第41話 兄と執事と経過報告
その週の終わり、夜の公爵家。
書斎の応接室のテーブルに、私は手持ちの資料を全部並べていた。
父は今夜、王宮の会合で不在だ。同席は兄とクラウス。魔導ランプが二つ、たくさんの紙を照らしている。
「二便目が、夕刻に戻りましてございます」
老執事は盆の上から、封書を三通、テーブルへ移した。
「まず、ヘルムシュタット伯爵家の負債の全容でございます。発端は、先代の伯爵のご長患い。八年もの間、床に臥せられました」
「しかも、薬代はギルドの言い値で」
「はい。積み上がった負債額は、伯爵領の年の収入のおよそ四倍となりました。散らばっていた負債を、去年の秋、レーゲンブルク侯爵家が一括で買い取り、領地の全域に抵当を打っております」
「首輪の完成、というわけね」
軽く頷いて、二通目の封をクラウスが切る。
「マリアンヌ様を侯爵家の養女に迎え、ゆくゆくは王太子妃に、という話が実際にございました。ただし、式典の一件からこちら、その話は立ち消えかけているとのこと。侯爵家からの音沙汰が、ぱたりと止んだそうでございます」
「都合のいい時だけ娘扱いして、しくじれば他人。……ひどい話ね」
兄が横から、三通目を顎で指した。
「そっちは」
「神殿筋でございます」
クラウスの声が、半音だけ低くなった。
「神殿の奥で、聖女認定の支度が静かに進んでおります。祭服の仕立ての発注、認定の儀の式次第の写し、大神殿の客殿の改装。名前はまだどこにも出ておりませんが……儀式の日取りの候補は、王宮の新年祝賀会の、七日後でございます」
手の中のカップの中で、ハーブティーの表面が小さく揺れた。
認定されれば、ミリアは神殿預かりになる。研究も、研究院も、本人の意思も、保護という名の壁の向こう側だ。
保留の返事を出させた後、神殿からの音沙汰は途絶えている。丁寧な手紙の次が来ないのは、断り文句を考えているからではない。返事など、最初からいらなかったからだ。
本人が頷こうが頷くまいが、認定の儀の支度は進む。送られてきた手紙は、後から「本人も望んでいた」と言い張るための、体裁にすぎなかった。
「クラウス。念のために聞くけれど、その情報網、一体どこから」
「先代のご当主にお仕えしていた頃の、古い知り合いでございます」
「先代の頃、この家は政争の只中にあったと聞いたわ。あなた、その頃、何をしていたの」
老執事は盆を胸の前で持ち直して、いつもの澄ました顔で答えた。
「一介の執事でございます。当時は少しばかり手広い執事でございましたので、お茶を淹れる以外にもいくつか仕事をしておりました」
「手広い、ね」
手荒い、の間違いじゃないのかしら。
三十年、この家の書庫を任されてきた影の実力者の中身が、少しだけ見えた。けれども、追及はしない。有能な味方の経歴は、深掘りしないのが礼儀というものだ。
私はカップを置いて、テーブルの上の紙を並べ替え始めた。
左から、時系列に。
二十年前、治癒士ギルドの値上げ騒ぎと、自作自演の疑いが濃い改革。
十年前、騎士団の改革案の、三度の廃案。
八年前、北の飢饉の買い占めと――母の薬。
去年の秋、ヘルムシュタットの負債の一括買い取り。
今年の春、研究枠の発足と、狙い撃ちの予算査定。
式典での糾弾。人為的に壊された炉。事故の前に書かれていた批判記事。ミリアへの、神殿からの招請状。そして、新年祝賀会の七日後という、聖女認定の儀式の日取り。
最後に、フリーデリケが調べ上げた来賓の一覧を隣へ置く。入学式で拍手の遅かった一団の席は、予算委員会の侯爵派の名前で、綺麗に埋まった。
断片が、綺麗に並んだ。
並べてしまえば、あとは読むだけだ。
工場の悪評が、結果的に邪魔者を潰す。
査定の筆が、研究の予算を断つ。
壊れた魔導炉が、危険の印象を刷り込む。
負債の首輪が、偽証人を用意する。
養女の計画は、王宮に足場を掛けるための仮橋。
そして聖女認定が、最後の駒を盤の外から運び込む。神殿という、誰にも文句の言えない高みから。
「断罪か、婚約破棄。どちらでもいいから私の席を空けさせて、空いた席に、聖女様を据える」
口に出すと、テーブルの上の紙の列が、一枚の設計図に変わった。
「マリアンヌ様は、試験で落とされた候補。本命は最初から、ミリアさんだったんだわ」
兄が写しの束から顔を上げた。
「なぜ、そこまでして王妃の席を求める。あの家は今でも議会を握っている。血のつながらない娘を王妃にして外戚になったところで、増えるのは面倒だけだろう」
言われてみれば、そうだ。
利権が欲しいだけなら、ギルドと議会で足りている。あの家は既に、欲しいものを大抵手に入れている。
なのに、王妃の席にだけは、二十年かけて手を伸ばしている。
「何か、あるのでしょうね。あの家が、その席でなければならない理由が」
ふと、考える。
ゲームでの断罪ルート。ヒロインに嫉妬した悪役令嬢が、積み上がった悪評と証言で裁かれる、あの筋書き。
式典の後にふと浮かんだ考えが、確信に変わった。ゲームでも、この黒幕は同じ場所にいたんだわ。悪役令嬢の悪評を膨らませ、証言を揃え、卒業パーティーという舞台を整えた。
そして、シナリオの中のユリアーナは、全部を自分の意思でやったことにされて、裁かれた。裁かれた後の空席に誰が座る手筈だったのか、何も知らないまま。
借金のカタに身内認定して縁故採用、落ちたら次の駒を補充。挙句、採用枠は断罪で空ける、と。
とんでもない話だわ。
黒幕は、コンプライアンス研修を百回受けるべきね。
頭の中で言い切ると、少しだけ呼吸が楽になった。悪態は、社畜の深呼吸である。
「クラウス、神殿側の動きを探って。認定の儀の式次第、特に『本人の同意』をどの段でどう取る建前なのか、そこを詳しく調べてちょうだい」
「かしこまりました」
「お兄様は商会側をお願いします。八年前の両替商の線、あと一押しですわ」
「もうすぐ調査報告が届く手はずだ」
さすがお兄様。仕事が早い。
ただ、まだ状況証拠しか集まっていない。
もう一手、なにか具体的な証拠が揃えばいいのだけれど……。




