【第46話 跳べ!】
戦場の空は、絶望の色に染まっていた。
旧市街の上空を、数十頭の飛竜が埋め尽くしている。
それらは巨大な、そして緩やかな右回転の輪を描き、獲物を値踏みするように旋回を続けていた。
「……来たぞ! 下がれ、下がれッ!」
王国の走竜の騎士が叫ぶが、その声は飛竜の咆哮にかき消される。
輪の中から一頭、また一頭と、死神の鎌のような鋭さで飛竜が急降下した。
逃げ惑う走竜の背を、巨大な鉤爪が容赦なく引き裂く。
一撃を見舞い、王国の走竜を引き裂いたした飛竜は、そのまま低空を滑空して聖国軍が確保した広場へと舞い戻る。
そこで十分に羽を休めた別の個体が、入れ替わりで再び空へと舞い上がる。
それは、完璧に訓練通りに管理された行動だった。
その輪をさらに遥か上空から見下ろす、一際巨大な影があった。
漆黒の鱗を鎧のように纏った巨躯。
聖国が誇る猛将、バルカ将軍の駆る黒飛竜である。
バルカは眼下で紅蓮の炎に包まれる王国の本陣を眺め、歪んだ笑みを浮かべた。
「ふん、皇太子とレオニスはネズミのように隠れおったか。ならばお望み通り、王国軍を根こそぎ殲滅してくれる。丸裸にしてから、王城まで土足で踏み入ってやるわ」
バルカの視線は、地表の「空白」に向けられた。
白と赤のマントが入り乱れ、旧市街を埋め尽くす混戦の中、不自然なほど走竜が近づかない空間が三箇所ある。
そこには、王国の誇る新兵器
高高度を舞う飛竜を一撃で粉砕する、「竜撃砲」が据え付けられていた。
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ドガン! ガラガラガラッ!
突如、路地に面した廃屋の壁が内側から爆発したように弾け飛んだ。
粉砕された木材や瓦礫が、猛烈な勢いで宙を舞う。
「うわああああっ!?」
対峙していた両軍の騎士が、その衝撃に目を見開く。
舞い散る土煙の中から出現したのは、暴風を纏ったかのような巨大な爪。
ギャオオオオン!
一撃で聖国の走竜が引き裂かれ、その上にいた騎士は木の葉のように吹き飛ばされた。
その凄絶な光景に、王国の騎士の一人が、本能的な昂ぶりを抑えきれず右手を天に突き上げた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
俺は、鞍に挟まった木片を引き抜いて捨てた
「マックス!家を足場に使うのは不味いぞ!」
俺は、マックスの首筋にしがみつきながら叫んだ。
今のは計算された機動じゃない。
廃屋の強度が足りず、足場にするつもりが踏み抜いてしまったのだ。
冷や汗が出る。
(もし今の衝撃で転倒して、マックスの脚が止まっていたら・・・)
マックスの「跳躍」には助走が不可欠だ。
もしこの乱戦のど真ん中で脚が止まれば、たちまち聖国の走竜に囲まれ、数に押し潰される。
その間も、マックスは走り続け、跳び続ける。
タタタタタタ、タン!
再びの跳躍。内臓が浮き上がるような浮遊感。
着地点にいた聖国の騎士と、一瞬だけ目が合った。
男の顔が驚愕と恐怖に歪み、何事かを叫ぼうと口を開く。
マックスが空中でその翼を大きく広げ、空気を掴んだ。
その瞬間、前進の慣性が殺され、鋭い後足の爪が真正面へと向けられる。
この体勢になると、マックスの頭が大きく起き上がるため、俺の視界から敵の姿は消える。
グシャッ
嫌な感触が鞍を通じて伝わるが、不思議と心は冷静だった。
いや、感情が消失していくのを感じていた。
俺は、すでに次の「獲物」に視線を送り、手綱を強く引いて指示を出す。
(もっとだ。もっと速く、高く・・・!)
ふと、深い谷を飛び越えた時の光景が蘇る。
タタタタタタタ、タン!
マックスが地を蹴ると同時に、俺は身を乗り出して翼の付け根を手で強く叩いた。
「マックス跳べ!」
マックスが俺の意図を察したように、翼を鋭くしならせて広げる。
バサッ!
グン、と体にかかる荷重が変化した。
跳躍の軌道が放物線から、空を滑るような鋭い直線へと変わる。
パン!
着地した屋根を蹴る音が、乾いた破裂音に変わった。
パン・・・パン・・・パン!
「なっ!?」
驚いたのは俺の方だった。
マックスは廃屋の屋根を蹴って跳んだ先で、さらに次の屋根、その次の壁を蹴り、空中で機動を繰り返している。
そして何より、今までのように足場にした家屋が崩れない。
(蹴りが・・・軽いのか? いや、威力が分散されていないんだ。無駄な力が抜けて、純粋な推進力だけに変わっている!)
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カン!
キーン!
狭い路地では、走竜の機動力が完全に死んでいた。
身動きの取れない中、両軍の騎士が長剣をぶつけ合い、泥沼の消耗戦を繰り広げている。
「!?」
剣を振るおうとした聖国の騎士が、そのまま凍りついた。
目の前の廃屋の向こうから、音もなく翼を広げた飛竜が唐突に「出現」したからだ。
「隙ありィ!」
王国の騎士はその絶好の機会を見逃さず、硬直した敵の胸元に剣を突き刺した。
彼らの頭上を、巨大な影が音もなく通過していく。
「危うく、俺まで止まっちまう所だったぜ!・・・あいつ、戦いの中で進化してやがんのか?」
王国の騎士は呆然としながら、地上すれすれを滑空していくカイルとマックスの背中を追った。
カイルの視界の先に、ついに目的のものが捉えられた。
それは、一目でそれと分かる禍々しい形状「空刺し」だ。
頑丈な竜車の上に固定された巨大な筒。
二条の捻じられた太い束。
そして何より、それを守る兵士たちが、あの太い杭を必死に抱えていた。
「行くぞ、マックス! ここを叩く!」
俺はマックスの広げた翼を、手で力強く押し下げた。
相棒は即座に応える。
翼をピタリと畳み、空気抵抗を最小にして全力疾走へと移行する。
タタタタタタタタタ、ダンッ!
マックスが爆発的な踏み込みを見せた。
空刺しが置かれた広場には、すでに複数の引き裂かれた走竜と、無残に転がる赤いマントの王国兵たちが散乱している。
「うわあああ、なんだこいつは!」
空刺しを操作していた兵士の一人が悲鳴を上げる。
だが、その叫びが終わるより速く、マックスの翼が開いた。
ブァサッ!
空気の壁を掴み、減速。
その勢いを後足の蹴りに乗せて叩きつける。
ダァァァァン! バキバキバキッ!
猛烈な衝撃音と共に、木片と金属片が四散した。
王国軍を苦しめていた空刺しが、巨大な玩具のように横倒しになり、ひしゃげる。
「「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」」」」
炎が立ち上る路地のあちこちから、王国兵の歓声が沸き上がった。
ズンッ。
マックスが着地した瞬間、俺の視界の端に違和感が映った。
転がっている味方の走竜の遺体。その断面だ。
(この傷。これは走竜の噛み跡じゃない。飛竜の爪跡だ。ということは??)
「上かッ!」
反射的に空を見上げる。
そこには、獲物を確信して降下してくる聖国の飛竜が、鼻先まで迫っていた。
回避は間に合わない。俺は咄嗟に、両方の鐙を強く踏み込み、マックスの首の付け根を両足で蹴り上げた。
「跳べえええっ!」
マックスが驚いたように身を震わせ、真上へと爆発的に跳躍した。
シュパッ!
風を切る音がして、飛竜の爪がマックスの尾の先をかすめていく。
「くそ、今の回避は完全に偶然だ。落ち着け、冷静になれ!」
心臓の鼓動が耳の奥でうるさい。
周囲を鋭く見渡せば、空刺しを破壊されたことに激昂した飛竜たちが、次々とこちらへ狙いを定めて降下してくるのが見えた。
「マックス、走るぞ! 止まれば死ぬぞ!」
タタタタタタタタ、タン!
俺たちは、迫りくる炎の壁の手前で跳躍した。
地上の騎士たちが、口をあんぐりと開けて空舞う俺たちを見上げている。
空中、マックスの翼が翻る。
タタタタタ、バンッ!
廃屋の垂直な壁を足場にして、マックスは跳ぶ方向を鋭角に変えた。
ガシャガシャァン!
直後、俺たちがいたはずの空間に突っ込んだ聖国の飛竜が、勢い余って廃屋に激突し、瓦礫の中で藻掻いている。
タタタタタ、バン・・・! タタタタタ、バン!
壁を蹴り、屋根を滑り、方向を変えて跳ぶ。
俺とマックスは、いつもの訓練と同じように、縦横無尽に跳び回った。
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「なっ!・・・ 何だ、あのデタラメな動きをする奴は!!」
遥か上空。
黒飛竜を駆るバルカ将軍が、その光景を目にして驚愕の声を漏らした。
一頭の竜が、物理法則を無視した跳躍と滑空を繰り返し、精鋭たる飛竜隊を翻弄している。
「ちっ・・・」
バルカは粉砕された竜撃砲を一瞥し、忌々しげに吐き捨てた。
「想定外の戦力を、王国も隠し持っていたということか。小癪な真似を・・・」
バルカの瞳に、冷酷な狩人の色が宿る。
彼は手綱を強く引き、黒飛竜の巨体を大きく傾けた。
「貴様らの舞いも、ここまでだ。地を這う虫けらが、空の王者に逆らった罰を与えてやろう」
その巨大な影が、地表で跳ね回るカイルとマックスに照準を合わせ、降下を開始した。




