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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第8話 第一接触

赤い非常灯が、壊れた呼吸のように点滅していた。

 天井の鉄骨に張りついた小さな影が、ぎちりと音を立てる。

 子どもの背丈。

 細い四肢。

 裂けた口元。

 血に濡れた歯。

 それが一体ではない。

 通路の奥。

 配管の影。

 壁の上。

 複数の目が、赤い光の中でこちらを見ていた。

 南條の命令で、先行特務班の五人はすでに血装を展開している。

 DARKNESS。

 FANG。

 SHADE。

 GRAVE。

 CHAIN。

 五つの血装が並んだ瞬間、通常戦闘員たちの空気が少しだけ戻った。

 恐怖が消えたわけではない。

 ただ、前に立つ者がいる。

 それだけで、兵たちは呼吸を思い出す。

 最初に動いたのは、天井の影だった。

 赤い光が一度消える。

 次に点いた時、影はもう落ちていた。

「下がれ!」

 一真の声が響く。

 一真が前へ出た。

 速い。

 啓介のような重い踏み込みではない。

 獲物を逃がさないための、鋭く短い踏み込みだった。

 牙を思わせる腕部装甲が、飛びかかってきた異形の進路を断つ。

 金属と肉がぶつかる鈍い音。

 異形の身体が横へ弾かれ、壁に叩きつけられた。

「通常兵は下がれ! こいつら、動きが違う!」

 第一班の兵たちが一斉に後退する。

 だが遅れた一人へ、別の影が低く跳んだ。

 啓介が動いた。

 黒い外殻が赤い非常灯を吸い込む。

 踏み込みは一歩。

 拳ではなく、掌で異形の胸を押さえ込む。

 壁へ叩きつける。

 潰すことはできた。

 だが、啓介の腕はそこで止まった。

 小さい。

 異形の身体は、明らかに子どもの大きさだった。

 裂けた口元の下。

 汚れた首元に、細いタグがぶら下がっている。

 番号。

 年齢。

 適合経過。

 啓介の目が、そこに止まる。

「啓介!」

 一真が叫ぶ。

 横から別の異形が飛びかかる。

 一真が割って入り、鋭い蹴りでそれを弾き飛ばした。

「止まるな!」

 啓介は一瞬遅れて、押さえていた異形の腕をひねる。

 殺さず、床へ伏せさせる。

 だが異形は痛みに反応しなかった。

 関節が鳴っても、なお口を開き、啓介の腕に噛みつこうとする。

 相良が冷たく言った。

「回収は困難」

 相良の鎖状兵装が伸びる。

 床を滑るように走った拘束具が、異形の首と腕に巻きついた。

 金属音。

 拘束。

 異形の身体が床へ縫い止められる。

 相良は生体反応を確認する。

「暴走進行率、高値。意識反応、不明瞭」

 一真が低く言う。

「まだ分かんねえだろ」

「分からないまま放置すれば、次に死ぬのは味方よ」

 相良は啓介の方を見た。

「処理する」

 啓介は答えなかった。

 その沈黙を破るように、奥の通路からさらに影が走る。

     ◇

 通路は一気に戦場になった。

 通常戦闘員たちの銃声が響く。

 だが異形は速い。

 床を走らない。

 壁を蹴り、天井を這い、赤い非常灯の点滅に紛れて位置を変える。

 弾が当たっても、止まりきらない。

 血を撒きながら跳ぶ。

 腕が折れても、足を引きずっても、口だけは獲物を探して開いている。

 鬼塚が前へ出た。

 重装が、通路の幅を半分塞ぐ。

 その背後へ通常戦闘員が退く。

「後ろに行け! ここは俺が持つ!」

 異形が三体、同時に飛びかかった。

 鬼塚は避けない。

 厚い腕部装甲で一体を受け、肩で二体目を弾き、三体目を壁へ叩きつける。

 衝撃で壁材が割れた。

「軽いんだよ!」

 鬼塚が吼える。

 大きな拳が異形を床へ叩き落とす。

 重い音。

 だが、その顔は怒っていた。

 勝っている顔ではない。

 目の前にいるものが何なのかを理解し始めた男の顔だった。

「こんなもん作るために……」

 鬼塚の声が低くなる。

「ガキを集めてたってのかよ」

 啓介はその言葉を聞いた。

 だが答える余裕はなかった。

 啓介は次の異形を受け止める。

 小さい手。

 細い指。

 伸びきった爪。

 人間だった名残が、攻撃のたびに目に入る。

 倒すべき敵。

 そう割り切れれば楽だった。

 だが、ここにいるものは違う。

 敵である前に、誰かが作った結果だった。

     ◇

 黒瀬は通路の端で、ほとんど音を立てずに動いていた。

 暗色装甲は、赤い非常灯の下でも輪郭が薄い。

 黒瀬は異形の動きを読む。

 どこから来るか。

 どこへ逃げるか。

 どの影が本物で、どの音が誘いなのか。

「右、二体」

 黒瀬の声が飛ぶ。

 一真が反応する。

 横へ跳び、右壁から迫った二体をまとめて弾く。

「助かった!」

「まだ来る」

 黒瀬は短く返す。

 その視線は、戦闘だけを見ていなかった。

 通路の奥。

 表示板。

 非常用階段。

 そして、赤く点滅する案内表示。

 記録保管室。

 黒瀬の目がそこへ止まる。

 一真はそれを見逃さなかった。

 戦闘の最中だ。

 異形はまだいる。

 通常戦闘員も負傷している。

 それでも黒瀬は、ほんのわずかに通路の奥へ意識を向けている。

(一真、見ろ)

 南條の声が、出動前の記憶の奥で蘇る。

(今回の部隊には、組織への反乱を企てる者がいる)

(現地で行動を監視しろ)

(証拠が確定した場合は拘束を優先)

(ただし、情報流出または部隊崩壊の危険がある場合は、排除を許可する)

(啓介には知らせるな)

 一真の奥歯が鳴る。

 ふざけるな。

 今ここでそんなことを考えてる場合か。

 だが、黒瀬は明らかに何かを探している。

「黒瀬!」

 一真が叫ぶ。

 黒瀬は振り返らない。

「奥の熱源を見る」

「今かよ!」

「今しかない」

 その声は静かだった。

 言い訳ではない。

 もう決めている声だった。

 一真が追おうとした瞬間、異形が二体、天井から落ちてきた。

「くそっ!」

 一真がそれを受け止める。

 黒瀬の姿が、赤い非常灯の奥へ薄く消えていく。

     ◇

 相良は拘束した異形を観察していた。

 鎖状兵装が、暴れる小さな身体を床へ押さえ込んでいる。

 異形は声を出さない。

 ただ、口を開け、歯を鳴らし、目だけで周囲を追っている。

「識別タグ残存」

 相良は淡々と読み上げる。

「個体番号、S-07-143。年齢推定、八歳。適合経過、第三段階。暴走後隔離」

 一真が異形を蹴り飛ばしながら叫んだ。

「八歳って言ったか!?」

「記録上は」

「ならまだ――」

「意識反応はほぼない」

 相良の声は変わらない。

「回収価値は低い。処理対象」

 啓介が相良を見る。

「待て」

「待つ理由がない」

「子どもだった」

「今は違う」

 その一言が、通路の空気を刺した。

 啓介の腕に力が入る。

 だが相良は怯まない。

「感情で止まれば、次に死ぬのは味方。あなたも分かっているはず」

「……黙れ」

 低い声だった。

 一真が二人の間に入りかける。

 その瞬間、床へ縛りつけられていた異形が、ありえない角度で首をひねった。

 鎖を噛む。

 金属がきしむ。

 相良の目がわずかに動く。

「拘束強度、想定外」

 異形の身体が膨らむように震える。

 筋肉が異様に収縮し、細い腕が鎖を押し広げていく。

 相良の拘束具が、一本、弾けた。

「下がれ!」

 啓介が叫ぶ。

 異形が跳ねた。

 だが、その前に鬼塚が割って入った。

 厚い腕が、異形を正面から受け止める。

「暴れるな!」

 壁へ叩きつける。

 異形が潰れたような音を立てる。

 それでも、まだ動こうとする。

 鬼塚の顔が歪んだ。

「何なんだよ……こいつら」

 その声には怒りだけではない。

 痛みも混じっていた。

     ◇

 戦闘は長くは続かなかった。

 血装五名が前に出れば、第一波の異形たちは押し返せる。

 啓介が中心を抑え、一真が抜けた個体を狩る。

 黒瀬が見えない位置の動きを拾い、鬼塚が壁になり、相良が逃走経路を塞ぐ。

 だが、勝った感覚はなかった。

 通常戦闘員二名が重傷。

 一名が行方不明。

 支援班は後方で負傷者を回収している。

 通路には、倒れた異形と、まだ動こうとする異形が数体残っていた。

 南條の声が通信に入る。

『DARKNESS、状況報告』

 啓介は通路を見渡した。

「第一波は制圧。負傷者あり。行方不明一」

『SHADE、深部反応は』

 黒瀬からの返答はなかった。

 一真が舌打ちする。

「黒瀬が奥へ行った」

 短い沈黙。

『単独行動は禁止したはずだ』

「分かってますよ」

 一真の声に苛立ちが混じる。

「でも今、止められなかった」

 啓介が一真を見た。

「どういうことだ」

 一真は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

「……索敵だろ。あいつの役目だ」

 嘘ではない。

 だが全部でもない。

 啓介はその微妙な間を見逃さなかった。

 だが今は追及できない。

 奥の通路から、ノイズが響いた。

 館内放送のスピーカーだ。

 壊れかけた音声が、天井から落ちてくる。

『……た……す……』

 全員の動きが止まった。

 子どもの声だった。

『……たすけて……』

 一真の顔が強張る。

 啓介はゆっくりと顔を上げた。

 助けを求める声。

 まだ生きている誰か。

 そう思いたかった。

 だが次の瞬間、その声が歪んだ。

『……おなか……すいた……』

 通路の奥で、何かがまた動く音がした。

 その声は、子どものものだった。

 だが、次に響いた息遣いは、人間のものではなかった。

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