第34話 対峙
一真は、装備区画を出た。
腕部モニターが起動し、追跡用の識別端末に現在位置が表示される。
AS-02。 追跡任務開始。 対象、AS-01。 目的、確保。
一真は端末を見下ろす。
頭の中には、さっきの映像が残っている。
『邪魔だ』
啓介の声が、耳に残っていた。
南條の言葉が頭をよぎる。
見たものだけで決めるな。
分かっている。 分かっているつもりだった。
だが、怒りは消えない。
「啓介……」
一真は外周設備区画へ向かって走り出した。
◇
啓介は、外周設備区画の奥を進んでいた。
通路は冷えていた。 壁の配管から、低い振動音が伝わってくる。 警報は遠くで鳴っている。
右手には、まだ違和感が残っていた。
拘束具を引き裂いた感触。 壁を壊した感触。 自分の力ではないものが、内側から押し出される感覚。
啓介は右手を握る。
震えは収まりつつある。 呼吸も戻っている。
ユリが止めたのだ。
あのまま進んでいたら、自分は壊れていたかもしれない。 自分だけではなく、ユリさえも巻き込んでいたかもしれない。
『私が決めるの』
ユリの声が蘇る。
啓介は足を止めかけた。
戻りたい。 今すぐ戻って、ユリを取り返したい。
だが、ユリの選択を無駄にする。
次また黒血に呑まれれば、今度こそ戻れないかもしれない。
啓介は目を閉じた。
「振り向くな」
自分に言い聞かせる。
「今は進め」
啓介は再び歩き出した。
◇
管制室から、一真の端末に追跡情報が送られてきた。
AS-01、外周設備区画南側へ移動した可能性。 黒血反応、微弱。 反応不安定。 地上搬出口、封鎖準備中。
一真は走りながら通信を開いた。
「SP-07は」
少し遅れて、職員の声が返る。
『SP-07は臨時拘束室に移送済みです』
一真の足が一瞬だけ鈍った。
「……そうか」
『AS-02、対象の黒血反応は現在低下しています。ただし再上昇の可能性あり。接触時は距離を保ってください』
「分かってる」
一真は通信を切った。
分かっている。 啓介は危険だ。 映像で見た力は普通ではなかった。
それでも。
それでも、あいつが本当にユリを盾にしたのか。
一真は答えを出せないまま、東側整備通路へ入った。
◇
東側整備通路は、すでに封鎖されていた。
警備員が数名、破損箇所の前に立っている。 床には壊れた拘束具の破片。 壁には衝撃でついた跡。 配管の一部は折れ、応急処置の赤いテープが巻かれていた。
一真は足を止めた。
映像で見た場所だ。
警備員の一人が敬礼する。
「AS-02、対象はこの奥へ抜けたと見られます」
一真は返事をせず、壊れた壁へ近づいた。
厚い壁材が砕かれている。 人一人が通れるほどの穴が開いていた。
一真は破損部分に触れる。
「血装なしで、これを……」
声が低く落ちる。
映像では、啓介は迷いなく壁を壊していた。 だが、現場には別のものも残っていた。
床に、細い擦れ跡がある。 管理室の方へ向かう足跡のような跡。 ユリが無理に押し出されたなら、動きはもっと乱れるはずだった。
一真は眉を寄せる。
映像では、ユリは啓介に前へ出された。 そしてそのまま拘束されたように見えた。
だが、現場の跡は少し違う。
ユリは、管理室の方へ動いている。 自分から。
「……何だよ、これ」
違和感が小さく胸に刺さる。
だが、今は確かめている時間はない。
追跡端末が反応した。
AS-01反応、微弱。 外周南側。 距離、接近中。
一真は壁の穴を見た。
「啓介」
そして、その奥へ進んだ。
◇
ユリは臨時拘束室から連れ出された。
両手の拘束具は外されない。 左右に職員がつく。
「どこへ連れて行くんですか」
ユリが聞く。
女性職員が答える。
「次段階照合の準備区画です」
「明朝の予定では」
「前処理を行います」
ユリの目がわずかに動いた。
「前処理?」
「SP-07の記憶安定性を確認します」
その言葉に、ユリの胸が少しだけ冷えた。
記憶。
女性職員は続ける。
「逃走補助時の認識に揺らぎがある可能性があります」 「映像記録との照合を行います」
「映像記録……」
ユリはその言葉を繰り返した。
自分が何をしたかは覚えている。
啓介は苦しんでいた。 黒血が暴れかけていた。 外から干渉されていた。 自分は、それを止めるために管理室へ向かった。
啓介を行かせたのは、自分だ。
『私が決めるの』
自分の声が、胸の奥に残っている。
ユリは職員を見る。
「私の記憶を、何と照合するつもりですか」
女性職員は表情を変えなかった。
「公式記録です」
ユリは何も返さなかった。
公式記録。
その言葉が、ひどく不吉に聞こえた。
◇
南條は、制限された端末の前にいた。
映像ではなく、数値を見ていた。
AS-01黒血反応。 急上昇。
外部干渉波。 起動。
SP-07。 権限外操作。
AS-01干渉値。 低下処理。
干渉波。 一時停止。
AS-01黒血反応。 低下。
SP-07。 確保。
南條は画面を見つめる。
順番は明らかだった。
SP-07は、逃走を補助したのではない。 AS-01を止めた。
それも、自分の位置が特定されることを承知で。
南條は別の記録を開こうとした。
画面が切り替わる。
WD-00。 閲覧権限がありません。
南條は目を細めた。
「……やはり消しているか」
公式映像。 公式記録。 逃走補助。
すべて、都合のいい形へ寄せられている。
南條は一真の追跡端末へ、短い通知を送った。
AS-01黒血反応、現在低下。 接触時、即時攻撃を避けろ。
それ以上は書かなかった。
今の自分が詳しく送れば、すぐに遮断される。 下手をすれば、一真まで監視対象になる。
南條は端末を閉じた。
「気づけ、一真」
◇
一真の端末に、短い通知が入った。
AS-01黒血反応、現在低下。 接触時、即時攻撃を避けろ。
送信者は表示されていない。 だが、誰なのかは分かった。
「南條さん……」
一真は小さく呟く。
即時攻撃を避けろ。
つまり、今の啓介は完全な暴走状態ではない。対話が可能という意味だ。
一真は奥歯を噛んだ。
「だったら、なおさら聞くしかねえだろ」
端末の反応が強くなる。
AS-01反応、接近。
一真は走った。
◇
啓介は、地上側へ続く保守出口に着いていた。
だが、出口は封鎖されかけていた。
鉄製のシャッターが半分以上下りている。 警告灯が赤く点滅していた。
力で壊せば出られるかもしれない。
啓介は右手を見る。
拳を握る。 だが、すぐに緩めた。
壊せば、また黒血が動く。
自分はさっき、それでユリを失いかけた。 いや、実際に置いてきた。
啓介は目を閉じる。
壊すな。 考えろ。
近くに保守用の小さなハッチがあった。 人が一人、何とか通れる程度の幅。
啓介はそこへ向かい、手動レバーを引く。
硬い。 だが、壊すほどではない。
啓介は力を調整し、ゆっくりとハッチを開けた。
冷たい夜気が流れ込む。
外だ。
ようやく、本部の外へ出られる。
その瞬間、背後から声が飛んだ。
「啓介!」
啓介は振り返った。
通路の向こうに、一真が立っていた。
腕部モニターを装着し、追跡端末を握っている。 まだ血装は展開していない。
一真の目には、怒りがあった。 だが、それだけではなかった。
迷いもある。 疑いもある。 何かを確かめようとする目だった。
啓介は黙って一真を見る。
一真が一歩近づいた。
「お前、ユリに何をした」
その言葉で、啓介の表情が変わった。
「……何?」
「映像を見た」
一真の声が低くなる。
「ユリを盾にして逃げたのか」
啓介の目が揺れた。
すべてが、繋がった。
一真は何かを見せられている。 そして、それは真実ではない。
啓介は静かに息を吸った。
「一真」
警報音が遠くで鳴っている。
二人の間に、壊れた通路の冷たい空気だけが流れていた。




