表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/39

第17話 闇への序章

南米本部の医療区画は、白かった。

 壁も、床も、天井も。  すべてが清潔に整えられている。

 南米第七施設の赤い非常灯とは違う。  血の匂いもない。  砕けた壁もない。  子どもの声も聞こえない。

 それなのに、啓介にはここも同じ場所に見えた。

 検査台に座ったまま、啓介はゆっくりと右手を握った。

 動く。  だが、遅い。

 自分の意思で動かしているはずなのに、身体の奥にわずかなずれがある。  皮膚の下に、まだ黒いものが沈んでいるような感覚。

本来なら日本の本部にいるはずのユリが、端末の前に立っていた。

 白い照明に照らされた横顔は、いつも通り冷静に見える。  だが、指先の動きは普段より少しだけ硬かった。

「何でここに?」

「啓介たちの後発便で来たの。もしもの時に備えて」

「もう一度、右手を開いて」

 啓介は言われた通りにした。

 掌を開く。  閉じる。

 端末に波形が走る。

 ユリの眉が、わずかに寄った。

「どうだ」

「神経信号は戻ってきてる」

「戻ってきてる、か」

 啓介は自分の手を見た。

「完全には戻ってないんだな」

 ユリはすぐには答えなかった。

 その沈黙だけで、啓介には分かった。

「血液反応は」

 ユリは端末の画面を切り替える。

 赤い線が並んでいる。  その一部だけが、黒く沈んでいた。

「通常の血装反応とは違う」

「違うって、どれくらいだ」

「説明できる範囲を超えてる」

 啓介は短く息を吐いた。

「俺の身体なのに、俺だけが知らない」

 ユリは顔を上げた。

「啓介……」

「南條さんは知ってた」

 ユリは何も言わない。

「相良も、あの反応を知っていた」

 啓介の声は低かった。

「黒血反応」

 その言葉を口にした瞬間、医療区画の白さが少しだけ冷たくなった気がした。

 ユリは端末へ視線を戻した。

「私は、こんな副作用知らされて無かった」

「分かってる」

「でも……」

 ユリの指が止まる。

「記録のどこかには、あるはず」

 啓介はユリを見る。

「探せるのか」

「探す」

 短い返事だった。

 だが、その声には迷いがなかった。

 啓介はわずかに目を伏せる。

 黒い視界。  砕ける骨。  途中で途切れる声。  床に落ちる管理タグ。

 記憶は、完全には戻っていない。  それでも、自分の身体が何をしたのかは分かっている。

「俺は、暴走を止められなかった」

 ユリは静かに言った。

「あなたが望んだことじゃない」

 啓介は首を振る。

「望んでなくても、俺自身がやった」

 ユリは言葉を失った。

 白い医療区画の中で、端末の電子音だけが小さく鳴っていた。

     ◇

 一真は、別の処置室で座っていた。

 腕には包帯が巻かれている。  肩の傷も縫われた。

身体中に鈍い痛みが残っている。

「動かないでください」

 支援班員が言う。

 一真は返事をしなかった。

 視線はずっと、壁の端末へ向いている。  そこには南米第七施設の情報が流れていた。

 施設内火災。  深部区画崩落。  緊急防塞シャッター周辺、再侵入困難。  鬼塚豪、生体反応確認不能。

 一真の拳が、膝の上で震えた。

「確認不能って何だよ」

 支援班員は手を止める。

「まだ現地は危険です。熱源反応が残っていますし、二次爆発の可能性も――」

「だから何だ」

 一真は低く言った。

「鬼塚はあそこにいた」

「剣城さん」

「あいつは、あそこで止めたんだ」

 耳の奥に、まだ声が残っている。

『最後まで俺が面倒見てやる』

『かかってこいや!!』

 あの声が消えた後、シャッターの下から赤いものが流れた。  それを見た。  見てしまった。

 それでも、一真の中ではまだ終わっていない。

「黒瀬と相良の機体は」

 支援班員が端末を見る。

「護送機は爆発を確認。識別信号消失。墜落地点は確認中です」

「確認中?」

 一真の目が細くなる。

「まだ見つけてねえのか」

「回収班の出動は、周辺状況を確認してからになります」

「便利だな」

 一真は吐き捨てた。

「確認中。回収不能。危険だから待て。そう言ってる間に、全部終わったことにできる」

 支援班員は何も言えなかった。

 一真は立ち上がろうとした。

「まだ処置が――」

「もういい」

「安静にしてください」

「安静にしてたら、何か変わんのかよ」

 支援班員の手が止まる。

 一真は扉の方へ歩き出した。

 包帯を巻かれた拳から、少しだけ血が滲んでいた。

     ◇

 作戦室には、南米第七施設の記録が並んでいた。

 大型モニターには、施設の地図。  火災反応。  爆破処理の完了表示。  護送機の識別信号が消えた空域。

 その下に、短い文章が並ぶ。

 施設内暴走発生。  外部流出阻止。  深部区画損傷。  現地爆破完了。  護送機爆発。  生存反応、未確認。

 啓介はそれを見ていた。

 そこには、南米で見たものがなかった。

 小さな靴。  破れた服。  床に落ちた管理タグ。  助けを求める声。  黒瀬が命を削って外の世界に伝えたかったもの。  鬼塚が残した意思。  相良の思いがけない挙動。

 だが、そこには何も示されていない。

 ただ、短い文字だけが並んでいた。

「全ては伝えられてない」

 啓介が言った。

 南條が顔を上げる。

 啓介はモニターから目を離さない。

「あれだけのことがあって、これだけか」

 作戦室にいた職員たちが、わずかに動きを止めた。

 南條は静かに言う。

「上への報告は、必要な情報だけに絞る」

「必要な情報」

 啓介はその言葉を繰り返した。

 その時、扉が開いた。

 一真が入ってくる。

 肩にはまだ固定具がついている。  だが、そんなことを気にする様子はなかった。

 一真はモニターを見た。

 そして、低く笑った。

「都合がいい言葉だな」

 誰も答えない。

「切り捨てられた言葉の中にこそ、ホントがあるんじゃないか?」

 南條が一真を見る。

「剣城、処置室へ戻れ」

「戻って何すんだよ」

 一真は南條を睨んだ。

「鬼塚は確認不能。黒瀬と相良は生存反応未確認。施設の子どもたちは深部区画損傷」

 声が震えていた。

「なあ、南條さん」

 一真は一歩前へ出た。

「あいつらは、そんな言葉で終わるのかよ」

 南條は答えない。

 一真の拳が震える。

「鬼塚はそこにいたんだよ」

「分かっている」

「自分の目で見たものまで、なかったことにするのかよ」

 作戦室が静まり返る。

 啓介は一真を止めなかった。  止める言葉がなかった。

 南條は、ただ一真を見ていた。

 怒りを受け止めるように。  そして、その先に踏み込ませないように。

「今は、部隊を立て直す」

「部隊?」

 一真の顔が歪む。

「俺たちは、まだ部隊なのか」

 その言葉に、南條の目がわずかに動いた。

     ◇

 ユリは医療区画の奥で、啓介の検査データを追っていた。

 黒血反応。  神経信号の遅延。  血液反応の黒化。  通常の血装とは違う動き。

 どれも、ユリの知っている範囲から外れている。

 問題は、それだけではなかった。

 啓介の黒血反応に関する記録だけが、通常の医療管理から外れて別の場所へ送られていた。

「何……これ」

 ユリは送信先を開こうとする。

 画面が切り替わる。

 権限がありません。

 それだけが表示された。

 ユリはもう一度、認証を入れる。

 同じ表示。

 権限がありません。

 啓介が横から画面を見た。

「俺の身体の話だろ」

 ユリは何も言えない。

「俺たちには見せないのか」

 啓介の声は静かだった。  怒鳴らない。  だから余計に重かった。

 ユリは端末を握る手に力を込める。

「別の経路から確認する」

「無理はするな」

「する」

 啓介はユリを見る。

 ユリは画面から目を離さなかった。

「あなたの身体のことだから」

 その言葉に、啓介は何も返せなかった。

 ユリは関連記録を追った。  黒血反応の周辺データ。  適合率。  血液系統。  古い検査番号。

 その中に、一瞬だけ別の識別コードが引っかかった。

 SP-07。  A-Prime。  初期保護記録欠損。

 ユリの指が止まる。

 自分の識別コードだった。

 さらに、その下に古い施設コードが一瞬だけ表示される。  南米第七施設と似た形式の番号。

 ユリはそれを開こうとした。

 画面はすぐに閉じた。

 権限がありません。

 また、それだけ。

 啓介が気づく。

「どうした」

 ユリはすぐには答えなかった。

「……何でもない」

「何でもない顔じゃない」

 ユリは画面を閉じた。

「今は、あなたの検査が先」

 啓介はそれ以上聞かなかった。

 けれど、ユリの声がいつもより弱いことには気づいていた。

     ◇

 夜になっても、南米本部は眠らなかった。

 格納庫では機体整備が続いている。  医療区画では負傷者の処置が終わらない。  作戦室では、南米第七施設の記録が上へ送られ続けている。

 啓介は、誰もいない白い廊下を歩いていた。

 身体は重い。  だが眠れる気はしなかった。

 廊下の先に、南條が立っていた。

「風間」

 啓介は足を止める。

「しばらく前線復帰は控えろ」

 南條は短く言った。

「黒血反応の確認が済むまで、単独行動も避けろ」

 啓介は黙って聞いていた。

「身体の安全のためだ」

「俺を休ませたいのか」

 啓介は静かに問う。

「それとも、外に出したくないのか」

 南條は答えない。

 廊下の白い照明が、二人の間に落ちている。

 啓介は一歩近づいた。

「黒血を知ってたのか」

 南條は沈黙した。

「相良は何か知っていた」

 啓介の声は低い。

「あんたも、黒血に自我を渡すなと言った」

 南條の目が、わずかに細くなる。

「知らなかったとは言わせない」

 南條はしばらく黙っていた。

 やがて、低く言う。

「今のお前が知れば、戻れなくなる」

 啓介は少しだけ笑った。

「もう戻れてない」

 南條は何も言わなかった。

 啓介は続ける。

「南米第七施設で見たものを、忘れろと言うのか」

「言っていない」

「なら、なぜ隠す」

 南條は目を逸らさない。

「隠さなければ、守れないものがある」

「何をだ」

 啓介の声が少しだけ強くなる。

「俺か。ユリか。一真か」

 南條は答えない。

「それとも、組織か」

 その問いに、南條は初めて少しだけ目を伏せた。

 啓介は、その反応を見逃さなかった。

「南條さん」

 呼び方は昔のままだった。

「俺は、もう何も知らないまま動けない」

 南條は静かに言う。

「それでも、今は動くな」

「命令か」

「警告だ」

 啓介は南條を見た。

 長い沈黙の後、踵を返した。

     ◇

 廊下の角に、一真がいた。

 壁にもたれ、包帯を巻いた拳を見下ろしている。

「聞いてたのか」

 啓介が言う。

 一真は顔を上げない。

「聞こえたんだよ」

 啓介は隣に立った。

 しばらく、二人は何も言わなかった。

 白い廊下。  遠くの機械音。  眠らない本部。

 一真がぽつりと言った。

「鬼塚のこと、忘れるなよ」

「忘れない」

「黒瀬のこともだ」

「ああ」

 一真は拳を握った。

「相良のことも、だな」

 啓介は一真を見る。

 一真は苦い顔をした。

「気に入らねえ女だったけどよ」

 少し間を置く。

「それでも最後はワンチームだった」

 啓介は黙っていた。

 一真は続ける。

「あいつらが何を残したのか、俺は知りたい」

 啓介は短く言った。

「命令じゃないぞ」

 一真は小さく笑った。

「だからだよ」

 二人は同じ方向を見た。

 その先に何があるのか、まだ分からない。  だが、もう何も知らないまま従うことはできなかった。

     ◇

 南條は一人、端末の前に戻っていた。

 画面には、上層部からの通知が並んでいる。

 DARKNESS黒血反応、継続確認。  SP-07関連記録、再照合。  外部送信記録、追跡続行。  AL-α、待機準備。

 南條の視線が、最後の文字で止まった。

 AL-α。

 その名は、まだここに出るべきではなかった。

 南條は静かに目を閉じる。

「……まだ早い」

 誰に向けた言葉でもなかった。

 だが、その声には、確かな焦りが混じっていた。

 南米で終わったはずの任務は、終わっていなかった。

 むしろ、ここからだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ