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DARKNESS ―奪われた自由のために―  作者: Ilysiasnorm


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第11話 最深部―開かれた檻―

赤い非常灯の向こうで、影が増えていく。

 ひとつではない。

 ふたつでもない。

 細い手足。

 裂けた口。

 首に残った管理タグ。

 破れた子ども服。

 それらが、床を蹴り、壁を這い、天井を伝ってこちらへ来る。

『たすけて』

『いたい』

『おなかすいた』

『だして』

『くらい』

『たすけて』

 壊れた館内放送から、子どもの声が重なって流れていた。

 だが、目の前から迫ってくるものは、もう子どもではない。

 それでも、子どもだったものだった。

 啓介は一瞬、動けなかった。

 背後には負傷者がいる。

 支援班がいる。

 まだ戦える通常戦闘員たちもいる。

 前方には、かつて子どもだった異形の大群。

 通信から南條の声が落ちる。

『DARKNESS、止めろ。外部に甚大な被害が及ぶ』

 啓介は短く息を吐いた。

「……分かってる」

 その声は、自分でも重かった。

 鬼塚が左側の通路へ出る。

 重装のGRAVEが、通路の幅を塞ぐように立った。

「通常兵は下がれ! 支援班は負傷者を後ろへ回せ!」

 啓介も続ける。

「俺たちが前に出る。通常兵は後方支援に回れ!」

 通常戦闘員たちが一斉に下がる。

 だが、恐怖で足がもつれている者もいた。

 無理もない。

 目の前にいるのは、撃てば倒れる相手ではない。

 異形の一体が、壁を蹴って飛んだ。

 啓介が前へ出る。

 DARKNESSの黒い外殻が赤い光を吸い込む。

 掌で異形の胸を押さえ、床へ叩きつけた。

 骨が砕ける音。

 それでも異形は口を開け、啓介の腕へ噛みつこうとする。

 その首元のタグが見えた。

 S-07-119。

 年齢推定、七歳。

 啓介の腕が、一瞬だけ止まる。

「啓介!」

 鬼塚の声が飛ぶ。

 別の異形が負傷者へ向かって走っていた。

 啓介は反射的に踏み込み、その異形を横から弾き飛ばす。

 壁に叩きつけられた小さな身体が、床へ落ちた。

 声が漏れる。

『いたい』

 啓介の奥歯が、かすかに鳴った。

     ◇

 後方では、通常戦闘員たちが銃を構えていた。

「撃て! 足を止めろ!」

 銃声が通路に響く。

 弾は当たる。

 異形の身体から血が散る。

 だが止まらない。

 腕に当たっても走る。

 脚に当たっても壁を這う。

 頭を撃たれても、一歩、二歩と進んでくる個体すらいた。

「無理だ、止まらねえ!」

 一人の通常戦闘員が叫ぶ。

 別の隊員が腰の装置へ手を伸ばした。

 小型の補助血装装置。

 非常用の強化補助具だ。

「補助血装を起動する! 俺たちだってTAIDA-Vの投与は受けてる!」

 その瞬間、通信にユリの声が割り込んだ。

『起動しないでください!』

 いつもの冷静な声ではなかった。

 明らかに焦っていた。

『今の適合率では血装反応に耐えられません!』

「この状況で使うなって言うのか!」

 通常戦闘員が怒鳴る。

 ユリはすぐに答えた。

『今の数値では危険です。血装を展開できるとは限りません』

 通路に、また異形の叫びが響く。

 啓介が一体を押さえ、鬼塚が三体をまとめて押し返す。

 相良の鎖が床を走り、異形の脚を絡め取った。

 その中で、ユリの声が続く。

『血装は、着る装備じゃありません』

『適合者本人の血液反応と神経同調で形成される戦闘外殻です』

 通常戦闘員の手が、補助装置の上で止まる。

『Cランク以下は実戦不可。Bランクでも限定運用が限界です』

『Aランク以上で、ようやく血装を戦闘外殻として維持できます』

「俺たちも適合者だぞ!」

『ですが、あなたの今の数値では危険です!』

 ユリの声が少しだけ強くなった。

『適合率と神経同調率が基準に届かない人が無理に起動すれば、装甲ではなく血液反応が暴走します』

「暴走って……」

 短い沈黙。

 その間にも、異形の一体が天井から落ち、通常戦闘員へ飛びかかった。

 啓介がそれを蹴り飛ばす。

 小さな身体が床を転がり、また起き上がる。

 ユリは言った。

『今、あなたたちが見ているものと同じになります』

 通常戦闘員の顔から血の気が引いた。

 手が、補助装置から離れる。

 啓介はその声を聞きながら、目の前の異形を見た。

 今、見ているものと同じ。

 つまり、ここにいる異形たちは。

 かつて、投与された者たちだった。

     ◇

 相良は後方から鎖状兵装を走らせていた。

 CHAINの拘束具が、異形の足首を絡め取る。

 そのまま壁へ打ちつけ、通常戦闘員の射線に固定する。

 別の鎖が天井へ伸び、跳びかかった個体の首元を引っかけた。

 動きを止める。

 流れを切る。

 逃げ道を潰す。

 それがCHAINの戦い方だった。

 だが、数が多い。

 一体を縛れば、二体が横を抜ける。

 二体を止めれば、三体が天井から落ちる。

 鎖に噛みつく個体もいる。

 拘束具が軋み、相良の腕に負荷が走った。

 相良の眉が、わずかに動く。

「拘束数、限界に近い」

 それでも声は冷たい。

 鬼塚が左側通路で異形を受け止めながら叫んだ。

「なら隔壁を開けろ! 黒瀬と一真が挟まれてる!」

 相良は端末を見る。

 記録保管室方面。

 RC-01。

 AS-02。

 周辺に異形反応多数。

「開ければ、異形も流れる」

「黒瀬を殺すために閉じたんだろ」

 相良は答えなかった。

 その沈黙で十分だった。

 鬼塚の顔が歪む。

「てめえらは、いつもそうだ」

 異形の一体が鬼塚の腕に噛みつく。

 鬼塚はそれを壁へ叩きつけながら続けた。

「汚れたものは、外に出る前に檻ごと潰す」

「外に出せば被害が広がる」

「人の死を、被害で数えるな!」

 鬼塚が吼えた。

 重装の腕が異形をまとめて押し返す。

「下がれ! ここは俺が持つ!」

 通常戦闘員たちが左側から後退する。

 鬼塚はその前に立った。

 黒瀬の方へ行きたい。

 だが、目の前の兵を見捨てられない。

 その怒りが、彼をその場に縛っていた。

     ◇

 記録保管室側の通路では、一真が黒瀬を引きずるように進んでいた。

 背後の隔壁は閉じている。

 前方には異形の群れ。

 逃げ道は細い脇通路ひとつ。

 黒瀬は肩で息をしていた。

 送信後の負荷が残っている。

 SHADEの暗色装甲も、ところどころ発光が不安定になっていた。

「俺を置いて行け」

 黒瀬が言った。

 一真は振り返らない。

「黙れ」

「お前まで死ぬ」

「南條さんに殺すなって言われてんだよ」

 黒瀬が息を吐く。

「命令だからか」

 一真は足を止めた。

 振り返る。

 FANGの面頬の奥で、目だけが強く光っていた。

「違う」

 短い声だった。

「俺が嫌なんだよ」

 黒瀬は黙った。

 前方の通路から、異形が三体現れる。

 一真は黒瀬を壁際へ押しやり、前へ出た。

「下がってろ」

「一真」

「いいから」

 一真が踏み込む。

 FANGの腕部装甲が、最初の異形の顎を弾く。

 二体目の爪が肩をかすめる。

 三体目が低く飛び込む。

 一真は膝でそれを止め、壁へ叩きつけた。

 だが、次が来る。

 さらに奥から、爪の音が増えていく。

 黒瀬は閉じた隔壁を見た。

「相良は、本気でここを墓場にする気だな」

「あいつだけじゃねえ」

 一真が低く返す。

「この作戦自体が、そういう作りなんだろ」

 黒瀬は答えなかった。

 ただ、小さく言った。

「なら、なおさら戻る意味はない」

 一真は歯を食いしばった。

     ◇

 中央通路では、防衛線が崩れ始めていた。

 啓介は前に出ていた。

 DARKNESSが異形を受け、弾き、叩き伏せる。

 速い。

 重い。

 無駄がない。

 通常戦闘員たちは、初めて本当の意味で理解する。

 Aランクと自分たちは違う。

 同じTAIDA-Vを投与されていても、同じ装備を持っていても、届く場所が違う。

 堕血変異ウイルス。

 それは、彼らを人より強くし、人ではないものにも変える種だった。

 血装ネーム保持者は、成功例。

 自分たちは、戦場に立てる程度に調整された者たち。

 そして目の前にいる異形たちは、失敗例。

 その事実が、銃声の中で突きつけられていた。

 啓介は異形の腕を掴み、床へ叩きつける。

 だが、そのたびに目に入る。

 小さな手。

 管理タグ。

 破れた服。

 かすれた声。

『たすけて』

 啓介の動きが一瞬だけ遅れる。

 その一瞬を、異形は見逃さない。

 天井から落ちた一体が、負傷者を抱えた支援班へ向かった。

「しまっ――」

 啓介が動く。

 間に合う。

 間に合わせる。

 DARKNESSの腕が異形の首元を掴み、床へ叩きつけた。

 鈍い音。

 異形は動かなくなった。

 床に、小さなタグが落ちる。

 S-07-086。

 年齢推定、六歳。

 啓介はそれを見た。

 呼吸が、わずかに乱れる。

 通信にユリの声が入った。

『啓介』

「何だ」

『今の個体、記録と照合しました。S-07児童適合群です』

 啓介は答えない。

 ユリの声が、少しだけ低くなる。

『この施設は……保護施設じゃありません』

 通路の奥で、鬼塚が異形を押し返す音が響く。

 相良の鎖がきしむ。

 通常戦闘員の悲鳴が混じる。

 ユリは続けた。

『血装適合者を探すための、選別施設です』

 その言葉が、啓介の胸の奥に落ちた。

 選別施設。

 救うためではない。

 守るためでもない。

 選ぶため。

 使える者と、使えない者を分けるため。

 啓介は、倒れた異形を見る。

 使えなかった者たち。

 壊された者たち。

 拳に力が入る。

「……ふざけるな」

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

     ◇

 異形の数はさらに増えた。

 左側通路では鬼塚が限界まで踏ん張っている。

 相良は拘束具を展開し続けているが、拘束された個体が別の個体に引きずられ、鎖が軋んでいる。

 通常戦闘員の一人が倒れ、別の隊員がそれを引きずって後退する。

 南條の通信が入る。

『DARKNESS、前線を維持できるか』

 啓介はすぐには答えなかった。

 目の前から、三体の異形が同時に来る。

 啓介は一体を蹴り、二体目を壁へ叩きつけ、三体目を腕で受け止める。

 その三体目が、啓介の胸部装甲へ爪を立てた。

『いたい』

 壊れた声。

 啓介の中で、何かが沈む。

 DARKNESSの赤いラインが、一瞬だけ黒く濁った。

 通路の光が落ちたように見えた。

 ユリの声が鋭くなる。

『啓介、血液反応が変です』

 啓介は異形を押さえたまま、眉をひそめる。

「何が」

『赤色反応が黒化しています』

 通信の向こうで、ユリの指が端末を叩く音が聞こえる。

『こんな数値、記録にありません……』

 南條が沈黙した。

 相良が、端末の表示を見て目を細める。

 その表情から、いつもの冷たさがほんの一瞬だけ消えた。


「お前、何を知ってる」


 啓介が問う。


 相良は答えなかった。

 ただ、端末の数値を見つめていた。

 前方には異形の大群がさらに押し寄せる。

 啓介は前を見た。

 背後には、まだ生きている者たちがいる。

 前には、かつて子どもだったものたちがいる。

 どちらも、同じ地獄の被害者だった。

 それでも、今守れるのは背後の命だけだ。

 啓介の血装を走る赤い光が、また黒く沈んだ。

『啓介、駄目!それ以上は――』

 ユリの声が震える。

 鬼塚も、通常戦闘員たちも、目の前の異変に動けなかった。

 その中で、相良だけが低く呟いた。

「……黒血反応」

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