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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第5話 慈善の檻

大型モニターに映る子どもたちは、みな笑っていた。

 白い壁。明るい食堂。整えられた寝具。

 新しい衣服を受け取ってはしゃぐ幼い手。支援物資の箱を運ぶ職員たち。

 画面の下では、柔らかな声のナレーションが流れている。

『thejapan系財団は本日、南米、東欧、中東の紛争地域に対する追加支援を発表しました。孤児保護プログラムの拡充、医療支援施設の新設、長期滞在型保護環境の整備など――』

 内勤区画の誰かが、音量を少しだけ下げた。

 映像の中の笑顔は変わらない。

 救われた子どもたち。支える大人たち。希望ある未来。

 世間が見ているのは、そういう顔だ。

 御崎ユリは端末から目を上げずに言った。

「第三区画、映像切り替えて」

「了解」

 モニターの一つが報道映像から監視データへ変わる。

 だが別の画面にはまだ、笑う子どもたちが残っていた。

 その笑顔が妙に遠い。

 遠いのに、どこかで見慣れている気もする。

 ユリは端末のキーを叩く。

 補給申請、搬送ログ、認証更新。やることはいくらでもある。

 手を止めなければ、考えずに済む。

 けれど今日の内勤区画は、いつもより少しだけ空気が重かった。

 南米第七施設。

 その文字列が、ずっと画面のどこかに残っている。

     ◇

 待機区画では、出動準備の職員たちが慌ただしく動いていた。

 装備の最終点検。通信機器の再設定。現地言語コードの確認。

 誰も無駄口を叩かない。

 ただ、その沈黙の中にだけ、少しずつ“いつもの任務ではない”という色が混じっていた。

「お前、どこの施設だった?」

 装備ケースを持ち上げながら、実働班の一人が言う。

「第三区画の第四群」

「ああ、あそこ厳しかったらしいな」

「厳しい?……それ以上だわ。」

 短い会話だった。

 でもそのやり取りに、誰も違和感を持たない。

 施設番号。

 区画。群。

 この場所では、それが育った家の話と同じくらい自然に使われる。

 風間啓介は壁際で通信端末を確認しながら、その会話を聞いていた。

 一真が隣で軽く鼻を鳴らす。

「いまだにああいう言い方、好きじゃねえな」

「何が」

「施設番号。群。第四とか第三とか。人の話だろ」

 啓介は端末から目を離さない。

「お前も使ってる」

「使わないと通じねえからだよ」

 一真は肩を回し、軽く首を鳴らした。

「でもまあ、今さらか」

 投げるような言い方。

 けれど、本当に割り切っているわけではない。

 啓介も分かっていた。

 あの施設は家ではなかった。

 だが、家の代わりに知っている唯一の場所でもあった。

 失って、流れ着いて、そこで生きるしかなかった。

 その意味では、たしかに檻であり、家でもあった。

「啓介」

 南條の声が飛ぶ。

 啓介は顔を上げた。

「十分後、作戦室だ。遅れるな」

「了解」

 一真が口元を歪める。

「分かりやすくお前だけ名前だな」

「お前は返事がうるさいから呼ばない」

「ひど」

 南條はそれ以上相手にせず、別の職員へ指示を飛ばした。

 一真はわざとらしくため息をつきながらも、啓介の横に留まっていた。

     ◇

 内勤区画では、ユリが南米第七施設のデータをさらに掘っていた。

 施設概要。保護対象年齢。常駐医療班。搬送実績。

 並んでいる数字は整っている。整いすぎている。

 表向きの分類は、長期保護施設。

 だが検査区画の規模が大きすぎた。

「……多い」

 思わず呟く。

 医療設備の項目が、保護施設の標準を明らかに超えている。

 隔離区画。観察室。生体反応監視室。

 しかも、年齢別の分離基準が妙に細かい。

 横を通った職員が足を止めた。

「何かありましたか」

「保護施設にしては、検査区画が多すぎる」

「医療支援拠点も兼ねてるとか?」

「それにしても偏ってる」

 ユリは画面を一つ切り替える。

 今度は監視系統。

 施設外周のセンサー配置が出る。

「監視の張り方もおかしい」

「おかしい?」

「保護施設なら、外から守る配置になる。でもこれは違う」

 画面の線を目で追う。

 内側から出るものを止めるような配置。

 逃がさないための設計に見える。

「……檻みたい」

 その言葉が、自分でも思ったより自然に出た。

 職員は何も言わなかった。

 言えなかったのかもしれない。

 ユリは黙って画面を閉じる。

 閉じても、その違和感だけは残った。

     ◇

 南條光太は作戦資料を無言で眺めていた。

 作戦室の照明は白い。

 机の上には南米第七施設の簡易構造図と、現地班から断片的に送られてきたデータ。

 通信途絶、生体反応異常、内部壊滅の可能性。

 一真が先に口を開いた。

「救助じゃないんですよね、これ」

 南條は顔を上げない。

「何を見てそう言った」

「資料の出し方です」

 一真は壁際にもたれたまま続ける。

「救助優先なら、避難経路と生存者推定が最初に来る。

でも今出てるのは封鎖ラインと鎮圧班の配置だ」

 作戦室が少しだけ静かになる。

 南條はやっと視線を上げた。

「よく見てるな」

「まあ、こういうとこだけは」

 一真が肩をすくめる。

 啓介は黙ったまま資料を見ていた。

 救助ではない。

 少なくとも最優先ではない。

 それはもう、誰の目にも分かる。

「対象はあくまで施設内異常の封じ込めだ」

 南條の声は低かった。

「現地協力部隊は応答なし。通信は断続的。

生存者の有無も不明。外部流出を防ぎつつ、内部状況を確認する」

「外部流出を防ぐ、ね」

 一真が小さく繰り返す。

 啓介は資料の端に並ぶ分類項目を見ていた。

 保護対象。医療設備。搬送実績。

 どれも綺麗すぎる。

 妙に整えられた数字は、時々、それだけで気持ちが悪い。

「質問は」

 南條が問う。

 数秒の沈黙のあと、啓介が口を開いた。

「施設の分類、違うだろ」

 南條の視線が啓介へ向く。

「何が」

「保護施設の数字じゃない」

 短い言い方だった。

 だが、一番深いところを突いていた。

 南條は何も答えない。

 一真が横目で啓介を見る。

「俺もそう思う」

「……必要なことだけ見ろ」

 南條の声が落ちた。

「分類の再定義は上の仕事だ。お前たちは現地対応に集中しろ」

 それで会話は切れた。

 だが、その切り方が、逆に何かを知っている証拠のようでもあった。

     ◇

 作戦室を出たあと、一真は不満そうに舌打ちした。

「絶対なんか知ってるだろ、あれ」

 啓介は歩きながら答える。

「だろうな」

「で、お前はそれで終わりかよ」

「今は任務が先だ」

「そういうとこだよ」

 いつもの返し。

 けれど今回は、そこに軽さがなかった。

 一真は少しだけ黙り、やがて低く言った。

「俺さ」

「何だ」

「施設の話、たまに思うんだよ」

 啓介は横目で一真を見る。

 一真は前を見たままだった。

「家だったとは言わねえ。でも、あそこしか知らなかった。

 で、今ここにいる奴らの大半も結局そこ出身だろ。

 そう考えると、最初から全部つながってたのかもなって」

 啓介はすぐには答えなかった。

 家ではなかった。

 だがあそこにいた。

 南條がいて、一真がいて、あとからユリが来た。

 家ではなかった。

 それでも、そこにしかなかったものがある。

「檻だろ」

 やがて啓介が言う。

 一真は小さく笑う。

「ひでえ言い方」

「違うか」

「……違わないな」

 二人はそのまま無言で歩いた。

     ◇

 内勤区画へ戻ると、ユリはまだ端末の前にいた。

 大型モニターでは、thejapan系財団の報道映像が別画面で流れている。

 笑う子ども。

 白い施設。

 差し出される支援物資。

 希望を語るアナウンサーの声。

 一真がその映像を見て、鼻で笑った。

「いい顔してるよな」

 ユリは端末から目を離さない。

「表向きは、ね」

 啓介は映像を一瞥したあと、ユリの机の横へ立つ。

「何か分かったか」

「保護施設にしては、検査設備が多すぎる」

 ユリは淡々と答えた。

「監視系統も内向き。

 外から守る作りじゃない。中の何かを出さないための配置に見える」

 一真の表情が引き締まる。

「つまり、保護じゃなくて管理か」

「少なくとも、普通の施設じゃない」

 ユリはそこで初めて顔を上げた。

「助けに行く任務じゃない」

 その言い方に、一真が黙る。

 啓介も何も言わなかった。

 分かっていた。

 けれど、誰かが言葉にすると、もう戻れない。

「正式命令、来た」

 ユリが画面を見ながら告げる。

「南米第七施設緊急対応部隊、総員四十一名。出動準備に入ります」

 表示が切り替わる。

 赤い認証コード。

 現地座標。

 出動時刻。

「先行特務班、ダークネス、ファング、シェイド、グレイブ、チェイン。

 通常戦闘員二十名、支援班十五名。

 統括指揮 南條光太。」

 一真が息を吐いた。

「行くしかないか」

「最初からそのつもりだろ」

 啓介の言葉に、一真は少しだけ笑った。

「まあな」

 ユリは二人の認証コードを順に開く。

 手は止まらない。

 止めてはいけない。

「通信は現地で再設定。

 外周封鎖優先。内部確認は状況次第」

 事務的に言う。

 それが自分の役目だから。

 けれど声の奥だけが、少しだけ重かった。

「今回は、本当に嫌な感じがする」

 一真が眉をひそめる。

「さっきも聞いた」

「さっきより、もっと嫌」

 ユリは画面から目を離さなかった。

 啓介が短く返す。

「分かってる」

 ユリはそこでやっと顔を上げた。

「……戻ってきて」

 その一言だけ、事務の声じゃなかった。

 一真が何か言いかけ、やめる。

 啓介はユリを見たまま、一度だけ頷いた。

「戻る」

 それだけ残して、二人は区画を出ていった。

 扉が閉まる。

 内勤区画の音は止まらない。

 端末も、表示も、指示も、世界の流れも止まらない。

 それでもユリだけは、モニターの赤い文字から目を逸らせなかった。

 南米第七施設

 慈善の顔をした檻の奥で、何かが壊れている。

 それを隠すために、啓介たちは向かうのだ。

 ユリはそう言葉にしたわけではない。

 ただ、胸の奥の冷たさだけが、いつもより深かった。

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