第25話 研究予算
見学の後、応接室に通された。
飾り棚には賞状より標本の瓶の方が多く、出されたお茶は驚くほど質素だった。備品より研究に金を回す主義らしい。好感が持てる。
「本日拝見した研究に、公爵家から追加の寄付をいたします。魔導炉の件も、一覧を精査の上で前向きに考えます」
「おお……おお、それはありがたい。とてもありがたいことです」
教授は丸眼鏡を外して目頭を押さえた。それから眼鏡を掛け直し、なぜか、言葉を切った。
湯気の立つカップを前に、口を開いては、閉じる。早口の人の沈黙は、とても目立つ。
「教授。何か、ご懸念でも?」
「いえ。ご寄付をいただく身で、このようなお話は」
「お金の話でしたら、遠慮なさらないで。予算の話を聞くのは、得意な方ですのよ」
教授は膝の上で両手を組み、しばらく茶の湯気を眺めてから、声を落とした。
「実は……来年度の研究院予算に、削減の圧力がかかっておりまして。議会の、さる高位のお方から、と聞いております」
「高位のお方?」
「わしどもに分かるのは、お名前だけです。レーゲンブルク侯爵様。昔から、神殿と治癒魔導士ギルドの後ろ盾をしておられるお家、としか」
レーゲンブルク侯爵。
記憶を探るが、ゲームの中には、ない名前だ。
攻略対象の家名でも、悪役令嬢の縁戚でもない。ゲームの外側、この現実の社交界の名簿の、上の方にある名前である。
そして、入学式で、あの視線を感じた家。
治癒魔導士ギルドの後ろ盾。ふうん。なるほどね。
頭の中で、線が一本繋がった。
治癒の利権と浄化魔法の相性は最悪だ。
病人と怪我人を治す商売の隣で、「土地ごと健やかにします」なんて研究が育ったら、長い目で見れば客を食い合う。
ミリアさんの研究は、あの家の商売敵というわけ。……なるほど、競合他社のネガキャン程度は、覚悟しておきましょうか。
「教授。その圧力とやらは、いつ頃から?」
「今年に入ってから、ですな。予算の査定が急に細かくなりましてなあ。同じ書類を三度も出し直させられたのは、この四十年で初めてです」
「書き方に不備があった、というわけではなく?」
「例年通りの書き方です。例年通りが、急に通らなくなった。……それだけのことなのですが、どうにも、その」
薄気味が悪い、という言葉を、教授は飲み込んだようだった。組んだ両手の親指が、所在なげに擦り合わされている。
「差し支えなければ、もう一つ。削られそうなのは、研究院全体の予算ですの? それとも――」
「お気づきになりましたか。実は、全体、ではありません。査定が細かくなったのは、聖属性の研究に関わる項目ばかりです。魔導炉の更新費も、その一つでして」
へえ。全体ではなく、聖属性だけ、ね。
狙い撃ち、という言葉が頭を掠めて、私はそれをいったん棚に置いた。決めつけは早い。査定官の個人的な好みかもしれないし、単に新しい分野が疑われやすいだけかもしれない。
ただ、頭の片隅に、その事実は置いておく。
「分かりましたわ。予算審議の件は、こちらでも少し当たってみます。研究院は、これまで通り書類を正直に出し続けてくださいまし。きちんとした数字を出しておくことが、一番の盾になりますから」
「はい、はい。それはもう。何せ、使う金がありませんから、書類も簡単です。はっはっは」
笑い事ではないのだけれど、教授は愉快そうに髭を揺らした。この明るさで四十年、金のない研究室を回してきたのだろう。
よくある利権絡みだ。
前世でもあった。新しい技術が出るたびに、古い業界の団体が議員の部屋へ日参する、あれだ。
対処の型も決まっている。慌てる話ではない。
――この時の私は、本当にそう見積もっていたのだ。
「ミリアをどうぞよろしくお願いいたします、ユリアーナ様。あの子の目に映っているものを、いつか国中の畑に届けてやりとうございます」
帰り際、教授は深々と頭を下げた。染みの浮いた両手が、膝の上できちんと揃えられていた。
「ええ。私も誠心誠意をもって、その日を早める手伝いをさせていただきます」
門までは、水を飲んで復活したミリアが見送りに出てきた。
「今日は、本当にありがとうございました! 一覧、今週中に必ずお送りします!」
「待っているわ。それと、ミリアさん。夜更かしはほどほどになさいね」
言ってから、どこかで聞いた台詞だと気がついた。
ミリアは元気よく「はいっ」と返事をして、たぶん今夜も守らないのだろうなという顔で笑った。
私は礼を返し、迎えの馬車へと乗り込んだ。窓の外で、少女と老教授が並んで手を振っている。
馬車が角を曲がるまで、二人の姿は消えなかった。
帰りの馬車の中で、私は膝の上でノートを開き、揺れる車内でも書ける大きさの字で、やるべきことを並べていった。
一、研究院への追加寄付。金額はミリアさんの一覧待ち。上限は父と要相談。
二、予算審議への根回し。宰相府への筋はリヒャルト経由が最短。ただし、借りは作りすぎない。
三、週報の次々号で研究院の特集。塩害の土が治る話は、評判になる。世論の畑は先に耕しておく。
四、治癒魔導士ギルドの料金と評判の下調べ。これはクラウスに依頼。
五、レーゲンブルク侯爵家。派閥、資金、姻戚。……これは急がない。まずは輪郭だけ。
三番の横に、小さく書き足す。見出し案『土が、治る』。エリーゼなら、もっと良い題を付けてくれるだろうけれど。
それから一番の横にも、一言。
炉は道具ではなく、術者の体を守る設備として説明すること。父への説明は、データと一緒に、術後のミリアの消耗した様子を添えるつもりだ。
データだけで動く人には正確な数字を、そうでない人には状況を提示する。
プレゼンの基本である。
『君の案の方が、三年後に残る』
ふと、定例での彼の言葉が浮かんだ。
三年後に残るものなら、目の前にもう一つある。治った土は、来年も再来年も、麦を実らせ続けるのだ。
書き終えて、読み返す。
五番目の項目の上で、ペン先が少しだけ止まった。
焼けた土の匂いが、まだ鼻の奥に残っている気がする。あの匂いを知った後だと、「削減の圧力」という五文字が、紙の上で妙に黒々として見えた。
考えすぎよ。今日のところは、ね。
ノートを閉じる頃、馬車は公爵家の門をくぐった。
玄関でソフィアに外套を預けながら、私は最初の段取りを口にする。
「ソフィア、お父様は書斎かしら」
「はい。夕食までは、と伺っております」
「ありがとう。五分だけお時間をいただいてくるわ」
着替えは後回しだ。私はノートを胸に抱え直して、書斎へ続く廊下をまっすぐに歩き出した。
さあ、お父様へのプレゼンの始まりよ。




