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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第44話 黒層

黒い扉が、ゆっくりと開いていく。

 重い音が、床を震わせた。  空気が変わる。

 冷たい。  だが、ただ冷たいだけではない。  肺の奥に沈むような、重い空気だった。

 啓介は一歩、B8へ足を踏み入れた。

 そこは、研究区画ではなかった。

照明は低く、黒い床の奥へ赤い光だけが細く伸びている。

 壁には無数のケーブルが這っていた。  床には太い金属管が走り、天井からは透明な保存槽がいくつも吊るされている。  槽の中には、もう使われていない検体らしき影が沈んでいた。

 中央には、巨大な神経接続装置があった。

 人が装置を使う場所ではない。  装置が人を取り込み、管理する場所だった。

 黒瀬が低く言う。

「ここが黒層だ」 「TAIDAの最深部」

 鬼塚が周囲を見渡す。

「趣味の悪い場所だな」

「兵器を産む工場だ」  黒瀬は端末を見ながら答えた。 「人間を、殺戮兵器へと造り直す場所だ」

 相良の表情が硬くなる。

「端末が読めない」 「通常の管理系統から切り離されている」

 黒瀬も頷いた。

「外から制御されないように作られている」 「ここでは、人が装置を管理しているんじゃない」 「装置が、人を管理している」

 啓介は奥を見た。

 巨大な装置の中央。  そこに、ユリがいた。

 処理台に固定されている。  首元、こめかみ、手首には神経接続具。  周囲のモニターには、さっきの接触記録が何度も再生されていた。

 隔壁の向こうで叫ぶ啓介。  手を伸ばす啓介。  だが、映像は必ず同じ場所で止まる。

 啓介が止まったように見える瞬間。  ユリだけが奥へ運ばれていく瞬間。

 啓介の喉が震えた。

「ユリ!」

 ユリの瞳が、わずかに動いた。

 だが、その直後、モニターから加工された声が響く。

『置いていく』

 ユリの顔が苦しげに歪む。

「やめろ……」

 啓介の右手に黒い線が浮かぶ。

 一真が横で低く言った。

「啓介」

「分かってる」

 啓介は拳を握りしめた。

 壊したい。ユリを縛るすべてを壊したい。

 だが、壊せばユリを傷つける。

 相良が処理台の制御系に近づいた。

「このままじゃ、記憶が改ざんされてしまう」 「啓介を、憎むべき相手として認識させられる」

 啓介が相良を見る。

「止められるのか」

 相良は少しだけ黙った。

「通常の端末では無理」 「神経処理に直接割り込む必要がある」

 黒瀬の顔色が変わる。

「相良、それは――」

「分かってる」

 相良は静かに遮った。

「でも、ここで使わなければ意味がない」

 相良はユリを見た。  その目には迷いがなかった。

「記憶は消えていない」 「なら、真実を思いださせる」

 相良は息を吐いた。

「血装展開」

 赤黒い細い線が、相良の手首から腕へ走った。

 鬼塚や一真のような重い外殻ではない。  黒瀬のような制御端子とも違う。

 相良の血装は、薄く、細く、静かだった。

 腕と背中に沿って赤黒い外殻が広がり、背中から神経ケーブルのような細い血装端子が伸びる。  指先には、針のような端子が浮かんだ。

 相良はその端子を、ユリの処理装置へ接続した。

 接続音が鳴る。

 相良の身体が小さく震えた。

「相良!」

 啓介が声を上げる。

「近づかないで」  相良は歯を食いしばった。 「今、割り込んでる」

 黒瀬が端末を繋ぎ、補助に入る。

「神経処理系統に外部血装接続」 「防衛反応が来るぞ」

「分かってる」  相良は目を閉じた。 「ユリの記憶に入る」

     ◇

 暗闇の中で、ユリは声を聞いていた。

『ユリ!』

 啓介の声。

 その声は温かかった。  痛いほどに、懐かしかった。

 だが、すぐに別の声が重なる。

『邪魔だ』

 同じ声。  同じ顔。  違う言葉。

『置いていく』

 ユリは両耳を塞ごうとした。  だが、手は動かない。

 暗闇の中で、映像が何度も繰り返される。

 啓介が来る。  手を伸ばす。  そして、止まる。

 自分だけが奥へ運ばれていく。

 違う。  そうじゃない。

 そう思おうとするたび、映像はまた再生される。

『置いていく』

「違う……」

 ユリは声を絞り出した。

 その時、ノイズの奥から別の光が差した。

 白い部屋ではない。  黒い装置でもない。

 かつての記憶。

 啓介が苦しんでいる。  黒血に呑まれそうになっている。  自分は、その前に立っている。

 逃げるためではない。  置き去りにされたわけじゃない。

 自分で、残った。

 ユリの瞳が揺れる。

「私が……」

 ノイズが強まる。

 それでも、相良の声が届いた。

 ――思い出して。  ――あなたは、置き去りにされたわけじゃない。

 ユリの唇が震えた。

「私が……残った……?」

     ◇

 黒層に警告音が鳴り響いた。

 赤い光が一斉に点滅する。

 モニターに文字が走る。

 SP-07 記憶再構築干渉検知。  外部血装接続確認。  排除開始。

 床の金属管が開いた。  壁の奥から、黒い拘束装置が伸びる。  天井から細いノズルが下り、低い振動音が空間を満たす。

 一真が顔をしかめた。

「ぐっ……」

 赤血が反応した。  啓介の黒血も、同時に疼く。

 相良を守らなければならない。  ユリを守らなければならない。

 だが、黒血に任せれば、すべて壊してしまう。

 啓介は前へ出た。

「血装展開」

 赤黒い筋が、啓介の身体に走る。

 次の瞬間、DARKNESSの外殻が展開した。  黒い装甲が腕、胸、肩を覆っていく。

 黒い線はまだ内側で暴れている。  それでも、啓介は押さえ込んでいた。

 一真が横目で見る。

「黒くならねえな」

 啓介は前を向いたまま答えた。

「黒血は使わない」 「ユリを助けるまでは」

 拘束装置が相良へ向かう。

 啓介がそれを受け止めた。  金属の爪がDARKNESSの外殻に食い込む。  火花が散る。

 鬼塚が別の拘束アームを殴り飛ばす。

「相良! 長くは持たねえぞ!」

 黒瀬は血装端子を制御盤へ伸ばし、黒層の防衛信号へ割り込む。

「三十秒稼げ」

 一真がFANGの外殻を再び部分展開させた。

「十秒でも長いってのに」

 それでも、一真は前へ出た。

 啓介、鬼塚、一真、黒瀬。  四人が相良を守る。

 相良はユリの処理装置に接続したまま、声を絞った。

「ユリ……聞いて……」 「あなたは、置き去りになんてされてない……」

     ◇

 記憶の中で、ユリは啓介を見ていた。

 黒血に苦しむ啓介。  自分を遠ざけようとする啓介。  それでも、本当は一人で壊れようとしていた啓介。

 違う。  彼は私を捨てたんじゃない。

 私が残った。  私が、啓介を止めようとした。

 ユリの目から涙が落ちた。

「私が……残った……」

 その声が、現実の黒層にも漏れた。

     ◇

 啓介は拘束アームを押さえながら、ユリを見た。

 ユリの唇が動いている。

「私が……残った……?」

 啓介の胸が熱くなる。

「そうだ!」

 啓介は叫んだ。

「ユリ! お前は置き去りにされたんじゃない!」 「お前が、俺を助けたんだ!」

 ユリの目に、涙が浮かんだ。

 その瞳は、一瞬だけ本当のユリのものだった。

 啓介はさらに叫ぶ。

「戻ってこい!」 「俺はここにいる!」

 ユリの唇が震えた。

「啓……介……」

 その瞬間だった。

 黒層の奥で、重い音が響いた。

 保存槽のひとつが起動する。

 空間の振動が変わった。

 黒瀬の顔色が変わる。

「まさか……」 「ここに置いていたのか」

 相良も顔を上げた。

「DARKNESSα……」

 啓介が振り向く。

 黒層の奥。  ひときわ大きな保存槽の中で、人影が動いていた。

 黒い液体が抜けていく。  ガラスの内側で、赤い光が走る。

 モニターに冷たい文字が浮かぶ。

 DARKNESSα。  完全適合個体。

 一真が身構える。

「あれが……完成体か」

 鬼塚が低く吐き捨てる。

「冗談じゃねえな」

 保存槽が開く。

 中から、一人の男が踏み出した。

 黒い外殻。  啓介のDARKNESSと似ている。  だが、違う。

 その闇には揺らぎがない。  怒りも、迷いも、痛みもない。

 ただ、完成された兵器のように静かだった。

 それは、ゆっくりと目を開けた。

 その瞬間、黒層のシステムが相良の接続を強制遮断する。

「っ……!」

 相良の血装端子が弾かれる。  背中の細い外殻が乱れ、膝が落ちそうになる。

 黒瀬が支えた。

「相良!」

「まだ……もう少しで……」

 ユリの処理台に、再び赤い警告が走る。

 記憶再構築干渉、遮断。  対象認識、再固定へ移行。

 ユリは苦しげに目を閉じた。

「違う……」 「私が……残った……」 「でも……」

 声が途切れる。

 モニターに、再び接触記録が映る。

 啓介が来る。  声をかける。  けれど、届かない。

 ユリの中で、二つの記憶が混ざっていく。

 私が残った。

 でも、彼はまた届かなかった。

 啓介は一歩前へ出ようとした。

 だが、その前に、完全体が立ちはだかる。

 それは、啓介と同じ闇をまとっていた。  だが、その闇には迷いがなかった。

 モニターの赤い光が、男の外殻に反射する。

 DARKNESSα。  完全適合個体。

 黒層の奥で、TAIDAの完成体が目を開けた。

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