表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/40

第19話 黒血の残響

啓介は検査台に座っている。  腕には複数のセンサー。  首元にも細い測定具。  胸部には血液反応を拾うための端子が貼られていた。

 その周囲に、医療班が三人。  壁際には、武装した監視員が二人。

 ただの検査にしては多い。

 啓介は、監視員の方を見た。

「検査にしては、人が多いな」

 ユリは端末から目を離さなかった。

「黒血反応の確認に、追加監視がついた」

「俺を診るためか」

 啓介は静かに言った。

「俺を止めるためか」

 ユリの指が、一瞬だけ止まった。

 答えはない。  それだけで十分だった。

 啓介は小さく息を吐いた。

「分かりやすいな」

「啓介」

「いい。怒ってるわけじゃない」

 啓介は自分の右手を見る。 

 握る。  開く。

 その動きの奥に、かすかな遅れがある。

 自分の身体なのに、どこかで誰かが確認してから動かしているような感覚。

 ユリが言う。

「もう一度、右手を握って」

 啓介は従った。

 端末に波形が走る。  赤い線。  青い線。  そして、ところどころ黒く沈む反応。

 ユリの表情が硬くなる。

「神経信号は戻ってきてる。でも、まだ少し遅れてる」

「どれくらいだ」

「普通なら誤差で済む範囲。でもあなたの場合は違う」

「黒血か」

 ユリは小さく頷いた。

「血液反応の一部が黒化したまま戻っていない」

 啓介は黙って聞いていた。

 ユリは画面を切り替える。

「それだけじゃない。黒血解放時の記録を見ると、あなたの意思反応より先に、筋肉信号が動いていた痕跡がある」

 啓介の目が細くなる。

「つまり」

 ユリは少しだけ言葉を探した。

「身体が、あなたより先に動いた」

 医療区画の空気が重くなる。

 啓介は右手を見た。

 あの時の感覚が、胸の奥に戻る。

 黒い視界。  勝手に動く腕。  何かを掴む指。  砕ける音。

「俺が動かしたんじゃない」

「記録上は、そう見える」

「でも、俺の身体だ」

 ユリは何も言えなかった。

 啓介は静かに続ける。

「俺がやったことに変わりはない」

     ◇

 検査は続いた。

 医療班の一人が、端末に第七施設での戦闘ログを表示する。

 ユリが振り向いた。

「その映像は必要ありません」

「上からの指示です。黒血反応の再現条件を確認するためです」

 医療班員は淡々と言った。

 ユリの目が鋭くなる。

「本人への負荷が大きすぎます」

「短時間です」

 壁際の監視員がわずかに姿勢を正した。

 ユリは端末を握る手に力を込めた。

 啓介が言った。

「流せ」

 ユリが啓介を見る。

「啓介」

「俺の反応を見たいんだろ」

 啓介は医療班を見る。

「見ればいい」

 モニターに、第七施設の映像が映る。

 赤い非常灯。  中央通路。  押し寄せる異形。  その中に立つDARKNESS。

 啓介は画面を見つめた。

 映像の中のDARKNESSは、自分であって自分ではなかった。

 異形が飛びかかる。  DARKNESSがそれを掴む。  壁へ叩きつける。

 音は消されている。  だが、啓介には聞こえた。

『たすけて』

 実際に流れているわけではない。  だが、耳の奥で蘇る。

 画面の中で、小さな身体が床を転がる。

 管理タグが落ちる。  赤い床に、薄い金属片が跳ねる。

 S-07-086。

 啓介の呼吸がわずかに乱れた。

 ユリがすぐに気づく。

「啓介?」

 啓介は答えない。

 次の映像。  DARKNESSが天井から落ちてきた個体を掴む。  そのまま床へ叩きつける。

 硬い音。  あるはずのない音が、啓介の頭の中に響く。

 手が覚えている。

 掴んだ感触。  外殻越しに伝わった軽さ。  砕ける瞬間の抵抗。

 啓介は検査台の縁を掴んだ。

 ユリの声が遠くなる。

「啓介、聞こえる?」

 啓介は息を吐こうとした。  だが、胸の奥で黒いものが沈んでいる。

 五感に残る…血の匂い  焼けた壁 子どもの声。

「啓介!」

 ユリの声が強くなる。

 啓介は、ようやく目を閉じた。

「分かってる」

 声は掠れていた。

「ここは第七施設じゃない」

 ユリは一歩近づいた。

「そう。ここは医療区画。あなたは検査中」

 啓介はゆっくり目を開ける。

 白い壁。  白い照明。  端末の光。

 身体に残る感覚は、紛れもなくあの場所。

「でも」

 啓介は低く言った。

「手が覚えてる」

 ユリは言葉を失った。

     ◇

 映像が停止された。

 ユリが医療班を睨む。

「これ以上は中止します」

「しかし――」

「中止です」

 その声は静かだった。  だが、強さがあった。

 医療班員は数秒黙り、映像ログを閉じた。

 その時だった。

 啓介の右手が、検査台の縁を強く握った。

 金属が軋む。

 ユリが振り向く。

「啓介?」

 啓介は自分の右手を見ていた。

 指が食い込んでいる。  検査台の縁がへこんでいく。

 だが、啓介の表情は動かない。

「……今」

 金属がさらに軋んだ。

「俺は動かしてない」

 ユリの顔色が変わる。

「右手を離して」

 啓介は歯を食いしばった。

 指を開こうとする。  だが、開かない。

 黒い反応が、端末の画面で跳ねた。

 警告音が鳴る。

『黒血反応、上昇』 『神経同調、異常値』

 壁際の監視員が一斉に動いた。

 鎮静銃を構える。  拘束具の安全装置が外れる音がする。

 啓介はそれを見た。

 ああ、そうか。

 自分はもう、そういう存在なのだ。

 仲間ではない。 制圧対象。

 ユリが一歩前に出た。

「下げてください」

 監視員は下げない。

「黒血反応が上昇しています」

「まだ暴走ではありません」

「しかし――」

「下げて」

 ユリは啓介の前に立った。

 啓介はその背中を見る。

 小さくはない。  弱くもない。  それでも、鎮静銃の前に立つにはあまりにも無防備だった。

「ユリ、どけ」

「嫌」

「暴走したら、お前まで巻き込む」

「だから止める」

 ユリは振り返らなかった。

「啓介、私の声を聞いて」 「右手を離して」 「あなたの意思で」

 啓介は息を吸う。

 自分の右手を見る。

 指先が黒く見える。  実際に黒いわけではない。  だが、皮膚の下で何かが動いている気がする。

 開け。

 そう命じる。

 開け。

 今度は、自分で。

 金属の軋む音が止まった。

 一本ずつ、指が緩む。

 右手が検査台から離れた。

 へこんだ金属だけが、そこに残った。

 警告音が止まる。

 監視員たちは銃を構えたまま。

 ユリが低く言った。

「下げてください」

 その時、医療区画の扉が開いた。

 南條が入ってくる。

 状況を一目で見た。

「武器を下ろせ」

 監視員たちは迷った。

「ですが――」

「下げろ」

 南條の声は低かった。

 監視員たちは、ようやく鎮静銃を下ろした。

 ユリは息を吐いた。  啓介は、へこんだ検査台を見ていた。

     ◇

 南條は啓介の前に立った。

「黒血反応が再上昇した」

「ああ」

 啓介は短く返した。

「拘束は不要だ」

 南條はそう言った。

 少し間を置いて、続ける。

「今は、まだ」

 啓介が顔を上げる。

「次は拘束するのか」

 南條は答えない。

 啓介は検査台から降りた。

 足元が少しふらつく。  だが倒れなかった。

「俺は、任務に出る道具だった」 「今度は、檻に入れる対象か」

 ユリが啓介を見る。

 南條は表情を変えない。

「お前を守るためでもある」

「誰から」

 啓介は静かに問う。

「俺自身からか」

 南條は黙った。

 その沈黙が答えだった。

 啓介は少しだけ笑った。  笑いにはならなかった。

「分かりやすい」

「啓介」

「俺の身体に何がある」

 南條は答えない。

「黒血とは何だ」

 沈黙。

「なぜ相良は知っていた」

 沈黙。

「なぜあんたは止め方を知っていた」

 南條の目がわずかに動いた。

「今のお前には、まだ話せない」

「そればかりだな」

 啓介の声に怒鳴り声はなかった。  だが、白い部屋の空気が重くなる。

「話せない」 「見せられない」 「権限がない」 「確認不能」

 啓介は南條を見た。

「その言葉で、どれだけ隠す気だ」

 南條は何も返さなかった。

     ◇

 検査は中断された。

 医療班と監視員が出ていき、医療区画には啓介とユリだけが残った。

 壊れた検査台の縁が、まだ鈍く光っている。

 啓介は自分の右手を見ていた。

「また、身体が暴れた」

 ユリは端末を閉じる。

「でも、あなたは抑えた」

「今はまだな…」

 啓介は低く言った。

「だが、次は抑えきれないかも知れない」

 ユリは黙った。

 啓介は続ける。

「俺がまたあれになったら、お前は止められるか」

 ユリの顔がわずかに強張る。

「止める」

「どうやって」

「方法を探す」

「間に合わなかったら」

 ユリは答えない。

 啓介はユリを見る。

「離れてろ」

 ユリはすぐに首を振った。

「嫌」

「俺がお前を傷つけるかもしれない」

「それでも離れない」

「ユリ」

「離れない」

 今度は、ユリの声が少しだけ強くなった。

 啓介は言葉を止めた。

 ユリは啓介の右手を見た。  さっき検査台を潰しかけた手。

 そして、そっとその手に触れた。

 啓介の指がわずかに動く。

「怖くないのか」

「怖い」

 ユリは正直に答えた。

 啓介は目を伏せる。

 だが、ユリは続けた。

「でも、あなたを一人にする方が怖い」

 啓介は何も言えなかった。

 ユリは手を離さない。

「あなたが止まれなくなったら、私が止める」

「止められなかったら」

「止める」

「撃つことになってもか」

 ユリの手が、一瞬だけ止まった。

 これから待ち受ける過酷な運命を、まだ二人は知らない。  だが、その言葉は、どこか遠い未来から落ちてきたように重かった。

 ユリはしばらく黙っていた。

 そして、静かに言った。

「必要なら」

 啓介はユリを見た。

 ユリの目は揺れていた。  それでも、逸らさなかった。

「でも、撃つためにそばにいるんじゃない」 「止めるためにいる」 「戻すためにいる」

 啓介は、苦く息を吐いた。

「俺が戻れないかもしれない」

「戻す」

 短い返事だった。

 ユリの手は、まだ啓介の右手に触れていた。

 その温度だけが、黒い残響の中で確かだった。

     ◇

 南條は作戦室に戻っていた。

 端末には、医療区画での異常反応が転送されている。

 DARKNESS黒血反応、再上昇。  神経同調異常、確認。  筋肉信号、意思反応に先行。

 その下に、上層部からの通知が表示された。

 AS-01を監視対象から管理対象へ移行。  必要時、拘束・鎮静を許可。  単独行動制限を強化。

 南條はその文面を見つめた。

 また一つ、啓介を縛る言葉が増えた。

 だが、通知はそれだけでは終わらなかった。

 次の行が表示される。

 SP-07関連記録、再照合継続。  母胎適合候補との一致率、再検査中。

 南條の表情が硬くなる。

「……これも運命か」

 誰に向けた言葉でもない。

 だが、その声には明らかな苛立ちがあった。

 南條は画面を閉じた。

 閉じても、文字は消えない。  頭の奥に残る。

 DARKNESS。  SP-07。  黒血。  母胎適合候補。  AL-α。

 すべてが、ひとつの場所へ向かい始めていた。

     ◇

 医療区画を出た後、啓介は一人で廊下に立っていた。

 ユリは追加解析のため、まだ奥に残っている。

 廊下は白い。  静かだ。  どこまでも清潔で、どこまでも冷たい。

 啓介は右手を開いた。

 ゆっくりと閉じる。

 今度は、自分の意思で動いた。  そう思いたかった。

 だが、掌の奥に違和感が残っている。

 黒い血が、そこに眠っている。

 静かに。  息を潜めて。  次に目を覚ます時を待つように。

 啓介は拳を握った。

 白い廊下の先に、出口は見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ