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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第50話 真実の声

旧地下搬送路の先には、黒い扉があった。

 かつて検体や物資を運ぶために使われていた経路。  今は封鎖され、記録からも消された道。  その奥が、鳥島黒層へ繋がっている。

 啓介は扉の前に立っていた。

 撃たれた傷は、まだ塞がっていない。  包帯の下で、熱と痛みが脈打っている。  立っているだけで、視界の端が白く霞む。

 それでも、足は止めなかった。

 一真が隣に立つ。

「無理すんな」 「暴れたら噛み付いてでも止めるって言ったが、限度はある」

 啓介は小さく息を吐いた。

「分かってる」

 一真は鼻で笑った。

「分かってねえ顔だな」

 鬼塚が前に出た。

「じゃれんのはあとにしろ」

「じゃれてねぇよ!」

 一真が噛みつくように言う。

 だが、すぐに空気は重く戻った。

 通信端末から黒瀬の声が入る。

『正面突破は無理だ』 『黒層の防衛系統は再構築されている』 『だが、B6からB8へ繋がる旧処理槽の経路が、まだ完全には閉じていない』

 相良の声が続く。

『ユリの追憶領域が動いている』 『今なら、外から声を通せるかもしれない』

 啓介は端末を見る。

「声を届ける」

 相良は静かに言った。

『届けるのは、あなたの声だけじゃない』 『ユリ自身の、本当の声よ』

 啓介は目を閉じた。

 雨の中で、ユリが呟いた声。  処理ログの中に残った言葉。

 私が、残った。

 あの声を、ユリ自身に返さなければならない。

「行こう」

 啓介が言った。

 黒瀬の声が低くなる。

『三十秒だけロックを外す』 『入ったら戻れないと思え』

 鬼塚が肩を鳴らした。

「戻れない道ばっかりだな」

 一真が爪を鳴らす。

「今さらだ」

 啓介は黒い扉を見据えた。

「戻るために行く」

 扉が開いた。

     ◇

 黒層。

 ユリは、再び中央処理台に固定されていた。

 黒い床。  赤い警告灯。  壁一面に走るケーブル。  天井から垂れ下がる神経接続具。

 目の前では、同じ映像が何度も流されている。

 啓介が背を向ける。  ユリだけが残される。  加工された声が重なる。

『置いていく』 『邪魔だ』 『彼に残された』

 だが、以前ほど深く刺さらない。

 その声の奥で、別の声が響いている。

『行って』 『私が残る』

 女性職員が端末を見て、眉を寄せた。

「罪状認識、再度アップデート不能」 「追憶領域の自己再生が止まりません」 「AS-01関連記憶に、外部発話の影響あり」

 別の職員が言う。

「再処理出力、上限へ」

 処理台の周囲に光が走る。  ユリの身体が小さく跳ねた。

 それでも、彼女の唇が動く。

「私が……残った……」

 女性職員の顔色が変わる。

「DARKNESSαを前面に」 「SP-07の感情反応を遮断して」 「再処理を最大出力で行う」

 黒層の奥で、黒い影が動いた。

 DARKNESSα。

 天城総司が、処理台の前に立つ。

 黒い外殻。  揺らがない瞳。  完成された命令。

「SP-07」 「感情は任務を妨げる」

 ユリは目を閉じたまま、かすかに言った。

「でも……痛い」

 天城は答えない。

 ユリの指が震える。

「痛いのは……」 「まだ、私が残っているから……?」

 天城は無感情に告げた。

「不要な反応」

 ユリの目尻から、涙が落ちた。

     ◇

 啓介たちは、旧処理槽を抜けて黒層へ入った。

 腐食した鉄の足場。  赤黒く乾いた廃液の跡。  壁には、古いCRV-23処理系統の表示が残っている。

 黒瀬が通信越しに誘導する。

『右だ』 『その先の隔壁は俺が開ける』

 隔壁が開くと同時に、無人砲台が起動した。

 鬼塚が前に出る。

「下がってろ」

 重い血装の拳が、砲台を壁ごと叩き潰す。  火花が散る。

 一真が赤血の爪で捕獲ワイヤーを切った。  啓介は黒血を薄く展開し、飛んでくる弾丸を受け止める。

 黒血が騒ぐ。

 もっと出せ。  全部壊せ。  道を塞ぐものを、全部砕け。

 その流れが膨れかけた瞬間、一真の赤血が横から触れた。

 黒血の暴走が、わずかに逸れる。

「啓介」

 一真が短く言った。

「呑まれんな」

「分かってる」

「だから、その顔が分かってねえ」

 啓介は苦く笑った。

「助かる」

「礼を言うな。調子が狂う」

 鬼塚が前で無人兵器を蹴り飛ばした。

「お前ら、喋る余裕があるなら手を動かせ!」

 黒瀬の声が重なった。

『来るぞ』 『DARKNESSαだ』

 黒層中央への扉が開いた。

 その向こうで、天城総司が待っていた。

「AS-01」 「AS-02」 「BR系統死亡記録対象」 「侵入を確認」

 一真が顔をしかめる。

「いちいち番号で呼ぶな」

 鬼塚も低く唸る。

「死亡記録対象ってのも飽きたな」

 啓介は天城を見据えた。

「どけ」 「ユリに声を届ける」

 天城は一歩も動かない。

「SP-07再固定処理中」 「外部干渉は排除する」

 啓介の拳に黒い線が走る。

 一真が横に立った。

「やるぞ」 「ただし、呑まれたら止める」

 啓介は短く頷いた。

「ああ」

 鬼塚が前へ出る。

「こいつは俺たちで止める」 「相良、やるなら今だ」

     ◇

 黒層の別端末室。

 相良は処理装置の前に立っていた。  黒瀬が隣で端末を操作している。

 装置の向こうには、ユリの神経接続系統がある。  だが、そこへ入るには相当な負荷がかかる。

 黒瀬が言った。

「相良」 「今の出力で接続したら、戻れない可能性がある」

 相良は静かに手袋を外した。

「戻るためにやるんじゃないわ」

 指先に、赤黒い線が浮かぶ。

「ユリを戻すためにやるの」

 黒瀬は言葉を失った。

 相良の背中から、細い神経ケーブルのような血装端子が伸びる。  腕と背中に、薄く赤黒い外殻が展開する。  指先には、針のような端子が形成された。

 戦うための血装ではない。

 触れるための血装。  記憶の奥へ、声を通すための血装。

 相良は端子を処理装置へ差し込んだ。

 身体が小さく震える。

 黒層の警告が鳴った。

 外部血装接続確認。  記憶再構築干渉。  排除開始。

 黒瀬が叫ぶ。

「相良!」

 相良は目を閉じた。

「ユリ」 「聞こえる?」

 息が震える。

「今度こそ、あなたの声を見つける」

     ◇

 雨の音が聞こえた。

 相良が目を開けると、そこは暗い空間だった。

 黒層ではない。  処理室でもない。

 どこまでも続く暗い通路。  床には水が薄く張っている。  頭上から、雨のような音が落ちている。

 だが、それは雨ではない。  記憶が崩れる音だった。

 周囲に映像が浮かぶ。

 啓介が背を向ける。  ユリだけが残される。  加工された声が響く。

『置いていく』 『邪魔だ』

 別の映像。

 雨の中で、ユリが銃を撃つ。  啓介が倒れる。  血と雨が混ざる。

『お前の罪じゃない』 『撃たせたのは、TAIDAだ』

 また別の映像。

 赤い警報。  黒い通路。  啓介の背中。  震えるユリの手。

『行って』 『私が残る』

 相良はゆっくり進んだ。

「違う記憶を作られたわけじゃない」 「本当の記憶に、違う意味を被せられただけ」

 足元の水が揺れる。

「だから、奥に残っている」 「あなた自身の声が」

 暗闇の奥に、ユリが座っていた。

 膝を抱え、耳を塞いでいる。

 ユリは顔を上げない。

「聞こえない……」 「何が本当か、分からない……」

 相良は膝をついた。

「怖かったのね」

 ユリの肩が震える。

「一人で残った」 「暗くて」 「痛くて」 「誰も来なくて」

 その声は、幼い子どものようだった。

「啓介が……来なかった」 「私だけが……残った」

 相良は首を振った。

「痛みは本物よ」 「怖かったのも本当」 「一人で残されたと思った苦しさも、本当」

 ユリの目から涙が落ちる。

 相良は続けた。

「でも、啓介に捨てられたことは、本当じゃない」

 暗闇が揺れた。

 偽の声が激しくなる。

『置いていく』 『彼に残された』 『AS-01はあなたを利用した』

 相良はその声に向かって手を伸ばした。

「違う」 「あなたは、置いていかれたんじゃない」

 暗闇の奥で、別の映像が開いた。

     ◇

 現実の黒層では、DARKNESSαが啓介たちを圧倒していた。

 天城の拳が、啓介の黒血を砕く。  一真の赤血が割り込むが、弾き返される。  鬼塚の重い拳も、受け止められた。

 鬼塚が床を滑りながら、舌打ちする。

「くそっ……完成品ってのは、腹立つくらい硬えな」

 天城は無感情に告げる。

「BR系統」 「戦闘継続、不要」

「だから勝手に決めんな!」

 鬼塚が再び突っ込む。

 一真の赤血が揺れる。

 天城は一真を見た。

「AS-02」 「赤血反応、変質」 「AS-01抑制機能から逸脱」

 一真は赤い爪を構えた。

「逸脱じゃねえ」 「俺の意思だ」

 天城は次に啓介を見た。

「AS-01」 「黒血制御、不完全」 「完成には至らない」

 啓介は息を切らしていた。  傷口から血が滲み、膝が折れそうになる。

 それでも、目は逸らさなかった。

「完成なんていらない」 「俺は兵器になりに来たんじゃない」

 天城が踏み込む。

 啓介の視界が黒く染まりかけた。

 黒血が叫ぶ。

 壊せ。  こいつを壊せ。  ユリを奪うものを全部壊せ。

 一真の赤血が、啓介の腕に絡む。

「啓介、呑まれんな」 「ユリに届く前に、お前が消えたら意味ねえだろ」

 啓介は息を吐く。

「ああ」

 黒血の流れが戻る。

 その一瞬、鬼塚が天城の腕を掴んだ。

「今だ!」

 啓介と一真が左右から踏み込む。  黒血と赤血が、同時に天城へ向かう。

 天城はそれを受け止めた。

 黒層全体が震えた。

     ◇

 ユリの記憶の奥。

 相良は、ひとつの場面に辿り着いた。

 赤い警報が鳴っている。  暗い通路に、啓介がいる。

 啓介は振り返っている。  戻ろうとしている。

 その前に、ユリが立っていた。

 ユリは震えていた。  怖かった。  足も、声も、手も、すべて震えていた。

 それでも、啓介の胸を押した。

『行って』

 過去のユリが言う。

 啓介は首を振る。

『置いていけるか』

 ユリは涙を浮かべながら、それでも笑った。

『私が残る』

 現在のユリが、その場面を見ていた。

「私が……言った……?」

 相良は頷く。

「そうよ」 「あなたは置いていかれたんじゃない」 「あなたが選んだの」

 ユリの唇が震える。

「でも……怖かった」 「一人で残って……怖かった」

「怖かったのは本当」

 相良の声は柔らかかった。

「苦しかったのも本当」 「憎みたくなるほど痛かったことも、本当」

 ユリは涙を流す。

「じゃあ……この痛みは……」

「あなたの痛みよ」 「TAIDAが作ったものじゃない」

 相良はユリの手を取った。

「でも、その罪は啓介のものじゃない」

 暗闇に亀裂が入った。

 偽の文字が浮かぶ。

 置き去り。  裏切り。  利用。  放棄。

 その文字が、少しずつ割れていく。

 ユリは両手で顔を覆った。

「私……撃った……」 「啓介を……」

 相良は頷く。

「それも本当」 「でも、あなたは急所を外した」 「あなたの中には、まだ啓介を守ろうとする声が残っていた」

 ユリは声を震わせた。

「私の……声……」

 相良は言った。

「そう」 「それが、真実の声よ」

     ◇

 黒層の処理装置が最大出力へ移行した。

 相良の身体が現実で大きく震える。  鼻から血が落ちた。

 黒瀬が支える。

「相良、もう限界だ!」

 相良は歯を食いしばった。

「まだ……」 「まだ届いてない……」

 黒層中央で、天城が一瞬だけ顔を上げる。

「外部干渉、進行」 「排除優先度、上昇」

 天城が相良のいる端末室へ向かおうとする。

 啓介が前に立った。

「行かせない」

 天城の拳が啓介の腹へ入る。  傷口が開き、血が飛ぶ。

 啓介の膝が落ちそうになる。

 一真が支えた。

「倒れんな!」

 啓介は血を吐きながら、顔を上げた。

 相良の声が通信で届く。

『啓介……今よ』 『あなたの声を、ユリへ』

 啓介は息を吸った。

 肺が痛い。  傷が焼ける。  視界が揺れる。

 それでも、叫んだ。

「ユリ!」

 黒層に、啓介の声が響いた。

「お前は置き去りにされたんじゃない!」 「お前は、俺を助けたんだ!」

 天城が迫る。

 一真が割って入る。  鬼塚が横から天城を押さえる。

 啓介はさらに叫んだ。

「俺は、お前を取り戻しに来た!」 「何度でも来る!」 「お前が俺を忘れても、俺はお前を諦めない!」

     ◇

 ユリの記憶の中に、その声が届いた。

「ユリ!」

 現在のユリが顔を上げる。

 暗闇の奥に、光が差す。

「お前は置き去りにされたんじゃない!」 「お前は、俺を助けたんだ!」

 ユリの目から涙が溢れた。

「啓……介……」

 相良が微笑む。

「聞こえたでしょう」

 ユリは震えながら頷いた。

「聞こえた……」

 相良は言った。

「それが、あなたを呼ぶ声」 「それが、あなたの中に残っていた真実の声よ」

 偽の映像が崩れ始める。

『置いていく』 『邪魔だ』 『彼に残された』

 その声が、ひび割れていく。

 置き去り。  裏切り。  利用。  放棄。

 文字が砕け、暗闇の水面へ沈んでいく。

 ユリは胸を押さえた。

「私は……」 「置いていかれたんじゃない……」

 相良は頷く。

「そうよ」

 ユリは涙を流しながら、声にした。

「私が……残った……」 「啓介は……来てくれた……」

     ◇

 現実の黒層で、処理装置が激しく火花を散らした。

 警報が鳴り響く。

 SP-07。  罪状認識、崩壊。  記憶再固定、失敗。  対象認識、再構築不能。

 女性職員が叫ぶ。

「アップデートできません!」 「SP-07、管理不能へ移行!」

 天城が動いた。

 啓介と一真を弾き飛ばし、一直線に相良の接続端末へ向かう。

 鬼塚が止めようとしたが、間に合わない。

「相良!」

 黒瀬が叫ぶ。

 天城の腕が、接続端子を叩き切った。

 相良の血装端子が千切れ、赤黒い線が宙に散る。  相良の身体が大きく跳ね、黒瀬の腕の中へ倒れ込んだ。

「相良!」

 黒瀬が支える。

 相良の顔は青白い。  唇から血が滲んでいた。

 それでも、彼女はかすかに目を開けた。

「届いた……?」

 啓介は、処理台を見る。

 ユリが目を開けていた。

 涙が、頬を伝っている。

 ユリの唇が動いた。

「啓介……」

 啓介は答えた。

「届いた」

 相良は小さく笑った。

「なら……よかったわ」

 黒瀬は相良を抱えながら、歯を食いしばった。

「無茶しやがって……」

「あなたに言われたくないわ……」

 相良は弱く返した。

     ◇

 DARKNESSαは、黒層中央へ戻った。

 処理台のユリ。  倒れた相良。  傷だらけの啓介。  赤血を滲ませる一真。  拳を握る鬼塚。

 その全てを、天城は無感情に見渡した。

「SP-07記憶アップデート、失敗」 「対象、管理不能へ移行」

 天城の瞳が、啓介を見る。

「AS-01」 「SP-07管理不能の原因、あなたの存在」

 啓介は立ち上がった。

 傷口から血が落ちる。  黒血が静かに外殻を覆う。

 一真が隣に立つ。

 赤血が、啓介の黒血へ寄り添うように走る。

 鬼塚も前へ出た。

 黒瀬が相良を支えながら言う。

「啓介」 「あいつを止めろ」

 処理台の上で、ユリが啓介を見る。

 まだ拘束されている。  まだ自由ではない。  だが、その瞳には、もう空白だけではなかった。

「啓介……」

 啓介はユリを見た。

「ああ」

 そして、DARKNESSαを見据える。

「今度こそ、終わらせる」

 真実の声は、届いた。

 だが、その声を奪い返すためには、  まだ一つ、越えなければならない闇がある。

 DARKNESSα。

 完成された兵器が、  未完成の男の前に立っていた。

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