おいで。おいで。迷い子や。彼岸花に包まれ全て思い出すがよい。
「はぁ……喉乾いたわぁ」
「あ、九重君。お茶飲む?」
「おう。有難くいただくわ」
もう一人の住人。九重巳月に遠夜はお茶を淹れてカップを渡した。九重は、部屋内を見渡して「海月ちゃんは?」
その言葉に遠夜は「お風呂」と返した。
カップを受け取りお茶を飲みながら九重は「覗きに行こうかなぁ」なんて呟いている。
そんなこと出来ないので、遠夜は無視を決め込んで自分の分のお茶を淹れた。
飲もうとした時「あ」との九重の声に遠夜はそちらに視線を遣った。
「遠夜はん、また栄養ドリンク飲んでたな」
空き瓶を手にして九重はそう言った。
「あかんよー? 細っこいんやから、肉付けんと」
遠夜を後ろから抱き締めて九重は彼の腹回りをぺたぺた触る。
地味にくすぐったい。
「九重君だって細いじゃん」
「俺の細さと遠夜はんの細さは別格なんよ」
ペタリと遠夜の手を九重は自分の腹にやった。ほらな? といった感じで遠夜を覗き込んで……。
「いったぁ……」
後ろから九重の頭を叩く手に彼は頭を押さえた。
「俺のいない間に、遠夜に手を出そうとしないでください」
海月が恐ろしい顔で九重を睨んでいた。
「なんや、海月ちゃん。俺が遠夜はんに手出されそうになってヤキモチ妬いとるん?」
「誰が貴方に妬くんですか。後、手を出すのは巳月さんの方でしょう? 遠夜。抵抗して」
「うん?」
抵抗。手以降? なんて、遠夜は思いながら首を傾げていた。遠夜の考えを読んだのか、海月はわざと大きなため息を零した。
「触らないでって方の抵抗ね。遠夜は、俺のなんだから。そう簡単に触らせないでよ」
「あ、えっと、ごめん……」
「ん、分かればいいの」
べりっと九重を遠夜から引きはがして、海月は遠夜を腕の中に収めた。10センチ差はこの時有難い。小柄な遠夜は海月の腕の中にすっぽりと納まる。
でも、もうちょっと、太ってもいいんじゃないかな? そう思わざるを得ない海月だった。
遠夜が食事をしているのを見たことない。もっぱら、栄養ドリンクか栄養食品ばかり。
食べないの? と聞くと決まって後でとの返事が多い。
もしかして、拒食症なのかな……なんて、思っても確証を得られるものはなかった。
今は遠夜の言葉を信じるしかないよね。
海月は心の中で呟き決める。いつか、遠夜が『秘密』を打ち明ける時まで。
「碧……俺もお風呂入りたい……」
「あ、ごめんね。すぐ退くよ」
名残惜しいが離れて、海月は風呂場に消える遠夜の背中を見送った。
「海月ちゃーん」
隙あらば抱き着いたりセクハラしてきそうな九重を睨んで、海月は自室に戻った。
たまにハグならいいけど、それ以外で巳月さんのスキンシップやらなんやらを受け入れる気はない。
風呂から上がり遠夜は海月の部屋のドアをノックした。やはり、一人で寝るのは嫌だった。
寝るときの相棒のイルカのぬいぐるみを抱き締めながら、遠夜は海月が返事をするのを待った。けど、いくら待てど返事はなかった。
寝たのかな……。しゅんとなりながらも、遠夜は自室に戻った。
小波家から持ってきたぬいぐるみを全てベッド周りに並べた。
時刻は夜中の11時。そろそろ眠くなる時間のため、遠夜はイルカのぬいぐるみをきつく抱き締めてベッドにもぐり目を閉じた。
あ、またこの場所だ。夢なのか、違うのか。遠夜は分からないが、昼間見た場所と同じ場所にいた。
ただ、違う点は真っ暗な部屋の中に彼岸花が辺り一面に咲いていることだろうか。
彼岸花の花言葉は、悲しき思い出だったっけ。他にもあるけど。
なんて、思いながら遠夜は彼岸花の花畑に佇んでいた。
チリン。チリン。どこからか鈴の音が聞こえる。
数珠の音は何故か嫌いだけど、鈴の音は好きだ。懐かしい想いが溢れ、安らぐから。
悲しき思い出。何輪も咲いている彼岸花となにか関係があるのかな? 首を傾げたと同時に。
『おいで。おいで。迷い子や』
不気味な声が聞こえ、彼岸花が遠夜の身体を覆った。
溢れる。彼岸花に積もった、あの人の記憶が。洪水のように脳内を犯す。




