第37話 再会
啓介が目を覚ました時、最初に聞こえたのは車の音だった。
遠くを走るタイヤの音。 短く鳴るクラクション。 どこかで閉まる、金属製の扉。
鳥島の施設では聞こえない音だった。
啓介はゆっくり目を開けた。
白い天井ではない。 古いコンクリートの天井。 ひび割れた壁。 剥がれかけた塗装。
身体を起こそうとした瞬間、全身に痛みが走った。
「……っ」
右腕には包帯が巻かれている。 黒血の反応はない。 胸の奥に残っていた熱も、今は静かだった。
啓介は周囲を見た。
部屋の隅には古い棚。 簡易的な医療器具。 窓は板で半分塞がれている。
その隣に、もう一つ簡易ベッドがあった。
一真が眠っている。
血装は解除されていた。 身体には包帯が巻かれ、腕には測定端末が取り付けられている。
啓介は傷の痛みをこらえながら、ベッドから足を下ろした。
「一真」
返事はない。
啓介は一真のそばへ行き、呼吸を確かめた。
浅い。 だが、確かに息をしている。
「……生きてるな」
啓介が小さく息を吐いた時、背後から声がした。
「目が覚めて最初に確認するのが、自分じゃなく一真か」
啓介はすぐに振り返った。
扉の前に、男が立っていた。
啓介の目が見開かれる。
見覚えのある顔。 聞き覚えのある声。
だが、その男は死んだはずだった。
「……鬼塚?」
鬼塚豪は、壁に寄りかかったまま啓介を見ていた。
「相変わらずだな、啓介」
啓介は言葉を失った。
南米第七施設。 GRAVE。 第零保管室に置かれていた、黒く焦げた外殻片。
鬼塚は死んだ。
そう思っていた。
「お前は……」
「勝手に殺すな」
鬼塚は少しだけ笑った。
「俺は生きてる」
◇
一真が目を覚ましたのは、それから少し後だった。
重い瞼を開ける。 視界がぼやけている。
最初に見えたのは、見知らぬ天井だった。
「……ここは」
一真が身体を起こそうとする。
「動くな」
声がした。
一真は顔を向ける。
椅子に座っていた男が立ち上がった。
一真の表情が止まる。
「鬼塚……?」
「久しぶりだな、一真」
一真はしばらく動かなかった。
目の前の男を見ている。 だが、理解が追いついていない。
「お前……死んだはずだろ」
「死んでない」
鬼塚は短く答えた。
「死んだことにされた」
一真の目が揺れる。
「何だよ、それ……」
「そのままの意味だ」
別の声がした。
部屋の扉が開く。
黒瀬が入ってくる。 その後ろには相良もいた。
一真の顔から表情が消えた。
「黒瀬……」
視線が隣へ動く。
「相良……」
二人とも生きている。
TAIDAでは、戻らなかった者。 記録の中で失われた者。 二度と会えないと思っていた仲間たち。
一真は震える声で言った。
「どうなってるんだよ」
黒瀬は一真のベッドの前で足を止めた。
「それを説明するために、お前たちを拾った」
◇
啓介は窓の隙間から外を見た。
遠くに建物の灯りが見える。 道路を走る車。 空には、街の光が薄く残っていた。
「ここは……どこだ」
鬼塚が答えた。
「東京だ」
啓介が振り返る。
「東京?」
一真も驚いて鬼塚を見た。
「俺たちは鳥島の海に落ちたはずだ」
「落ちた」
「じゃあ、何で東京にいる」
鬼塚は黒瀬を見る。
黒瀬が静かに言った。
「鳥島は孤島じゃない」
啓介と一真は黙った。
「東京の闇と、地下で繋がっている」
「地下……?」
「黒脈」
黒瀬は短く答えた。
「鳥島のTAIDA本部と都心地下を結ぶ、存在しない輸送路だ」
一真の眉が寄る。
「島と東京が、地下で繋がってるっていうのか」
「ああ」
黒瀬は頷いた。
「お前たちがTAIDA本部だと思っていた場所には、本当の名前がある」
「本当の名前?」
啓介が聞く。
「鳥島黒層」
鬼塚が答えた。
「TAIDAの本当の姿を知る者だけが、そう呼ぶ」
啓介は窓の外へ視線を戻した。
鳥島にあるTAIDA本部。 海に囲まれた、逃げ場のない孤島の施設。
そう思っていた。
だが違った。
鳥島は、東京と繋がっていた。
誰にも知られない地下の道で。
「俺たちも、その黒脈で運ばれたのか」
啓介が聞く。
「正確には、黒脈の海側保守支線だ」
相良が答えた。
「あなたたちを海中で回収したあと、TAIDA本部を通らずに支線へ入った」「そこから都心地下まで運んだの」
「そんな道まであるのか」
一真が呟く。
「知っている者は少ない」
鬼塚が言った。
「一般隊員は知らない」「研究員の大半も知らない」「黒脈を知る者は、TAIDAの本当の姿を知る者だけだ」
黒瀬は静かに続けた。
「黒脈は、国の地図には載らない」「建設記録も、行政文書も残っていない」「だが、この国の闇は、そこを通って動いている」
◇
「南條さんが、お前たちを助けたのか」
一真が聞いた。
鬼塚はすぐには答えなかった。
代わりに黒瀬が口を開く。
「南條さんが、全部を仕組んだわけじゃない」
「じゃあ何だよ」
「俺たちが処分される可能性を、前から考えていた」
一真の表情が変わる。
「処分……」
「TAIDAにとって、外装化兵士は人間じゃない」
相良が静かに言った。
「使える間は残される」「使えなくなれば、処理される」「それだけよ」
鬼塚が自分の腕を見る。
「俺は南米で死にかけた」「TAIDAは、俺を救うより先に記録を閉じようとした」
「でも、お前の外殻片は第零保管室にあった」
一真が言った。
「見たのか」
「ああ」
鬼塚の目が少しだけ細くなる。
「あれは俺が死んだ証拠じゃない」
鬼塚は一真を見た。
「俺が死んだと信じさせるために残された証拠だ」
一真は何も言えなかった。
第零保管室。 BR-01外殻片。 再照合保管中。
自分が見たものは、鬼塚の死の証拠ではなかった。
死を信じさせるための記録だった。
「南條さんは、俺たちを記録の外へ逃がした」
黒瀬が言う。
「TAIDAの中で死んだ者は、TAIDAから追われない」「少なくとも、すぐにはな」
「じゃあ……」
一真は黒瀬、鬼塚、相良を見る。
「お前たちは、ずっとここにいたのか」
「ここだけじゃない」
相良が答えた。
「隠れ家はいくつかある」「ここはその一つよ」
一真は部屋を見回した。
古い廃棄ビル。 使われなくなった部屋。 必要最低限の医療器具。
TAIDAの外にある場所。
記録に存在しない者たちが、生きている場所。
◇
一真は黙ったまま、啓介を見た。
啓介も一真を見返す。
一真の頭には、いくつもの映像が浮かんでいた。
鬼塚の外殻片。 死んだことになっていた黒瀬と相良。 公式記録。 改ざんされた啓介の映像。
「じゃあ……」
一真の声が掠れる。
「あの映像も」
「偽物だ」
啓介は答えた。
一真は目を伏せた。
すぐには何も言えなかった。
自分は啓介を追った。 疑った。 戦った。 殺しかけた。
「俺は……」
一真の拳がゆっくり握られる。
「お前を殺しかけた」
啓介は少しだけ黙った。
「俺もだ」
一真が顔を上げる。
啓介はまっすぐ見ていた。
「黒血に呑まれて、お前を殺しかけた」「だから、今はそれでいい」
一真は何も返せなかった。
謝れば済む話ではない。 疑いが全部消えたわけでもない。
だが、目の前の啓介は一真を見捨てなかった。
崖から落ちる瞬間。 啓介は腕を掴んだ。
『見捨てるわけ……ないだろ』
その言葉が、まだ耳に残っていた。
◇
相良が端末を開いた。
「話はまだ終わっていない」
啓介が相良を見る。
画面には、短い暗号通信が表示されていた。
SP-07。 記憶照合処理、継続中。 次段階移行、準備開始。
啓介の表情が変わった。
「ユリ……」
一真も画面を見る。
「記憶照合って、まさか」
「お前たちに見せた映像を、ユリにも見せている」
黒瀬が言った。
「TAIDAは、ユリの記憶と公式記録を一致させるつもりだ」
「そんなこと……」
一真の声が低くなる。
啓介はベッドから立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。 身体が崩れかける。
鬼塚がすぐに支えた。
「無理するな」
「離せ」
「今戻れば、また黒血に呑まれる」
「ユリが――」
「助けたいなら、まず生きろ」
黒瀬の声が、啓介を止めた。
啓介は黒瀬を見る。
「死にかけた身体で戻っても、助けられない」「TAIDAはもう、お前たちを危険対象として見ている」「今度捕まれば、ユリと同じように記憶まで奪われる」
啓介は歯を食いしばった。
今すぐ戻りたい。 だが、身体は動かない。
一真もベッドの上で拳を握っている。
「どうすればいい」
一真が聞いた。
黒瀬は静かに答えた。
「TAIDAの外から、TAIDAを崩す」
◇
部屋の中に、短い沈黙が落ちた。
啓介は一真を見る。
一真も啓介を見る。
二人の間には、まだ傷が残っている。 戦った痛みも。 疑った痛みも。 簡単には消えない。
だが、進む先は同じだった。
「ユリを助ける」
啓介が言った。
一真は短く頷く。
「ああ」
鬼塚が立ち上がった。
「なら、今度は俺たちも行く」
黒瀬と相良も、静かに二人を見ていた。
死んだことにされた者たち。 逃走対象となった啓介。 監視対象となった一真。
TAIDAの記録から外れた者たちが、初めて同じ場所に集まった。
一真は、死んだはずの仲間たちを見つめた。
その瞬間。
TAIDAで信じてきたすべての記録が、音を立てて崩れ始めた。




