第33話 偽りの真実
警報音が、TAIDA本部の夜を裂いた。
管制室の大型モニターには、赤い表示が次々と並んでいく。
SP-07、確保。
AS-01、所在不明。
東側整備通路、破損確認。
外周設備区画へ移動した可能性あり。
黒血反応、一時急上昇。
現在、反応低下。
職員たちが端末を操作する音が重なる。
「外周設備区画の監視を上げろ」 「東側整備通路の記録を出せ」 「AS-01の現在位置は」 「照合中です。反応が途切れています」
上席職員が短く命じた。
「AS-01を逃走対象へ移行」
画面の表示が切り替わる。
AS-01。
逃走対象。
危険度、上位。
黒血反応警戒。
その瞬間、啓介はTAIDAの中で、追うべき対象になった。
◇
ユリは、東側整備通路の管理室から連れ出された。
両手には拘束具。
端末は没収されている。
職員二人と警備員が左右についた。
廊下の先で、女性職員が待っていた。
「SP-07。AS-01はどこへ向かいましたか」
ユリは答えなかった。
「あなたはAS-01の逃走を補助しましたね」
「私は、黒血反応の暴走を止めただけです」
女性職員は端末に記録する。
「逃走補助を認めたものとして処理します」
ユリの目が少しだけ動いた。
まただ。
自分の言葉が、違う意味に変えられていく。
けれど、今度は俯かなかった。
「私は認めていません」
女性職員は表情を変えない。
「記録上は、そう処理されます」
ユリは唇を結んだ。
ここでは、言葉さえ管理される。
何を言ったかではない。
どう記録されるかで、意味が決められる。
だが、それでも。
啓介の黒血反応は下がった。
自我維持は戻り始めていた。
それだけは、確かに自分が変えた結果だった。
◇
一真が管制室へ駆け込んだ時、室内はすでに騒然としていた。
「何が起きた」
職員の一人が振り返る。
「AS-02、現在管制室への立ち入りは――」
「何が起きたって聞いてる」
一真の声に、職員の動きが一瞬止まった。
大型モニターの赤い文字が、一真の目に入る。
SP-07、確保。
AS-01、所在不明。
一真の顔が変わった。
「ユリが確保……?」
次の表示を見る。
AS-01、逃走対象へ移行。
東側整備通路、破損。
黒血反応、一時急上昇。
一真は職員へ詰め寄った。
「啓介はどこだ」
「外周設備区画方面へ移動した可能性があります」
「ユリは何で捕まってる」
「SP-07はAS-01逃走補助の疑いで確保されました」
一真の拳が震えた。
「逃走補助……?」
昨日の啓介の顔が、頭に浮かぶ。
何かを決めたような目。
「今は」と言った声。
何も言わず、自分の前から離れた背中。
一真は画面を睨んだ。
「映像を見せろ」
職員は一瞬だけ上席を見る。
上席職員が頷いた。
「東側整備通路の記録を表示」
◇
大型モニターに映像が流れた。
画面には、啓介とユリが映っていた。
二人は警備員に囲まれている。
映像は少し乱れていた。
だが、何が起きているかは分かる。
警備員が啓介へ拘束具を向ける。
啓介がそれを掴む。
金属が歪み、拘束具が壊れた。
警備員の一人が壁に叩きつけられる。
一真は息を呑んだ。
「血装は」
職員が答える。
「展開反応は確認されていません」
「じゃあ、何であんな力が出てる」
「黒血反応の影響と見られます」
映像は続く。
警備員がさらに近づく。
ユリは啓介の横にいる。
その瞬間、映像が一度乱れた。
次のカットで、啓介の手がユリの腕を掴んでいた。
ユリの身体が前に出る。
警備員の拘束具が、啓介ではなくユリへ向く。
一真の目が見開かれた。
ユリがよろめく。
啓介の腕が、さらにユリを前へ押し出すように動いた。
警備員がユリを押さえる。
その瞬間、音声が入った。
『邪魔だ』
低い声だった。
啓介の声だった。
管制室の空気が凍った。
映像の中で、ユリは拘束されかけている。
啓介は振り返らない。
そのまま正面の壁へ向かい、拳を振る。
一撃。
二撃。
三撃。
壁が崩れた。
啓介は、開いた穴の向こうへ進む。
ユリは警備員に押さえられていた。
その手が、一瞬だけ啓介の方へ伸びる。
だが、啓介は止まらない。
背中だけが遠ざかる。
映像が切り替わる。
管理室。
ユリが拘束される場面。
最後に、啓介の背中だけが映った。
壁の向こうへ消えていく背中。
振り返ることはなかった。
映像が止まる。
管制室に、短い沈黙が落ちた。
一真は画面を見つめたまま動かなかった。
今見たものが、頭の中で何度も繰り返される。
啓介がユリの腕を掴んだ。
ユリを前へ出した。
警備がユリへ向いた。
その隙に啓介は逃げた。
そして、あの声。
『邪魔だ』
一真の拳が固く握られた。
「……ふざけんなよ」
低い声だった。
職員たちは何も言わない。
説明など必要なかった。
映像だけで、十分だった。
「啓介……お前」
一真の声が震える。
「ユリを盾にしたのか」
◇
管制室の隅で、南條は同じ映像を見ていた。
表情は変えない。
だが、その目は画面の端を追っていた。
映像の乱れ。
音声の繋ぎ目。
啓介の黒血反応が急上昇した時間。
ユリが管理室へ向かった時刻。
すべてが、少しずつ噛み合わない。
映像では、啓介が一方的にユリを切り捨てたように見える。
だが、記録上の黒血干渉値は、ユリが確保される直前に急低下している。
誰かが、AS-01への干渉を止めた。
それが誰かは、考えるまでもない。
これは記録ではない。
誰かに見せるための映像だ。
◇
上層部からの命令は、すぐに下りた。
AS-01追跡班編成。
対象、AS-01。
目的、確保。
危険時、鎮静処置を許可。
黒血反応再上昇時、距離を保ち対応。
追跡担当。
AS-02。
一真は表示を見た。
「俺か」
上席職員が言う。
「AS-02。あなたはAS-01の戦闘傾向を把握しています」
「黒血反応時の危険性も現場で確認している」
「対象に接触できる可能性が最も高いと判断されました」
一真は黙っていた。
「AS-01を追跡し、確保してください」
確保。
その言葉が、妙に冷たく響いた。
啓介は仲間だった。
今も、そう思いたい。
だが、画面に映った啓介は、いつもの啓介ではなかった。
血装なしで金属を引き裂き、壁を壊した。
そして、ユリを盾にして逃げた。
そう見えた。
信じたくない。
だが、映像は残っている。
ユリは確保された。
啓介は逃げている。
一真には、まだ答えが出なかった。
「AS-02」
上席職員が再び呼ぶ。
一真は顔を上げた。
「……了解」
その一言で、一真は追跡者になった。
◇
出撃準備へ向かう途中、一真は南條に呼び止められた。
通路の照明は落とされている。
遠くでは警報がまだ低く鳴っていた。
「一真」
一真は振り返る。
南條が立っていた。
「今さら何ですか」
一真の声には苛立ちがあった。
「知ってたんですか」
南條は答えない。
一真は一歩近づく。
「啓介とユリがここから逃げようとしてた事を」
「全部、分かってたんですか」
「確信はなかったが、予想はできた」
「じゃあ、何で止めなかった」
南條は静かに返す。
「止めれば済む話ではなかった」
一真の顔が歪む。
「ユリは捕まったんですよ」
「知っている」
「啓介はユリをおいて逃げた」
「ああ」
「それも、ユリを盾にして」
南條はすぐには答えなかった。
一真の声が低くなる。
「あんたもみたんだろ、あの映像を」
「ああ……」
「だったら――」
「見たものだけで決めるな」
一真の拳が握られる。
「はぁ…!」
「見たものだけで決めるなって、あんたはいつもそれだ」
「でも映像には映ってたんですよ」
「啓介がユリを押し出して、一人で逃げた」
南條は一真を見た。
「映っているものが、すべてとは限らない」
「じゃあ何があるって言うんですか」
「それを確かめに行け」
一真は黙った。
南條は続ける。
「追跡命令は出た」
「だが、捕まえることだけを目的にするな」
「意味が分かりません」
「啓介を見ろ」
「何が起きたのか、自分の目で確かめろ」
一真は南條を睨んだ。
「結局、また俺に考えろってことですか」
「そうだ」
南條は目を逸らさなかった。
「お前は、命令だけで動く人間ではない」
一真は言葉に詰まった。
怒りは消えない。
啓介への疑いも消えない。
ユリが捕まったことへの苛立ちも消えない。
それでも、南條の言葉は胸に残った。
見たものだけで決めるな。
一真は小さく息を吐いた。
「……俺は、啓介を止めます」
「ああ」
「あいつの口から真実を問いただす」
南條は短く頷いた。
「今あいつを救えるのは一真…お前だけだ…」
◇
ユリは臨時拘束室に座らされていた。
両手は前で拘束されている。
端末はない。
認証カードも没収された。
壁際には監視カメラ。
扉の外には警備員。
女性職員が告げる。
「SP-07。あなたの医療監視権限は停止されました」
ユリは黙って聞いていた。
「明朝の次段階照合は予定どおり実施します」
その言葉に、ユリの指がわずかに動いた。
逃げられなかった。
捕まった。
明朝の予定も、まだ消えていない。
それでも、ユリは目を閉じた。
啓介の黒血反応は下がった。
AS-01、反応安定。
最後に見たその文字だけが、今の支えだった。
自分で選んだ。
だから、まだ折れるわけにはいかなかった。
◇
一真は装備区画に入った。
FANG用の追跡補助装備が用意されていた。
識別端末。
拘束用ワイヤー。
鎮静弾。
黒血反応を拾う小型センサー。
血装展開時の負荷を測る腕部モニター。
整備員が確認する。
「AS-02、追跡装備を装着してください」
「ああ」
一真は短く答えた。
装備を身につけながら、頭の中ではいくつもの顔が浮かんでいた。
鬼塚。
黒瀬。
相良。
ユリ。
啓介…
一真は拳を握った。
真実を知らないまま、終わらせるつもりはない。
整備員が言う。
「AS-02、出撃準備完了」
一真は追跡用の識別端末を手に取った。
そして、低く呟いた。
「待ってろ、啓介」
目の奥に、怒りと迷いが同時に宿る。
「俺が確かめる」




