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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第12話 黒血解放

相良の声は、小さかった。

「……黒血反応」

 だが、その言葉は通路の赤い警報音よりも、はっきりと啓介の耳に届いた。

 啓介は異形を押さえたまま、相良を見た。

「何を知ってる」

 相良は答えない。

 その目は端末の数値に向けられていた。

 いつもの冷たさは戻っている。

 だが、ほんの一瞬だけ消えた表情を、啓介は見逃していなかった。

 通信の向こうで、ユリの声が鋭くなる。

『啓介、反応値が上がっています!』

『通常の血装反応じゃありません!』

 南條の声も割り込んだ。

『DARKNESS、意識を保て。反応を抑えろ』

 啓介の眉が動く。

「南條さん」

 目の前では、異形の大群が押し寄せている。

 問い詰めている余裕などない。

 それでも、言葉は漏れた。

「あんた、何か知ってるのか」

 南條は答えなかった。

 その沈黙だけで、啓介には十分だった。

 相良や南條は何かを知っている。

 ユリは数値の異常として見ている。

 そして、啓介は自身の異変に気づいていない。

 だが、考える時間はなかった。

 押さえ込んでいた異形が、啓介の腕に噛みつこうとした。

 啓介はそれを床へ叩きつける。

 同時に、別の異形が後方へ抜ける。

「後ろだ!」

 通常戦闘員の声が響いた。

 支援班が負傷者を抱えて下がろうとしている。

 そこへ、細い四肢の異形が走った。

 啓介は踏み込む。

 間に入る。

 異形を弾く。

 だが、次が来る。

 さらに次が来る。

 一体ずつ止めているだけでは、間に合わない。

     ◇

 防衛線は、もう崩れかけていた。

 通常戦闘員たちは後方から射撃を続けている。

 だが、弾丸は異形の動きを鈍らせるだけだった。

 止めきれない。

 支援班が叫ぶ。

「負傷者を下げられません!」

 鬼塚は左側通路で異形を押し返していた。

「踏ん張れ! 下がるな、いや下がれ! くそっ、どっちだ!」

 怒鳴りながら、GRAVEの重い腕が異形をまとめて壁へ叩きつける。

 だが、押し返しても、押し返しても、通路の奥から新しい影が現れる。

 相良の鎖も限界だった。

 CHAINの拘束具が床を走り、三体の足を絡め取る。

 だが、四体目がその上を跳ぶ。

 五体目が鎖に噛みつく。

 六体目が壁を這って抜ける。

 相良の腕に、重い負荷が走った。

 拘束具の一本が軋み、火花を散らす。

「拘束維持、困難」

 声は冷たい。

 だが、余裕は薄れていた。

 中央では、啓介が一人で前に出ていた。

 背後にいる通常戦闘員と支援班を下げるために。

 逃げる時間を作るために。

「下がれ」

 啓介が言った。

 通常戦闘員の一人が振り返る。

「でも――」

「下がれ」

 もう一度。

 短く、重く。

「全員、後ろへ下がれ」

 鬼塚が叫ぶ。

「啓介、無茶すんな!」

 啓介は返さなかった。

 返す余裕がなかったのではない。

 返す言葉がなかった。

 目の前の異形たちは、かつて子どもだった。

 だが、背後には今、生きている者たちがいる。

 啓介は前へ出た。

 その瞬間、異形の大群が啓介へ集中した。

     ◇

 一体が腕に噛みついた。

 DARKNESSの外殻が軋む。

 牙が装甲の隙間に食い込む。

 二体目が肩に飛びついた。

 爪が装甲を削り、赤い火花が散る。

 三体目が足元に絡みつく。

 四体目が背中へ張りつく。

 五体目が胸部へ飛びかかる。

 啓介は腕を振る。

 一体を壁へ叩きつける。

 だが、すぐに別の個体が噛みついてくる。

 数が多すぎた。

 視界が赤く滲む。

 子どもの声が重なる。

『たすけて』

『いたい』

『おなかすいた』

 啓介はそれでも前に出ようとした。

 背後へ行かせないために。

 だが、足が動かない。

 足元の二体が、装甲に爪を立てている。

 背中の個体が首元へ口を開ける。

 胸部装甲に食い込んだ爪が、内部の保護層を裂いた。

 痛みが走る。

 息が詰まる。

 首元へ、異形の歯が迫る。

 その瞬間、啓介ははっきりと感じた。

 このままでは死ぬ。

     ◇

 黒い血が滲んだ。

 赤ではなかった。

 装甲の裂け目から、黒い液体が細く流れ出る。

 それは床へ落ちることなく、DARKNESSの外殻を這った。

 血管のように。

 影のように。

 生き物のように。

 黒い血が、装甲の隙間を埋めていく。

 DARKNESSを走っていた赤いラインが、黒く沈んだ。

 非常灯の赤が、遠くなったように見えた。

 通路の空気が重くなる。

 通常戦闘員の一人が、息を呑んだ。

「何だ……あれ……」

 ユリの声が通信で震えた。

『神経信号がずれています!』

『啓介の意思反応より先に、身体が動いてる……!』

 南條の声が低く落ちる。

『黒血に自我を渡すな』

 だが、もう遅かった。

 啓介の腕が動いた。

 啓介の意思より先に。

 首元へ迫っていた異形の顎を、片手で掴む。

 握り潰す。

 硬い音がした。

 異形の声が途切れた。

 相良が、初めてはっきりとその名を口にした。

「……黒血解放」

     ◇

 そこにいたのは、もう風間啓介ではなかった。

 DARKNESSですらなかった。

 黒血に身体を奪われ、宿主の生存を脅かすものだけを壊す修羅だった。

 怒りはない。

 迷いもない。

 声もない。

 黒く沈んだDARKNESSは、背中に張りついた異形を掴み、振り向きもせず壁へ叩きつけた。

 壁材が砕け、異形の身体が崩れ落ちる。

 足元に絡みついていた二体を蹴り飛ばす。

 一体は床を転がり、もう一体は天井の配管へ叩きつけられた。

 正面から三体が飛びかかる。

 DARKNESSは避けない。

 一体目の首を掴み、床へ潰す。

 二体目の腕を取り、そのまま壁へ叩き込む。

 三体目の胴を肘で止め、通路の反対側へ吹き飛ばす。

 速い、というより、近づいたものが壊れていく。

 通常戦闘員たちは後ずさった。

 命令されたわけではない。

 ただ、本能で分かった。

 近づいてはいけない。

 相良でさえ、一歩だけ下がった。

 鬼塚が左側通路で異形を押し返しながら、その光景を見た。

「……何だよ、あれは」

 答える者はいない。

 ユリの声だけが通信に響く。

『啓介!』

『啓介、聞こえていますか!』

『返事をしてください!』

 DARKNESSは返事をしない。

 声が届いていないのか。

 聞こえていても、意味を持たないのか。

 分からなかった。

     ◇

 異形の大群は、なおも押し寄せた。

 黒血解放したDARKNESSは、真正面からそれを受けた。

 押されない。

 飛びかかる異形の顎を砕く。

 天井から落ちてきた個体を掴み、そのまま床へ叩き潰す。

 壁を這う個体を壁ごと殴り抜く。

 足元に絡む個体を踏みつけ、次の一体へ向かう。

 戦闘ではなかった。

 処理でもなかった。

 そこにあったのは、脅威を壊すための暴力だけだった。

 館内放送の声が、途中で途切れていく。

『たすけ――』

 鈍い音。

『いた――』

 壁が砕ける音。

『おな――』

 声が消える。

 タグが床に落ちる。

 S-07-119。

 S-07-086。

 S-07-143。

 S-07-102。

 小さな靴が転がる。

 破れた服が床に貼りつく。

 血が広がる。

 それでもDARKNESSは止まらない。

 背後の通常戦闘員たちは、どうにか後方へ下がっていた。

 支援班も、負傷者を抱えて安全圏へ退いている。

 外へ抜けるはずだった異形は、中央通路で止められていた。

 だが誰も、安堵の声を漏らせなかった。

 それは戦闘ではなかった。

 救助でも、処理でもなかった。

 ただ、目の前のものを壊し尽くす行為だった。

     ◇

 記録保管室側では、一真が黒瀬を背にして戦っていた。

 遠くで、通信が乱れる。

『黒血――』

『DARKNESS――』

『応答――』

 一真は異形を蹴り飛ばしながら、顔をしかめる。

「黒血……?」

 黒瀬も息を切らしながら、壁にもたれた。

「啓介に何が起きてる」

「知るかよ!」

 一真は腕部装甲で異形の爪を受け、横へ弾いた。

「今はこっちも手一杯だ!」

 黒瀬は立ち上がろうとする。

 だが、膝が沈む。

 一真が舌打ちする。

「動くな!」

「俺にかまうな……」

「まだ言うか!」

 前方から、さらに二体。

 一真は息を吐き、FANGの爪を構える。

「生きるかどうかは、戻ってから決めろって言ってんだろ!」

 黒瀬は一瞬だけ黙った。

 その時、遠くの隔壁側で、重い衝撃音が響いた。

 一真が振り向く。

「……鬼塚か?」

     ◇

 中央通路の圧が、わずかに下がった。

 異形の群れがDARKNESSへ吸い寄せられている。

 その隙に、鬼塚は左側通路から身を引いた。

「黒瀬を助ける」

 相良がすぐに反応した。

「GRAVE、停止しなさい」

 鬼塚は振り返る。

「お前の命令なんざ聞くか」

「あなたは処分保留対象よ」

「好きにしろよ……」

 鬼塚は相良から目を離し、記録保管室方面へ向かう。

 相良の鎖が床を走った。

 だが、鬼塚は止まらない。

 鎖が腕に絡む。

 それでも引きずる。

 金属音が響いた。

「止まりなさい」

「止まるかよ」

 鬼塚は歯を食いしばる。

「俺は、あいつを見捨てない」

 相良の目が冷たくなる。

「あなたの行動は、部隊全体を危険に晒す」

「お前の任務は、仲間を殺すことか!」

 鬼塚はそう吐き捨て、隔壁へ向かった。

 相良はその背中を追う。

     ◇

 中央通路では、最後の異形がDARKNESSへ飛びかかった。

 DARKNESSはそれを片手で受け止めた。

 子どもの背丈。

 裂けた口。

 首に残るタグ。

 異形は、かすれた声を漏らした。

『たすけて』

 DARKNESSは止まらなかった。

 壁へ叩きつける。

 声が消えた。

 通路が、静かになった。

 館内放送も止まっていた。

 さっきまで重なっていた子どもの声は、もう聞こえない。

 床には、無数の小さなタグが散らばっていた。

 破れた服。

 壊れた管理札。

 広がる血。

 DARKNESSは中央に立っていた。

 黒く沈んだラインが、ゆっくりと赤へ戻っていく。

 啓介は動かない。

 ユリが通信で呼ぶ。

『啓介……応答して』

『お願い、返事をして』

 数秒。

 誰も動けなかった。

 やがて、啓介の指がわずかに動いた。

 呼吸が戻る。

 視界に、断片が残っていた。

 黒い視界。

 動くはずのない腕。

 砕ける骨。

 途中で消える声。

 床に落ちるタグ。

 自分の身体が動いていた。

 けれど、自分が動かしていた感覚がない。

 啓介は足元を見た。

 S-07-119。

 S-07-086。

 S-07-143。

 タグの文字が、赤い非常灯の下で濡れていた。

 自分が何をしたのかは、分かった。

 だが、言葉は出なかった。

『啓介……』

 ユリの声が震えている。

 啓介は、ようやく短く返した。

「……負傷者を回収しろ」

 それだけだった。

 通常戦闘員たちは動き出す。

 支援班が負傷者のもとへ走る。

 だが、誰も歓声を上げなかった。

 そこに立っていたのは、仲間を救った英雄ではない。

 黒血に動かされ、脅威を壊し尽くした修羅だった。


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