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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第26話 零室の記録

第零保管室の隔壁前で、ユリは端末に指を走らせていた。

 深夜。

 本部内の人の流れは、最も少ない時間帯だった。

 だが、この区画だけは空気が違う。

 通路の両端には監視カメラ。

 隔壁の横には専用の認証盤。

 通常端末では扱えない上位区画であることが、見ただけで分かる。

 啓介は少し離れた位置で周囲を警戒していた。

 一真は通路の奥へ視線を向け、足音が近づいていないかを確かめている。

「いけるか」

 啓介が声を落として聞いた。

「やってみる」

 ユリは短く答えた。

 前夜、第零保管室の場所を突き止めたあと、ユリは隔壁認証の履歴を追っていた。

 その中に、一度だけ使われた古い承認痕を見つけた。

 完全な認証ではない。

 だが、隔壁側の照合処理を一瞬だけ誤認させることはできるかもしれなかった。

 ユリが最後の入力を終える。


 端末に文字が流れた。

 承認履歴、照合。

 旧管理階層、確認。

 再照合を開始。

 隔壁上部の認証灯が、赤から橙へ変わる。

 三人は息を止めた。

 数秒。

 短いはずの時間が、異様に長く感じられる。

 やがて、認証灯が緑に変わった。

 重い解錠音が通路に響く。

 一真が小さく息を吐く。

「……開いた」

「急いで」

 ユリが言う。

 隔壁が横へ滑る。

 三人は第零保管室へ足を踏み入れた。

     ◇

 内部は、研究室というより保管庫に近かった。

 中央に専用管理端末。

 壁面には封印された資料庫。

 奥には解析設備へ続く小さな扉。

 人の気配はない。

 低い機械音だけが、部屋の中で途切れず鳴っていた。

 一真は入ってすぐ、右側の保管棚に目を止めた。

 表示されている識別名。

 BR-01外殻片。

 再照合保管中。

 一真の足が止まる。

「鬼塚……」

 透明なケースの中に、黒く焦げた外殻片が置かれていた。

 南米から持ち帰られた、鬼塚豪の痕跡。

 一真は近づいた。

 指先がケースへ触れかける。

 だが、封印表示を見て止まった。

「こんな所に閉じ込めて、終わりにする気かよ」

 声は低かった。

 啓介はその横を見たが、すぐにユリへ視線を戻す。

「今は記録を探す」

 一真は拳を握ったまま、無言で頷いた。

 ユリは中央端末へ向かう。

 補助端末を接続し、限定検索画面を立ち上げる。

 第零保管サーバー。

 管理端末経由。

 検索範囲、一部解放。

「繋がった」

 ユリの声がわずかに震えた。

 検索欄へ入力する。

 SP-07。

 数秒後。

 画面に複数の項目が現れた。

 SP-07再照合記録。

 初期保護記録。

 初期検査記録。

 移送処理履歴。

 ユリの指が止まる。

「初期検査……」

 啓介が隣に立つ。

「開けるか」

 ユリは頷いた。

 指先が画面に触れる。

 表示が切り替わった。

 そこにあったのは、映像記録。

 再生前の静止画には、幼い少女が映っている。

 短い黒髪。

 痩せた肩。

 大きすぎる検査着。

 視線は床に落ちている。

 ユリは息を止めた。

 その少女が誰なのか。

 確かめるまでもなかった。

「……私」

 掠れた声が落ちる。

 啓介は何も言わなかった。

 一真も、画面から目を逸らせなかった。

 ユリは再生ボタンに触れた。

     ◇

 映像が動き出す。

 狭い検査室。

 冷たい光。

 幼いユリは椅子に座らされ、腕に測定具を巻かれていた。

 画面の外から、大人の声が聞こえる。

『SP-07、顔を上げて』

 少女は反応しない。

 別の声。

『理解反応はある。もう一度』

『SP-07』

 呼ばれて、幼いユリが少しだけ顔を上げる。

 目は怯えている。

 だが、泣いてはいなかった。

 啓介の手が、無意識に握られる。

 映像の中で、測定器の音が鳴った。

『血液反応、A-Prime確認』

『安定しているな』

『保持対象へ移行』

 ユリの指が、端末の縁を掴む。

 画面の中の自分は、何を言われているのか分からない顔をしていた。

 ただ、周囲の大人たちは、少女を見ているのではなかった。

 数値を見ている。

 結果を見ている。

 使えるかどうかを見ている。

 さらに声が続く。

『母胎適合候補として登録』

 一真の表情が変わった。

「……何だよ、それ」

 誰も答えない。

 映像の中で、幼いユリの腕から測定具が外される。

 立ち上がろうとした彼女を、職員の手が止めた。

『国内中枢施設へ移送する』

『初期記録は閉鎖扱いで』

『了解』

 映像はそこで切れた。

 画面が静止する。

 検査椅子に座ったままの幼いユリ。

 彼女の名は、一度も呼ばれなかった。

     ◇

 部屋の中に、機械音だけが残った。

 ユリは画面を見つめたまま動かなかった。

「……私は」

 言葉が続かない。

 啓介は隣で黙っていた。

 下手な言葉を挟めば、壊れてしまいそうだった。

 一真は怒りを押し殺すように、拳を握っている。

 ユリは、ようやく口を開いた。

「保護されたんじゃなかった」

 声は小さい。

 だが、はっきりしていた。

「必要だから、残されたんだ」

 啓介の目がわずかに伏せられる。

 それは、前から薄々感じていたことだった。

 けれど、映像で突きつけられるのは違った。

 幼いユリの声なき記録。

 名前ではなく、番号で扱われていた過去。

 それは想像ではない。

 事実だった。

     ◇

 ユリは震える指で、関連項目へ戻った。

 画面の片隅に、別の識別コードが見えた。

 関連対象。

 AS-01。

 啓介の目が止まる。

「俺の記録も……ここにあるのか」

 ユリは開こうとした。

 だが、その瞬間、端末の上部に警告表示が走った。

 不正参照を検知。

 接続履歴を記録します。

 閲覧権限を再照合中。

「まずい」

 ユリの表情が変わる。

 一真が周囲を確認する。

「もう出た方がいい」

 啓介は頷いた。

「戻る」

 ユリは画面を見た。

 AS-01。

 その一語が、まだそこに残っている。

 知りたい。

 今、開けば何かが分かるかもしれない。

 だが、ここで捕まればすべて終わる。

 ユリは息を呑み、端末から手を離した。

「……行こう」

 三人は第零保管室を後にした。

 隔壁が閉じる。

 緑だった認証灯が、再び赤へ戻った。

     ◇

 数分後。

 南條の端末に通知が入った。

 第零保管室。

 短時間の管理端末使用履歴を確認。

 旧WD-00承認階層を経由。

 再監査を推奨。

 南條は画面を見たまま、しばらく動かなかった。

 誰が入ったのか。

 考える必要もない。

 低く呟く。

「……開けたか」

 驚きはなかった。

 ただ、時間が想定より早く進んだことを受け止める声だった。

     ◇

 深夜の連絡通路で、啓介、ユリ、一真は短く顔を合わせた。

 ユリが最初に口を開く。

「私は……拾われたんじゃなかった」

 啓介は黙って聞いている。

「最初から、何かのために残された」

 一真の表情が歪む。

「人を物みたいに……」

 ユリは首を振らなかった。

 否定できなかった。

 啓介が低く言う。

「なら、TAIDAが決めた役割から抜ける」

 ユリが顔を上げる。

「抜ける……」

「ああ」  啓介はまっすぐ見返した。 「誰かが決めた使い道で、お前が生きる必要はない」

 ユリは何も返せなかった。

 ただ、端末に映っていた幼い自分の顔が、まだ頭から離れない。

 一真は拳を握った。

「鬼塚のことも、黒瀬のことも、相良のことも」

「全部、あいつらの都合で終わらせる気なら、止めるしかねえ」

 啓介は短く頷いた。

 零室で見たものは、答えのすべてではなかった。

 だが、もう疑いでは済まなかった。

 知らないまま従うことは、できない。

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