第46話 罪と罰
ユリの移送台が、黒層の奥へ消えていく。
啓介は追おうとした。 だが、その前にDARKNESSαが立っていた。
黒い外殻。 揺らぎのない闇。 感情のない瞳。
DARKNESSαは、啓介とユリの間を塞いだまま、静かに告げた。
「SP-07移送中」 「AS-01の接近は禁止されている」
啓介の拳が震える。
「ユリをどこへ連れていく」
αは答えない。
黒瀬が端末を走らせた。 黒層の系統はほとんど閉じている。 それでも、わずかに残った移送ログを拾い上げる。
「外部任務用搬出口だ」 「黒脈とは別のルートで、地上へ出す気だ」
相良の顔色が変わった。
「記憶のアプデートが完全に済んだわけじゃないなら精神バランスが安定していないはず…それでも、使うつもりなのね」
一真が歯を食いしばる。
「心が剥き出しなまま外に出すのかよ」
鬼塚が低く唸った。
「使い捨てる気だな」
αの声が落ちる。
「破損ではない」 「アプデートだ」
啓介がαを睨む。
「ふざけるな」 「ユリは物じゃない」
「SP-07は対外任務適合体」 「個体感情は任務に不要」
啓介の右手に黒い線が走った。
壊せ。 目の前の完成体を砕け。 黒層ごと潰せ。
黒血が胸の奥で囁く。
だが、啓介はそれを押し込めた。
ここで黒血に呑まれれば、ユリは戻らない。 自分の怒りで、ユリをさらに遠ざけるだけだ。
「どけ」
啓介は低く言った。
「俺は、ユリを連れ戻す」
αは動かない。
「命令は継続中」 「AS-01を拘束する」
啓介が踏み込んだ。
◇
黒層の奥。
ユリは外部任務準備室へ運び込まれていた。
そこは、白い処理室ではなかった。 壁は黒く、天井は低い。 左右には武装ラックが並び、任務用の拘束具、投与機器、黒い外套が無機質に吊るされている。
ユリは椅子に固定された。 両手首、足首、首元に拘束具が接続される。
目の前のモニターが起動した。
そこに映ったのは、啓介だった。
隔壁の向こうで叫ぶ啓介。 ユリへ手を伸ばす啓介。 だが、映像はそこで切られる。
次に映るのは、啓介が止まったように見える瞬間。 ユリだけが奥へ運ばれていく場面。
さらに、文字が表示された。
AS-01 罪状記録。
SP-07置き去り。 作戦放棄。 個体保全優先。 SP-07利用。 記憶破壊誘導。
ユリの瞳が揺れる。
「違う……」
声は小さかった。
モニターに、啓介の加工された声が重なる。
『邪魔だ』
ユリの呼吸が乱れる。
「違う……」 「啓介は……」
言葉が続かない。
女性職員の声が、部屋に響いた。
「事実を確認してください」 「あなたを置き去りにしたのは、AS-01です」
ユリは首を振ろうとした。 だが、拘束具がそれを許さない。
画面が再び切り替わる。
啓介が来る。 手を伸ばす。 届かない。
啓介が止まる。 ユリだけが運ばれる。
何度も。 何度も。
映像の意味だけが、少しずつ変えられていく。
◇
黒層中央では、啓介と一真、鬼塚がDARKNESSαへ向かっていた。
啓介の拳を、αが受け流す。 一真の爪を、αが弾く。 鬼塚の重い拳を、αが半身でかわす。
三人で押し込んでいるはずなのに、前へ進めない。
DARKNESSαは、ただそこに立っている。 それだけで、ユリへの道を塞いでいた。
黒瀬の端末に、微弱な通信が入った。
ノイズが混じっている。
黒瀬は画面を見た。
「……南條?」
啓介が反応する。
通信は途切れ途切れだった。
『SP-07……外部任務……』 『対象……AS-01……』 『偽装記憶……最終上書き……』 『止めろ……手遅……る前に……』
そこで一度、通信が途切れた。
黒瀬の表情が変わる。
一真が叫ぶ。
「何だ、今のは!」
黒瀬は端末を握りしめた。
啓介の動きが、一瞬止まる。
αの拳が迫った。
一真が割って入り、弾き飛ばされる。
「止まるな!」 一真が叫ぶ。 「今止まったら終わるぞ!」
啓介は歯を食いしばった。
終わらせない。 まだ終わらせない。
◇
外部任務準備室。
ユリの前に、また文字が表示される。
AS-01。 罪状確認。
置き去り。 裏切り。 利用。 放棄。
どれも、違う。
そう思いたい。
でも、胸の奥には痛みがあった。
啓介が来た。 声をかけてくれた。 自分の名を呼んだ。
けれど、届かなかった。
また、届かなかった。
女性職員が言う。
「あなたは、あの時残されました」
ユリの唇が震える。
「違う……」 「私が……残った……」
「残されたのです」 「彼に」
その言葉が、ユリの中に沈んだ。
自分で残った。 その記憶に、別の意味が重ねられる。
彼に残された。 彼に置き去りにされた。 彼は、自分を選ばなかった。
ユリの目に涙が浮かぶ。
「違う……」
否定する声は、だんだん弱くなっていく。
モニターの中で、啓介が背を向ける加工映像が流れる。
『置いていく』
女性職員が続けた。
「罪には、報いが必要です」 「あなたは奪われました」 「あなたは置き去りにされました」 「ならば、取り戻してください」
ユリの手が震えた。
胸の奥で、痛みが形を変えていく。
悲しみが、怒りへ。 愛しさが、憎しみへ。 記憶が、罪状へ。
それはユリ自身の怒りではなかった。 TAIDAに作られた怒りだった。
だが、その痛みだけは本物だった。
◇
黒瀬は南條の通信ログを解析していた。
「啓介」 「お前に罪を着せている」
啓介はαの攻撃を受け止めながら、黒瀬を見る。
「何だと」
「ユリを置き去りにした罪」 「ユリを利用した罪」 「ユリを壊した罪」
一真の目が燃える。
「ふざけんな……」 「全部、TAIDAの罪だろうが!」
αが淡々と言う。
「罪状の真偽は、任務遂行に影響しない」
鬼塚が奥歯を噛んだ。
「こいつ、本当に人間じゃねえな」
啓介の黒血がまた動く。
ユリを壊したのはTAIDAだ。 ユリを利用したのもTAIDAだ。 置き去りにしたわけでもない。
そう分かっている。
それでも、啓介は胸の奥で、その言葉を完全には否定できなかった。
救えなかった。 届かなかった。 ユリが壊されていく時間を、止められなかった。
「……俺じゃない」
啓介は低く呟いた。
だが、その声は弱かった。
違う、と叫ぶだけでは届かない。 これまで何度も叫んだ。 それでも、TAIDAはその声を歪めてきた。
真実を取り戻さなければならない。
◇
相良は処理台の信号を追いながら、唇を噛んでいた。
「私が、もう少し長く繋げていれば……」
黒瀬が横で言う。
「今それを言っても変わらない」
「変わらないから悔しいのよ」
相良の声は震えていた。
ユリはまだ戻せたかもしれない。 あの一瞬、確かに本当の記憶に触れた。 自分で残ったという記憶に、ユリは届きかけた。
それなのに、また奪われた。
相良は端末を握る。
「次に繋がった時は、偽の罪じゃなく、本当の記憶を見せる」
黒瀬は短く頷いた。
「そのために、今は倒れるな」
相良は何も言わなかった。
だが、目だけはまだ諦めていなかった。
◇
外部任務準備室で、ユリの拘束が一つずつ解除されていく。
代わりに、任務用の黒い外套が肩にかけられる。 首元には、薄い制御具。 手首には血液反応を監視する細いリング。
職員が、銀色の銃を差し出した。
ユリの手が止まる。
それを握ってはいけない。
身体のどこかが、そう叫んでいる。
だが、職員の声が落ちる。
「対象、AS-01」 「接触時、排除」 「必要に応じて発砲許可」
ユリの指が、銃に触れた。
冷たい。
ひどく冷たい。
「これは復讐ではありません」 女性職員が言う。 「正当な回収任務です」
だが、ユリの中では違っていた。
彼に奪われた。 彼に置き去りにされた。 彼に、心を壊された。
そのすべてが、胸の奥で燃えていく。
啓介の罪ではない。
奪ったのはTAIDAだ。
それでも、その罪は今、啓介のものとして刻まれていく。
ユリは銃を握った。
手は震えていた。
◇
黒層で、DARKNESSαが一歩退いた。
啓介はすぐに追おうとする。
「逃がすか!」
αは静かに答えた。
「SP-07移送完了」 「任務段階、移行」
啓介が踏み込む。
だが、足元の隔壁が上がり、進路が遮断された。
黒瀬が叫ぶ。
「啓介、止まれ!」
啓介は隔壁を叩いた。
金属音が黒層に響く。
「ユリ!」
αの声が、隔壁の向こうから聞こえる。
「お前が追う必要はない」
啓介の呼吸が止まる。
αは続けた。
「彼女が、お前を追う」
その言葉が、黒層に冷たく残った。
◇
外部任務搬出口。
ユリは黒い外套をまとい、銃を握って立っていた。
雨の音が聞こえる。
いつから降り始めたのか。 それは分からない。
ただ、遠くで水の音がしていた。
女性職員が最後に問う。
「あなたが裁くべき相手は誰ですか」
ユリの唇が震える。
思い出そうとする。
啓介の声。 啓介の目。 自分で残った記憶。
だが、その上に、罪状が重ねられる。
自分への裏切り。TAIDAへの背徳。
ユリの目から、一筋の涙が落ちた。
「……啓介」
モニターに文字が走る。
SP-07。 対象名、AS-01。 罪状認識、アプデート完了。 外部任務、開始。
扉が開く。
雨の匂いが流れ込んだ。
罪を犯したのは、啓介ではない。
だが、その罪はユリの中で、 啓介のものとして刻まれていく。
裏切り。背徳。
すべて、TAIDAが作った罪だった。
それでも、ユリはその銃を握った。
記憶は、復讐の形をしていた。
その先に待つ銃弾を、 啓介はまだ知らない。
けれど、彼の胸にはもう、 救えなかったという名の罪が沈んでいた。




