第35話 妨害
事故の翌日には、もう議会で「浄化魔法は危険ではないか」という質疑が出たらしい。
三日後には、王都の新聞に『王家の予算で危険な実験』という記事が載った。事故の経緯も規模も間違いだらけの、それでいて興味を沸かせるような記事だった。
手際が、良すぎる。
事故の当日に批判の下書きができているのは、事故の前から記事を書いていたからよ。前世で見たわ、そういう週刊誌。
その記事は、定例会の日の生徒会室にも持ち込まれた。
持ち込んだのはバルトロウで、紙面を握る手に力が入りすぎて、記事の真ん中に皺が寄っている。
「ユリアーナ様! この記事、嘘ばかりです! 実験の規模も、怪我の程度も! 新聞社に抗議へ行くべきでは!」
「相手の見えない抗議は、的のない矢だ。落ち着け」
リヒャルトが紙面を取り上げ、皺を伸ばしながら目を走らせる。
「確かに、よく書けている。事実の捏造の仕方が素人ではないな。読者の不安を煽る箇所だけ、妙に書き方が丁寧だ」
「これでは、僕の理論に欠陥があったように読めますね」
ユリウスが眼鏡の奥から紙面を覗き込み、珍しく声を尖らせた。
セバスティアンは何も言わず、記事の端に書かれている発行元の名前を指でなぞっている。
「皆様、お気持ちはありがたいのだけれど、今は動かないでくださいませ。反論は、材料が揃ってからまとめて一度にいたします。それが一番効きますの」
「ぐ……承知しました! ですが、材料が揃ったら真っ先にお声がけを!」
「ええ、約束するわ」
窓の硝子を震わせるバルトロウの返事に頷き返しながら、私は胸の中で段取りを一つ進めた。
この人たちが怒ってくれるうちは、プロジェクトは死なない。
だから私は、騒ぎに反論する代わりに、静かに裏を取ることにした。
まず動いてもらったのは、三人娘だ。記事の出所と、社交界での話の広がり方を洗ってもらう。
三日後、空き教室に集まった三人の報告は、揃って同じ壁に突き当たっていた。
「記事を書いた記者までは辿れましたの。ですけれど、その方は『確かな筋から聞いた』の一点張りで。どこの筋かは、頑として言いませんでしたわ」
「サロンでの会話も、二人まで遡れたのですけど、お二人とも『夜会で小耳に』としかおっしゃらず……どこの夜会かは、やはり口をつぐまれました」
「わ、私の調べた方も、同じでした。糸が、途中で、ぷつりと」
扇を閉じたマルガレーテと、肩を落とすフリーデリケと、手帳を握りしめたエリーゼ。三人の顔を順に見て、私は頷いた。
「三人とも、そこで止めて正解よ。よく調べてくれたわ」
労ってから、手元のノートを開く。半年前に書きつけた一行が、そこにあった。
素人の噂は、辿れば必ず発生源に着く。
辿り着けない噂は、プロの仕事。
週報の時と、同じ手口だ。
糸の切り口が、綺麗に揃いすぎている。
あの時は材料が足りなくて、深追いをやめた。
でも今回は違う。材料の方から、次々と転がり込んできている。
まず、炉の鑑定だ。壊れた共振部の破片を、正式な依頼状とともにユリウスへ回した。研究院からの鑑定依頼という形を取れば、学園の生徒でも堂々と扱える。
彼は五日で答えを持ってきた。
放課後の生徒会室の長机の上に、布に包んだ破片が並ぶ。
「破断面を拡大して写し取りました。自然な劣化なら、結晶の目に沿って崩れます。でもこれは、目を横切ってまっすぐ裂けている」
眼鏡の奥の目が、いつも研究の話をする時の輝きとは、少し違う色をしていた。
「外部から特定の周波数の魔力を当て続ければ、こういう壊れ方をします。共振部だけを狙って、内側から疲労させる。……つまり、人為的なものです」
「装置の欠陥や、操作の誤りという線は」
「ありえません。僕が理論を組んで作成した魔導炉です。もし欠陥があるのなら僕に責任があると考え、徹底的に調べました。三日かけて、その可能性を全部潰してから申し上げています」
ユリウスが自信を持って断言する。
専門家よりも詳しいと言われている彼がそう言うのなら、確かだろう。一応、他の専門家にも詳しい調査をさせているが、おそらく同じ結果になるに違いない。
ユリウス以外にも調査をさせているのは、身内同士で結果を改ざんしたと思われないための保険だ。
「鑑定書に、今の言葉をそのまま書いてくださる? 日付と署名入りで」
「もう書いてあります」
差し出された書面は、几帳面な図解つきだった。私はそれを受け取り、革の書類入れの一番奥へしまう。
出す時が来るまで、これは切り札として取っておく。
そして事故から十日後、今度は別の紙が届いた。
届け先は私ではなく、ミリアだ。彼女はその紙を握りしめて、わざわざ私のところまで相談に来た。
「実は、神殿からお手紙が来たんです」
差し出されたのは、上質な羊皮紙だった。金の縁取りに神殿の印章。文面は、どこまでも丁寧だ。
そこには、『聖属性は神々の恵みであり、このたびの痛ましい事故に神殿は深く心を痛めている。危険な研究の場ではなく、しかるべき保護の下でお力を育まれるべきである。ついては、聖女候補として神殿にお迎えしたい――』と書かれていた。
返答の期限は、月の終わり。
「その……とても凄い話だとは思うんですけど、私、神殿には毎年、収穫祭のお祈りに行くくらいだったんです。母と二人で並んで、父の名前を書いた札を納めるだけで」
ミリアは手紙を、包帯の残る指でそっと押さえた。
「でも母が、手紙をもらってすごく喜んじゃって。神殿様が娘を認めてくださったって、近所の人に触れ回っているそうです」
なるほど。そういう手か。
断れば、母が触れ回った話を、母自身に取り消させることになる。恩を着せるより、喜ばせてから縛る方がずっと重い。
「それで、あなたはどうしたいの」
「……研究を、続けたいんです」
声が小さくなって、それから、はっきりした。
「畑が、あと少しで蘇るところだったんです。あそこでやめたら、今までの実験が全部、途中になっちゃいます。母には……、まだ、そう言えていないんですけど」
まっすぐな目だった。研究院を自分の道だと言い切った、あの日と同じ目だ。
私はミリアから手紙受け取って、もう一度最初から読み直す。
脅し文句は一つもない。どこを切り取っても、善意と敬意でできた文面だ。
でもね。
実験が失敗した十日後に、保護の申し出なんて、タイミングが良すぎるわ。
とはいえ、証拠はない。今はまだ、ただの勘だ。
狙いは研究院の予算潰しと、聖属性という看板が生む利権だろう。
「ミリアさん。この誘いを、断りたい?」
「え、あの、断れる、ものなんですか? 神殿ですよ?」
「断れるわ。ただし、喧嘩腰は駄目よ。今日はまず、保留のお返事を出しましょう」
私は白紙を一枚引き寄せ、文面の素案を書き出していく。
身に余る光栄への感謝。事故の調査が完了していない現状。進行中の研究が国の農政に関わる公的な事業であること。そして、進退は本人の意思を尊重するという研究院の方針。
「保留、でいいんですか? お断り、じゃなくて」
「ええ。断りの返事は、一度しか使えない切り札なの。相手の狙いが見えるまでは、切らないほうがいいわ」
ミリアは半分納得していない顔で、それでも素案を丁寧に写し取った。
この素直さは、彼女の一番の武器だと思う。
「それと、これは私からのお願いなのだけれど。今後、神殿関係の方に会う時は、必ず教授か研究院のどなたかに同席してもらってね。絶対に一人では会わないこと」
「はいっ、分かりました!」
理由を聞かずに頷いてくれるのは助かる。まだ、それを話すことはできないからだ。




