第27話 残された痕跡
第零保管室の管理記録は、朝の定時確認で異常として引っかかった。
夜間。
短時間の隔壁開放。
管理端末の起動。
第零保管サーバーへの限定接続。
通常なら、すべて事前申請が必要な処理だった。
情報管理区画の職員は、端末上の履歴を見たまま動きを止めた。
「……これ、昨夜の記録か」
隣の職員が画面を覗き込む。
第零保管室。
管理端末使用履歴あり。
参照対象、SP-07。
関連項目、AS-01表示直後に接続停止。
さらに下へ視線を移す。
使用承認階層。
旧WD-00認証痕。
「WD-00?」
「現行権限じゃない。凍結前の承認履歴を経由してる」
「不正接続か」
「それ以外にない」
職員はすぐに上席回線を開いた。
「第零保管室に不正参照の痕跡。内部権限の悪用と思われます」
短い沈黙のあと、通信の向こうから返答があった。
『履歴を保全。監査区画へ共有しろ』
「了解」
画面上の記録が複製される。
誰が入ったのか。
まだ断定はできない。
だが、TAIDAは理解した。
隠した記録を、追っている者がいる。
◇
南條は、午前の監査呼び出しを受けていた。
監査区画の部屋は静かだった。
机を挟んで向かいに座る監査官は、前回と同じ人物である。
表情に変化はない。
中央の端末に、昨夜の履歴が表示された。
第零保管室。
旧WD-00承認階層を経由。
管理端末、一時使用。
限定検索、SP-07。
「説明を」
監査官が言った。
南條は画面を見たまま答える。
「現在、私の権限は一部凍結されている」
「承知しています」
「なら、私が直接実行したものではないことも分かるはずだ」
「直接ではないでしょう」
監査官は淡々と返した。
「ですが、あなたの旧承認履歴が利用された」
南條は何も言わなかった。
「第零保管室に関わる認証痕は、限られた管理層にしか残りません」
「その一つが、WD-00の履歴です」
監査官は端末を操作する。
次の画面には、南米第七施設以降の記録が並んだ。
AS-01への接触。
SP-07への接触。
AS-02への対応。
BR-01外殻片の廃棄保留判断。
「あなたは、対象者三名へ過度に関与している」
「部下だ」
「今は監査対象です」
その一言で、部屋の空気がわずかに締まった。
南條は目を逸らさない。
「昨夜、第零保管室へ入った者について、心当たりは」
「ない」
「本当に?」
「知らない」
監査官はしばらく南條を見ていた。
だが、それ以上の追及はしなかった。
代わりに、別の通知を開く。
「本日より、WD-00の対象者三名への単独接触を制限します」
南條の目がわずかに動く。
「理由は」
「監査上の措置です」
「現場判断への影響が出る」
「現場はすでに終了しています」
監査官は、端末を閉じた。
「今後は、必要な指示のみ正式回線で行ってください」
南條は短く答えた。
「了解した」
監査官は何も言わない。
南條は立ち上がり、部屋を出た。
廊下へ出たところで、足を止める。
表情は変わらない。
だが、手元の端末を握る指に、わずかに力が入っていた。
動ける範囲が、また狭められた。
◇
ユリは再照合区画へ向かう通路を歩いていた。
昨夜見た映像が、何度も浮かぶ。
大きすぎる検査着。
椅子に座らされた幼い自分。
顔を上げろと命じる声。
『SP-07』
名前ではなかった。
『保持対象へ移行』
『母胎適合候補として登録』
胸の奥に、冷たいものが残っている。
あれは昔の記録だ。
もう終わったことだ。
そう言い聞かせようとしても、できなかった。
終わってなどいない。
今も自分はSP-07として再照合されている。
その時、携行端末が震えた。
ユリは足を止め、画面を開く。
SP-07。
追加再照合を実施。
即時、再照合区画へ移動してください。
ユリの目が細くなる。
「……今日?」
予定にはなかった。
昨夜の零室侵入と無関係とは思えない。
通路の先に、白衣の職員が二人立っていた。
待っていたように姿勢を正す。
「御崎ユリさん」
名前で呼ばれたのに、少しだけ違和感があった。
昨日まではそれを求めていたはずなのに。
「再照合区画まで同行します」
「必要ありません」
「指示です」
ユリは短く黙った。
その後ろから、もう一人の職員が続ける。
「本日の照合は、上位確認項目を含みます」
上位確認項目。
その言葉だけで、意味は十分だった。
ユリは何も返さず、歩き出した。
◇
啓介の端末にも、ほぼ同時刻に通知が届いた。
AS-01。
黒血反応評価を再実施。
運用検証移行審査、前倒し。
指定時刻までに第三区画へ移動。
啓介は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
昨日、零室で見えた言葉。
関連対象。
AS-01。
開く前に退いた。
だが、TAIDAはもうこちらを待ってはくれないらしい。
扉が開き、監視員が顔を出す。
「AS-01、移動準備を」
「急だな」
啓介が言う。
「上層判断です」
「理由は」
「通知以上の情報はありません」
啓介は立ち上がった。
右手を一度握る。
黒血は静かだ。
だが、静かだからこそ、TAIDAは確かめようとしている。
再び引き出せるか。
どう使えるか。
啓介には、そうとしか思えなかった。
「行けばいいんだな」
「はい」
監視員が先に立つ。
啓介は無言でその後に続いた。
◇
一真は、保管区画の端末前で足を止めていた。
BR-01外殻片の保管情報をもう一度確認しようとした。
だが、画面には昨日までなかった表示が出た。
AS-02。
関連保管情報への照会権限を一時停止。
詳細は監査判断により制限されています。
「……ふざけんな」
低く吐き捨てる。
背後に気配を感じた。
振り返ると、監視員が一人立っていた。
「何か用か」
一真が問う。
「いえ」
「じゃあ、何でそこに立ってる」
「指示です」
一真の目が鋭くなる。
「見張りかよ」
監視員は答えなかった。
その沈黙で十分だった。
一真は端末から手を離す。
怒鳴りつけるのは簡単だ。
だが、南條の言葉がよぎる。
『感情にまかせて行動するな。』
一真は歯を食いしばり、拳を開いた。
ここで荒れれば、相手の思うつぼだ。
そう分かっていても、腹の底の怒りは消えなかった。
◇
午後。
一真は、人気の少ない連絡通路で南條を見つけた。
「南條さん」
声をかける。
南條は足を止めたが、振り返らなかった。
「今は、私的接触を控えろ」
「やっぱり制限されたんですね」
南條は黙る。
一真は一歩近づいた。
「今日になって、急に監視が濃くなった」
「ユリも啓介も呼び出されてる」
南條は低く言った。
「軽率だったな」
一真の表情が変わる。
「昨日の件で?」
「そう考えるのが自然だ」
「なら、やっぱり知ってるんじゃないですか」
南條は答えなかった。
一真は苛立ちを隠さない。
「俺たちが何を見たか」
「どこに入ったか」
「全部分かってるんでしょう」
「分かっていたとしても、言って何が変わる」
「少なくとも、こっちは無駄に疑わずに済む」
「疑え」
一真が言葉を止める。
南條はようやく振り返った。
「今は、誰の言葉もそのまま信じるな」
「私の言葉も含めてだ」
一真は黙った。
「次に来るものを見誤るな」
「次?」
「お前たちは、触れすぎた」
南條の声は静かだった。
「零室へ触れた以上、TAIDAは待たない」
一真は拳を握る。
「だったら、こっちも急がないと間に合わねえ」
「そうだ」
南條はそれだけ言い、歩き出した。
一真はその背中を見送る。
味方なのか。
敵なのか。
まだ分からない。
けれど、南條が今の状況を読んでいることだけは、はっきりした。
◇
上層管理区画では、複数の決定が同時に処理されていた。
AS-01。
黒血反応評価、運用検証移行審査を前倒し。
SP-07。
追加再照合、上位確認項目を適用。
AS-02。
行動監視を強化。
関連区画への照会権限を一時停止。
WD-00。
対象者三名への単独接触制限。
監査継続。
端末の前に座る者の一人が、短く言った。
「第零保管室に触れた者がいる以上、これ以上の猶予は不要です」
別の者が頷く。
「管理対象を、再び枠内へ戻す」
「AS-01は」
「検証次第です。反応が再現できるなら、次段階へ移せます」
「SP-07は」
「再照合結果を見て判断します」
画面上の決定事項が確定処理へ進んでいく。
人の意思など、最初から存在しないように。
◇
夜。
啓介、ユリ、一真はコミュニティルー厶に集まった。
「追加再照合が入ったわ」
啓介が続ける。
「俺は黒血評価を前倒しされた」
一真も低く言う。
「行動制限を受けてる。見張りも増えた」
三人は互いを見る。
昨夜、零室で真実の一部に触れた。
その翌日には、TAIDAが動き出している。
何かを知った。
それだけで、管理は一段強くなる。
啓介が言った。
「時間がなくなってきた」
ユリは黙って頷く。
一真の拳が固く握られる。
零室に残した痕跡は、もう戻せない。
そしてTAIDAは、その痕跡を見逃さなかった。




