなるまで、椿はその場を動かなかった。
「帰ろ。」
桜?が声を掛ける。
「ああ。」
二人は河川敷をあとにする。
誰もいなくなった隠れ家の前。
暗闇の中から、白い蛇がもう一度だけ顔を出した。
遠ざかる二人の背中を、じっと見つめる。
届かない。
声も。
想いも。
それでも。
その黒い瞳だけは、最後まで俺を追い続けていた。
◇
夏祭りから三日が過ぎた。
河川敷へ通うことは、すっかり日課になっていた。
放課後。
学校。
コンビニ。
河川敷。
隠れ家。
そして帰宅。
何も変わらない毎日。
……そう思っていた。
◇
「桜。」
椿は隠れ家の前へしゃがみ込む。
「今日も来た。」
少し待つ。
すると、白い蛇はいつものようにゆっくり姿を現した。
「よかった。」
椿は安堵したように笑う。
「元気そうだな。」
白い蛇は椿の靴の近くまで這ってくる。
その様子を見て、桜?が少し驚いたように言った。
「もう完全に懐いてるね。」
「ああ。」
椿は静かに頷く。
「最初より近くまで来るようになった。」
「椿のこと分かるんだろうね。」
その言葉に、椿は少しだけ嬉しそうに笑った。
「……だったらいい。」
桜?はその笑顔を見て、何も言わなかった。
◇
その日も、三人で他愛もない時間を過ごした。
椿は学校であった出来事を話す。
先生に当てられたこと。
数学の小テスト。
購買のパンが売り切れていたこと。
白い蛇は静かに聞いている。
もちろん返事はない。
それでも椿は、まるで返事が聞こえているかのように話し続けた。
桜?は、その光景を少し離れた場所から眺めていた。
椿は。
本当に桜へ話している。
その姿は微笑ましくもあり、少しだけ羨ましくもあった。
◇
「そういえば。」
桜?が石の上へ腰掛けながら口を開く。
「もうすぐ夏休み終わるね。」
「ああ。」
「早かったなぁ。」
椿も頷く。
「宿題終わった?」
「半分くらい。」
「珍しい。」
椿が少し笑う。
「お前なら、とっくに終わってると思った。」
「いやー。」
桜?は照れくさそうに笑う。
「今年はちょっと。」
「忙しくて。」
その言葉に、椿は違和感を覚えた。
「……忙しい?」
「うん。」
桜?は何気なく答える。
「いろいろ。」
それ以上は話さなかった。
椿も深くは聞かなかった。
けれど。
その「いろいろ」という言葉だけが、胸のどこかに引っ掛かった。
桜は昔から、こういう曖昧な言い方をしない。
忙しいなら、何で忙しいのかまで話す。
隠し事が苦手なやつだった。
「……。」
椿は黙って白い蛇を見る。
白い蛇もまた、じっと桜?を見つめていた。
ほんの一瞬。
二匹の蛇が見えない糸で繋がっているような、不思議な感覚が椿の胸をよぎる。
けれど、その正体までは分からない。
「帰ろっか。」
桜?が立ち上がる。
「ああ。」
椿もゆっくりと腰を上げた。
その日も、いつも通り河川敷をあとにする。
――ただ一つ。
椿の中には、小さな違和感がまた一つ積み重なっていた。
それはまだ、誰にも気付かれないほど小さなものだった。




