第46話 作戦名:断罪返し
「証人がおられます。この件を間近で見てきた方だ。――ヘルムシュタット伯爵令嬢。前へ」
人垣が割れた。
蜂蜜色の巻き毛が、広間の奥から歩み出る。
こつ、と靴音が鳴った。
こつ、こつ。
磨かれた床に、規則正しい音だけが響く。いつの間にか音楽は止み、誰も口を開かない。給仕の盆の上で、グラスさえ鳴らない。
こつ。
侯爵の三歩手前で、音が止まった。
マリアンヌは陛下へ向けて礼を執り、それから広間をゆっくりと見渡した。
扇は、持っていない。
「皆様に、申し上げます」
鈴が鳴るような、美しい声が響く。
「私は今夜、この場で、偽りの証言をするはずでした」
侯爵の眉が、初めて動いた。
「日付も金額も、涙を流す場所まで指定された台本を渡されましたのよ。従わなければ、家の負債の証文をよそへ売る、と。……疑わしいとお思いなら、証拠がございますわ」
彼女は胸元から折り畳んだ紙を取り出し、開いて掲げた。
「ご覧くださいませ。演出の指示が、朱で入っております。ここは涙声で、ここで一度言葉を詰まらせて、と。ずいぶんお芝居のお好きな方が書かれたようですわね」
どよめきが、さっきとは逆の向きに流れた。
「この台本を私に渡し、読ませようとなさったのはどなたか。皆様の前で申し上げます」
マリアンヌの視線が、まっすぐに隣を射抜く。
「レーゲンブルク侯爵。あなたですわ」
柔和な口元から、笑みが消えた。
侯爵の、初めて見る顔だった。
それでも侯爵は、声の調子を崩さずに首を振ってみせた。
「負債に心を蝕まれた娘が、恩人に牙を剥くとは、なんと哀れな。皆々様、これこそが窮した家の悲劇であり、この娘の言葉こそが――」
「陛下。発言のお許しを」
私は侯爵の発言を遮り、広間の中央へ進み出た。
不調法なのは分かっているけれど、最初に礼儀を崩したのはあちら。私だけが非難されることはない。
陛下が、指先で一度だけ許しの合図を返す。
気のせいか、目が笑っていませんか、陛下。
あれは、マクシミリアンから聞いていて、これから起こる断罪劇の断罪返しを楽しんでいるわね。
私は大きく息を吸って、四つ数えて、吐く。大事なプレゼンの前にする、前世社畜の九年間叩き込まれたルーティーン。
「新年の一日目を、根も葉もない話で塗り潰されてはたまりませんわ。疑いは、その場で晴らしてしまうに限りますもの。侯爵閣下のご指摘には、順にお答えして参ります。まず、公金の横領についてですわね」
そう言って、私は書類入れから、綴じた紙の束を出す。
「研究院への寄付と予算の使い道は、研究院の報告書と学園の週報で、すべて公開済みですわ。……ところで閣下。そちらのお手元の写しは、先ほどヘルムシュタット伯爵令嬢が掲げてくださった台本と、同じ束に入っていたものではございませんこと」
侯爵は平然としているように見えるが、報告書の写しを持つ指にわずかに力が入るのを見逃さない。
「私の手元にも、台本と一緒に届いた、同じ写しがございますの。不思議なことに、この写しには、見知らぬ日付が三つも書いてありますわね。存在しない日付のお金を、私はどうやって引き出したのかしら。今後の不正防止の参考にいたしますので、ぜひ手口を伺いたいものですわ」
小さな笑いが、広間の二、三箇所で起きた。
「公開した記録とやらこそ、後から手を加えたものではないのかね」
「学園内の事ですから閣下はご存じないのかもしれませんが、週報は毎週、学園の掲示板に貼り出しておりますのよ。写しは生徒の皆様の手元にもございます。入学からの全ての記録を、いつ、どうやって遡って手を加えるのでしょうか。この広間にも、毎週読んでくださっていた方が幾人もいらっしゃいますわ」
参列した学園の生徒たちの間で、頷きが返る。日頃の透明性は、こういう時に絶対的な信頼を得る。
「次に、告発文について。ご本人が、この場にいらっしゃいますわ。ミリアさん。ご自分の署名かどうか、確かめてくださる?」
ミリアがおそるおそる侯爵の元へ行く。手紙を見たいと手を出せば、侯爵は渡さないわけにはいかない。
そして当然のことながら、ミリアはすぐに首を振る。
「私の字では、ありません。私、こんな文章なんて、書いていません。それに私は、ユリアーナ様に強要なんて、されていません。研究院は私が自分で選んだ場所です。塩害で十年間死んでいた畑が、あと少しで蘇るんです。あの場所を再生させるための研究は、私自身の望みです」
包帯の取れた右の手の平を、彼女は胸の前できゅっと握った。
その姿はとても可憐で庇護欲を誘う。さすがヒロインだけのことはある。
「研究が危険だというお話にも、お答えいたします。魔導炉の破裂について、研究院は本日、調査の結果を公表いたしました。鑑定書は二通。結論はどちらも同じ。外部から特定の周波数の魔力を当て続けた、人為的な破壊です」
どよめきが、低く響いた。
「これにつきまして、私が補足いたします」
研究院の一団から、ユリウスが眼鏡を押し上げて進み出た。
「一通は設計者である僕の署名、もう一通は研究院外部の専門家の署名です。破断面は結晶の目を横切ってまっすぐ裂けていました。自然な劣化では、絶対にああはなりません。装置の欠陥の可能性は、僕が三日かけて全部潰した上で申し上げています」
言い切って、彼は一礼して下がった。今夜の彼は、配線の話を始めなかった。偉い。
「そして事故の翌日には議会で質疑が出て、三日後には批判の記事が出ましたのよね。ずいぶんと手回しの良いこと。まるで、事故の起きる日を前もってご存じだったかのようですわ」
「……捏造だ」
侯爵の声から、初めて余裕が抜けた。
「ふん。よくも並べ立てたものだが、肝心の一点が抜けておる。その台本とやらを、わしが書かせたという証明がどこにある。日付と金額を調べ上げた偽の書付など、公爵家の力があれば作れよう。病んだ娘の逆恨みと、婚約者殿の作文でないと、誰に言える」
そこ。
そこが、私の手札で唯一埋まらなかった穴だ。偽文書の写しは、偽文書があることの証明にしかならない。誰が王宮の書類を調べ、日付と金額を写させたのか。




