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第三十二話 花火の前

 百合と別れたあと。

 二人はしばらく黙って屋台を歩いた。

 提灯の灯りが少しずつ明るさを増していく。

 辺りには笑い声が絶えない。

「……射的。」

 桜?が小さく指を差した。

「行く?」

 椿はケースの中の白い蛇を見る。

 白い蛇は落ち着いた様子で丸くなっていた。

「少しだけ。」

「やった。」

 桜?は子どものように笑った。

     ◇

「一回五百円でーす。」

 店主からコルク銃を受け取る。

 桜?は真剣な顔で景品を狙った。

「今年こそ……!」

 引き金を引く。

 ――パンッ。

 コルクは景品の少し手前へ落ちた。

「あっ……!」

 二発目。

 三発目。

 結局、一つも倒れない。

 店主が苦笑する。

「惜しかったねぇ。」

 桜?は肩を落とした。

「また駄目だった……。」

 椿は思わず笑ってしまう。

「だから言っただろ。運じゃない。腕だ。」

「うるさい!」

 桜?が頬を膨らませる。

「椿やってみろ!」

「いい。」

「逃げた!」

「逃げてない。」

「じゃあやって!」

「……。」

 椿はため息をつきながら財布を取り出した。

「一回だけ。」

「それ!」

 桜?は嬉しそうにコルク銃を渡す。

 椿は狙いを定める。

 呼吸を止め。

 静かに引き金を引いた。

 ――パンッ。

 景品が揺れる。

 もう一発。

 ――コトン。

 小さな木彫りの蛇の置物が前へ倒れた。

「おっ。」

 店主が笑う。

「兄ちゃん上手いね。」

 景品を受け取ると、椿は迷わずケースの前へ持っていった。

「桜。」

 ケース越しに木彫りの蛇を見せる。

「土産。」

 白い蛇は黒い瞳でじっと見つめる。

 椿はその反応だけで満足そうに笑った。

 その横で、桜?は少しだけ目を細める。

「椿。」

「ん?」

「それ。」

 木彫りの蛇を指差す。

「部屋に飾るんじゃないんだ。」

 椿は首を横に振る。

「桜のだから。」

 その一言だけだった。

 桜?は何も返せない。

 笑顔は崩さなかった。

 けれど、その胸の奥では小さな痛みが広がっていく。

 また、桜。

 何を見ても、何をしても。

 椿が最初に思い浮かべるのは桜なんだ。

     ◇

 空がすっかり暗くなった頃。

 境内にアナウンスが流れる。

『まもなく花火を打ち上げます。危険ですので、係員の指示に従ってご覧ください。』

 人々が一斉に空の開けた場所へ集まり始める。

「花火だ。」

 桜?が空を見上げる。

 椿もケースを抱え直した。

「少し見やすい場所、探そう。」

「うん。」

 二人は人混みを避けるように歩き始める。

 ケースの中では、白い蛇もゆっくりと顔を上げ、夜空を見つめていた。

 まもなく始まる花火を。

 三人それぞれ、まったく違う想いで待ちながら。

 神社から少し離れた土手。

 人混みも少なく、川風が心地よく吹いていた。

「ここなら見えそう。」

 桜?が芝生へ腰を下ろす。

 椿もその隣へ座り、ケースを二人の間へそっと置いた。

「大丈夫か。」

 ケースの中を覗き込む。

 白い蛇はゆっくりと頭を持ち上げ、椿を見たあと、夜空へ視線を向けた。

 椿は安心したように笑う。

「もうすぐ始まる。」

 その時だった。

 ――ヒュウゥゥ……

 夜空へ一本の光が昇っていく。

 次の瞬間。

 ――ドォン!!

 大きな音とともに、赤い花火が夜空いっぱいに咲いた。

「おぉ……。」

 桜?が思わず声を漏らす。

 赤。

 青。

 金。

 次々と色鮮やかな花火が夜空を彩る。

 椿はケースへ目を向けた。

「桜。」

 小さく笑う。

「綺麗だな。」

 白い蛇は静かに夜空を見つめていた。

 椿には、その姿が花火に見入っているように見えた。

 桜?はそんな椿の横顔を見つめる。

 椿は一度も、自分へ「綺麗だな」とは言わない。

 その言葉は全部、ケースの中の白い蛇へ向けられている。

 それでも。

 その横顔は幸せそうだった。

「……よかった。」

 誰にも聞こえないほど小さく呟く。

「椿が笑ってる。」

 その瞬間。

 椿が振り返った。

「何か言ったか?」

 桜?は少し驚き、それから笑って首を振る。

「ううん。」

「花火見てた。」

「そうか。」

 椿は再び夜空を見上げる。

 また一つ。

 大輪の花火が夜空に咲いた。

 その光が三人を照らす。

 ケース越しに映る椿の笑顔。

 夜空を見上げる白い蛇。

 そして、その二人を見つめる桜?。

 ふと、桜?は思う。

 もし。

 今日がずっと続けばいいのに。

 花火も終わらず。

 祭りも終わらず。

 椿が笑っていて。

 自分が隣にいる、この時間が。

 永遠になればいいのに。

 そんな願いを抱いた直後だった。

 最後の大きな花火が夜空へ打ち上がる。

 ――ドォォン!!

 村中に響く音。

 夜空いっぱいに広がる光。

 椿は静かに呟いた。

「来年は。」

 ケースを見つめる。

「ちゃんと人間の姿で見ような。」

 桜?の笑顔が、一瞬だけ止まった。

 その言葉は。

 どこまでも優しく。

 どこまでも残酷だった。

 椿の「来年」の隣にいるのは。

 最初から最後まで。

 本物の桜だけなのだから。

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