【第45話 決戦】
戦場に、理性の介在する余地はなかった。
旧市街の入り組んだ路地。
石畳を叩く無数の爪音が、地響きとなって空気を震わせている。
聖王国の走竜隊が、猛然と路地を駆け抜けていた。
その強靭な脚力は家屋の壁を削り、土煙を巻き上げる。
「今だ! やれッ!」
廃屋の陰、王国の伏兵が声を絞り出した。
潜めていた王国の走竜たちが、計算され尽くしたタイミングで躍り出る。
バァァァン!
空気を破る乾いた衝撃音。
王国の走竜が放った渾身の尾撃が、聖国の先頭を横なぎに払った。
重量級の肉体がぶつかり合い、石塀が派手に崩落する。
「挟撃だ! 逃がすな!」
旧市街の利を活かしたのは王国軍だった。
崩れた石壁や廃屋の隙間を熟知した王国の騎士たちは、聖国の走竜を狭い路地へと追い込んでいく。
多勢に無勢。包囲網が縮まり、逃げ場を失った聖国の走竜たちが悲鳴のような咆哮を上げた。
「ひくぞぉぉ! 退却だ!」
たまらず聖国軍の白いマントが集まり始める。
彼らは散り散りになるのを避け、本陣側へと背を見せて逃げ出した。
それを見た王国の兵士たちが勝ち鬨を上げる。
「いける! 王国の走竜隊の方が強いぞ! 追え、殲滅しろ!」
だが、その歓喜は一瞬で圧殺された。
ドスーン!
空から巨大な質量が降り注いだ。
聖国の飛竜が投下した巨大な岩石だ。
直撃を受けた王国の騎士が、その赤いマントを無残に引き裂かれ、血飛沫と共に石畳に叩きつけられる。
聖国の走竜が敗走した場所--そこは、追撃に夢中になった王国の赤いマントが最も密集する地点だった。
上空から見れば、石畳の上に広がる「赤」の集団は、格好の的でしかない。
「まずい・・・やつら、敗走のふりをして飛竜戦に切り替えるつもりだ!」
気づいた時には遅かった。
王国の走竜が聖国の走竜を追走し、開けた場所へ出た瞬間。
ヒュン、ヒュヒュン!
「ぎゃーーーーッ!」
待ち構えていたのは、聖国の弓兵部隊だった。
誘導され、追い詰めたつもりが、今度は自分たちが挟撃の渦中にいた。
戦況は一気に逆転する。
「だめだ! これでは王国兵がなぶり殺しになる!」
一人の王国の騎士が叫んだ。彼は愛竜の背から飛び降りると、鈍く光る長剣を抜いた。
矢を放つ弓兵の元に突っ込む。
「くそがぁ!」
怒りに任せて弓兵を斬り倒し、奪い取った強弓をつがえる。
狙うは上空を旋回する飛竜。
だが、放たれた矢は無情にも飛竜の足元にも届かず、虚空を舞うだけだった。
バァーーン!
空を仰いでいた騎士の背後から、聖国の走竜による容赦のない尾撃で騎士の体は宙に吹き飛んだ。
戦場はもはや地獄だった。
ドスン!
走竜の重い尾撃を、別の走竜がその硬い頭部で受け止める。
「ぐおぉぉぉぉ!」
耐えた走竜が後足で立ち上がり、敵に覆いかぶさる。
肉食獣の本能が剥き出しになり、鋭く回転して相手の首筋を食らおうと牙を剥く。
背に乗る騎士たちもまた、狂気に取り憑かれていた。
カーーン!
至近距離で交わされる長剣。
火花が散り、互いの殺気が火花となって散る。
騎士が再び剣を振りかぶった瞬間--。
バァーン!
横から割り込んだ別の走竜の尾撃が、騎士を直撃した。
人体が物理的な限界を超えて弾け、飛び散る。
主を失った走竜は、パニックと興奮で理性を失った。
もはや敵も味方もない。狂ったように回転し、周囲に尾撃を乱打する。
戦術も、大義も、もはやそこには存在しない。
あるのは見境のない殺し合いだけだった。
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」」
「ばかやろー! 来るな!」
「いやだぁ、こんな死に方はいやだぁ……っ!」
悲鳴と怒号が渦巻く中、混乱から逃れようと体制を立て直そうとした走竜の上に、非情な岩石が再び降り注いだ。
その凄惨な光景のすぐ側を、巨大な影が音もなく、かつ猛烈な速度で駆け抜けた。
ダン、タタタタタタタ、バン!
石塀を蹴り、廃屋の屋根をかすめるように跳躍する。
ブァサ!
翼を広げたマックスは、空中で勢いを消し、敵にめがけてその鋭い爪を振るった。
眼下にいた聖国の走竜が、一瞬で背中を引き裂かれる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
着地。
タン、タタタタタタタ、バン!
再び廃屋を飛び越える。
上空を警戒している兵はいても、まさか頭上から「走竜」が降ってくるとは誰も思わない。
マックスの攻撃は、すべてが致命的な一撃となった。
ガシュ! 肉を裂く確かな手応え。
「よし、次だ」
呟いた自分の声が、どこか遠くから聞こえた。
俺は自分がこの凄惨な殺し合いに対して、恐ろしいほど無感情になっていくのを自覚していた。
走竜の血が赤く飛び散る。
「くっそぉ!」
助けようとした王国の騎士が、聖国の走竜の下敷きになるのが見えた。
助けられない。いや、助けている時間がない。
俺はマックスを一直線に走らせた。
乱戦の旧市街を突破し、戦場の右側に広がる深い森林へと突入する。
目的の山道に入ると、そこには聖国兵の姿はなかった。
ここは、かつてマックスと散歩したことのある馴染みの道だ。
俺は手綱を握り直し、叫んだ。
「行くぞ、マックス! 全開だ!」
ダッダッダッダッダッ、ズザァーーーー、ダン、タ、タ、タ、タ、タ!
右に、左に、迷いなく木々の間を縫う。
バン・・・ダダン!
絶妙なタイミングで地面を蹴り、跳躍。
流れる景色が加速し、森の木々が凄まじい勢いで後方へと消えていく。
タンーーーーーー
こんな状況なのに、地面を滑るようなこの跳躍の感触を、俺は「楽しい」と感じていた。
俺はイメージする。聖国の背後、本陣へと回り込むために越えなければならない、あの深い谷。
今の・・・今日のマックスなら、あの距離を飛び越せるはずだ。
不意に視界が開けた。深い緑が途切れ、世界が明るくなる。
目の前には巨大な断崖。
谷の正面だ。助走距離は、十分にある。
「いくぞ!」
マックスが応える。
タタタタタタタタタ、バン!
距離は約40メートル。
俺とマックスはできる限り体を小さく丸め、矢のように跳躍した。
一瞬の浮遊感と静寂
「くそっ、届かない」
俺は、飛距離の計算が甘かったことに気付き、背筋が凍った。
「死!」
バサッ
マックスが翼を広げた。
深い谷をマックスの影が走る。
タン、タタタタタタ
届かないはずの対岸。その縁にマックスの爪が食い込む。勢いを殺すことなく、マックスはそのまま大地を蹴り、駆け続けた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、あっぶねぇ……っ!」
心臓が口から飛び出しそうだった。だが、マックスは全く動揺した様子もなく、前だけを見据えている。
その堂々とした姿に、俺は少しだけ悔しさを感じた。
「翼を使うと、跳躍の飛距離が伸びるのか!」
新しい発見に驚く間もなく、視界の先に聖国の本陣が姿を現した。
ダダン、バン!
俺とマックスは、高く跳躍した。
美しい放物線を描き、そのまま聖国の巨大な本陣テントへと飛び掛かる。
押しつぶすような、暴力的な着地。
ガシャン、バキバキッ!
「うわぁ、なんだ!?」
「ぎゃーーーー敵襲! 敵襲だ!」
突然、空から降ってきたマックスの巨体に、周囲の護衛兵たちがパニックに陥る。
「聖国の首魁はどこだ? うまく踏み潰せたのか?」
俺は砂塵の中で周囲を見渡した。
作戦が成功したのか、失敗したのかが分からない。
テントは無残に潰れているが、手応えが薄い。
その時、近くにいた白い法衣の青年が必死な形相で叫んだ。
「バルカ将軍は黒い飛竜で出撃しています! ここにはいません!」
なぜ、敵であるはずの聖国の人間が情報を教えてくれるのか、俺には分からなかった。
だが、その言葉が真実であることは直感で理解した。
俺は即座に行動に移る。
カツーーーン。
マックスの硬質な鱗が、放たれた矢を弾いた。
俺が振り向くと、なぜか視界の中の景色がゆっくりと動いている。
放たれた矢が、まるで空中で静止しているかのように見えた。
「なんだこれは・・・?」
おもわず、手を伸ばしてその矢を掴んでみる。
(あれ? “矢”って、こんなに簡単に掴めるものだったっけ……)
妙に冷静な自分が、その現象に感心していた。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
バルカがいないのなら、ここに留まる意味はない。
作戦は失敗だ。すぐに離脱しなければ。
「行くぞ、マックス!」
今度は正面から、俺の顔面を正確に狙った矢が飛んできた。
俺は首をわずかに傾け、それを最小限の動きでかわす。
音が消えたような感覚の中、マックスが加速する。
倒壊した本陣のすぐ隣に、別の白いテントが見えた。
その周囲を、白い法衣を纏った男たちが幾重にも囲んでいる。
彼らは武器を持っていない。
(聞いていた通りだ。あそこに、教皇がいる)
昨晩のグラウスとの会話が、脳裏をよぎる。
『君にしかできない、重大任務を託す。聖国の首魁であるバルカ将軍を討ち取ってくれ』
『出来る限りの事はします。でも、どうやったらよいのでしょうか?』
『まず、王国の飛竜は使い物にならない。
そこで王国は走竜隊を秘密の地下道を使って聖国の陣中に出現させる。
乱戦にして"空刺し"を引き倒す。
すかさず王国の飛竜を出して、互角の状態に持ち込むようにする。
そこで君の出番だ。
俊足を生かして背後へ回り、本陣を潰してバルカを成敗してくれ。
・・・だが、くれぐれも本陣のそばにある白いテントは潰さないように。
そこには聖国の教皇がいるはずだ。彼が死ねば、この戦争はもう誰にも止められなくなる』
タタタタタタ、パン!
マックスが巨大な矢となり、再び跳躍した。
聖国の兵たちの頭上を、飛び越えて通り過ぎていく。
「すみません、グラウス隊長。作戦は失敗です」
俺は心の中で謝罪した。
聖国の兵たちがマックスの存在に気づいた時には、既にその姿は遥か前方、戦場の彼方へと消えようとしていた。
「うぉっ、なんだ・・・今のは!?」
背後で上がる驚愕の声。
戦場を裂く一陣の風となり、俺とマックスは脚を止めずに駆け抜けた。
はるか前方、炎と飛竜と・・・初めて見る異物が見えていた。




