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【長編版】ヒロインを排除したら、断罪ルートが消えました  作者: 彩戸ゆめ


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第37話 この案件だけは特別よ

 父の長い話を聞いた夜から、数日が過ぎた。


 あの書類箱の中身については、今も裏取りの最中だ。

 クラウスの伝手が動き、兄は商会筋を回り、私は私で、確かめるべきことを一つずつ潰している。段取り表は、過去最長の長さになっていた。


 その日の私は、報告のために、日暮れの生徒会室にいた。


 定例会はとうに終わり、他の四人も最近は報告のために訪れることが多い三人娘も帰った後だ。窓の外は藍色に沈み、魔導ランプの白い光だけが、長机の書類を照らしている。


 テーブル代わりの長机には、二人分のカップ。

 私の分は、頼む前から用意されていた。この習慣も、もう驚かなくなって久しい。


「神殿への返事は、保留で出させました。期限は月の終わり。それまでに事故の調査結果を公にできれば、招請の前提そのものを崩せます」

「保留の理由づけはどうする」


「事故の調査が終わっていないこと。それから、進退は本人の意思を尊重するという研究院の方針ですわ。神殿は『保護』を掲げていらっしゃいますから、本人の意思という言葉には、正面から逆らえません」

「盾の選び方が的確だな」

「盾は、相手の掲げた旗から借りるのが一番丈夫ですのよ」


 マクシミリアンが、口の端だけで小さく笑った。それから書類に目を戻す。


「鑑定書は二通か」

「ええ。ユリウスと専門家の署名入りです。ただ、出す順番は選びますわ。人為的なものだと示すだけでは、計画した人の元まで届きませんもの」


「予算委員会の質疑の記録は、こちらで写しを取った。議事の日付も、発言者の名も入っている」

「ありがとうございます。手元の記録と突き合わせて、時系列の表にいたしますわ」


 打てば響く速さで、報告と手配が噛み合っていく。

 この打ち合わせの速度だけは、前世のどの会議より心地良い。


 一通り話し終えて、私は書類を揃えた。角を、とん、と机で打って整える。


 窓の外は、もうすっかり夜だ。ランプの光の輪の外で、部屋の輪郭が藍色に溶けている。


「では、本日はこれで。続きはクラウスの報告が届き次第――」

「ユリアーナ」


 立ち上がりかけたが、呼び止められる。

 顔を上げると、マクシミリアンがじっとこちらを見ていた。


「殿下?」

「君が公開実験を計画したのは、予算を妨害するものたちへの反撃のためだった」

「ええ」


「事故が起きれば即座に鑑定へ回し、神殿の手紙には保留で時間を稼ぎ、公爵家を動かして調査の網を張った。……君がここまで先を読んで動いているとは、正直、思っていなかった」


 褒め言葉、なのだろうか。それにしては、声が低い。


「買いかぶりですわ。実験の妨害は読めませんでしたし、ミリアさんに怪我をさせました。先読みができていたなら、あの子は火傷をしておりません」

「それでも君は、事故の煙が消える前に、素早く次の手を打っていた」


 マクシミリアンは椅子を引いて、私の正面に座り直した。ランプの光が、彼の青い目に小さく映っている。


「怒っていらっしゃいます?」

「いや」


 短い否定の後、彼は少しだけ間を置いた。


「ただ……少し、寂しくなった」

「寂しい?」

「君は、いつも完璧に先回りする。私が君を守る隙がない」


 思いがけない言葉に、私は瞬きをした。


 守る隙。


 考えたこともなかった。守られる側に回る予定なんて、二度の人生のどちらにも、一度も組み込まれていなかったから。


「殿下」

「マクシミリアンでいい。二人きりの時くらい、名前で呼んでくれ」

「マクシミリアン様」

「『様』もいらない」


 青い目が、真剣に私を見ていた。冗談の欠片もない目だ。


「私は、君の有能さに惹かれたんじゃない。いや、そこも惹かれた要因ではあるが……それだけじゃない。君は何かを、必死に守ろうとしている。入学の前から、ずっとだ。その姿に、惹かれた」


 心臓が、うるさい。


「何を守っているのかは、聞かない。君が話せる日まで待つ。ただ――」


 彼は一度、言葉を切った。


「君は、自分で思っているより、ずっと大きなものを相手にしている。だから、私にも守らせてくれ。君の隣で、一緒に」


 大きなもの。


 その言い方に、何かが引っかかった。引っかかったのに、確かめるより先に、視界が滲んだ。


 頬を、熱いものが一筋伝う。


 自分でも驚いた。泣くなんて。前世でも、終電を逃した夜も、案件が飛んだ朝も、泣かなかったのに。


 駄目よ。社畜は感情で仕事をしない。七年かけて、そう自分に叩き込んできたはずでしょう。


 でも、この温かさは何。胸の奥の固い結び目が、ほどけていくこの感じは、何。


「ずるいですわ、マクシミリアン」


 初めて、様も殿下もつけずに、彼の名前を呼んだ。

 呼んでしまってから、もう戻れないのだと分かった。


 彼の手が伸びて、私の頬の涙を、指の背でそっと拭う。触れた場所から、体温が移ってくる。


 ……社畜は感情で仕事をしないんじゃなかったの。


 ええい、この案件だけは特別よ、特別。


 私はただ目を閉じて、その温もりに身を寄せた。


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